塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

反目しあうこと、自己主張の果てにあるものは

2013-12-30 20:38:04 | 日記
 大抵の方は動物はかわいい、ゆとりがあるならペットを飼ってみたいと思うでしょう。

 事実、日本はペット産業が充実していますし、中国は経済力が向上したおかげでペット市場が格段に広がっていると聞きまし
たが、ペットの存在は世話をするだけの時間と資金にゆとりがある証明なのですね。

 でも、動物は僕たちが思うほど可愛らしいものではなく、むしろ残酷な一面を覗かせます。

 我が家では僕が小学生のころから幾度か猫を飼っていて、今も2匹います。

 その「我が家」という範疇で括るだけでも

 1・野良猫との喧嘩
 2・家の中での縄張り意識
 3・子猫が対象であっても自己意識を隠すことは無い

 と言う形で、生存競争を痛烈に感じさせます。

 「3」について補足しますと、我が家でネコが出産した際、子猫を一匹ご近所に貰って頂いたのですが、その家で飼われている
ネコからいびられ続け、耐えられなくなり逃げてしまい、行方がわからなくなってしまいました。

 「こんなことなら里子に出さない方が良かった」

 と母はため息を付きましたが、それだけ動物の世界で新入りは「いじめ」の対象になりやすいのです。

 サッカーの世界でも新入りや移籍して間もない選手は、いかに環境に馴染むかが大きな鍵を握ります。

 「銀河系選抜」

 と称された時代のレアルは、常に更衣室での会話と人間関係が憶測として記事になり、選手たちが疲れ果ててしまうという事態に
なりました。

 「スペイン人とブラジル人の折り合いが悪い」
 「ジダンとフィーゴが反目している」
 「オーウエンは英語がわかるベッカムだけと仲が良い」

 など、その記事は多岐にわたりましたが、それだけ地位と名声、高い報酬が約束された選手が集まる事は、周囲の好奇心を集める
と言う形だったのです。
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