さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

葬儀の希望

2011-06-16 22:51:48 | メッセージボード
モンマルトル墓地Cimetie`re de Montmartre 2009年撮影)



  『祝宴の家に行くよりは、
   喪中の家に行くほうがよい。

   そこには、すべての人の終わりがあり、

       生きている者が、

   それを心に留めるようになるからだ。』

           (旧約聖書・伝道者の7章2節)



        **********


 最近、何人かの、葬儀があった。
 そのうち、お一人は、キャベツが若かりし頃に行った、
黒板消しをドアに挟む、というベタなトラップに見事ひっかかったお人だった。

 すぐ連絡を受けたキャベツは、できたら葬儀(告別式)に出たいと思ったが、
かなわなかった。むろん、そこに、彼がいるわけではなく、ただ、人々がしばしの別れを忍び、
気持ちを整理するために、葬儀はあるわけだが。

        ************


 そんな中、こんな会話もあった。(注:どちらもクリスチャン)

祖母「いい式だったよ・・・息子さんたちが代わる代わるお父さんの思い出を話してくれて。」

孫 「そっかぁ・・・私の場合は、そういうことはなさそうだなぁ・・・(しんみり)」

祖母「私もなさそうだよ・・・」

孫「さあ・・・それはなんともわからないけれど。

  ただね、ばさま! 葬儀の希望があったら、とりあえず、こっちか○○に伝えといて。」

祖母「そうだねぇ・・・でも、希望を聞いてもらえるかなぁ・・・」

孫「言わないよりは、言っておいた方が、まだいいと思うよ?

  それと、皆、『密葬』がいいだの、『死亡通知を出すだけ』でいいだの、色々言うんだけど、
  紙に書いておいてもらったほうが、こちらは助かる」

  (たとえば、ある人は、戦友の召天式(お葬式)の式次第の紙に、「自分のときは…」
   とばかりに、歌う聖歌の番号やらなんやら書き残していたっけ・・・
   それを見て、229「驚くばかりの」はわかるけれど、634は、…貴方を知っている人にしか
   わからないだろうな、と苦笑させられたものだった。)


祖母「じゃあ、そのうち、考えておくよ。」


孫「まあ、『私が生きていたら』だけどね。こっちが先のときは、ごめんね


祖母「そうだね。明日のことは誰にもわからないからね」


 
 (戯言を言わせていただきますと。
  その場合、
・・・葬儀の最後、出棺するときに、
「本日は、わざわざ私のためにお集まりいただき、ありがとうございました。
 一足早く天国に行かせていただきます」
等と、テープに吹き込んだ声を流してもらうのは…難しいかな…。と、キャベツ考え中。

 葬儀の希望:、
 ◇旧聖歌476「安けさはかわのごとく」
 ◇旧礼拝讃美歌28「たたえの歌こそ」
 ◇メッセージは短く

 何はともあれ、神様が憐れんでくださって、かつ皆様にとっても良いように計らって下さることを
 お願いするしかない。
 どのみち、人は野に咲く花のように消え、
 そこにいたことさえ忘れられる。


        **********


 ・・・もひとつ、ちなみに、結婚式と葬式、どちらに出席するのが嬉しいかと言ったら、
もしかすると、前者が多いだろうか。
(いや、どちらも面倒、いやだ、という人が多いかもしれない)

 マナー上、葬式に出るのが望ましい、という人でも、葬式が
嬉しい人は、あまりいないんじゃないか、と思う。
(いや、そんなことどうでもいい、という人がけっこういるかもしれない)



 だが、聖書は、しばしばそれらとは異なることを言う。
 確かに、それは、
  ・・・人の死を見ることは
 -その人がいなくなったことを悼むだけではなく-

 自分(の生きざま)を振り返る機会となるかもしれない。


                


 ノーベル賞を創ったノーベルさんのようなことは、そうそうないだろうから。


          
              (同上)
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