読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

村岡理恵の『ラストダンスは私にー岩谷時子物語』

2020年08月12日 | 読書

 越路吹雪との運命的な出会い

          著者: 村岡 理恵  2019.7 光文社 刊

  

    本書は表題通り、作詞家岩谷時子の自伝的物語である。岩谷時子は表題のメイン
にある歌「ラストダンスは私に」の歌い手、畢生の友人であった越路吹雪の無報酬
のマネージャーだった。したがって本書の大半が岩谷時子と越路吹雪の話で終始し
ているといってよい。それは作詞家岩谷時子の人生のほとんどが越路との友情の路
程だったことの証である。

 岩谷時子は2013年(平成25年)10月、97歳という高齢で亡くなった。天寿を全う
したといってよい。青春時代を太平洋戦争の非常時に過ごし、ついに結婚すること
もなく年老いた母を看取り世を去った。本人も自覚していた通り、仕事だけが生き
がいであった。
 兵庫県西宮で宝塚歌劇に憧れを抱ち育った彼女は、神戸女学院卒業後も歌劇文芸
図書館に通い文学に親しみ、幸運にも宝塚歌劇文芸出版部の編集に職を得ることが
できた。昭和14年のことである。
 
 ここで時子は歌劇団員である8歳年下の越路吹雪と偶然巡り合う。これが二人の
心が結び合った運命的な出会いとなった。
 一人っ子であった時子は姉妹のような関係を築き、越路の才能の開花を確信し、
東宝映画への出演、帝劇のオペラ「モルガンお雪」への出演、シャンソンの母国
憧れのパリに送り出すといった次第で、時子は無報酬ながら進んで越路のマネージ
ャー役を務めた。
 越路吹雪は天衣無縫で浪費癖が治らず、借財の尻ぬぐいが絶えず、時に感情的齟
齬も生じるなど紆余曲折を経ながらも、終生かけがえのない友人であった。
 越路吹雪は時子に先立ち、1980年(昭和55年)11月、54歳の生涯を閉じた。

 時子は劇中越路が歌う英語の訳詞を手掛けたのが始まりで、のちに歌謡曲、ミュ
ージカル、演劇などの訳詞・作詞などを手掛け、文学的音楽的才能を発揮した。
 1952年(昭和27年)東宝映画「上海の女」の主題歌「故郷のない女」が最初の作
詞である。その後「愛の讃歌」、「ラストダンスは私に」など多くのヒット曲、
「月影のナポリ」などカバーポップスの訳詞、「ふりむかないで」の作詞などで名
声を博した。時子は生涯でほぼ1,000曲の作詞を行っている。中でも「君といつまで
も」、「旅人よ」、「海その愛」などで知られた加山雄三(弾厚作)の曲の作詞は
100曲に及んでいる。

 著者の村岡恵理はよほど岩谷時子に傾倒していたに違いない。時子の旧い日記を
初め、膨大な資料、参考文献を渉猟し、強い絆で結ばれた越路吹雪との二人三脚に
焦点を絞りながら、昭和の不世出の作詞家岩谷時子を生き生きと甦えらせた。

                          (以上この項終わり)
 

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