塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

人道的支援という言葉の背後にあるであろう姿

2018-04-15 00:04:08 | 日記
 僕は今月、2冊英語教材を新調しました。

 一冊は旺文社から刊行されている、英検準一級用の問題集、もう一冊はプレジデント4月16号「たった1日、たった3語で話せる英語の学び方」であり、どちらも重宝しています。

 ただ、今はプレジデントに掲載される、福島県浪江町の今が語られていることに購入してよかった、という気持ちがあります。

 これは復興や現状を語るのではなく、

 「東日本大震災から7年、被災地現地レポート」

 という日本赤十字社からの視点から記事が執筆され、住む人々の心情が語られています。
 
 特に牛300頭を飼育している吉沢正己さん64歳が語る口調は、本当に痛々しく、牛も人間もペットも命は等しいと思いたいが、実際はそうではない現状を物語っています。

 この地に福島ユナイテッドといわきFCという、2つクラブが存在することは今後、福島県の歩みにどう影響するでしょうか。

 長野県内でも、いっそのことパルセイロと山雅が合併すれば

 1・長野県全体で支援できる
 2・スタジアムの建設費用が節約でき、集客力も増すのではないか

 という話し合いが過去にあったはずですが、それでも両クラブがあゆむ道は別々にある。

 クラブもファンも選手も、皆がそう感じました。

 いわきFCも福島ユナイテッドも、描く姿に共通点はあるのでしょうが、方法論が異なる、だからこそいわきFCは後発として誕生したと僕は考えています。

 痛手を味わった都市に根付くことは、僕のような部外者が簡単に語れる事ではありません。

 Ⅴ・ファーレンとユナイテッドの両クラブをヒュンメルが支援しているのも当然と思いますが、人道的支援という言葉があるうちは、世界中の諸問題が解決していないことを意味する。

 これもまた確かなことでしょうね。
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