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森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

ドイツのトラクターの作例がホビージャパン誌に掲載されました&トラクターのキットの話

2022年01月30日 | 模型の話題
1月25日発売の「月刊ホビージャパン3月号」に模型のお仕事が載りました。お題はミニアート1/35「ドイツ トラクター D8506」です。

こちらが誌面。カラー3Pで大きく素敵な写真で紹介してくださってます。興味のある方はぜひご覧下さい。

私はトラクターはとても好きで、かつファンであるミニアートのキットなので頑張りました。トラクターって、実用車なので基本理詰めで作られるとは思うのですが、それにしてもこの可愛らしさは何?という(笑)なんとなくカマドウマみたいな感じでとても素敵な車両です。なので、塗装も昆虫っぽい(?)感じにしてみました。

 こちらが表紙です。桜のガンダムにおおっ!となります。カッコイイ!!奥の甲冑風ザクも素敵、、。

巻頭特集は「模型の新表現 和の美で究める粋塗装」と題して、和風な塗装をガンプラに施すという企画。こういうのほんと好きです。日本画用の絵具で塗装したり、金箔を使ったりするなど、ぶっ飛んだ作例ばかりでびっくりです。実に興味深くかつ面白いのでこちらもぜひ見てみてください。

私は常々、模型って自由に好きに作れるのがいいなあと思っています。なのでこの特集はそういう気持ちを一部具現化してくれた内容なので、実に嬉しかったです。

で、記事にも書いたのですがトラクターはじめブルドーザーなどのアイテムは昔(2-30年くらい前)はAFV界の中でもマイナー中のマイナーで、もちろんインジェクションキットなんてまあありませんでした(と思う)。でも、レジンキットではちょこちょこリリースされてまして、可能な限り頑張って入手してました。これらがそれ。
レジンキットなので値段は結構お高く、ほいほいと買えるものでもなく悩みながら買ってましたねえ、、。

こちらはプラスモデル(チェコ)のブルドッグ。今回の作例のと同じメーカーですね。よく見ると車体構成が似ています。
とてもよくできていて、いつか作ろうと思っています。けど下手したらこれもミニアートがキットにするかもしれんな、、、。カッチョかわいいしな、、。

こちらはヴェスペモデル(ルーマニア)のスターリネッツS2。これは買ったものじゃなくて、模型クラブの先輩から頂いたもの。
キャブオーバー型のトラクターで、実に素敵です。

キャブの一体成型のレジンパーツを見ていると、ほんといつかキッチリ作ってみたい、あげたい、と思いますねほんと、、。これ抜くの大変ですよほんと、、。
レジンキットって、こういう作り手の「頑張り」が見えてくるからいいんですよね。

これもヴェスペモデルのレジンキット、スターリネッツS65です。これは完成させました。20年くらい前の作品。日本で第二の人生をおくっているという無理な設定。
当時レジンキットでもこういうのが出てくれるだけでも有難かったんですよね。箱をみたら11900円(!)でした、、。よく買ったなあと思いますが当時のマイナーアイテムへの飢餓感は半端なかったですからね、、。まさかこれが今インジェクションででるとは思いもしなかったです。いい時代になりました。

無茶な設定ですけど昔からこういうシチュエーション好きなんですよ、、。キットはちょっと大雑把でしたがちゃんと詰めれば問題ないキットだったです。手を入れる余地がある楽しさってそれはそれでいいですよね。
箱を見て「えっ!そうだったの?」と思ったのはヴェスペモデルってルーマニアのメーカーだったんですね。ルーマニアの人が一生懸命作ったんだなあと思うとしみじみしますねえ、、。

地面のガラクタなどは適当なジャンクパーツをちりばめてます。
昔の作品なので詰めが甘いですけど、今も詰めは甘いので同じですね(コラコラ)。

トラクターのキット、もっと出て欲しいですねほんと。でもその前にさっきのレジンキット、どれもちゃんと作らなきゃだわ、ですねえ、、。それにしても現在、軍用に限らず農業や建設用などいろんな業界の働く車がキットになってるのは実に嬉しいですね。昔のことを思うと感無量、です。

