◇ 『天地明察(上・下)』
著者: 冲方 丁(うぶかたとう) 2014.5 角川書店 刊
江戸時代初期における幕府の碁打ち衆にして算学者である渋川春海の
物語である。
難解な漢語表現を駆使しながらも、簡潔な表現をもって天文と和算学
の世界をかみ砕き、春海が苦節23年を重ね、800年余にわたり膠着状態
にあった宣明暦に風穴を開ける使命を果たすまでの春海の半生を描く。
時は4代将軍家綱、副将軍水戸光圀、大老酒井雅樂頭忠清の時代。影の
支援者会津藩主保科正之、和算の天才関孝和との交流、天文学、暦学の
先輩建部昌明、伊藤重孝らの後押しがあり改暦に取り組む。
先ずは北極出地という日本各地の緯度経度を精査する調査。データ集め
である。次いで先進中国における暦法の調査研究、家代々続く幕府囲碁衆
としての務めの傍ら研究に打ち込んだ和算学をベースに天文の摂理を究め、
快心の出来と信じ固めた「授時暦」は月蝕の時を1回間違えて信を失った。
その後授時暦の欠陥を知りさらに研鑽を重ね、「天文分野之図」、「日
本長暦」という書物を世に問い失地挽回、ついに22年の月日を経て「大和
暦」を世に出し、朝廷に改暦の請願を出すに至った。
しかし既存の陰陽師群はこぞって大和暦に反対し、中国の大統暦採用を
推したが、春海は勅命を受けた土御門家康福を正面に押し立て、大衆と公
家の賛意を積み上げ、ついに時の霊元天皇から勅名「貞享暦」をもって大
和暦採用を実現した。時に春海46歳。
この間春海は最初に娶った妻ことを失ったが、蔭ながら精神的支えとな
っていた磯村算学塾の縁者であるえんと結ばれ男児を得ている。
この子は親に先立ち、春海は80歳で亡くなった。
改暦実現のために、幕府と朝廷とを巧みに操る駆け引きの見事さは史実
にはないところであり、まさに作者の力量発揮の場である。
暦の公定は宗教、政治、文化、経済の統制を意味する。専権による経済
的利益の独占をも意味する。そして春海らが構想する幕府天文方の創設、
大和暦への転換は、宣明暦の監修・頒布に携わってきた陰陽師に真っ向か
ら対立する大事業であり、公家の独占事業への武家の挑戦だったのである。
和算学と天文・暦学という異色の世界に深く分け入り、ドラマチックな
小説に仕立て上げるという作者の力量はなかなかのものであると言わざる
を得ない。
この作品は吉川英治新人賞等を得た。
(以上この項終わり)