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読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

吉野せいの『洟をたらした神』

2017年11月24日 | 読書

◇『洟をたらした神

  著者: 吉野せい 1984.4文芸春秋社 刊 (文春文庫) 

  

 著者は70歳を過ぎてから小説を執筆し、1975年「洟をたらした神」で大宅賞、田村俊子賞
を受賞した。そのわずか2年後に亡くなった。
 本書で序文を書いた串田孫一は「刃毀れなどどこにもない斧で、一度ですぱっと木を割った
ような、狂いのない切れ味に圧倒された」と書いている。実際長年荒野を開墾し6人の子供を
産んで、詩人の夫と、実に貧しくつらい人生を送った彼女が、人生のありのままを恨むでもな
くただ淡々と綴っているその瑞々しさが心にしみこんでくる。昨今の中身の薄い多作の作家に
読んでもらいたい16の掌編である。 

<春> 冬から春を迎える開墾地の息吹と開墾の実際が詳細かつ鮮やかに描かれる。飼ってい
 る鶏の一羽が行方不明になった。3週間後に隠れてひなを産み育て帰って来た雌鶏。愛情い
 っぱいの優しい眼差しが伝わってくる。

<かなしいやつ> 農民詩人と呼ばれる親しい友人猪狩満直の想い出の記。北海道移民募集に
 飛翔の機会と応募したものの成果を上げられず失意のまま故郷に帰り、養鶏などに手を出し
 たが病を得て40歳の若さで世を去った詩人へのオマージュ。

<洟をたらした神> かぞえ年六つの次男ノボル。甘えたりものをねだったりしない。根気よ
く何かを作り出すことに熱中する性質の彼が、ある日重たい口で2銭のかねをねだった。今は
やりの「ヨーヨー」を買いたいという。2銭あればキャベツ1個、茄子20個、小味なら15匹買
える。チビた鉛筆で書き悩んでいる長女のタズに新しいのを買ってやれる…などと思い「学校
に上がったら新しい帽子やカバン、いろんな本など買ってやるよ…」などと言った後「ただ貧
乏と戦うだけの心の寒々しさが薄汚く、後悔が先立って何もかも哀れに思えてきた。」
 その夜親子の歓声が沸き起こる。ノボルが手作りのヨーヨーを上下し始めたのである。めっ
たにものをねだらないノボルの切ない願いへの対応を後悔し、自戒するせい。
 ものづくりが巧みな自慢の息子への温かい心がにじみだした作品。

<梨花> 昭和5年せいは二女(4人目の子)を亡くした。生後半歳足らずの仄白い静かな子だ
った。いつも笑ってせいを和ませてくれた梨花が熱を出し一進一退の症状を見せながら次第に
衰弱し、最後にろうそくが消えるように世を去った一部始終を、冷たい田んぼの畔に置いたま
ま冷えさせた自分のせいと、後悔に苛まれながら、医者への支払いが心配で明日見せようと躊
躇した自分が許せなくて泣くせい。そんな母親の切ない思いが切々とつづられる。右手を父親
左手を母親の指をつかみながら逝った幼児の最期は読む人の涙を誘う。 

<赫い畑> 一町六反の開墾地に梨を植えてようやく目鼻がついたころ、父親が3人の子を連
れて芋ほりに出かけた。そこに2人の特高と村の巡査が着て父親の混沌を連行する。巡査は言
う。「私は盗人を捕まえるのは張り切るが、特高のやることはどうもわけがわかんねえ。…今
日ここさ来るのは気が重かったな。でもそれが命令だっぺ」
 子どもらは母親を支えようと、健気にも父親がやり残した仕事を無言で続けていた。

<公定価格> 昭和18年1反ばかりの梨畑。公定価格以上の値段で梨を売ったと巡回中の査察
官に糾弾され、つい一言楯突いたばかりに始末書を持って明日警察に出向けと言われる。翌日
街に出かけたせい。実情を知っている町の巡査に「神妙に出頭したから、説諭だけで許してお
こう」と言われて心が軽くなり涙がにじみ出て、柄にもなく姿勢を正して叮嚀にお礼を言った
自分が疎ましい。

<いもどろぼう> 丹精込めて作ったサツマイモ。小麦・馬鈴薯に次ぐ第三の供出品を狙い夜中
に盗人が現れた。開墾14軒で共同で盗難防止に 当たる。犯人は大勢の農民に小突かれ蹴ら
れて、二度としない見逃してくれ、警察にだけは突き出さないで。子供らも路頭に迷うと哀訴
する。心優しい夫の混沌は最後に言う。「つかまえねばよかった」

 ほかに<ダムの影>< 麦と松とツリーと><鉛の旅><水石山><夢><凍れる><信と
いえるなら><老いて><私は百姓女>

 著者吉野せいの夫混沌が亡くなって、せいが72歳の時、夫の友人草野心平の言葉「いいか、
私たちは間もなく死ぬ。私もあんたも、あと1年、2年、まもなく死ぬ。だからこそ仕事をしな
ければならないんだ。生きているうちにしなければ—。わかるか」
 この時せいは72歳。
(<草野心平の言葉>梯久美子 「明日への話題」2017.11.15日経夕刊から)

  この短編集発刊の折、作者は「あとがき」でこう書いている。
「その時々の自分ら及び近隣の思い出せる貧乏百姓たちの生活の真実のみです。口中に渋い
後味だけしか残らないような固い木の実そっくりの魅力ないものでも、底辺に生き抜いた人間
のしんじつの味、にじみ出ようとしているその微かな酸味の香りが仄かでいい、漂うていてく
れたらと思います。」 

                        (以上この項終わり)

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