それでは今回はこの辺で。ホビージャパン誌、ほんと見てみてくださいね。




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月刊アーマーモデリングにジオラマが載りました。

2021年07月18日 | 模型の話題
先週発売された月刊アーマーモデリング8月号に、私の作ったジオラマが掲載されてます。「1985年ごろ、もしソ連軍が日本に侵攻してきたら、、」というIF設定のものです。全力で作ったので、誌面をぜひご覧になってみて下さい。※上の写真は私が撮ったもので、誌面には載っていません。

表紙がこちら。元陸自隊員のタレント、かざりさんがビッシィ!と決めてくれてます。
周囲のモデルガンは気にしないで下さい。献本が届いてテンションが上がってつい置いてしまったのです(笑)

私のジオラマには、7ページも割いてくださっています。写真は、なんとスケールアヴィエーションの石塚編集長が撮影して下さいました。

最初、見本として写真を拝見した時あまりに凄くて絶句しました(いや、ほんと)。いつかジオラマの現物を見た人に「写真と違うじゃん!」って思われるかも、レベル。誌面をご覧になったらよくわかると思います。また、最後のページの編集部による作品評の文章もグッときました。私の気持ちをとてもよく汲んでくださってて嬉しかったです。そんなこんなでぜひ見て欲しいですね。また、製作は1年半以上かかった(もちろん、ずっとかかりきりだったわけじゃないんですけど)のですが、その間、担当として本誌アドバイザーの吉岡和哉氏がさまざまな助言や提言をして下さいました。これはほんとに貴重な経験・勉強になりました。この場を借り心よりお礼申し上げます。

さてこの号は、私のを含めた陸上自衛隊特集となってまして「RIKUJI IN ACTION!」と銘打っていろんな陸自車両のキットが紹介されてます。かなり気合の入った内容で、拙作に関係なくお勧めです。
目次を見ても、その濃さがよくお分かりになるのでは。

ジオラマでは、61式は建物に半分隠れてまして、誌面に写ってなかった車体前部はこんな感じです。まあ、要するに「いつもの」ですね(笑)
砲身のキルマークは、ご存知小林源文先生の「バトルオーバー北海道」からです。「一度やってみたかったんです」(笑)。それにしても、ファインモールドの61式は傑作ですね。

機甲科のフィギュアはこれまたファインの傑作があり、それを元につくってます。しかし、メーカー問わず昭和期の普通科の自衛隊員のフィギュアのキットはないので、ほぼ自作してます。女性隊員(ってわかるかなあ?)は紙でコロコロのレジンフィギュアをちょっと改造して使おうとしたんですが、ぐりぐりやってるうちにどんどん手が加わって、結局胴体と足の一部分以外の、ヘッドや装備などほぼスクラッチになってしまいました。

戦車長ですが、61式といえば「戦国自衛隊」。戦国自衛隊といえば千葉先生。ということでヒゲに赤いマフラー、グリースガン(マガジンはテープで2本に。コッキングハンドルをわざわざ付けてM3にしてるのが我ながらゲーコマだ、、。)で決めてみました。でも、名札の姓は「大友」にしました(笑)

この61式やフィギュアなど、製作途中写真含め、個人的に紹介してもいいとのことなので(ありがたいことです)、また機会をみてこのブログでもUPしたいです。ただ、どれもちょっと手直ししたいのでいつになるかは未定です。

誌面のタイル製作法の説明で「床部分は作りなおした」とありましたが完成形が写ってなかったです。ゲラをちゃんと見ず書いた私のポカですね。すいません。完成形はこんな感じ。こういうタイル、ほんともうなくなっちゃいましたねえ、、。
タイルの製作方は誌面に載ってます。こういうの作るのほんと楽しいですねえ、、。このほか誌面では建物などストラクチャーの製作法を紹介してくれています。

今回、個人的にヒットだったのが象の滑り台。これも作ってて楽しかったです。
うう、かわゆい、、(自分で言うな)

