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Gene Kelly -ジーン・ケリーって、どんな人?

2005-01-24 01:39:46 | Musical 往年の名優
映画版「Singin' in the Rain」でドンを演じたジーン・ケリー。 ミュージカルファンなら知らぬ者のない、世界でもっとも有名なミュージカルスターの一人でしょう。 (写真は、「雨に唄えば」からのワンシーン。となりは、キャシー役のデビー・レイノルズです。)

彼の本名は、Eugene Curran Kelly といい、1912年8月23日にペンシルバニア州ピッツバーグで、5人兄弟の3番目として生まれました。母親の影響でダンスに親しむようになったジーンは、小さい頃から兄弟達と一緒に素人の演芸会に出演し、地元にプロの芸人達が公演に来ると必ず見に行っては、彼らのダンスステップを真似て覚え、自分のレパートリーを増やしていきました。
1932年に一家は、ピッツバーグとジョンズタウンの2ヶ所に「The Gene Kelly Studio of the Dance」を設立、ジーンは、学業の傍らダンス教師をつとめ、また地元の劇場で振り付けやショーの監督も行っていました。

1938年にBroadwayに招かれたジーンは、Broadwayデビューとなる「Leave It to Me」に出演、翌1939年にハリーという役で出演した「The Time of Your Life」が大当たり、彼の人気に火がつきました。
高まる彼の評判に、ハリウッドからオファーが舞い込み、ジーンは映画界へ進出。MGMと契約した彼のハリウッドデビューは、「オズの魔法使い」のドロシー役で有名な名女優ジュディ・ガーランドと共演した「For Me and My Gal (1942年)」でした。1944年には、コロンビア映画からの要請でMGMから借り出されたジーンは、「Cover Girl カバー・ガール」に出演、初めてジーンが振り付けの大部分を担当したこの映画は大ヒットとなり、またダンサーとしても、この映画の中でもう一人の自分と踊るシーンの素晴らしいパフォーマンスが評判となり、ジーンの名声を不動のものとしました。

「Ziegfeld Follies ジーグフェルド・フォリーズ(1946)」では、もう一人の誰もが知っているミュージカルスター、「ダンスの神様」と呼ばれるフレッド・アステアと共演を果たします。 (後に、「That's Entertainment, Part II ザッツ・エンターテイメント・パートⅡ(1976)」でアステアと再共演を果たした彼は、現役時代を彷彿とさせる見事なダンスを披露しています。)その後、大リーグ中継等でよく耳にする「Take Me Out to the Ball Game」という歌を生み出した「Take Me Out to the Ball Game 私を野球に連れてって(1949)」、初めてスタジオの外に出てNYでロケを行った「On the Town 踊る大紐育(1949)」、その斬新な振り付けとジーンの素晴らしいダンスで大ヒットとなった「An American in Paris パリのアメリカ人(1951)」を経て、「Singin' in the Rain 雨に唄えば(1952)」に主演しました。
数あるジーンの出演作の中でも、この「雨に唄えば」は代表作となり、今でも、もっともポピュラーなミュージカル映画のひとつとして、多くの人に愛されています。 1996年2月2日に彼が亡くなった時には、アメリカのあるニュース番組が、彼が雨の中で歌って踊るタイトル曲のシーンを、何の解説も加えないまま最初から最後まで流して、彼を追悼したそうです。

優れたパフォーマーであると同時に振り付け師や監督としての才能を発揮し、数々の作品に出演・監督したジーンは、その素晴らしい才能と穏やかな人柄から未だに多くのファンから愛され続けています。 そのダイナミックでショーマンシップあふれるパフォーマンスは、ミュージカルファンならずとも一見の価値ありです。まだご覧になったことのない方は、これを機会にぜひ一度、彼の作品をご覧になってみてください♪ 昨年「ザッツ・エンターテイメント」のパートⅠからパートⅢが、日本でもDVDで発売されましたが、こちらでもジーンの出演作のハイライトが楽しめます♪

なお、彼のBroadwayでのキャリアはこちらから、また映画の出演・監督作等はこちらからご覧いただけます。


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