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さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

疑うのは悪か善か

2014-05-25 22:38:09 | 日々の雑感
 「疑うは悪」というのが、もしかするとキリスト教界、否、人間の世界では当たり前なのかもしれないのですが、

「本当に、この人は○○さんなんだろうか」
「本当に、この薬はこの薬なんだろうか」

という疑いの目を自他ともに持つのが美徳なのが、少なくとも、医療界の常のようです。

 さとうさ~~~~ん、と呼んで、さいとうさんが来る、なんていうのはまだ良いほうです。
 耳の遠い年配の方が間違えて、「はい、私です」というのも、まだ可愛いものです。


 人間は間違えるもの。


 諸々の確認を経て、今日も私たちの安全が守られてい・・・ます。




 決して、昔々、ギデオンが神様に向かって、相反することをもって数度確認作業をしたことを、「弱気だ」とか「不信心だ」とか、短絡的に言うものではない、とつくづく痛感します。

 人間は、神ではなく、

 「本当にそれで正しいのか?」という一呼吸(確認・吟味etc)が無ければ、『思い込み』という罠が、口を大きく開けて待っています




 確認は、大事です。




『ギデオンは神に申し上げた。
 「もしあなたが仰せられたように、
 私の手でイスラエルを救おうとされるなら、・・・

  どうぞ、この羊の毛でもう一回だけ試みさせてください。
  今度はこの羊の毛だけがかわいていて、
(その下にある)土全体には露(つゆ)が
降りるようにしてください。」


(旧約聖書・士師記 6章36~39節)』


(続き)

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恋するフォーチュンクッキー八戸市ver.

2014-05-06 00:03:42 | 日々の雑感
 『恋するフォーチュンクッキー 八戸市ver.(←クリックすると、You Tubeにリンクします)


 元ネタのそれは見たことはないのですが、最近、このようなものがあることを知りました。


 (なんだか、懐かしいような、知っている顔があるような・・・。
  いったい、どなたが言いだしっぺですかw)



 ・・・というわけで、八戸組の友人各位、一度ご覧あれ。


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仮想敵国

2014-04-07 22:33:23 | 日々の雑感
 ぶっちゃけ、内情を確認せずに、噂や憶測で判断するというのは、
とてもリスキーだと思うのですよ。

 もちろん、仮想敵国を作ることで、団結力をアップするというのは、
よく巷にあふれていますがね。
 ですが、それって、リスキーなんですよ。

 それが、たとえ良い噂であっても、良くない噂であっても。 (思い込みって、恐ろしいですが。)





 そう、私は事実を確認したい派なんですよ。

「・・・って、周りは言っているけど、実際のところ、どうなんだ?」ってね。

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人間だもの

2014-04-06 17:31:39 | 日々の雑感
昔、マナセという王様がいた。
時は紀元前650年頃。
中東の小国、南ユダ王国。

マナセは神の目の前で 悪を行い、
罪のない者の血を大量に流し、
それが首都エルサレムの隅々に満ちるほどだったという。

列王記を読むと、ナントヒドイ王様ナンダ、と思う。
が、面白いことに、歴代誌を見ると、
そんなマナセが、最後には、
神に祈り、悔い改めたことが(ちょこんと)記されている。

列王記は「人から見た歴史」、歴代誌は「神の目から見た歴史」とも言われるが、
一面だけでは、やはり人はわからない。

10代や20代の頃のマナセ王を見た時、
一体、誰が、彼が悔い改めると思っただろう? - 思えなかったに違いない。

人は、変化する。
良きにつけ悪しきにつけ。

それが、時間という制約の中にある、
私たち人間の醍醐味かもしれない。





だから、憶測や噂をもって
判断したくない。

そんなもので、
おのおのの前に、敵意を置いてほしくない。

もちろん、誰だって、弱いときもあれば、
間違うことだってある。

人間だもの。

それをもって、ダメだと決めつけずに
お互いに高め合えたら、どんなに良いだろう?

それぞれの弱い部分をカバーしながら
良い部分を伸ばしていけたら、どんなに良いだろう?


