塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

仮にリベロが復活するならば

2014-08-17 00:57:26 | 日記
 ワールドカップ94で準優勝したイタリア。

 右からタソッティ、コスタクルタ、バレージ、マルディーニという4バックの面子は、そのままミランのユニットをサッキが重用し、GKのパリュウカも含めれば、ミラノの2大クラブがイタリアの要として君臨していたのです。

 バレージはリベロと言う形で

 1・ラインの統率によるオフサイド・トラップ
 2・柔軟な攻撃参加

 をしていましたが、4バックにリベロを置くという概念はさほど発展しませんでした。

 やはり4バックの中央は屈強なセンターバックが務めるべきという意見は強かったですし、事実2010年の日本もそうでしたね。

 ジーコ政権における4バックの中央は宮本と中澤が起用されましたが、宮本本来の試合をよむ洞察力とライン・コントロールは活かされないと指摘されました。

 僕は今

 「4バックにおけるリベロ」

 は案外需要があるように感じます。

 それはサイドバックにサイドバックの資質を持つ選手よりも、センターバック経験者、つまりより守備に卓越した選手を配置する事例が増えた点です。

 つまり、中央の守備が強化されるならば、リベロの攻撃参加がより攻撃の厚みをもたらせるため、という見方ができます。

 中央に厚みが増せば、プレスのかかりがより前線kらになり、ディフェンシブ・サードにまで相手が攻め込む前に、攻撃の芽を刈り取る事もできると感じます。

 リベロは多分

 「古臭い」

 概念なのでしょうが、だからこそ新鮮なのではないでしょうか。
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