先回はクラシックギターとの出会いで高校時代までお話しましたので今日は大学時代のお話です。紆余曲折があって南山大学へ進学。入学すると大学キャンパスには新入生を獲得しようとあらゆるクラブの先輩が勧誘に精を出していました。私は高校時代にナルシソ・イエペスのレコードを聴いては憧れていたと同時に、トリオ・ロス・パンチョスにも憧れていました。そして南山大学にはトリオ・ロス・モレーノスと言うメキシコのボレロを歌うクラブがあって練習の歌声がキャンパスに響いていました。それがとっても甘く上手な歌声で私は魅了されました。それもその筈、全国学生軽音楽大会で金賞を取ったクラブだったんです。
僕が入った学部は外国語学部イスパニア語学科、つまりスペイン語学科だったこともあり、ギターを弾きながらスペイン語で歌を唄う事にあこがれもありました。そこでトリオ・ロス・モレーノスを訪問すると、楽譜は無くレコードを聴いてはコピーしていると言うではないですか。「これは駄目だ、僕には出来ないや」と簡単にあきらめて結局ギターアンサンブルに入部しました。この時にモレーノスに入っていたら私の人生は全く違ったものになったでしょうに・・・
当時はギターを持って歩くのがファッションだったくらいギターブームで部員は120名ほどいました。しかも殆どの進入部員は初心者でした。そして合奏の練習をパートリーダーの指図の下、パートに分かれてのパート練習が続きました。
当時は上南戦と言って、上智大学と南山大学が姉妹校であることから体育会系では交流試合、文科系では交流会が毎年行われていました。私が1年生の時には東京で合同演奏会が行われ、私は1年生から上南戦のコンサートでソロで演奏させてもらいました。
しかし、大学以前からギターを弾いていた者にとっては普段の合奏の練習がなんとなくつまらなくて退屈なものでした。そこで1年生の中で弾ける仲間4人でアンサンブルを辞めてソロと重奏を中心によりアカデミックなクラブを作ろうと結託しました。何となく離反者=造反者のような、新撰組を離脱する同志のような気分でした。裏切り者が出ないように血判状を作りました。今から思うと若かったんですね。でもそれだけ真剣だったんですね。やはり先輩たちに睨まれる事は分かっていましたから。そして結成したクラブの名前がが「南山大学ギター音楽研究会」でした。
とっても硬い名前でしょう。しかし、本当にアカデミックだったんですよ。コーリューブンゲンまでやったりしたんですから。
その4人の中に、今はリュート奏者になった中川祥治さんもいたんです。彼は当時はギターをやっていましたが、当時から非常にうまい演奏をしていました。途中からリュートをやるようになり二股を掛けていましたが・・・
そして、4年生の卒業前に彼とジョイント・リサイタルを四日市市民ホールでやることになりましたが、そのあたりのお話はまた別の日に・・・
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