それからもう一つ、英語を訳してゐて痛感したのは、彼らは言葉づかひがえらく派手だといふことです。
普通の日本文でなら、気障で鼻もちならないやうなことを平気で言ふ。
レトリックが華麗なんですね。
それをどの程度まともに移すか、あるいは抑へるかは、翻訳者の腕の見せどころなんですが、わたしはなるべくそのまま日本語にしようとしました。
今までの日本の武将の渋ごのみでは将来性がない、もつと柄の大きい、芝居がかつた、遊びごころのある文章が好ましい、と考へるからです。
あるいは、さういふ文章によつてでなければとらへることのできない現実にわれわれ日本人はいま出会つてゐるから、と言つてもいい。
(丸谷才一;「文体を夢みる」より一部抜粋、「わたしの文章修業」,朝日新聞社)
普通の日本文でなら、気障で鼻もちならないやうなことを平気で言ふ。
レトリックが華麗なんですね。
それをどの程度まともに移すか、あるいは抑へるかは、翻訳者の腕の見せどころなんですが、わたしはなるべくそのまま日本語にしようとしました。
今までの日本の武将の渋ごのみでは将来性がない、もつと柄の大きい、芝居がかつた、遊びごころのある文章が好ましい、と考へるからです。
あるいは、さういふ文章によつてでなければとらへることのできない現実にわれわれ日本人はいま出会つてゐるから、と言つてもいい。
(丸谷才一;「文体を夢みる」より一部抜粋、「わたしの文章修業」,朝日新聞社)