2005年7月14日のブログ記事一覧-ミューズの日記
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昨日中川先生のリュート教室がミューズ音楽教室でスタートしました。
彼は丁度1週間前の7月7日にスイス・バーゼルから帰国したばかりですが、帰国する前から3名の生徒さんが申し込まれて先生の帰国を待っていました。しかも3名ともリュートは初めての方ばかりなんです。お一人は鍵盤の経験はあるものの弦楽器そのものが初めての人、もう一人はギターはミューズ音楽教室でレッスンを受けているがリュートは初めてと言う人、もうお一人はギターもリュートも全く初めての人です。

私は最初はリュート教室に申し込まれる方はきっと経験者ばかりだろうと思っていましたら違うんですね。しかも中川先生のレッスンは基本的にはワンレッスン¥7,350で月2回のレッスンでも¥12,600と、一般的に初めての人、初心者には決して安くはないんです。それでも帰国前から3名の人が待っていたんです。中川先生の魅力は別にしてリュートのどこにそれだけの魅力があるんでしょうか?

尤もリュートを教える人が少ない、殆ど居ないと言う事もありますが、やはり楽器そのものの魅了やその音楽の魅力があるんですね。楽器のフォルムも美しいですが、音色も雅(みやび)でなんとも言えませんね。また、その音楽は現代において望まれる癒し系でもあり、奥深いものですよね。そんな所がリュートの魅力なのではないでしょうか。私自身リュートは弾けませんので間違っているかも知れませんが、ギターを演奏するにはある程度楽器との格闘が必要なのに対して、リュートは融和とか一体感とか包み込まれる優しさを感じるような気がします。もちろんギターも楽器との融和と一体感は必要なのですが・・・リュートをやっている人、もし違っていたらコメントください。

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昨日は中学2年の時にナイロンギターを買ってもらった処までお話しました。今日はその続きです。

中学時代は野球部でピッチャーをやっていました。小学校時代から肩が強かったようでドッジボールでも非常に強いボールを投げる事が出来ました。中学1年の時には同級生で僕のボールを受けられる人がいなくて、いつも上級生とキャッチボールの練習をしました。そこで僕はエースの座を獲得して女子にもモテて人生の黄金期を謳歌していました。しかし、2年生の時に練習中に左足のひ骨を骨折し1ッ月間ギブスをはめて寝ることになってしまいました。治ってからリハビリをしながら練習を始めましたが、遅れを挽回しようと焦ったために肩を痛めてしまいました。

そこで好きな野球は中学までで諦めて、高校では合唱とギターに熱を上げました。野球を続けていれば例え補欠でも甲子園に行けたのに・・・本当に僕が2年生の時に四日市高校が甲子園に出場したんです。
さて、ギター同好会を作るために各教室を回り、同好の志を募りました。学校に認めてもらうためには顧問の先生が必要なため合唱部に入り、合唱部の顧問の先生にギター同好会の顧問もお願いしました。しかし、人を教えるには自分も基礎を勉強しなくてはと思い、自宅の近くの楽器屋さんのギター教室に通い始めました。それが高校一年生の春でした。

教室では「カルカッシ教則本」と言う本を買わされました。最初の印象は「何だこのいかがわしい本は!」でした。何故なら私にはカルカッシが軽業師(カルワザシ)と似た音に聞こえたのです。これが私のクラシックギターとの始めての出会いでした。ここではじめてアポヤンド奏法も知りました。カルカッシのエチュードもソルのメヌエットもビラ=ロボスの前奏曲も知りました。そしてどんどんクラシックギターの世界にはまり込んで行きました。古賀政男はもう過去の人となりナルシソ・イエペスに夢中になりました。イエペスのレコードを聴いては、「何てかっこいいんだろう!僕もこんな風に弾ける様になりたい!」と体を震わせていました。

高校のギター同好会は最初の年は何度か辞めようかと思ったこともありました。途中で挫折して辞めて行く人が出てきたり、集まりが悪かったりして悩みました。しかし、口コミで入部してくる人も出てきたり、文化祭で演奏したり、ギターフェスティバルに参加したり少しずつ活動も軌道に乗っていきました。今から考えると合唱部とよく掛け持ちでやったもんだと思います。

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