塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が選手ならば、売上は考えたくないですね

2019-09-09 01:13:59 | 日記
 サッカーやバスケットの世界では、契約先が契約選手のために、

 「選手名が刻印された靴を提供」
 「選手特別モデルとして市販化」

 することがあります。

 選手たちは自分のために靴が作られること、ファンや子供たちがその名前入りの靴を買いたいと思う気持ち、どのように捉えているでしょうか。

 僕が選手ならば、名前入りや特別仕様の靴はねだらないでしょうね。

 これらは選手の活躍によって販売数、売上が大きく変動します。

 少なくとも試合に出場し続けることは大前提となりますが、誰もがフランク・ランパードのように、病気やケガと無縁というわけではありません。

 プーマはマリオ・バロテッリと契約していますが、彼のように存在が突出した選手を顧客に持つことは話題性は大変魅力的です。

 コンバースが過去、デニス・ロドマンと契約したのも同じ理由ですね。

 しかし、彼らのように一時の感情で暴言を吐く、退場処分になりますと、シューズそのものの風当たりが強くなるのではないでしょうか。

 たとえ子供が欲しいと考えても、お金を工面するのは両親化祖父母です。

 大人というものは、子供に「真っ当」に育ってほしいと思います。
 
 暴れん坊の履く靴は履いてほしくない
 マイケル・ジョーダンのような、ファンを大事にする選手ならば、多少価格が高いのは致し方ない

 と感じるように見えます。

 今、どこの店舗でも恐怖心をあおるかのように

 「増税前の今がお買い得」
 「電子マネーで、賢くポイントを得ましょう」

 と訴えていますよね。

 そうしますと根負けした親御さんは、ネメシズやマーキュリアル・スーパーフライのような、スター選手の履く靴を今子供に与えようかと、思案しているのかもしれません。
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