資料にした本などはあれこれあるのですが、特に大事だったのがこれら。左上から「タミヤニュースVol205(1988)」「戦う自衛隊」(山下純二・立風書房)「BATTLE  OVER(バトルオーバー) 北海道」(小林源文・日本出版社)「陸自戦車をつくる!」(イカロス出版)です。
タミヤニュースは、当時61式に現役で乗っていた隊員の方が、荷物の積み方などを図入りで詳しく紹介されてて、メチャ参考になりました。「バトルオーバー」は言うまでもなく大傑作。世界観、雰囲気などずっと影響を受けてます。現在は、小林氏の個人ブランドで新装版が発売されてます。「戦う」は児童書ながら凄い内容で勉強になりました。「陸自戦車」には、元陸自1佐(機甲)の葛原和三氏が、61式の迷彩研究について多くの当時の写真入りで詳しく解説されており、実に貴重な資料となっています。その他、73式の実車写真もありかなり助かりました。

タミヤニュースは「いつかこういう61作ろう」と思って、この号だけ無くさないようずっと別にとってあったんですよ。なんちゅう気が長い話なんや、、。それにしても、この記事を書かれた隊員の方には感謝ですね。こういう情報はまあ出てこないですからねえ、、。

「陸自戦車をつくる!」には拙作も載ってます。ご覧の通り、今回同様のシチュエーションです。時代はちょっと戻って1950年代が舞台です。
イージーエイトはアスカ製です。私はこんな感じで、日本を舞台にしたIF設定のジオラマをずっと作ってます。ちょうどいいので(?)いくつか紹介してみます。以下含め、写真は全て私が撮ったものです。誌面には載ってません。

こちらは月刊ホビージャパン2017年11月号作例の、60式自走無反動砲(ファインモールド)のビネット。
お気づきでしょうけど、今回のとちょっとかぶってます。っていうかアイデアの流用が多い(笑)。まあでも、これを作って「次はああしようこうしよう」と思うようになったんですね。

さらに時代が戻って、こちらは太平洋戦争での日本本土決戦。三式中戦車長砲身型(ファインモールド)です。ホビージャパン2010年6月号作例。

これはブログで単独エントリーとして紹介してますので、よろしければご覧下さい(最後に貼ってるインデックス内にあります)。

最後です。これも日本本土決戦。月刊アーマーモデリング2015年4月号掲載。時代は違いますが、今回はこれを作るときに培ったノウハウを生かしつつ、当時できなかったことをあれコレやってみたんです。なんというか、自分の中では姉妹編みたいな感じです。
これ作る時、死ぬかと思ったんですけど(笑)、今回も死ぬかと思ったので(笑)そういう意味でもよく似ています。

以上の作品はどれも書籍に載ってますので、よかったらバックナンバーをご覧になってみて下さい。これらだけじゃなくて、他にもいくつか作ってます。単独の作品紹介としてUPしてないのも多々あって、またそのうち紹介したいです。

で、最後にひとこと。誤解されると困るのですが私は別に「日本がこうなってほしい」とか思ってこういうのを作っているわけではありません。念の為。そういう剣呑な思想とは全然違う、あれこれを自分なりに考えながら作っています。もし、そういう自分の想いが何か少しでも伝わったらいいなあ、と思いながらやってます。

でも、なんでもそうなんでしょうけど、モノを通じて、それを作った人の気持ちを受け手の人に届かせるということはメチャクチャ難しいことだと思います。そういうものがいつか作れるように頑張っていきたいなあ、と。

というわけでお終いです。ほんとにぜひ誌面をご覧になって下さい。っていうか買ってください!(ぶっちゃけたな)。そして、感想などあれば送っていただけると嬉しいです。あ、批判するときは言葉を選んで、お手柔らかにお願いします。っていうかそういうのは送らないで下さい(笑)

メアドはmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comです。ツイッター、FBも「松本森男」でやってますので、コメントしてくれるのも嬉しいです。

それでは。最後に関連リンクはっておきます。興味がありましたら覗いてみてください。

AFV作品のインデックス内に、今回の三式長砲身などの作品紹介を載せています。

「戦う自衛隊」「バトルオーバー北海道」についてはこちらで紹介してます。

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森男のエポパテ万歳!

