(続いているわけではなく、ところどころ抜粋)
ここで思ひ出されるのは、戦前の小説家志望者の練習法と伝へられるものです。
伝説によると、彼らは、原稿用紙に志賀直哉の短編小説『城の崎にて』を一字一字、楷書で書き写して、文章の呼吸を学んだといふ。
これは一応いい方法でせう―ただし志賀直哉ふうの小説を書かうとするなら。しかし違ふ方法を志す者には、あまり意味がない。といふよりも、さういふ者は、この練習法に堪へられない。当たり前の話です。
昆虫の死に方をじっとみつめる話を書く文章に上達したいのなら、『城の崎にて』をはじめから終りまで写すのは効果的でせう。ところが、人間と昆虫の関係ではない。人間と人間の関係をあつかふ小説を書こうとする者には、この練習法はピンと来ない。
(丸谷才一;「文体を夢見る」より一部抜粋、「私の文章修業」,朝日新聞社)
ここで思ひ出されるのは、戦前の小説家志望者の練習法と伝へられるものです。
伝説によると、彼らは、原稿用紙に志賀直哉の短編小説『城の崎にて』を一字一字、楷書で書き写して、文章の呼吸を学んだといふ。
これは一応いい方法でせう―ただし志賀直哉ふうの小説を書かうとするなら。しかし違ふ方法を志す者には、あまり意味がない。といふよりも、さういふ者は、この練習法に堪へられない。当たり前の話です。
昆虫の死に方をじっとみつめる話を書く文章に上達したいのなら、『城の崎にて』をはじめから終りまで写すのは効果的でせう。ところが、人間と昆虫の関係ではない。人間と人間の関係をあつかふ小説を書こうとする者には、この練習法はピンと来ない。
(丸谷才一;「文体を夢見る」より一部抜粋、「私の文章修業」,朝日新聞社)