JCP市原時夫です

千葉県房総の睦沢町から、政治・経済・歴史・オペラ・うたごえを考えるgabuku@m12.alpha-net.ne.jp

今も閉ざされた駅前。復興支援の物資行き交う共産党復興支援センター

2011年10月05日 | Weblog
昨日、宮城県石巻市の日本共産党災害復興支援センターに、同僚の藤本勝浦市議とともに支援物資をお届けにいってきました。
 


 被害の多い海岸地域は、がれきが山となり、トラックが連なり、海岸の金属、木片、紙と分けられて、埋め立て地のようになっています。
 津波に襲われた住宅街は、家があっても人っ子一人いない、建物の形だけが残る有様です。
 日本共産党の復興支援センターでは、着いたとたんに現地の方と支援ボランティアの方により、小型トラックになどに、積み替えられトイレットペーパー、お米、ティッシュ、タオル、日用品などが次々に、被災地に届けられています。まさに、 お力になりたい、というみなさんの気持ちに触れ、私も「住民の苦難の解決」を党の存在意義とする、日本共産党員やみなさんの姿に感動しました。

 様々な設備が整っていないこともあり、ボランティアの方は、まさに、完全自活の支援のようで、昼食を取った、食堂では、ぼらんていの方が、そこで昼食をとり、出かけられていました。
 石巻市議の三浦一敏さんが、漁民のねがいを踏みにじる県の「水産特区」を許さないと、11月の県議の立候補を決意し、という背水の陣で被災者の声を県政へと、奮闘されており、そのエネルギーを頂いて参りました。
 「冬になるとどうすればよいか、段ボールベッドを利用している」「町内会も機能せずこれから予定が立たない」「バスタオルが欲しい」仮設住宅「砂利道で車いすで移動しずらい」「雄勝をもとのようにしてほしい。早く帰りたい」「まだ夢を見ているみたい」「仕事がほしい。雇用保険が切れることが心配。」救援センターや三浦一敏さんの所に、切実な声が寄せられています。