2021年07月04日 | 模型の話題
というわけで、復活しました。長期間お休みして申し訳ありませんでした。なんとか通常状態に復帰することができました。

今回は、エポパテの私の使い方をいくつか紹介したいと思います。使用法は模型誌などで多々紹介されてますけど、多分人それぞれがちょっとずつアレンジしてるんじゃないかな、と。私の場合はどんな感じなのかを今回少し紹介してみよう、という趣旨なわけです。

エポパテというと、キットの隙間を埋める、フィギュアや小物の造型をする、などの用途が一般的です。このほか、薄い布状のものの表現にもよく使われてますね。今回はその布表現の私のやり方を紹介してみます。

使うエポパテはタミヤの速硬化タイプ。上の写真のですね。このパテはほんと使いやすいです。硬化前の柔らかさは絶妙で、かつ硬化後の硬さもちょうどよく、削りやすいです。私はこれしか使ってないです。また、いつでもどこでも手に入る、というのも最高ですね。消耗品って、こういう点もとても大事です。いくら凄い素材でもいざという時入手難だったりすると、困りますからねえ。でも、このパテは間違いなく手に入ります。しかも安い!貧乏かつ補給をあてにしない(できない)日本軍モデラー必携であります(笑)

さてそれでは本題です。まず、練ったエポパテを筆の柄などで薄く延ばします。土台は100均の麺棒のケース。丸いので延ばす時ぐるっと回しやすいんですね。スチロールプラや金属缶だと、剥がしにくいのでポリエチレンなどの素材がよいです。
このとき、ケースにはメンソレータムをあらかじめ塗っておきます。メンタムは離型剤の役割です。塗ってないと、パテをはがすときケースに張りつきやすくなります。あ、もちろんパテを練る時もメンタムを練り込んどきます。メンタムでなくてもいいんですけど、これまた入手しやすさなどから私はずっとこれです。目安はベタベタしない程度、ですね。

柄をグルグルと回していくと、パテはどんどん薄くなります。
この写真のように、向うが透けるくらいです。透かしてみて、光の透過具合で伸ばしムラがないかどうか確認します。この写真だとまだちょっといまいちですね。こういう確認のために、透明の土台がいいわけです。

練った直後のパテはベトベトなので、少し置いて硬化し始めるのを待ちます。1時間から2時間の間くらいです。この時間は、パテの白と黄色の混合比などによって差があるようなのであくまで目安です。この辺はもう経験を重ねて「これくらいならOK」な状態を各自でつかむしかないですね。

で、「OKな感じ」になったらカッターで必要分を切り出します。
このタイミングですと、パテは完全硬化しておらずへにゃへにゃです。でも、切り出した形の状態は維持していますし、はがしても伸びたりしません。でも、時間がちょっと早いと伸びてしまったり、やぶれたりします。この辺の按配が難しいところ。

で、これを、例えば戦車の上に乗っけるわけです。

乗っけてから、ピンセットや楊枝などでグネグネまげたりして布が折れたような感じにしていきます。
先にも書きましたが、この辺の按配はもう何度も何度もやってみるしかありません。でも、何度かやってみたら大体はコツをつかめるんじゃないかと思います。実際、そんな難しいことじゃないです。

硬化時間によっては、ピンセットで端をちみきって(方言。つまみ切る、の意)ちぎれたり破れたりした表現も簡単にできます。
布表現としては、エポパテは一番効果的な手法じゃないかと思います。簡単に布っぽいものができるので、やってて楽しいです。で、練るのにメンタムを使ってるので、塗装する際は脱脂しないとアカンらしいです。

しかし、私はそのまま塗装(ラッカー)しちゃってます。でもこれまでそのせいで塗装がはがれたりして難儀した記憶はありません。しかし私は細かいことは気にしない山賊モデラーでもあるので、そのまま信用しない方がいいかもです。ちょっと剥がれやすいけど気付いていない可能性もあります(山賊なので)。この辺は、皆さんの方で各自把握してみてください。

