さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

【news】レイプ・ツリー 他

2011-11-12 16:13:40 | Friday -news-
(アルフォンス・ミュシャ『連作≪四つの時の流れー夜の安らぎ≫』)

(BGM:M.J“Human Nature”,
  “Man in The Mirror ”(←お、これ、いいな),
坂本龍一“戦場のメリークリスマス”(オーケストラヴァージョン) by You Tube)



 日本は、とても平和だと思う。
 こちらには、できるだけ、穏便な内容を載せているが、たまには、「ひとつの現実」もちょこっとお載せしようかと思う。
私でさえ知っている「現実」のひとつを。

 最近、CNNでもまた、メキシコで麻薬組織に関連してNoと言っていた若い人々の惨殺死体がさらされた、というニュースがあった。今日も、それに関連したニュースがあった。

         *****************

 日本は、まだ平和だと思う。
 むろん、日本国内でも、色々な事件があるが。それでも、確かに、平和だと思う。

 できれば、これ以上、治安が悪化することがありませんように。
 どうか、傷ついている人々に、助けの手を必要としている人に、慰めと、必要な支援(助け)と、シェルター(逃れの場)が与えられますように。


         *****************


 最近―「最近」というのは幅広いが、今回の「最近」はカダフィ氏関連だと思う―、それらをわかりやすくまとめてくれているサイトがあるのを知った。
よくまとまっているので紹介するが、このサイトだけが、これを伝えているのではない。

「被害者の下着が舞うレイプ・ツリー」

 見るのがいやだろうと、なんだろうと、それが現実。
 目を向けなかったからと言って、それが消えるわけではない。

   「もう戦争はたくさん、
    強姦はたくさん、
    無関心はたくさん」
と、ある人は言う。
誰しも自分がそのような目にあったと言いたくはないし、知られたくもない。
だが、泣き寝入りしている間に、まだ、それは誰かに続いている。

 だから、このような写真やニュースがあることに怒るのではなく、何が実際行われてのかを知り、もしも憤(いきどお)るのであれば、その「事実」のほうに、怒りを向け、また、嘆いてほしい。そして、祈ってほしい。

「戦争とレイプ(1)アブグレイブ刑務所の惨劇」

 レイプしている写真を、兵士らが写して、カードゲームのカードとして交換していた、というのを海外の他のニュースでも、かなり以前に見た。

 中東では、今でも「石打ちの刑」がある。レイプされた女性への、家族による「名誉の殺人」もある。
 女性は、被害を受けただけではなく、その後も、殺されるか、事実上、村八分になる。


 聖書では、レイプは殺人と同じだと記されている。(申命記22:25-27) 実際の気持ちとしては、「死んだ方がマシだ」とさえ思うかもしれない。

 …そのような被害にあった女性は、「2度」殺されなければならないのか?
 ただ、フツウに暮らしていただけのに。


「戦争とレイプ(3)コンゴのレイプ地獄から逃げて国境でも輪姦」

 人権云々でもなく、
 医療関係の情報でも、アフリカの話はある。特に、HIV関連。

 アフリカ(のザンビアやその他の地域だけではなく、インドでも同様らしい)では、HIVについて、こんな迷信がしばらく前から、ある。

  ―「処女を犯せば、エイズが治る」

 そのため、―件数は不明だが―若い女性がレイプ(場合によっては集団で)される事件も少なくない、という。これが、1件、2件なら、ここまで話は来ない。レアなケースというだけで終わってしまう。つまり、レアではない、ありふれたニュースなのだ。
 彼女たちは、三重苦、いや四重苦を受ける。
 (1)レイプでの深い傷、(2)HIV感染、(3)レイプおよびHIVのために同胞からも避けられ、(4)これからの生活の手立てさえ、どうしろと?。身体が生き延びていたとしても、社会が―たとえ、クリスチャンだろうと、いやクリスチャンらは尚更―貶(おとし)め、手を差し伸べる人はわずかだ。
 同様に、アフリカには、もともと色素が薄い人々がいる。彼らもまた、どうようの理由(HIVに効くetc)で殺されている、という。
 ―アフリカ、HIVに少しでも関わったり、話を聞いている人であれば、知っていることである。―


「暴力蔓延はレイプの時代の幕開け。経済崩壊のあとの世界」

 誰が、今年の一月から、連鎖反応的に、アフリカが血なまぐさくなることを想定していだろうか。
 
 誰が、今年の3月11日、このような事態になると思っていただろうか。(巷では、予見者はいた、といううわさはあるが)


         ****************

 人は、自分の身にふりかからないと、あまり祈らない傾向がある。
 だが、祈ってほしい。


 対岸の火事、ではない。
 同じ、肉体をもった、同じ時代に生きている人が、苦しんでいる。
 今、自分はそうはならなかったかもしれないが、…自分さえ良ければいいのか?

 聖書はこう言う。


 「捕らえられて 殺されようとする者を救い出し、
  虐殺されようとする貧困者を助け出せ。

  もしあなたが、
  「私たちはそのことを知らなかった。」と言っても、
  人の心を評価する方は、
  それを見抜いておられないだろうか。

  あなたのたましいを見守る方は、
  それを知らないだろうか。

  この方は
  おのおの、人の行いに応じて報いないだろうか。」(旧約聖書・箴言24:11-12)


と。
 隣人を、己の如く愛せよ(ルカ10:27参照)と。

 だが、私は、あまりにも非力だ。私は、知っても、何もできていない。
 今も、ソマリアに対して、何ができよう。

 だが、…全てをご存じで、全てをご支配なさっており、人の弱さも愚かさにも、今も忍耐してくださっている神様に対して、
 祈ることはできる。
 願うことはできる。
 ・・・祈りつつ、何か小さなことを行うことはできる。


 もうしばらく、中東は揺れ動き、…そのうち、この東の地も静かに、さらにきびしくなるだろう。


         ***************


   “そこで、まず初めに、このことを勧めます。

    すべての人のために、

    また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、

    祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。”

                  (新約聖書・テモテ第一 2章1節)

          **************

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111111の日

2011-11-11 22:51:48 | Thursday 生活
―今日は「イイ(11)日」でした―

◇こちら、東京の都心に住むキャベツより近況報告。

◇今朝、共同トイレが雨漏りのため水浸し。
 パートの寮母さんに「緊急事態!」と張り紙し、仕事へ。

  …寮母さん、ありがとう♪…

 今は、五右衛門風呂ができそうな大きな樽(たる)と、小さなたらい達
 トイレに鎮座して、雨を受け止めてくれています。  (さすが、昭和4×年築)


          ****************


  P.S-雨がやみ、すばらしい秋晴れ。加えて、工事の人も来たようだが、・・・今も、五右衛門風呂が、ちとちと水滴を受け止めてくれています。元々、来年の新入職員のため、追い出されるという話は聞いていたが、さてはて…。
                          いくらさすらい人とはいえ、しばらく一つ所に留まりたい…

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祈りの作法 (1)

2011-11-07 22:00:00 | Sunday 聖書雑学
(アルブレヒト・デューラー『祈りの手』)

<本題に入る前に>

 祈りの作法
 ・・・「一体、どの口がそれを言うんじゃ!!?」と、我ながら、思います。「なんでまた、そんな題材になってしまったんだ?」 と、つくづく思います(とはいえ、実は、その単語は、以前から目の前をちらほらしていましたが)。「お前が『作法』語るなんざ、100年たっても早いわ!!! ちゃんちゃらおかしいね!!」、自分自身、朝からそう、つくづく思います。

 いったい、どこぞのバカでアホんだらが、そんな大層なことをぬかすんじゃい。
 ・・・私メです(-_-;)


 ですが、今、どうしても書き留めておかなくてはならなくなりました。
 というのも、こんな大事なことを、昨日、私は言い忘れてしまったからなのです。


          ***********


 むろん、私は「ことばの人」(出エジプト記4:10)ではありません。

 自分のところの集会(教会)の、特伝から続けてこられた、熱心な新しい方と、他のクリスチャンの先輩とのやり取りを、耳をそばだてて聞かせていただいておりました。
「キャベツさんから、何かありませんか?」と、お声をかけていただいたときも、私は、「自分が何かを言う」ではなく、「その方が、何を、どのように、どこまで、理解しているのか」のほうを把握したいと思っておりました。(ですから、その人が思い巡らす時間や、自分なりに自分の言葉で表現しようとすることを、どうぞ、他の方々、奪わないでください)

私は、ゴミも石コロもない、美味しい食事を提供することももちろんそうですが、人に物を詰め込んで目をぱちくりさせるより、消化するのをお手伝いしたいと思っているのです。どんなに美味しい食物(出エジプト記16:13-15,16:31,民数記11:7-9,申命記8:3)でも、食べすぎたら吐き出してしまうだけですから。

 最終的に、その方の願うことについて、「どうぞ、お家でもお祈りください」とのみ、簡単にお伝えする程度でした。


         が。



 ・・・そもそも、そんなふうにお勧めするよりまず、どのように祈るべきか、全然お伝えしていなかったじゃないかorz
ということを、今日になって思い起こした次第なのです。

 とりたてて、ムズカシイことではありません。
 むろん、知っているに越したことはありません。

 表記について「祈りの際の注意点」「祈り方」・・・などなどあるでしょうが、私の手の上に示されたのは、これでした。畏れ多いことです。

 もし、これが、今後、そのような事態に直面するわけでないのでしたら、こんな覚え書きは、無意味でしょう。
 が、今後、同じようなことがまた、起こるとも限りません。
 
 そういうわけで、ここを通られる諸先輩方、また、友人各位、どうぞ、上記をご理解の上、温かく、この不作法者の拙い覚え書きをお読みいただけたら、ありがたく存じます。
 これは、自分への覚え書きとも言えますが、チラシの裏に書いた場合、今後、地震でいつなんどき無くなるかわかりません。また、このように覚書を書くことで、さらに教えていただけることも期待しつつ、したためさせていただきます。

 また、毎度ながら「だれにでもわかるように」(かつ、気付かれないように)覚え書きを残したい、と、そう思っておりますので、格式高いものではございません。ごくごく庶民的な物言いですが、その点もご了承いただければ、と存じます。(続く)

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祈りの作法 (2a)

2011-11-07 21:57:22 | Sunday 聖書雑学
「祈りの作法 (1) はじめに」
「祈りの作法 (2a) 基本の基本」
「祈りの作法 (2b) 基本の基本<具体例・詳細>」
「祈りの作法 (3) 主の祈り」


      ******************


  “求めなさい。そうすれば与えられます。

   捜(さが)しなさい。そうすれば見つかります。

   たたきなさい。そうすれば開かれます。

   だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。”

            (新約聖書・マタイの福音書 7章7-8節)


       


(以下は「祈りの作法 (1)」をお読みの上、ご了承いただける方のみご覧ください)


 さて、本題です。
 祈る時、気を付けなければならないことって、なんでしょう?

(念のため・・・これは、「聖書は はじめて!」という方への質問です。
 「もうよくご存じというお方」は、どうぞ素通りなさってくださいm(_ _)m)





       ・


       ・



       ・




 いや、なに、そんなに難しいことではないですよ。
 大事なことは、とてもシンプルなんです。


 「『私たちを創られた神様』に、『イエス・キリストの御名(みな)によって』『アーメン(その通りになりますように)』だけは、忘れずに祈るコト。

  もちろん、『感謝すること』も忘れずに~(^^)⌒☆」

・・・ほら、ムズカシイことではないでしょう? ただ、これは、とても大切なんですよ。

・・・これを、私は言い忘れていたのです。・・・


(続く)

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耕地

2011-11-05 23:40:53 | Thursday 生活
<ついでに、メモ>

 今日は、新鮮な気分に、やや浦島太郎のような気分に、なった一日だった。
 (あわただしい数カ月間が過ぎ、とうとう、先週バタンQしたが、ようやく回復してきたらしい)

       ***********


 そして、バスに乗りながら、ふと、昔の「土曜日」を思い出した。

 土曜日の午前中、授業があった頃。
いつしか、土曜も丸々一日、学校が休みになった頃。

 どちらにしても、土曜日(の午後)というのは、友人と遊ぶ時間ではなく、両親に車で、父方の祖父母宅に連行される日だった。


       ***********


 父方の祖父母宅の周りには、何もなかった。
 駅と海と草っぱら。

 母親が、そこのグランドピアノで生徒にレッスンしている間、
私たちは静かにして(実際には「静か」ではなく、しばしば怒られた)本を読んだり、宿題をしたりしていた。
もしくは、父親の畑仕事についていった。


       ************

 彼には、「猫の額」程度の小さな「畑」があった。
 昔の工場か何かの跡地で、最初は、石ばかり、土自体かぴかぴに固かった。
とても、何かを育てるような感じではなかった。

 来る日も来る日も、石をとりのけるところから始まった。
 

       ************

 土を掘り起こし、壊れたかごに入れ、それを一生懸命ふるって、落ちて行く土のみを戻す。
 かごに残った石や がれきを別のところに運ぶ。
 それを延々、夕暮れまでやっていた。

 毎度、手は土で汚れ、靴も汚れる。
 かごを上半身めいっぱい使ってふるうため、それなりに腕や腰も疲れる。
 落ちて行く黒い土よりも、かごに残る石やゴミのほうが多い。
「こんなんで、畑になるんだろうか」
そう思いつつ、ほぼ毎週のように、畑を耕す手伝いをしていた頃があった。
(ただし正直に言うと、疲れて放り投げて、近所のお宅で、こたつに入ってみかんやおやつを食べていたこともしばしばある)

       ************


 だが、いつしか、畑が畑らしくなった。
 収穫も少しずつ、出るようになった。
 ただし、最初のカボチャの実は、美味しすぎたのか虫食いだらけだったが。

 ベランダのプランターで育てたものよりも、大きく育っていった。


       ************


 そんなこんなで、キャベツの頭には、こうインプットされた。

 種まきは、畑を耕すことから―。


 すくなくとも、畑を耕さずに、種をまいて数時間後に実が実るのを急くようなことは、するべきではない(それは、せっかく植えた種をまた掘り起こしてダメにするようなもの)、と。
 耕さずに準備が整っているところに種まき…なんざ、ありえんのだ、と(囲われたプランターであっても。もしする必要がなかったとしたら、別の人がその労を荷ってくれていたのだろう)。
 どの種がどのように育つか人にはわからんし、あとは神様がなさることだ、と。



 ・・・珍しくグロッキーにならずにすんだバス車内で、つらつらとそんなことを想い起こす。


       ************


 ・・・ちなみに、今、北部屋のキャベツが唯一、手元で育てているのは、
ミニ観賞植物の「ミリオンバンブー」君。

 日照時間が足りないため、あれやこれやと工夫し、そこそこ大きくなってきた。

 鉢替えをするときがいちばん怖く、
 実際、その後、一時的に葉っぱの先が茶色くなり、しばらく、枯れるのではないかと心配したが、
 今日、新しい葉っぱが大きくなってきているのに、気付き、

     安堵した。


       ************

◇コリント第一 15:58

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伝える/伝わる

2011-11-05 22:51:06 | Sunday 集会・生活
 先日、自分が担当している部門のマニュアルを作ったところ、

「スカウトって何?」「アーチファクトって何? って言われるよ」

と先輩から指摘を受けた。(・・・やっぱり)。


    ***************


 それらは、担当している部門では、ごくごく当たり前の言葉。

それも・・・もし知らずに聞こうものなら「お前、そんなのもわからないのか!? 出直してこい!!」
と(職種によっては)言われるような、ごく当たり前の言葉だが、
キャベツと同じ職種の、病棟や他部門にいる方々の場合、まずわからない。

キャベツ自身、そこに配属されるまでは、知らないことばかりだった。
(皆様優しく、わかりやすく教えてくれたおかげで、どうにか少しは知りましたm(_ _)m)


    ***************

 池上彰さんの「伝える力」での子ども達とのある話を持ち出すまでもなく、集会(教会)でも、ふとしたときでも、

「これ、どういうこと? どういう意味?」

と友人から聞かれた時や、話題になるとき、そのおかげで、
「まだまだ、自分は知らないなあ」と、気付かされた。
これでいいのかなあ、と確認することもあった。
どうすれば、相手に伝わるかなぁ、となけなしの頭を使った。
こちらこそ、勉強になった。

 おかげさまで、さらに、ともに、味わうことができた。


    ***************


 ある世界観/集団では「当たり前」という常識でも、他の世界観/集団では、そうではないことは多々ある。

 それを「素朴な疑問」として問われるとき、自分自身、どれくらい理解しているのか客観視する目安にもなりうる。教科書的に字面だけ知っているのか、それとも、それが自分自身の血となり肉となっているのか。

特に、そのことに関してまったく知識のない人にわかるように伝えるには、
 自分も正確に理解していないと、とても無理です。
 うろ覚え不正確な知識浅い理解では、相手がわかるはずはありません。」(池上彰『伝える力』)

 
 そんな機会を、友人たちは、しばしば与えてくれる。

 とてもありがたい



<ついでに>
「耕地」

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「伝える力」

2011-11-05 08:26:12 | ひとこと*古今東西
(一部抜粋)

 いきなりですが、質問です。
 あなたは、日銀が何をしているところかご存じですか?

 中学校や高校で一生懸命勉強をして、それ相応の知識を持っている人は得意満面にこう答えるかもしれません。

「日本銀行とは日本の中央銀行で、銀行券の発行ができ、市中銀行及び政府に対する貸し出しや国庫金の収支業務を行う銀行です。また、金利の操作や公債の受け渡し・回収を通して通貨の増減を図っています。いわざ発券銀行であり、銀行の銀行であり、政府の銀行でもあります」

 と。

 なかなか立派な解答だと思います。
 経済学の教科書にもこのように書いてありますから、模範解答として、満点をもらえそうです。


            ****************


 では、日銀とはどんなところか、小学生に説明してみてください。

「日銀は発券銀行でね……」と言ったとたん、彼らは、

「ハッケンギンコウって何ですか?」

と聞いてくるでしょう。
「何をハッケンするの?」と聞かれて、小学生が「ハッケン」を「発見」だと誤解していることに気付くかもしれません。


 もう少し噛み砕いて「お札を発行する銀行なんだよ」と説明しても、

「エーッ? お札を発行するって、私たちにお金をくれるの?」

なんて、聞かれてしまいます。


 相手は手強い。

 なぜ手強いかというと、素朴な疑問を持って、それをそのまま口に出すからです。

「日銀は市中にお金を供給しているんだよ」とでも言おうものなら、

「シチュウって何?」

「キョウキュウするってどういうこと?」

と聞かれるでしょう。

 実はそうした素朴な疑問こそ、往々にして本質を衝(つ)いているものです。



         *****************

 子どもたちから矢継ぎ早にそうした質問を受けていると、

「あぁ、自分は日銀について、本当にわかっているんだろうか。いや、何もわかっていないんじゃないか」
ということに気づかされます。


 これは、私自身が「週刊こどもニュース」というテレビ番組で経験したことでもあります。

 「伝える」ために大事なこと。

 それはまず自分自身がしっかり理解することです。自分がわかっていないと、相手に伝わるはずがないからです。


(池上彰著;伝える力,PHPビジネス新書,2007年,p.16-18より抜粋。

 当blogにおける改行および文の強調は、キャベツに依る。また、この内容における「日銀」およびその内容を各自、ある別の言葉にもしてみると、面白いかもしれません。)

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たとえ

2011-11-03 13:41:39 | Sunday 集会・生活

 イエスは、これらのことをみな、たとえで群衆(ぐんしゅう)に話され、
たとえを使わずには何もお話にならなかった。
 それは、預言者を通して言われた事が成就(じょうじゅ)するためであった。

   「わたしは たとえ話をもって口を開き、
    世の初めから隠されていることどもを物語(ものがた)ろう。」


           (新約聖書・マタイの福音書13章34-35節)

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