塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

バーバプラハは甘えの構造か

2013-11-04 00:50:06 | 日記
 僕にも親しい付き合いのあるお店がありまして、来店すると有難いことに「塚田さん」と声を掛けて頂けます。

 でも間違っていけないのは、僕がお店に甘えてはいけないということです。

 当然ですが店内には僕以外の来客がありますし、商品陳列とレジ打ちも大切な仕事ですから、僕が長話をして彼らの時間を
奪うのは言語道断です。

 僕のスーパーでも明日結婚式に参加するのに礼装用のネクタイを探しに来て

 「他にないのか」
 「何か気にいらない」

 と漏らす方がいますが、そういう大切な代物は直前ではなくずっと前に仕入れて、当日着るスーツを合わせてみるくらいの
シュミレーションをしなければ意味がありません。

 バーバ・プラハ

 アルゼンチン国内で悪名を轟かす彼らも、その根本には肥大化した自尊心であり、自分に甘い、言い換えれば酔っている存在
だと思います。

 クラブを牛耳る事で彼れらはきっと

 「俺たちがいなければクラブの運営は成り立たない」
 「俺たちはクラブを支えている自負がある」

 とう思っているのでしょうか。

 しかしスタジアムの中で行われる暴力行為、クラブへチケットの無料配布や金銭を要求するなど、バーバプラハの存在その物
はまるで肯定できません。

 インディペンディエンテのように、クラブが

 「バーバプラハ撲滅」

 を掲げても思うように進まないのは、彼らの報復行為に恐怖感を覚えるだけでなく、従順にしなければ死傷者がでる可能性が
いことですね。

 日本で言うならば

 「長い物には巻かれろ」

 なのでしょうか。

 僕は買い物をしている最終、ふと自分の行動が店に迷惑になっていないか顧みて、冷や汗をかく事がありますが、やはり親しい
からこそ礼儀が必要になるのは間違いありません。
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