彼は学究的ではないし勉強不足だが彼の念頭にあるのは「治国平天下」に他ならず、その限りでは一切の「修身斎家」にはなんの興味もない。彼の少ない学識から「政治」につき「常識」として認識したのは吉本隆明直伝の強権弱民思想であり、政治が常にこのアンバランス上にある以上政治家が「保守」化することはどうみても「停滞」であり有りうべからざる「非倫理性」なのだが、かかる常識にないこの国の政治業労働者連中はおのれの職務を全くこなさず机上に鉛筆を転がして遊んでいるだけで一般市民が得るすずめの涙の給料からすれば途轍もない高給を稼いでいると言う、かかる情けない有様につき少しでも自覚はあるのかと眺めてみればなんのことはない、サラリーマン代議士を地で行くやからで占められているというわけだ。元々戦後の日本の民主主義はイラクアフガン同様のアメリカ押し付け傀儡型のそれであり、「誇り高き大和民族」なら慙愧して消え入るがごとき実態にあるのだが、如何せん、時の権力が居丈高に軽負担国防政治教育方針を継続永続しているが故についに本来的な自己回帰や主体性の回復には程遠いというのが現状である。尤もつらつら慮るに日本の国家権力の実質は「天皇」不可触体質の歴史的「無責任」指導性がどうやら正体で、「天皇制」を制度的に完全に廃止しない限りこの国の危機管理他重大事における機能性は改善しないのだろう。直接的な「我が身」の一大事にならない限りこうした不甲斐なくも恐ろしい政治不在の状況は続く(中断)。