塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

改めてコンフェデ杯の意義を考えてみる

2017-06-28 00:38:05 | 日記
 日本もホスト国ということで、2001年のコンフェデレーションズ・カップの開催国となりました。

 この年はブラジル代表が最弱、中田をクラブに戻すかどうか、共同開催の韓国が準優勝した日本の前にジレンマを感じ、フランスが本番で惨敗するとは考えもつかなかったなど、ある意味代表の話題は多かったものです。

 一方で近年は

 「既にコンフェデ杯は、ワールドカップの予行演習にはならない」

 という指摘があります。

 それは選手の疲労やホスト国の交通網や宿泊施設の準備という、問題点の発見と改善ではないのです。

 つまり、現行の8か国の開催では、48か国で行われる未来のワールドカップの予行にはならないし、むしろアンダー20ワールドカップをこの時期に開催すれなどうか、という具体案があるのですね。

 なるほど、今後の開催で出場国が40のも開きがあれば、予行演習とは程遠い、という見解が出るのも確かです。

 一方でアジアとオセアニアからすれば、強国と戦える良い機会でもありますし、南米と戦う機会は、日本が1999、2011、2015年にコパ・アメリカに招待されたように別の機会もあるでしょう。

 しかし、ドイツやロシア、ポルトガルと面子が揃うなかでの試合は、そうセッティングできません。

 単純に僕の印象では

 大陸王者と世界王者の違いは何か

 というもので、コンフェデ杯はサウジのファハド王子が提唱したインターコンチネンタルカップの発展版ですよね。

 つまり、そこに開催意義という思想が欠けており、そのまま現在に至っている、という印象です。

 ただ、間違いないのは今オーストラリア代表が日本が是が非でもほしい、強化の場を得ているという点ですね。
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