塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

悲観か楽観かそれが問題だ

2021-11-07 21:16:28 | 日記
 「悲観主義者とは、情報に通暁した楽観主義者のことだ」

 この一文は、文春新書「知らなきゃよかった」において、執筆者の佐藤優が旧知の間柄であるイスラエルのエブライム・ハラヴィーの言葉を掲載、僕が引用したものです。(223ページ参照)

 僕はこの一文を読んだ瞬間、サッカーの代表監督たちはまずこの定説にあてはまるだろうなと思いましたね。

 例えばパナマ代表。

 2018年ワールドカップに初出場を果たしたパナマ代表ですが、初出場ということは対戦相手から見れば

 「勝ち点3の格好の対象」
 「普通にやれば勝てる相手」

 と目されても致し方ありません。

 当然自国選手のフィットネス、布陣の見直し、対戦相手の映像解析などを行い、選手ミーティングの材料にするわけですが、指揮官としては場数の差を埋めることはできないわけで、どのようなスピーチで選手を鼓舞するのか。

 対戦相手を研究すればするほど敗北は怖くなりますが、むしろ真正面から対戦できる、アンダードッグとしての立場に楽観できるとも言えます。

 日本代表も1998年は同様でしたね。

 アルゼンチン代表の映像を繰り返し視聴し、岡田武史が下した結論は従来の4-4-2ではなく、3-5-2でアルゼンチン代表の2トップ、ガブリエル・バティストウータtクラウディオ・ロペスを封じる。

 というものでした。

 前線mの2トップの一角には、中田英寿の瞬時のパスに呼応できる城彰二を起用し、中山雅史の相棒として振舞わせました。

 岡田さんも当時は苦悩し、結果布陣変更が最適という結論を下しました。

 「何をやっても勝てそうにない」
 「国民の過度な期待が大変だ」

 という材料が悲観的に押し込む要因にもなりますが、何とかなると腹をくくる「楽観」には、なかなかたどり着かないのが本音といえるのではないでしょうか。
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