塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

マウロ・イカルディが感じるであろう本当の心配事

2021-10-21 21:25:03 | 日記
 もし僕がマウロ・イカルディとしましょうか。

 一番恐れることは妻であるワンダ。ナラが離婚調停のために弁護士を立てること、離婚が成立し莫大な慰謝料を請求され、同時に子供たちの親権を失うこと、ではありません。

 一番恐怖で頭を抱えるであろうことは、日本の写真週刊誌に顕著である

 「彼女が裸、もしくは「セミヌードで自分との生活について語りまくる」
 「当然ワンダ・ナラの口から、前向きな発言や自分を顧みる発言は全くない」
 「裸(もしくは限りなく裸に近い形で)罵声を飛ばされること」

 にあると思います。

 どうして女性は「裸」」になりたいのでしょうか。
 どうして「裸」の写真を撮らせることに合意するのでしょうか
 どうして懺悔や悔恨の気持ちを、「裸」にならないと離せないのでしょうか。

 僕にはさっぱりわかりませんが、歌手や女優だけでなく一般の方もまんざらではないのは、そこに報酬という名の餌がぶら下がっているためかもしれません。

 過去、女子サッカーでは女子選手たちが代表を応援してほしい、資金繰りが厳しいという理由でヌードを披露、もしくはカレンダーの撮影で話題になったことはあります。

 米国でいえば女性版NFLのランジェリー・フットボールが相当するのかもしれませんが、選手たちはいたって真剣に行っていますから、ファンがついてくるんですね。

 WEリーグが軌道に乗っているかどうか、まだ定かではありませんが、さすがに本当の意味で

 「一肌脱ぐ格好」

 にはならないでしょう。

 ワンダ・ナラとマウロ・イカルディは、お互いがお互いを気に入っていた、だからこそ彼女はイカルディの軽率な行動が気に食わなかったに違いありません。

 恋人、夫婦、いずれの形でもお互いを尊重し続けあうことの難しさが、この一件から確認できます。

 むしろイブラヒモビッチやレオ・メッシの潔さが際立つほどです。
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