人間だもの。


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ムリな注文

2013-12-23 20:55:56 | 日々の雑感
 思わず、吹きだしてしまった。


 子どもに、おとなしくあれ、良い子であれ、と強制しながら、

 大きくなれば、ガッツが足りない、もっと覇気を持て、と言うのは、

 さすがに、ムリな注文だろう(苦笑)



 望まぬことを、または、憎みながら、強制され続けてきた子どもらに、

 それに対して愛情を持て、それに熱情を持て、と言ったところで

 一体何になろう。


 たとえ、それが“良いこと”であっても、
“良いこと”を強制され、逆に“良いこと”を自分の意思で“選択”できなかった子どもらは 気の毒だ。

逆に、“良いこと”を選択することを幾分阻害されたほうが、どれほどマシなのかということを、ひしひしと覚えさせられる。






 それと同時に、

何らかの責任を負う者か、他者に対して重荷を負う者、または、いくらか鈍い者か強い者しか生き残れない状況は良いのか悪いのか― ある意味、試金石ではある ―、

(ほころびを感じつつまたは無意識に)消えていくモノたちを見つつ、

思い巡らせられる。

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トゥルークの海賊3

2013-12-20 23:12:34 | 日々の雑感
 今日もまた、嬉しいことやありがたいことが色々とあったが、最後には、本屋で見つけてしまったコレ、茅田砂胡の『トゥルークの海賊3』。

 これを見た瞬間、私の口の中に、つばきがあふれ出てきた。

 ざっと立ち読みしたところ、「『スカーレット・ウィザード』シリーズ、『暁の天使たち』シリーズおよび『トゥルークの海賊1、2』を読んだ人ならば楽しめるが、恐らく、これ単独で読む人には、登場人物の関係性や背景もわからず、つまらないだろう。少なくとも、1・2と比べても、パンチも弱め(と言っても、残りの2隻 登場シーンは非常にイイ)。まとめるのに力を注いだ」という感あり。

 だが、これまで楽しませて頂いている身としては、「よくまあ、大団円に・・・」と感慨深く、楽しませて頂いた


 それにしても、始めるのは難しく、続けるのも難しいが、終わり方はもっと難しい…モノナノデスネ

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量と質

2013-12-09 23:14:42 | 日々の雑感
(雑記)

量と質、どちらが大事なんだ?

量を取り、(無意識に)自分たちの自己満足・自尊感情を優先させるなら
それはツカエナイ。
とても残念だ。
ほんとうに、もったいない。
本来なら、もっと能力がある方々なのに。

一方、質を取ろうとするならば、
まず、皆を休ませなければならない。

“ギセイ”を払ってでも、休ませなければならない。
その仕事は誰かが代われるが、
あなたが休むことを誰かが代わりにすることはできない。

倒れてからでは遅いのに、また、同じ愚を繰り返すのか。


数撃ちゃ当たる?
敵がいないほうへ、楽な方へ打ったって、
せいぜい味方を傷つけるのが関の山。
(敵をして、「これこそホントの“的外れ”だ」などと突っ込まさせないでください
-ほら、皆、疲れ切ってる。


頼む。
休んでください。

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陽のあたる家

2013-11-08 10:02:47 | 日々の雑感

「陽のあたる家-葉加瀬太郎」(BGM リンク先の三角ボタンを押すと流れます


「幸福」というのは、絶対的ではなく、相対的なものなのだな、と今回の引越しで実感。未だに、その、ふわふわした嬉しい気持ちが消え去らない。


◇取り壊しになるからetc.ということで、急遽、賃貸物件を探し、古い物件だが良いところが見つかった。
 (前の住まいは、実は、皆から「よくあそこにずっといられるね」と言われていたが、理由があり、自戒のため、そこにいた。理由が消失した矢先の「取り壊し」話だった。そろそろ、外に出ろ、というメッセージと理解。)


◇引っ越してすぐ、キャベツはあることに感動した。

 -お風呂に入るのに、もう外に出なくて良い! (雨が降ろうと、風が吹こうと、雪が降ろうと、もう外に出る必要はない。)

 -水道の蛇口をひねると、透明なきれいな水が出る! (今までは、茶けた水をmy浄水器に通していた)

 -自分専用の台所がある! 

 -ガスって、こんなに火力が強いのか! (この数年間、IHだった)

 -太陽の光って、こんなに強いのか! (今まで、北部屋だった)


◇恐らく、トイレ・風呂・キッチン共同の寮-ちなみに、そこは、(地方ではなく)都心-でしばらく生活しなかったら、実感しなかったであろう「幸福」。「そんなの、当たり前だから」と言われるだろうが、顔がほころぶのは止まらない。


 それと同時に、ふと考えた(思い出した)ことがあった。

◇基本的に、自分の状態が以前と比較して満足できる状態だと感じるとき/欲求・欲望・望みが満たされたときに生じる感情が、「幸福」であるとすれば、元々、持たない方が、「幸せ」を実感できるラッキーな者かもしれない。(もちろん、どんな境遇でも不平不満の種を見つけることについて玄人級の方もいるが。)

◇人は、現在、持っているもの・満たされている状況に満足せず、未だ持たざるものを欲しがる傾向がある。手にしている幸せに気付くのは、失ったときかもしれない。
 (とはいえ、本や話などから、他人の体験を見聞きして、自分の持っているものに気付くかもしれない)

◇人の欲望には限りがない。だが、物質的な欲望は、どこかで飽く。飽かずに、常に満足する(幸せを感じる)には;

 1)今の自分を楽しむ    ;神様から頂いた「恵み」を数える。今あるものを感謝する

 2)「ない状態」を知る(実感する);人為的に可能なのは「断食」くらいか?

