さすらうキャベツの見聞記

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へブル2章10節と十字架 (3) 訳の確認

2013-11-30 05:05:53 | Sunday 聖書
(メモ続き)

「神が 多くの子たちを栄光に導くのに、

 彼らの救いの創始者を、

多くの苦しみを通して全うされたということは、

 万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、

 ふさわしいことであった」


(新約聖書・へブル 2章10節<新改訳>)




 ある人は言った。「新改訳 1)だからわかりにくいんだ。口語訳 2)のほうがわかりやすいよ!」


 1)日本において、いわゆる保守的な教会・集会において、使用されることの多い訳。
 2)新改訳や新共同訳が出て来る前にあった訳。文語訳のあと。

 そこで、口語訳を見てみた。

「万物(ばんぶつ)の帰(き)すべきかた、万物を造られたかたが、

 多くの子らを栄光に導くのに、

 彼らの救(すくい)の君(きみ)を、苦難をとおして全(まっと)うされたのは、

彼にふさわしいことであった」
<口語訳>



 ・・・口語訳のほうがわかりやすいかどうかは脇に置くとして、ほぼ同じ意味(ただし、形容詞がどちらにかかるかは、新改訳のほうが自由度が高い)なのはわかる。その形容詞は、結局は同じ方を示すから。

 文語訳では、こう書いてある。


「それ 多くの子を光栄(こうえい)に導くに、

 その救(すくい)の君(きみ)を苦難(くるしみ)によりて全うし給(たま)ふは、

 萬(よろづ)の物の帰するところ、萬の物を造りたまふ所の者に 相應(ふさは)しき事なり。」
<文語訳>



「古代ギリシャ語 3)では、何と書いてあるんだろう?」とある人は言った。現存する古代ギリシャ語ではこうらしい。

 3)新約聖書が書かれた原語。コイネー語。

Ἔπρεπεν γὰρ αὐτῷ, δι᾽ ὃν τὰ πάντα καὶ δι᾽ οὗ τὰ πάντα, πολλοὺς υἱοὺς εἰς δόξαν ἀγαγόντα τὸν ἀρχηγὸν τῆς σωτηρίας αὐτῶν διὰ παθημάτων τελειῶσαι.


 ・・・機種によっては文字化けするかもしれません。
(すみません。加えて、文法も変形ももう忘れました。こちら参照してください →その一 その二


 とりあえず、付け加えても、減らしてもいないかもしれない。(時制についてはノーコメント)

 というわけで、最初に提示した新改訳のほうで、困った点を書き出してみることにする。(続く)



  P.S- 中途半端ですが、“風”が来るまで、少しの間、待ちます(12/9)
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