それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

テレビ東京「SICKS ~みんながみんな、何かの病気~」:すごい加速度、鋭角で

2015-10-24 13:45:13 | テレビとラジオ
 おぎやはぎとオードリーのコント番組がテレ東の佐久間プロデューサーのもとで始まるということで、一部のファンからは大きな期待が寄せられていた。

 で、この番組がすごい。

 しかし、その凄さをうまく説明できる自信がない。



 この番組はコント番組である。そのなかでも、社会的な空気/病気を扱う番組だ。

 この番組のウリは、変なキャラクターがおかしな行動をとることではない。そういうコントの特性も無いことはないが、それがウリではない。

 また、最近のニュースを表層的に取り上げて、軽い笑いを詰め込むコント番組でもない。



 この番組は、まず芝居がうまい。

 どれくらいの上手さかと言うと、かつての「サラリーマンNEO」くらいうまい。

 だから、コントの嫌らしさ、狙っている大げさ感が薄い。



 また社会的な空気/病気を扱ううえで、この番組が優れているのは、視聴者に迎合しようとしないところである。

 これはテレ東の深夜の圧倒的な強みだ。

 誰にでも分かりやすい話しを必要以上に解説するかのように脚本を作るのではなく、おかしな世界の住人の日常をストレートに物語するので、そこに妙な説得力が増す。



 この空気/病気の中心になるのがインターネットだ。

 インターネットのレビュー、ニュース、論争/炎上、情報流出。日本社会の病気の中心的な<場>がインターネットだというのは間違いない。

 かく言う私も、テレビ番組のレビューをブログに書くなどとは、まさに一種の病いである。

 ネット上の「社会」に振り回せられる人間の姿。

 それをここまでちゃんと描いたのは、この番組が最初であろう。

 よく日本の映画で登場する犯罪者のキャラクターとして、ネルシャツでメガネの目つきの悪い、パソコンマニアの男という虚像がある。

 そういうキャラクターが登場する映画は、コントよりコント的だ。

 何が言いたいかといえば、インターネットに振り回され、病的な行動をする人々は、われわれそのものだし、まったく普通の一般人である。

 ヘイトスピーチの主体もひとりひとり見ていくと、まるでどこにでもいる普通の人であって、「犯罪者でござい」みたいな人の方が圧倒的に少ない。



 つまり、病的な空気の中に居ればいるほど、その空気をつかむのが難しい。

 その空気を上手いこと鋭くつかんでいるのが、この番組なのである。

 この番組をどのように理解するかは視聴者ひとりひとりの自由だ。

 どのような解釈をするにしても、通して見ていけば、おそらくその面白さが徐々に浸透しいくことだろう。



 遂に最新の回では、それぞれのコントのストーリーが連結し、笑ってしまうような奇妙な伏線の回収が展開された。

 こんなふうに説明しても、おそらく伝わるまい。初回から一気に見てほしいところ。

 テレ東、すごい。佐久間Pおそるべし。

 それにしても、このブログはまさにこの番組が取り上げる病いそのものだな・・・(苦笑)

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