沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩322

2011年05月15日 10時13分45秒 | 政治論
 現況「フクシマ」はチェルノブイリと同等もしくはそれ以上の人的産業的政治的被害を拡大拡散しつつあると見ていいのだろう。むしろチェルノブイリとはまったく別種の特異にして重大なかつ深刻きわまりない大事故と看做さなければならないと断じなければならないのだし、あらゆる複合する要素によって恐らく人知的解決不能な史上稀に見る悲惨な結末へ向かっていると思量しなければならないのだ。かといって徒に脅威を煽るのでなくむしろ警告的に事態の深刻さを国民全体が把捉する必要がある。どういうことか。事は急を要する。つまり浸潤する目に見えない放射能の影響を最小限にするには国家的にあらゆる超法規的施策を非常事態下の例外措置として次々と繰り出すこと、とりわけ警戒区域はもちろん県内全域における人間移動に関する「徳政令」を発し、まさに土地の強制収用を断行、いたるところに安全地帯を確保し、国家総動員的に建設関連業者を集結し恒久的保全に準じる仮設住宅を設置すること、と同時に原発事故危険区域を完全封鎖し可能な限り個々の必需品金品を集積搬送し避難民に分配すること、といってこの国が菅が海江田が枝野がこれをするとは思えず所詮戦後ボンボン内閣のノータリンどもには覚悟も決断力も期待できずむなしく滅び行く母国の哀れな惨状を遠く沖縄から望見するとは、此処に来て想像さえできなかったことではある。沖縄はこの地にへばりつく外国軍隊にいいようにあしらわれなすすべもない政府を恨めしげに眺めながらいつ果てるともない普天間問題にかかずらい寿命を縮める爆音にさらされながらひき逃げ危険運転で殺されても指をくわえて泣き寝入りするしかない腐り果てた「民主国家」の永続的犠牲者となって時は永久に過ぎ去っていく。