読書・水彩画

明け暮れる読書と水彩画の日々

東野圭吾の『人魚が眠る家』を読む

2016年01月11日 | 読書

◇ 『人魚が眠る家』 著者: 東野圭吾  2015.11 幻冬舎 刊

   

  これはという新刊本にはすかさず飛び付く親しい友人のHさん。読了した本で推薦できるものは即わが家
 に回して下さるという、出版社が聞いたら苦虫をかみつぶすシステムがほぼ確立している。
  今回のご推薦本は東野圭吾・作家デビュー30周年記念作品という書き下ろしの『人魚が眠る家』。わが家
 でも昨年12月
に新聞広告を見てさっそく市の図書館にリクエストしたが、すでに76人の先約者がいた(現在
 はなんと386人)。Hさんありがとう。

 
  この本、テーマとしては真の死とは何か、とりわけ愛する肉親の死に直面した人に死の意味を問うという、な
 かなか重い本
である。

  播磨薫子と和昌。仮面夫婦である。和昌の浮気に端を発した夫婦の不和での瑞穂の小学校受験が終
 わったら離婚すると約束をした。そんな彼等に悲報が届く。娘がプールで溺れた。すでに脳死状態にある。
 病院に駆けつけた2人は脳死判定前に臓器移植の選択を迫られる。脳波は平旦であっても、心臓その他
 の身体機能は今のところ順調に働いている。瑞穂は安らかな顔で、まるで眠っているようだ。しかし、いずれ
 機能を失う。脳死判定をすれば、ほぼ間違いなく脳死判定が確定するだろうと担当医の新藤は告げる。

 臓器移植を前提とした判定検査に同意する決心をした薫子と和昌が、最後の別れをと瑞穂の手を握ったと
 ころ…。瑞穂の弟生人が「オネエチャン」と呼びかけた瞬間、瑞穂の手がぴくりと動いた。
  瑞穂はほんとは生きているのではないか。薫子と和昌は同意する筈だった判定検査を断る。

  和昌はハリマテクスというBMI技術(Brain Machine Interface)を研究している会社の社長である。自発呼
 
吸機能を失った瑞穂に横隔膜ペースメーカーを使う人工知能呼吸コントロールシステムを装着した。薫子は
 さらに脊髄を使った筋肉に、人工的に信号を送り動かすシステム開発を手掛ける、和彦の会社の社員星野
 の指導を受けながら腕や脚の筋肉を動かす訓練も始める。
  
  瑞穂は2年以上に渡って人工知能システムのおかげで身体的成長を遂げ、小学校3年生になる。一見眠
 っているだけの少女となった瑞穂を薫子は好みの服を着せたりして外出も試みる。
  しかし夫の和昌も、弟の生人も、薫子の両親も、妹とその娘の若葉も、みんな瑞穂が人工的なシステムで
 「生きている」ことに違和感を抱いている。しかし母親の薫子を思うと誰もそれを口にはできない。

  小学校1年生になった生人の誕生パーティーが開かれた。薫子が呼ぶように言ったクラスメイトが誰ひとり
 現れない。生人は姉は死んでしまったと言って誰にも声をかけていなかった。薫子は激怒する。和昌は「み
 んなが君と同じ考えをもっているわけではない。解ってやらなければ。自分の価値観を人に押し付けては
 いけない」と諭す。
  瑞穂が死んでいることを認めなければいけないと言われた薫子は、突然台所から出刃包丁を持ち出し瑞
 穂の胸に包丁を当てる。そして警察官の出動を求める。「私がこの娘に包丁を突き立てたら、私は殺人者で
 すか」、「この人たちはこの子はとっくの昔に死んでいて、医者は脳死判定をしたらおそらく脳死だろうとい言
 っています。それなら私が包丁を突き刺しても殺人にはならないでしょう」」薫子は警官を問い詰める。
  
  しばらくして瑞穂の体調が急変し、全ての測定値が悪化した。病院からの薫子からの連絡で和昌は駈け
 つける。薫子は瑞穂の死を確信する。そして二人は脳死判定の検査に移し、臓器移植のレールに乗せる
 ことに同意する。
  薫子は打ち明ける。昨夜瑞穂が私のベッドの脇に立った。「おかあさん、ありがとう。今までとても幸せだ
 った」、「もう行くの?」、うんと瑞穂は答えたという。
  娘の死を受け入れることに吹っ切れた薫子は、人にやさしくて思いやりがある子だった瑞穂は自分の臓
 器を必要としている人にあげてほしいと言うはずだと、臓器移植に同意しようと和彦に告げたのである。

  脳死判定は臓器移植に必要な手続きで、通常の生死認識とは異なる。したがって薫子が出刃包丁を
 持って「私は殺人者かどうか」の判断を警察に迫らなくても、冷静に判断すれば解ることである。ただ理論
 上の、システムとしての死亡判定と、人間の感情サイドの認識は異なるのは当然である。とりわけ親子のよ
 うな濃密な関係者にとっては、どんなわずかな兆候でも、生と死を分けるあわいに敏感に反応し、生に執着
 することは当然ありうる。薫子の反応はよく理解できる。成人の場合、生前から臓器移植に同意しておれば
 問題はない。脳死状態にある未成年者の子供の場合、理性的な判断を求めることがいかに難しいか。臓
 器移植を求める患者(レシピエント)としては、魂の抜けたボディは単なる物体と割り切り、合理性を尊重す
 る欧米人に比べ、物には魂が宿るといった情を重視する民族である日本では、ドナーの少なさを嘆くこと
 になる。

                                                     (以上この項終わり)

 
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