さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

文章 (1)

2010-05-29 23:55:53 | ひとこと*古今東西
 「何を書くか」と「いかに書くか」とは切っても切れない関係がある。

 前者をぬきにして後者はない。
 それゆゑ文章を練習するには、自分の書きたい主題や論旨を書くのでなければ意味がない。さう思ひます。



              (丸谷才一;「文体を夢みる」より一部抜粋、「私の文章修業」,朝日新聞社)

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文章 (2)

2010-05-29 23:54:41 | ひとこと*古今東西
(続いているわけではなく、ところどころ抜粋)


 ここで思ひ出されるのは、戦前の小説家志望者の練習法と伝へられるものです。
 伝説によると、彼らは、原稿用紙に志賀直哉の短編小説『城の崎にて』を一字一字、楷書で書き写して、文章の呼吸を学んだといふ。

 これは一応いい方法でせう―ただし志賀直哉ふうの小説を書かうとするなら。しかし違ふ方法を志す者には、あまり意味がない。といふよりも、さういふ者は、この練習法に堪へられない。当たり前の話です。

 昆虫の死に方をじっとみつめる話を書く文章に上達したいのなら、『城の崎にて』をはじめから終りまで写すのは効果的でせう。ところが、人間と昆虫の関係ではない。人間と人間の関係をあつかふ小説を書こうとする者には、この練習法はピンと来ない。


            (丸谷才一;「文体を夢見る」より一部抜粋、「私の文章修業」,朝日新聞社)

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文章 (3)

2010-05-29 23:54:17 | ひとこと*古今東西
 ですから、文章練習法を訊かれたとき、わたしは翻訳をすすめることにしてゐます。
翻訳と言つたつて、何も長編小説を一冊、訳すなんてことはしなくていい。
したつてかまはないけれど。
何かあなたが外国語のものを読んでゐて、ひどく感心した個所があるとする。そしたらその部分を訳すのです。


 たとへば小説のなかの女主人公の手紙が気にいるとする。それを訳す。新聞に出てゐる外国の総理大臣の演説に感銘を受けるとする。それを訳す。どちらもさう滅茶苦茶に長いはずはないから、まあ手ごろでせう。が、しかし訳してみると意外にむづかしいんですね。原文の意味は出せても、色調や味や香りは出せないのです。そして色調や味や香りがうまく出せないと、不思議なことに意味内容も何だか嘘みたいに見えて来る。


             (丸谷才一;「文体を夢みる」より一部抜粋、「私の文章修業」,朝日新聞社)

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文章 (4)

2010-05-29 23:52:19 | ひとこと*古今東西
 このことと密接な関係がありますが、英語の文章といふのは一般に螺旋階段みたいに屈曲しながら上に昇るやうになつてゐる。
関係代名詞や関係副詞、それにコロンやセミコロンのせいで、さういふふうに書きやすいのです(もちろん駄文は違ふますよ)。
だから論理の構造が複雑緊密になりやすいし、ややこしい理屈を堂々と(丁寧に)説明することができる。
普通の日本文の、あつさりとした、腰の弱い、平べつたい性格とは大違ひなんです。
ですから、これを訳すのはむづかしい。
そしてまた、かういふ文章の書き方を自分で身につけるのはもつとむづかしい。
しかしこれからの日本文は、かういふ立体的・論理的な力をもつと備へて、ただしそれにもかかはらず言ひまはしがゴタゴタしない、言はんとするところがすつきりと頭にはいるものが望ましい。
無言のうちに判りあふやうな、魚ごころあれば水ごころみたいな、腹藝的な文章では、もう駄目なんぢやないでせうか。
わたしは腹藝的な文章とは反対の、しかし日本人の生理になじんだ文体を夢みてゐます。



        (丸谷才一;「文体を夢みる」より一部抜粋、「わたしの文章修業」,朝日新聞社)

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文章 (5)

2010-05-29 23:51:40 | ひとこと*古今東西
 それからもう一つ、英語を訳してゐて痛感したのは、彼らは言葉づかひがえらく派手だといふことです。
普通の日本文でなら、気障で鼻もちならないやうなことを平気で言ふ。
レトリックが華麗なんですね。
それをどの程度まともに移すか、あるいは抑へるかは、翻訳者の腕の見せどころなんですが、わたしはなるべくそのまま日本語にしようとしました。
今までの日本の武将の渋ごのみでは将来性がない、もつと柄の大きい、芝居がかつた、遊びごころのある文章が好ましい、と考へるからです。
あるいは、さういふ文章によつてでなければとらへることのできない現実にわれわれ日本人はいま出会つてゐるから、と言つてもいい。



           (丸谷才一;「文体を夢みる」より一部抜粋、「わたしの文章修業」,朝日新聞社)

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苦手なもの

2010-05-29 23:42:11 | 日々の雑感
キャベツは不得手なものが多くありますが、その中に、「文章」やら「表現」やらといったものもあります。抑えることばかりしており、適切に表現する、ということを学んでこなかったせいだけではなく、面倒なことに取り組まなかったせいもありますが

 「キャベツは拡げるのは得意だけど、まとめたり集約するのが苦手だよね」という友人もおり、要約と言いますか、そんな練習に時折つきあってくれます。(今頃ですが・・・小学校から、もう少しこういう練習をしていたら、もう少し楽だったなぁと思いつつ)ありがたい、、、ですね。





 積ん読となっていた本もぱらりと読みつつ。
 のんびり、マイペースで。

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