塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

広島、森保監督の心中

2012-12-29 12:43:19 | 日記
 「我欲を捨てる」

 これは池波正太郎先生がよく用いる言葉ですが、今季広島が優勝した背景には森保監督がこの我欲を持たなかった
ことがあると言えます。

 森保監督に限らず新監督は前任者との比較を嫌い

 「私はこういう方針を持ちます」

 と、その自負を全面に出すことが多いですね。

 これには逆の例もあり、イビチャ・オシムが倒れた際に岡田武史は就任会見において

 「接近 展開 連続」

 という単語を用いながらも、基本はオシムの踏襲をする用意ができていましたが、結局は自分の描くサッカーを途中
から指示するようになりました。

 前任者を踏襲しても批判され、独自性を編み出しても同様の目に遭う。

 サッカー監督は難しいですね。

 森保監督の話に戻りますと、氏も自分が描くサッカーはあったと思います。

 しかし広島は5年間という長期に渡り、ペトロビッチ監督が提唱したサッカーに取り組み、選手たちもその方針に馴染
んでいます。

 ですから急激な方針転換は、選手たちを混乱させるだけで得る物はないと考えたのではないか。

 僕はそう思います。

 もう1点考えられるのは

 「私は新人監督」

 という森保監督の謙虚な心構えで、だからこそペトロビッチ監督の築いた土台をすんなり受け入れることが出来たので
しょう。

 言い換えれば前任者の功績をたたえた形になります。

 広島は森脇の浦和移籍が決定し、高萩にも移籍話があるようです。

 その一方で選手が監督と同様の謙虚な気持ちを抱くことを忘れなければ、アジアの地で3-4-2-1の布陣が旋風を
巻き起こす形になるでしょう。

 
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