3大学の新設が不認可になったというニュースは、多くの大学関係者にとって衝撃であったに違いない。
けれども、多くの国民にとっては、田中大臣の判断は思いのほか、好評なのかもしれいとも思う。
せっかくの機会なので、ここにこの判断に是非について考えるための、前提となる議論を立てたいと思う。
行政効率として考えると、今回の不認可は好ましくない。
新設の申請に関わる関係者は、ひとりやふたりではない。大学内部だけでなく、中央および地方の役所も深く関与してきた。
しかも、その申請にかかった費用と時間も膨大である。
不認可にするかどうかのガイドラインが既にある以上、問題とすべきはそのガイドラインである。
そうでなければ、法律通り行動したのに、政治家のきまぐれのおかげで急に逮捕されるようなものだ。
とはいえ、この不認可の決定が無意味だというわけではない。
大臣は少なくとも「大学は量ではなく、質である」という日本の大学に関する基本方針を示した。
問われるべきなのは、
①この基本方針が良いのか、悪いのか
②もし、それが良いとして、大学の認可を厳しくすることは、その方針に適うことなのかどうか
である。
①について問うということは、今、日本の大学に求められていることは何かを問うことに等しい。
それをここで簡単に結論することはできないが、私は自分の所見をざっくばらんに書いてみようと思う。
第一に、日本の大学は、世界の標準に合わせることが求められている。
英語で授業し、英語で研究し、英語圏の有名学会誌に投稿し、国際会議を開き、特許や賞をとり、世界ランキングを上げることがそれだ。
世界から留学生を集め、国内市場では限界となった経営費用や研究費の徴収を可能にする。
これが規範的に好ましいとは思わない。あまりにも西洋に支配されていることが明らかだ。
しかし、競争力を高めたいのならば、言いかえれば、今存在する「質」に関する最も説得的な物差しで測るならば、この世界標準を受け入れるより道はない。
第二に、日本の社会的な需要に応える必要がある。
特に文系の分野は、実務の世界からあまりにも切り離されており、高まり続けている社会的な需要に全く応えられていない。
応用研究だけに価値があると言っているのではない。
応用研究だと言っているのに、実社会と全く切り離されている文系の諸分野は、今の日本の社会状況には適合していない、と言いたいのである。
この私の考えに従うとすれば、今の日本の大学の質は必ずしも高くない。
日本の大学が頑張っていないわけではない。
そもそも構造的に不利なのだ。
どれだけ不利であるかについては、ここでは議論しないが、要するに田中大臣の指摘するように確かに質は問題である。
質が高まるということは、競争力の高い人材を輩出したり、社会的な需要に応えたりできるということにつながるかもしれない。
もちろん、日本から海外への頭脳流出の危険性も高まるが、しかし、大学としては国家の期待には応えられるかもしれない。
量が減れば、大学に進めなくなる人がいずれ出てくるかもしれない、と問うことは可能だろう。
けれども、この少子化のペースでいけば、しばらく全入時代が続くことは疑いえない。
だから、量は明らかに問題ではない。
その点で田中大臣の言っていることは正論であると私は思う。
では、不認可がこの戦略にどれだけ寄与するのか。
今のままでは、大して寄与はしないかもしれない。
必要なのは、不認可にするだけなく、さらに別の戦術を実施することだ。
仮にどんどん大学を潰して、大学の総数が減り、平均的な質が上がったとしても、残った大学が急激に発展するわけではない。
博士号取得者の就職先が無くなって、ほんのわずかな研究者だけが生活の糧を得るようになる。
その結果、大学院進学者はさらに減少し、研究者の質は多少下がるかもしれない。
それを防ぐためには、優秀な人間があまりにも民間に流出するのは止めなければならない。
また、大学が人数調整のために、質にこだわらずに学生を博士課程に進学させるのも止める必要がある。
だから、博士課程進学へのハードルは上げる必要があるものの、大学院で勝ち残った研究者の給与は少なくとも維持する必要がある。
けれども、もし人数が減れば、いっそう研究分野がバラバラになり、今以上にまとまったプロジェクトは難しくなるだろう。
そのなかでも日本の大学の強さを維持するためには、国内外の大学を横断するネットワークがさらに強化されなくてはいけない。
ヨーロッパで実施しているような、博士課程の海外研修制度などをより充実したものにする必要が出てくるだろう。
予算申請の際にも、国内外の広いネットワークに基づくプロジェクトは自ずと勝ち残りやすくなるだろうし、すでに今もあるこの傾向は一層強める必要が出てくるだろう。
(おそらく今後10年で、純国産の世界レベルの研究者を自前で生産することは不可能になるだろう。
それは戦略の如何ではなく、日本が置かれている状況に鑑みれば、自明というほかない。
そうした外部圧力も、こうしたネットワークの強化を促すことにはなるだろう。)
以上をまとめると、次のようになる。
田中大臣の決定は、行政効率や手続き的に言えば問題がある。
けれども、基になった戦略自体には一定の合理性がある。
しかし、不認可を増やすだけでは、その戦略目標は実現する見込みがほとんどない、ということである。
そのため、日本が置かれている状況を把握したうえで、再度、大学に関する国家の戦略を立て直す必要があるということである。
