(メモ続き)
ある人は言った。「新改訳 1)だからわかりにくいんだ。口語訳 2)のほうがわかりやすいよ!」
1)日本において、いわゆる保守的な教会・集会において、使用されることの多い訳。
2)新改訳や新共同訳が出て来る前にあった訳。文語訳のあと。
そこで、口語訳を見てみた。
・・・口語訳のほうがわかりやすいかどうかは脇に置くとして、ほぼ同じ意味(ただし、形容詞がどちらにかかるかは、新改訳のほうが自由度が高い)なのはわかる。その形容詞は、結局は同じ方を示すから。
文語訳では、こう書いてある。
「古代ギリシャ語 3)では、何と書いてあるんだろう?」とある人は言った。現存する古代ギリシャ語ではこうらしい。
3)新約聖書が書かれた原語。コイネー語。
・・・機種によっては文字化けするかもしれません。
(すみません。加えて、文法も変形ももう忘れました。こちら参照してください →その一 その二)
とりあえず、付け加えても、減らしてもいないかもしれない。(時制についてはノーコメント)
というわけで、最初に提示した新改訳のほうで、困った点を書き出してみることにする。(続く)
P.S- 中途半端ですが、“風”が来るまで、少しの間、待ちます(12/9)
「神が 多くの子たちを栄光に導くのに、
彼らの救いの創始者を、
多くの苦しみを通して全うされたということは、
万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、
ふさわしいことであった」
(新約聖書・へブル 2章10節<新改訳>)
彼らの救いの創始者を、
多くの苦しみを通して全うされたということは、
万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、
ふさわしいことであった」
(新約聖書・へブル 2章10節<新改訳>)
ある人は言った。「新改訳 1)だからわかりにくいんだ。口語訳 2)のほうがわかりやすいよ!」
1)日本において、いわゆる保守的な教会・集会において、使用されることの多い訳。
2)新改訳や新共同訳が出て来る前にあった訳。文語訳のあと。
そこで、口語訳を見てみた。
「万物(ばんぶつ)の帰(き)すべきかた、万物を造られたかたが、
多くの子らを栄光に導くのに、
彼らの救(すくい)の君(きみ)を、苦難をとおして全(まっと)うされたのは、
彼にふさわしいことであった」<口語訳>
多くの子らを栄光に導くのに、
彼らの救(すくい)の君(きみ)を、苦難をとおして全(まっと)うされたのは、
彼にふさわしいことであった」<口語訳>
・・・口語訳のほうがわかりやすいかどうかは脇に置くとして、ほぼ同じ意味(ただし、形容詞がどちらにかかるかは、新改訳のほうが自由度が高い)なのはわかる。その形容詞は、結局は同じ方を示すから。
文語訳では、こう書いてある。
「それ 多くの子を光栄(こうえい)に導くに、
その救(すくい)の君(きみ)を苦難(くるしみ)によりて全うし給(たま)ふは、
萬(よろづ)の物の帰するところ、萬の物を造りたまふ所の者に 相應(ふさは)しき事なり。」<文語訳>
その救(すくい)の君(きみ)を苦難(くるしみ)によりて全うし給(たま)ふは、
萬(よろづ)の物の帰するところ、萬の物を造りたまふ所の者に 相應(ふさは)しき事なり。」<文語訳>
「古代ギリシャ語 3)では、何と書いてあるんだろう?」とある人は言った。現存する古代ギリシャ語ではこうらしい。
3)新約聖書が書かれた原語。コイネー語。
Ἔπρεπεν γὰρ αὐτῷ, δι᾽ ὃν τὰ πάντα καὶ δι᾽ οὗ τὰ πάντα, πολλοὺς υἱοὺς εἰς δόξαν ἀγαγόντα τὸν ἀρχηγὸν τῆς σωτηρίας αὐτῶν διὰ παθημάτων τελειῶσαι.
・・・機種によっては文字化けするかもしれません。
(すみません。加えて、文法も変形ももう忘れました。こちら参照してください →その一 その二)
とりあえず、付け加えても、減らしてもいないかもしれない。(時制についてはノーコメント)
というわけで、最初に提示した新改訳のほうで、困った点を書き出してみることにする。(続く)
P.S- 中途半端ですが、“風”が来るまで、少しの間、待ちます(12/9)