アメリカ又はアメリカ人あるいはアメリカ人政治家のアンチクリスト的現実主義から派生しただろう戦争観をオバマ氏が語ったとき全世界は首をひねったと感じられたのは錯覚かとも思うが、少なくともこうした9.11限定、テロ憎悪思潮は世界に向けノーベル平和賞受賞者の語るべき内容を有しないと「被爆国」日本がなにより主張すべきことだったと彼は思う。とりわけ核の「平和利用」という思想の犯罪的誤謬を現実に体験しつつある被害者の目からみたなら、オバマ氏の理念なき主観的個人的報復思潮こそ連鎖的にあらゆる人民的不幸悲惨の拡大を産むとしかいえないのだ。オバマ氏の国家第一責任者としての立場とは、世界にとってある意味極めて個人的な状況にすぎない。従ってどこまでも普遍的価値の追究において世界のスタンダードを模索すべき公人が仮初にも口にしてはならない限定的個人的報復思潮をさも当然のごとく言い放ったアメリカ大統領は途端にその世界性から放逐されたのだ。彼は今やビンラデン殺害の国際司法上の一首謀者に過ぎない。残念ながら期待されたアメリカ初の黒人大統領はその一切の「責任」において無責任な三流政治家に堕した。結果的には無能という評価しか与えられまい。問題はそのことでなくアメリカにおいてはその精神の断面図にキリスト教をプロテスタンティズムの拡大解釈だけ優先させたユダ的裏切りの側面で描いたということだ。「換骨奪胎」といえば聞こえはいいが本質的には「骨抜きになった神」とでもいうしかない。こうした酷評は当然アメリカアングロサクソンの通史において至る所で事実的裏づけがある。ゲルマン征服民族の蛮行を引き合いに出すまでもなくヒトラーに究極した完全なる犯罪的排他的民族主義に似た恐るべき覇権主義だ。いたるところで先住民を蹴散らし追い落とし占領者然と君臨する。まさに「骨抜きの神」が彼らの、内容のない「祈り」の正体である。しかしながら彼らはキリスト教を政治利用してはいない。むしろそれに逆行した「正義の戦争」肯定論に終始している。従ってアメリカにおける反戦運動は多岐多様にわたり勿論キリスト教的なそれは徹底した非暴力精神に貫かれているし、当然それなりの代価も払われている。政府もこれを認証しその活動に不要な圧力を加えることもない。これを自由主義乃至民主主義というなら単純ながらよしとしなければならない。日本で神とされた「天皇」が政治利用され国民を籠絡した歴史からすれば一応の官民的バランスは確保しているといえよう。日本人においてある「天皇」という一種の神は後にも先にも民衆の中に根付いていたわけではない。もしあったとするならそれは一般的な信仰心にほかならずこれを逆手にとって図らずも「天皇神格化」をもって「強制的かつ漸進的に」心理操作が可能となったという歴史こそ大日本帝国の運命的にして悲劇的な実像であった。問題は所詮押し付けにすぎない民衆にとっての「天皇」が何故為政者の「神」となって立ち現れたかだが、ここに見える不合理な止揚は功利主義とは関係のない不思議な「仮託」という心理傾向を示していると思われる。(中断)