さすらうキャベツの見聞記

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放蕩息子…になれない息子 (2)

2019-03-02 15:33:20 | Sunday 集会・生活
 あるとき、相方トマトと「放蕩息子」※1について話をしていたときのメモ。

※1「放蕩息子」…ルカ伝15章にある、有名なたとえ話
   『10行で読める放蕩息子』はこちら。


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1)身代を分けるというコト


2)豚のえさのイナゴマメ


「彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、

 だれひとり彼に与えようとはしなかった。」


(ルカ伝 15章16節)



 ユダヤ人にとって、豚は不浄のもの。
 豚の世話をする、ということや、豚のえさでさえ食べたい、という状況が、落ちぶれに落ちぶれたことを意味するのだが、
相方トマトは、「調べたら、面白いことがわかった」と、目を輝かせて、のたもうた。

「イナゴ豆って、栄養価が高いらしいよ!!!」


 結局のところ、イナゴ豆の皮を豚が食べていたらしい、と。

 そんなやり取りの向こうで、ふと、『そもそも、イエスの話された「たとえ話」が、聞き手だけでなく、語り手たちの間にとっても、「たとえ」になっていないのではないか』という、一抹の不安がよぎる。(確かに、時代も、背景も異なるわけではあるが…。たとえば、「自分=放蕩息子とはどうしても思えないケド、お前はそうだと言われるから、そのつもりになってみる…けど、やっぱり違うんじゃないか」という方もいるのではないか、等々)




 人間、やはり多少はバカをやったほうが、自分バカだ(罪人だ)ってわかるんじゃなかろうか、とも。






『その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを

 理解する力を持つようになり、

 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。』



(エペソ3章18~19節)

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