塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーを知る、その悲しみ

2019-02-15 01:47:00 | 日記
 たまにですが、どうしてサッカーを好きになったのか考え込みます。

 もしサッカー好きでなければ、日本代表の試合結果に一喜一憂することはありません。

 新聞に贔屓クラブの結果が報じられて喜ぶ、悲しむという感情は無くなりますし、ダービーで敗れた時のくやしさを味わう事もありません。

 観戦費用もばかにならず、当日の天候によって日焼け止めやマフラーなど、様々な準備をする面倒くささもあります。

 サッカー観戦以外にお金の使い道を発見できたかもしれませんし、何よりサッカーで

 「人が死ぬこと、暴力行為が発生すること」
 「飛行機の墜落で選手が死亡する」

 という記事に落胆する必要がなくなります。

 島地勝彦先生は

 「知る悲しみ」

 という言葉をよく用いるのですが、サッカーを知れば知るほど、サッカーの持つ魅力に引き込まれ、同時に否応なしに負の側面も見ることになります。

 でも、僕はサッカーを考えることに飽きることはありません。

 理由を考えても思い浮かばないのですが、もはや日常の出来事なので、水を飲むことや入浴することと何ら変わる事が無いのです。

 日本代表がワールドカップで優勝する
 長野パルセイロがJ1で戦う
 そしていつの日か、アジア・チャンピオンズ・リーグに出場する

 こんな日が来れば、僕は泣いてしまうでしょうね。

 そのアジア王者に輝く瞬間を共にした、レッズとガンバ、アントラーズのファンは幸せ者ですよ。

 自分の贔屓クラブが大陸王者になり、優勝カップを掲げる瞬間を現地観戦できる、これはサッカーの持つ奥深さと言えますね。
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