さて、エポパテの特性の一つに「硬化前後で形状が変わらない」というものがあります。要するに、固まる前の形を維持する、ということです。

その特性を、布表現でも利用してみましょう(お、なんか教育番組みたい(笑))

考え方としては、何らかの型状のものになじませれば、硬化後その形状にならったものが出来るわけです。このように、型を板鉛で波状にして、硬化前のパテシートを載せると、自重ではんなりと勝手に板鉛の形状になってくれます。
馴染みが悪いところがあれば、爪楊枝などで調整します。この状態で置いといて硬化したら、はためいているような布ができるわけです。もちろん、板鉛にもメンタムを塗っておきます。

で、これを見て「いや、じゃあ板鉛でもこういう布表現できるじゃん。エポパテで作る意味ないじゃん!」というヤカラがいるかもです。「じゃんじゃんうるせぇよ、お前」ですが、その通り(笑) 板鉛は板鉛でそういう表現に向いてます。

しかし、板鉛は凄く柔らかく、ちょっと触れるだけで変形します。塗装はできますが、はがれやすいです。瞬着で接着はできますが、これまたはがれやすいです。そして、普通手に入る釣り用のものだと幅が狭くて、旗など大きい布の表現は難しいです(継ぎ足せばできるでしょうけど、メンドクサすぎる、、)。

エポパテだと、上記の板鉛の欠点がありません。もちろん強度はないので、手でパリパリと折れます。でも、板鉛ほどの弱さはないです。同条件のレジンくらいの感じですので、模型用としては問題ないです。

また、結構限界まで薄くすることもできます。この写真くらいだと、多分板鉛の厚みの半分くらいじゃないかな、と。
でも薄くしすぎて、貼り付けるときに気泡が入り込んで追い出すのに苦労しました(笑)

まあ、板鉛ももちろん使いやすい素材ですので、作るものに応じて使い分ければいいんじゃないかと思います。

硬化後、板鉛の型から外したのがこれ。外す時割れることもありますので、慎重に。型が板鉛の場合は板鉛のほうをグネグネ曲げられますので、はがすのは簡単です。
先に書いたとおり、それぞれ板鉛の形状をコピーできています。

薄さもこんな感じ。計ると、左が0.2、右が0.1ミリくらいでした。右の一番薄いところだと0.05ミリくらい。かなり薄いですね。
布の厚みは、もちろん種類によって違いますけど、厚めの帆布で実物は1ミリ程度。それが1/35になると、えーと、えーと、(電卓叩く)、0.02ミリ。0.02ミリですよ!!オカモトかよ!という。例えば旗とかを表現するには0.1ミリでも厚いくらい(現物だと3.5ミリ。これは電卓なしですぐ計算できたゾ!)なんですよね。3.5ミリだと、トラックの幌でも厚いくらいかもですよね。

とはいえ、正確な縮尺が正解かというとそうじゃなくて、私は詰まるところは「模型はそれっぽさ」だと思ってます。スクラッチあるあるですが、正確に縮尺すると、小さいものはほんとに小さくなっちゃってわけ分からんごたるになることが多いです。例えば鉛筆とか、ほんとに正確に縮小すると、鉛筆に見えなくなっちゃうんですよ。8角形の鉛筆の実物は直径7ミリですが、35だと0.2ミリですからね。正確に再現したらただの「線」です。鉛筆を表現しようとして先が尖ってたりするような造型をしたとしても、肉眼ではほぼわからない。

今は、カメラの性能がもの凄くて、かなり小さいものでも細かく撮影できるようになってます。なので、正確なスケールで作って、写真で撮って「ここまで細かく再現!」ということをアピるのを念頭に置くことも当然アリです。

