塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ロシア的なるものの発想からFA杯を考える

2022-04-18 11:23:57 | 日記
 2021-22シーズンFA杯決勝は、リバプール対チェルシーで行われます。

 マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティのファンからすれば、(エバートンもそうでしょうが)どちらが勝利しても苦々しいと言えますが、世論はリバプールに勝利してほしいと感じるでしょうか。

 それは「コップ」以外のファンでも、リバプールが叶えるかもしれない「4冠」という果てしない夢を実現してほしいという淡い期待もあるでしょうし、事実これだけのコンペティションを誇る欧州リーグは、現状プレミア・リーグだけですからね。

 (ラ・リーガやブンデスリーガには、そもそもリーグ・カップという概念がありません)

 それ以上に「ロシア的なるもの」「ロシア的発想」を意味嫌う方がいれば、それはチェルシーとロマン・アブラモビッチ、ロマン・アブラモビッチとクラジミール・プーチンとの関係性が、今も目の前から消えないためでしょうし、チェルシーのファンもその点は考慮しているかもしれません。

 伝統あるFAカップは定冠詞「THE」が付き、まさに「杯の中の杯」とでもいう、サッカーの歴史に名を残していますし、天皇杯開催にも大きく関与しています。

 アルセーヌ・ヴェンゲルの政権末期、ファンは彼の退陣を希望するも首脳陣が続投させたのは、リーグ優勝できなくともFA杯を獲得し、無冠ではなかったためです。

 ちなみにミケル・アルテタも既にFAカップだけは、アーセナルにもたらしていますしね。

 2013年はウイガン・アスレチックがマンチェスター・シティに勝利し、高々と優勝カップを掲げるも、その優勝と引き換えに降格するという、劇的なシーズン終了を迎えたほどです。

 僕個人はロシア的なるものを否定するのではなく、単純にリバプールの4冠が見たいのでリバプールを応援しますが、皆さんも思うことは多々あるのではないでしょうか。
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