塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕が思う、森保さんの人間性

2024-08-24 20:25:20 | 日記

 兵庫県知事の姿と言動が、百条委員会で示された形であるならば。

 

 森保一日本代表監督が、このような傲岸不遜な態度でなくて本当によかったと思いますよね。

 

 森保さんは常に

 

 代表監督である私には、選手の招集から戦術、配線も勝利も全責任を負うことが当然です

 私はいつてもクビを宣告されても、受け入れる覚悟があります。

 マスメディアの方々にも、丁寧に体操していきますよ

 

 と宣言します。

 

 一国の代表監督は、首相、大統領、書記長という政府の要職と同じくらいの権限と重圧があります。

 

 それほどの責務を背負う人物が

 

 選手、アシスタントコーチ、スタジアムのファンあっての代表監督である

 だからこそ、私がいるのだ

 

 と経緯をはらっているのに、一刻の責任者でもないあの方が、どうしてここまでわがまままになれるのか、さっぱりわかりませんね。

 

 ただ、どんなに人格と人間性が優れていても

 

 勝ち点3や優勝から遠ざかれば、解任のリスクは高まる

 その代表例が、イングランド代表を2016年から率いたギャレス・サウスゲイト

 

 というわけです。

 

 日本サッカー協会も、池田太日本女子代表監督の後任を探しますが、どこかで森保さんの後任を探していると思いますよ。

 

 それは信頼の問題ではなく、ある意味で暗黙の了解でしかなく、そんなことで森保さんは気にしない方に決まっています。

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