 3)精神的な欲求に転化させる;
   ex.神を知ろうとするならば、決して終わることはない。芸の道でさえ人の一生は比して短い。神の作った創造の理(ことわり)を知ろうとすることでさえ、人の一生がかかっても、見きれない。神ご自身に近づこうとするならば、なおのこと。

  
「あなたの口を大きくあけよ。

 わたしが、それを満たそう。」


   (旧約聖書・詩編81篇10節)


  とはいえ、ほどほどにしないと、どんなに美味しいものでも飽く。少しずつ。 (ざっと書き)。


◇それにしても、新居は日当たりが良い。久しぶりに、家庭菜園を始めようかな。

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投影?

2013-10-26 22:18:50 | 日々の雑感
 私はまだまだ文章力もことばも未熟である。そのためか、時折、全く意図せぬところから「私のことを書いているんじゃないか!!?」「どうして知っているんだ!?」「だれそれを侮辱している!!」という反応があり、その語調に(回りまわってくる話に)唖然とすることがある。

 そのように、ご自分のことだ、だれそれさんのことだ、とあてはめて考えて頂けるのは、「抽出」しようとしているためだろうか、それとも、具体的にその事例を書かないせいだろうか。

 それはそれで、その事柄が普遍的に横たわっている問題であることを、逆に示しているのか・・・な?(゜_゜ (と、おとぼけてみる)

          ***********


<それとは別に、該当していないとしても>

 1,2番目の反応は、脛に傷を持つ場合、ありえるかもしれない。

 何かやましいことがあれば、誰も責めていないにもかかわらず「責められている」、誰も追っていないのに「追われている」、誰も笑っていないのに「笑っている」、となる傾向はあるだろう。
 もちろん、何もなくても、日々、いじめられていたり、責められ続けるような生活をしていたら、そのような心理状況になってもいたしかたがない。被害妄想の場合は、略。

(もしも、該当することがなんらかある場合、わざわざ名乗り出なくて良いです。
 そ知らぬふりをして、より良くしていただければ。

 それに、フツウ(?)、良きにつけ悪しきにつけ、他の事例から、「あんな風になりたい」or「気をつけよう」と、何かしら学ばれるものだと思いますから。)


          ***********

 だが、問題は3番目である。

 こちらが意図さえしていないところで「だれそれを侮辱している」と言うことは、とりもなおさず、『そう言っている本人が、「だれそれが、『それ』に該当する」と判断』し、かつ、(心の奥底で)「侮辱」している場合がある。そもそも、このブログでは現在の所、誰をも「侮辱」していない。その「だれそれ」を知っている人で、記事を読んだ他の人々も「いったい、何をもって第三者が『このブログの著者が「だれそれ」を侮辱している』と言い続けているのかわからない」と言っている。それにもかかわらず、なぜ、そう流布するのでしょうか? 非常に申し訳ないのですが、もしかすると、それは「あなたの心」なのではないのでしょうか。本当のところがどこにあるかは不明な上、やはり申し訳ないことながら、もしかすると、ご自分の何らかのお気持ちを、こちらに投影している可能性もあるのでは・・・?
 投影した挙句、そうしているとしたら、正直、迷惑です。

 もちろん、文を読み、誰がどのように感じるかは、その人の自由。

 だが、自分を偽らないで頂きたい。


(ちなみに、もしそれが本当に該当すると感じるならば、もっと良い方向になるよう、願ってほしいと思う。
 より良い方向になるよう、建設的な働きかけをしてほしい、と願います。)

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「あなたも零点」

2013-10-22 20:43:14 | 日々の雑感
 ある日のこと。
「今日のはなかなか良い日だった」と思えたので、それがどんな内容であったかを友人に伝えた。

 すると、友人レタスは言った。

「あなたも零点」


「ただ、聞いていただけなのか。そこから深めていないのか」

「以前、D町において、Dさんが言った××を覚えていないのか」

 え、そんなこと、言ったっけ・・・?としきりに不思議がるキャベツに、友人レタスは、メモを送ってくれた。

(その内容をここには載せられないが、いわんとする主旨は「内田樹の研究室『メディア・リテラシーとトリックスター』内の山岡鐵舟」に類似あり)

 自分、まだまだ、・・・ですなぁ

 手厳しい 率直なフィードバックをしてくれる友人がいるのは幸いだ。


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