塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ボールに触れるというあたり前の行動から

2019-10-25 01:11:10 | 日記
 サッカーの場合、ワールドカップの公式球はアディダスが提供し、2019年アジアカップは日本のモルテンが手掛けました。

 一方でサッカーボールは英国のマイターが一番知られていると思いますが、ラグビー・ワールドカップ公式球を手掛ける「ギルバート」

 このブランドも本拠地は英国にあると聞きました。

 僕はトップリーグのチーム名は幾つかわかりますが、公式球がどのブランドから与えられているかはわかりません。

 もし、日本代表8強進出の裏側に、選手たちがホスト国という恩恵の中で、公式球をいち早く扱える機会があったのであれば、凄く良い準備ができたに違いないですよね。

 サッカーの場合、2010年のワールドカップがそうでした。

 Jリーグは公式球「ジャブラニ」を開幕と同時に提供し、代表選手たちがその感触を味わえる機会を率先して設ける形を取りました。

 当時、代表の主力はJ1に在籍していましたから、本当に有難い決定だったでしょうね。

 野球もワールド・ベースボール・クラシックとペナントレースで公式球が違うということで、特に投手が違和感を覚えます。

 前者がローリングス、後者がミズノのはずですが、やはり縫い目や感触の隔たりは、練習することと触る事で克服してゆくわけです。

 特に野球の国際試合では球数制限がありますから、4球を連発すると味方がピンチになるだけでなく、後続の投手に大きな負担がかかります。

 プレミア12の公式球がどこのブランドが用意するのかわかりませんが、ボールはされどボールという現象が、球技ではならではの特性と言えそうです。
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