けれども、多くの国民にとっては、田中大臣の判断は思いのほか、好評なのかもしれいとも思う。
せっかくの機会なので、ここにこの判断に是非について考えるための、前提となる議論を立てたいと思う。
行政効率として考えると、今回の不認可は好ましくない。
新設の申請に関わる関係者は、ひとりやふたりではない。大学内部だけでなく、中央および地方の役所も深く関与してきた。
しかも、その申請にかかった費用と時間も膨大である。
不認可にするかどうかのガイドラインが既にある以上、問題とすべきはそのガイドラインである。
そうでなければ、法律通り行動したのに、政治家のきまぐれのおかげで急に逮捕されるようなものだ。
とはいえ、この不認可の決定が無意味だというわけではない。
大臣は少なくとも「大学は量ではなく、質である」という日本の大学に関する基本方針を示した。
問われるべきなのは、
①この基本方針が良いのか、悪いのか
②もし、それが良いとして、大学の認可を厳しくすることは、その方針に適うことなのかどうか
である。
①について問うということは、今、日本の大学に求められていることは何かを問うことに等しい。
それをここで簡単に結論することはできないが、私は自分の所見をざっくばらんに書いてみようと思う。
第一に、日本の大学は、世界の標準に合わせることが求められている。
英語で授業し、英語で研究し、英語圏の有名学会誌に投稿し、国際会議を開き、特許や賞をとり、世界ランキングを上げることがそれだ。
世界から留学生を集め、国内市場では限界となった経営費用や研究費の徴収を可能にする。
これが規範的に好ましいとは思わない。あまりにも西洋に支配されていることが明らかだ。
しかし、競争力を高めたいのならば、言いかえれば、今存在する「質」に関する最も説得的な物差しで測るならば、この世界標準を受け入れるより道はない。
第二に、日本の社会的な需要に応える必要がある。
特に文系の分野は、実務の世界からあまりにも切り離されており、高まり続けている社会的な需要に全く応えられていない。
応用研究だけに価値があると言っているのではない。
応用研究だと言っているのに、実社会と全く切り離されている文系の諸分野は、今の日本の社会状況には適合していない、と言いたいのである。
この私の考えに従うとすれば、今の日本の大学の質は必ずしも高くない。
日本の大学が頑張っていないわけではない。
そもそも構造的に不利なのだ。
どれだけ不利であるかについては、ここでは議論しないが、要するに田中大臣の指摘するように確かに質は問題である。
質が高まるということは、競争力の高い人材を輩出したり、社会的な需要に応えたりできるということにつながるかもしれない。
もちろん、日本から海外への頭脳流出の危険性も高まるが、しかし、大学としては国家の期待には応えられるかもしれない。
量が減れば、大学に進めなくなる人がいずれ出てくるかもしれない、と問うことは可能だろう。
けれども、この少子化のペースでいけば、しばらく全入時代が続くことは疑いえない。
だから、量は明らかに問題ではない。
その点で田中大臣の言っていることは正論であると私は思う。
では、不認可がこの戦略にどれだけ寄与するのか。
今のままでは、大して寄与はしないかもしれない。
必要なのは、不認可にするだけなく、さらに別の戦術を実施することだ。
仮にどんどん大学を潰して、大学の総数が減り、平均的な質が上がったとしても、残った大学が急激に発展するわけではない。
博士号取得者の就職先が無くなって、ほんのわずかな研究者だけが生活の糧を得るようになる。
その結果、大学院進学者はさらに減少し、研究者の質は多少下がるかもしれない。
それを防ぐためには、優秀な人間があまりにも民間に流出するのは止めなければならない。
また、大学が人数調整のために、質にこだわらずに学生を博士課程に進学させるのも止める必要がある。
だから、博士課程進学へのハードルは上げる必要があるものの、大学院で勝ち残った研究者の給与は少なくとも維持する必要がある。
けれども、もし人数が減れば、いっそう研究分野がバラバラになり、今以上にまとまったプロジェクトは難しくなるだろう。
そのなかでも日本の大学の強さを維持するためには、国内外の大学を横断するネットワークがさらに強化されなくてはいけない。
ヨーロッパで実施しているような、博士課程の海外研修制度などをより充実したものにする必要が出てくるだろう。
予算申請の際にも、国内外の広いネットワークに基づくプロジェクトは自ずと勝ち残りやすくなるだろうし、すでに今もあるこの傾向は一層強める必要が出てくるだろう。
(おそらく今後10年で、純国産の世界レベルの研究者を自前で生産することは不可能になるだろう。
それは戦略の如何ではなく、日本が置かれている状況に鑑みれば、自明というほかない。
そうした外部圧力も、こうしたネットワークの強化を促すことにはなるだろう。)
以上をまとめると、次のようになる。
田中大臣の決定は、行政効率や手続き的に言えば問題がある。
けれども、基になった戦略自体には一定の合理性がある。
しかし、不認可を増やすだけでは、その戦略目標は実現する見込みがほとんどない、ということである。
そのため、日本が置かれている状況を把握したうえで、再度、大学に関する国家の戦略を立て直す必要があるということである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます