それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

アニメ「さくら荘のペットな彼女」:才能を持たない者の戦い方、あるいは就職活動の教科書として

2016-09-12 13:03:34 | テレビとラジオ
 アニメを週末で一気に見てしまった。「さくら荘のペットな彼女」という若干ショッキングなタイトルのアニメである。

 この物語は、いわゆる学園ラブコメに位置付けられると思われるが、

 実際には、「才能がない人間がどうやって才能のある者たちと戦い、自分なりに折り合いをつけていくか」という話である。



 概要は以下。舞台は、芸術コースがある高校の、とある寮。その寮は、高校のはみ出し者が集められた、いわば島流し用の場所だった。

 そこに主人公の男子高校生(2年)が、猫を飼っていることを理由に送られ、思いもよらない出来事に次々と巻き込まれていく。

 物語に登場するヒロインは、ある理由でイギリスから転校してきた女の子(そして、主人公がいる寮に住むことになる)。

 その子は恐ろしいほどに絵を描く才能があるものの、日常生活の何もかもを一人でできないため、主人公が色々と面倒を見る羽目になり・・・・・・。


 
 アニメを見ない人にとって、最初の関門は非日常的な設定と展開、お約束のキャラクター設定、不必要に思えるギミック(例えば、物語内でのコスプレ)などである。

 この物語にも、それはふんだんに登場する。

 ヒロインの絵の才能がありすぎる上に、容姿整いすぎな上に、何も出来なさすぎる上に、感情が未発達するすぎる件、同様に、主人公の寮の仲間たちの能力がすごすぎる件、主人公の妹が異常にお兄ちゃんを好きすぎる件、よく分からないところで不必要に女の子が着替えてしまう件など、そこに躓くとすべてを拒否してしまう。

 だが、それはどうかご容赦いただきたい。これはすべて「様式美」なのだ。

 歌舞伎だって、能だって、その世界だけで成立するキャラクター設定や言動があるじゃない。それと同じです(怒らないで!!)



 そうした「様式美」の先に、この物語の普遍性が隠されている。

 冒頭にも言ったとおり、この話は「才能がない人間がどうやって才能のある者たちと戦い、自分なりに折り合いをつけていくか」をテーマとしている。

 焦点がそこに絞られているからこそ、この物語にはすごく意味があり、感動がある。

 主人公は、転校してきたヒロインに何か特別な気持ちを抱くが、しかし、その分、強烈な劣等感に苛まれる。

 かたや天才的な芸術家であるヒロイン。ヒロインは、マンガという新しい領域に挑戦し、着実に結果が出していく。

 一方の主人公は、自分が何をやりたいかも決められず、ようやく決めたゲームデザイナーという道も、まるでうまくいかない。



 こうした劣等感と恋愛の感情が、良い意味で不協和音を発生させる。

 主人公のヒロインへのイライラや嫉妬に反比例して、ヒロインは主人公に特別な感情を強めていく。

 主人公はヒロインに優しくしたいのに、怒りをぶつけてしまい、すれ違っていく。

 ヒロインの極端な純粋さが、主人公の気持ちの歪みをとてもはっきりと映し出す。

 この痛々しさがこの物語の肝である。

 これは主人公とヒロインだけでなく、同じ寮に住む一学年上の先輩ふたりにも当てはまり、それがパラレルに進むので、非常に分かりやすい。



 大好きなパートナーの才能に釣り合うには、一体どうしたらいいのか?

 舞台設定は高校だが、これは大学でも会社でも当てはまる話だ。

 物語では、男性の方が才能に恵まれていない。だからこそ、その歯がゆさが目立つ(それは保守的なジェンダー観と結びついているのかもしれないが)。

 自分より遥かに才能のある相手をどうやって愛していけばいいのか?

 そんなことを気にせず、普通に関係を深めていけばいい、というのは綺麗ごと。実際、人情がそうは許さない。

 自分が相手に相応しくない人間なのではないか?と思えば思うほど、もう相手の前では素直になれず、関係も深められない、さらに自分を嫌いになるという負のスパイラル。



 そこで主人公は自分の弱さを見つめなおす。

 先輩や先生たちの助けを借りながら、何がダメなのか、どこに問題があるのか、少しずつ発見し、克服しようと努力していく。

 確かにこれはアニメ。周りはスーパーマンだらけ。絵の天才、アニメの天才、ITの天才に囲まれており、こんなに都合の良いメンターはいないだろう、というくらい。

 でも、それをちゃんと利用して、自分を高められるかは、やっぱり本人の自覚と努力と覚悟なのだ。

 実際、現実にもこういうことはよく起きる。素晴らしい先生に囲まれていても、それに気づかず、大学生活を終える学生は無限にいる。



 すごくジーンときたのは、主人公がオリジナルのゲームのプレゼンテーションを会社に持ち込むところ。

 コンペで勝てば、自分の考えたゲームが商品化される。

 ところが、それがなかなか難しいのである。

 きっと多くの視聴者がそうだと思うが、私は自分の就職活動のことを思い出してしまった。あるいは、出版社に自分の原稿を持ち込んだ時のことを思い出してしまった。

 大人の世界は困難だらけだ。

 自分を優遇してくれる理由などひとつもない。ただ、自分のパフォーマンスが良いか悪いかを評価されるだけだ。

 何度も壁にぶつかる。理不尽な理由で落とされる。そもそも自分が持ち込んだものを見てもくれない。

 そうした実社会のルールのなかで、どうやって勝つか。

 大学のポジションや出版事情は、近年ますます厳しくなっている。

 ゆえに、ポスドクの人々はまさにこの主人公と同じような目にあっている。

 そのなかで、勝者と敗者が日々生まれる。

 それはとても苦しいことだ。悲しいことがたくさんある。

 このアニメで登場するような、「お前は頑張ってた、それをちゃんと見てたから」と言ってくれる人は周りにいないかもれしれない。

 けれど、それでも、挫折には多くの発見がある。それをどうやって直視するかなのだ。と、このアニメは教える。

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