塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

サッカーにおける家族の存在

2012-11-30 01:07:34 | 日記
 清武がホームのホッフェンハイム戦で鮮やかなゴールを奪い、息子さんの誕生日に花を添えたことが話題
となりました。

 一方でアントラーズからはジョルジーニョ監督の退任がアナウンスされました。

 監督だけでなく家族も含めて、家族の問題を抱えていたそうで、同様の問題は復帰はしましたがセレッソの
クルピ監督も悩んでいた代物です。

 前者は家族に喜びをささげ、後者は家族に平穏をもたらす決断を下す。

 「家族」

 人間が営みを成す上で最小限の単位が、人生に様々な要素をもたらします。

 特にサッカーの場合、家で待つ妻の気苦労は本人でなければわからないでしょうね。

 特に異国の地であれば女性の一人歩きすらままならず、言葉を含む生活習慣の違いの乗り越えなければなりま
せんが、お子さんが小さいとそちらへの集中力が問われますから。

 その一方で日本、アメリカ、フランスにドイツ。

 女子サッカーが盛んでリーグを持つこれらの国で、選手の亭主がこれらの問題を抱えている話は聞いたことが
ありません。

 「妻を会えなくて寂しい」
 「僕は異国に住んでいて孤独で友人もいない。」

 こんな嘆きを呟く男性は今のところ見たことがありませんし、女性選手がお子さんも誕生日をゴールで祝福した
と言う話も聞きません。

 単純に女子サッカーの露出の問題でしょうが、夫は妻がいないとせいせいして張り合いが生まれるのでしょうね。

 日本では

 「恐妻家」

 と呼ばれる方が随分多いようで、僕もその予備軍だと思います。

 結婚はしてみたものの、家にも会社にも居場所が無く切ない時間を過ごしている方は大変な思いをしているので
しょうか。
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