さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

千葉→西東京

2006-03-10 23:49:16 | Friday -news-
今週は、家庭教師以外はお引越しが主(おも)でした。(一応)


 今週は・・・というと。
 朝、田無駅に向かう途中、ノートを片手に歩く女子高生らしき子達とすれ違ったり、「テストだ~!」と悲鳴を上げる子が身近にいたり・・・どうやら期末考査の真っ最中の高校がちらほらあるようです。また、大学の前期の合格発表があったらしく、わんさか人が大学に来ていて歓声もあり、ついでにサークル・部活の勧誘もあり…と。
 そうそう、今週で、C大学看護学部の2回生は全員基礎実習が終わりましたし、医学部5回生も今年度の実習が終わったようですね。お疲れ様!!



 引越しの実態は、手伝いに来てくれた方がちゃきちゃきとやってくれたため、本人が本格的に手掛けるのはこれから。
 本やプリント、衣類の仕分けをしたいのですが、先ず棚などを買ってこなくては…という感じです。


 引越しした二日目、急遽お泊りすることになった友人もおりました。その日の午後いっぱい、バイトだったので、夕食のことも全てお手伝いの方にお任せしました お泊りするだけのはずだったか弱い腕の持ち主は、お米を買うときの荷物持ちもしてくれたそうです。いやはや、お二人ともありがとうございました


 とりあえず、来週の末までには残りの段ボールを片付けようと思っています。(ま、そういうことでヨロシク)

                                        
                    
                      

     

  そうだそうだ、以前のキャベツの住処(すみか)に来られた方は、今回のグレードアップにびびってください(笑)
比較すると

    一部屋(2人で)        部屋2つ
    
    ユニットバス          トイレ・バスがセパレート!

    台所狭い            台所が広くなった



というわけで、

新しい住居は、西武新宿線の田無(たなし)と、JR中央線の武蔵境(むさしさかい)の間です。もし、お近くに来られた際には、ぶらりとお立ち寄りください。




                                             


ちなみに今日は新約聖書、マタイの福音書5章です。この前、黙示録まで一通り一応巡りましたので、また新約聖書では最初の「マタイの福音書」から。

 マタイ5章は、山上の垂訓ということで、聞いたことがある方もいるかもしれません。

 心の貧(まず)しい者は幸(さいわ)いです。天の御国(みくに)はその人の物だからです。

 悲しむものは幸いです。その人は慰(なぐさ)められるからです。

 柔和(にゅうわ)な者は幸いです。その人は地を相続(そうぞく)するからです。

 義(ぎ)に飢(う)え乾(かわ)いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。

 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。

 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。

 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。

 義(ぎ)のために迫害(はくがい)されている者は幸いです。天の御国(みくに)はその人のものだからです。
                     (マタイの福音書 5:3-10)



このあたりは、倫理(りんり)の資料集でも載っていることが多いようです。ですが、まだまだここでイエス様が言われたことばは続きます。マタイの福音書でいうならば5章から7章までず~っと。

 たとえば、こういうことも。

 昔の人々に、
 『人を殺してはならない。人を殺すものはさばきを受けなければならない。』1)
と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹(はら)を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。
 兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。
 また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナ 2)に投げ込まれます。

 ・・・・・・

 『姦淫(かんいん)してはならない。』1)
 と言われたのを、あなたがたは聞いています。

 しかし、わたしはあなたがたに言います。
 だれでも情欲(じょうよく)をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫(かんいん)を犯(おか)したのです。

 もし、右の目が、あなたをつまづかせる 3)なら、
 えぐり出して、捨ててしまいなさい。
 からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。

 もし、右の手があなたをつまづかせるなら、
 切って、捨ててしまいなさい。
 からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。

                  (マタイの福音書 5:21-22,27-30)

 


    死んだあと、人はどうなるんでしょう・・・?









 聖書は「天の御国(みくに)」か「永遠のさばき」のどちらかしか無い、と宣言(せんげん)しています。ちなみに、確かカトリックだったかでは「煉獄(れんごく)」なるものがあると言っていますが…それは聖書に書かれていないようなのでちょっと脇(わき)に置いておいて。


 自分の目を抉(えぐ)り取ったり、手を切ったりなんて・・・そんな痛いことはあまりしたくないことです。いや、少なくともキャベツはそんなマネ、絶~~~~っ対、したくありません。想像(そうぞう)するだけで、ぞっとします。ゼデキヤ王の終わり 4)を考えるとぞわぞわとしたものが這(は)うような気分になります。

 ですが、ゲヘナに落ちるより、永遠のさばきを受けるより、まだ、そのほうがいい。そう言われるくらい、恐(おそ)ろしい 「死ねばわかるさ」・・・いや、そりゃそうですけど、そのとき、もう後戻りもやり直しもできないとしたら、どうするんでしょう。




 
【注】
1)『人を殺してはならない。人を殺すものはさばきを受けなければならない。』『姦淫(かんいん)してはならない。』・・・これらはどちらも律法(りっぽう)で示されているもの。そのうち、これらを含めて10個が「モーセの十戒(じゅっかい)」として、知られているかも

2)ゲヘナ:「神の究極(きゅうきょく)のさばきにより、罪人(つみびと)が入れられる苦しみの場所」を指す。地獄(じごく)とイコールじゃないよ。

3)つまづかせる:罪を犯させる

4)ゼデキヤ王:イスラエル王国が、イスラエル王国(北王国)とユダ王国(南王国)とに分かれたあとの、ユダ王国の最後の王。「彼は・・・主(しゅ)の目の前に悪を行った。(列王記Ⅱ24:19、 歴代誌Ⅱ36:12)」
 バビロンの王ネブカデネザルによって、バビロンに連行される(バビロン捕囚)。
 このとき、ゼデキヤ王は、自分の子供たちを目の前で虐殺(ぎゃくさつ)されたあと、両目をえぐりだされ、青銅のあしかせにつながれて、バビロンへ連れて行かれた(列王記Ⅱ25:6)。


                       

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