塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕の母が嫁いだ時代

2019-10-25 00:45:49 | 日記
 僕は未だに未婚ですが、母は昔からこう伝えています。

 「例え理が私にあっても、私の見方はしなくていい。いつも妻の味方になってやれ」
 「嫁いできた人間は、いつも寂しいものだよ」

 母が結婚した昭和の時代というのは、現在のような核家族ではなく

 1・妻は夫、夫の両親と暮らす
 2・自分が育った慣習ではなく、夫の家の慣習を尊重せねばならない
 3・常に気兼ねをしている

 という妻の「辛抱、我慢」によって形成されていたように感じます。

 僕の祖父は実に温厚な性格でしたが、僕が2歳の時に他界します。

 祖父は母に

 「うちのばあさん、気がつよくてすまないなあ」

 と漏らしたそうですが、祖母は明治という更に女性の立場が弱い時代に生き抜いてきましたから、根性が座っていたことは間違いありません。

 ですから母親は家にいる、夫が社会にでるという図式が崩れることはなく、逆に祖母が僕の面倒を見てくれたおかげで、母は時間給ですが働きでに出られた、という「ごくわずか」のメリットもありました。

 仮に当時、女性が現在のようにサッカーをしたいと思ったならば、相当は批判があったに違いありません。

 バレーボールのように、女子代表が五輪で金メダルを得た競技であれば、もっと違ったかもしれませんが、高倉日本代表監督が現役時代は、まだまだサッカーをする女性は珍しかったでしょう。

 「うちの妻はサッカーで飛び回っているんだ」
 「嫁が家のことをしないのよ」

 など陰口があったかもしれません。

 それでも令和の今は、女性がサッカーをしてもかつてのような偏見は、多くは見られなくなった気がします。

 なでしこリーグがプロ化したならば、男性にも新しい価値観が生じると思いますし、健康面でも意義があると思います。

 一方で女性が「男のくせに」と腹いせのように語る事もありますが、それは避けた方が良いでしょうね。
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