しかし、模型って実は展示会などで現物を生で見てもらうことも多いし、私はどっちかというとそっちを念頭に置いて作ってます。これは個人的な考えなんですけど、やっぱ現物を観る人の目線でつくりたいなあ、と。そもそも作ってるときも自分の目で見てるわけですからね。そのつもりで作った鉛筆が、正確な縮尺だとお土産屋の鈴とかが付いてる特大鉛筆(ありましたよね(笑))だったとしても、現物のジオラマを見た人がすぐ「あ、これ鉛筆だ」と気付いてもらえるようなものにしたいなあ、と。そういう風に考えてます。

でもこれもケースバイケースで、例えば手に持つ拳銃とかはきちんとした縮尺で作ったほうがいいし、でも小型拳銃だとちょっと大きめの方がいいのかな?とか結局は作り手の好みとかさじ加減なんですよね。難しいところです。

あ、話がずれちゃった。すいません。

布の応用として、銃のスリングもエポパテで作るとイイ感じです。
先の、麺棒ケースに延ばした状態で帯状に切り取って、銃に貼り付けます。これまた、自重でダラーンとなりますのでその特性を利用してやるとイイ感じになります。金具の類は、スリングが硬化したあとで、付け足すように造型するとやりやすいです。

これまた、先の応用で硬化前に形を決めることもできます。こんな風に土嚢的なものの上に据えた状態にしたい場合、硬化前にその上に置いておくとその形状になってくれます。
布同様、これらも板鉛でも作れます。場合によっては板鉛の方がいい場合も多々ありますね。まあこれも要はケースバイケース、ですね。ちなみにスリング取り付け位置や金具の形状は、今回のためにテキトーにやってるので正確かどうかわかりません。念のため。

布の応用として、もちろん布を使った衣服の再現も可能です。これは着物です。ホビージャパンのケヌの作例の、本土決戦ジオラマの小道具として作りました。
ここまでの流れで見ると、これまでの応用であることがお分かりになるかと。

これが造型が終わった状態。薄いパテを筒状にしたもので構成してます。これを、上の位置に置いてなじませるわけです。
硬化のころあいを見ながら、折ったり畳んだり皺をつけたりしていくのですが、そのタイミングを見極めるのがなかなか難しいです。しかも造型が可能な時間が決められたタイムアタックという。私はドランクモデラーでもありますので、こういう状態のまま忘れて寝ちゃって起きたら「パテカッチカチ」ということは多々あります。困ったものです、、。

というわけで私は日本軍&山賊&ドランクモデラーなんですね。山賊になった酔っ払いの日本兵が峠で獲物を待ちながら模型を作ってるわけです。ううむ、、、。ある意味幸せそうだけど、友達はひとりもいないんだろうな、、、。

閑話休題。なんであれ、頑張ったものがそれなりにできると嬉しいものです。しかしこの着物は久しぶりに見たのですが、今見るとちっと厳しい気もします。まあなんでもそうですけど、その時で全力を尽くすということは変わりませんので、次作る時はもっといいものができればいいなあ、と。
エポパテはほんといろんなものが作れる可能性のある素材なので、もっともっと追求してみたいなあと思ってます。

これはパテの話とはずれますけど、こういう原色系の小道具はジオラマの中でとても目を引きますので、意識的に配置するというのはとても効果的だな、と思います。
見る方の視線を誘導できる(はず)ので、ジオラマ全体の構成を決める際に、ある程度小道具の配置を考慮しておいてもいいかと思います。

おっと、また話がそれました。

最後におまけ。エポパテを練る時、白と黄色の混合比が気になる人も多いんじゃないでしょうか。私もずっと気になってたので実験してみました。
上が黄2、白1、下が黄1、白2です(もちろん通常は1:1)。念の為2回作りました。

結論から言うと、白2はカチカチに固まり、黄2は柔らかい感じです。しかし、ナイフは通りますので造形物としては多分成り立つレベル。なので、完全硬化させたい人は、こころもち白多め(1:1.2くらい?)で練るといいんじゃないかと。

どちらも硬化不良という感じではありません。なので硬化不良は混合比よりも練るのが足りないというのが原因だろうと思われます。この実験後、白を多めにして「いつもより多く練ってます」を心がけてますが、硬化後の不具合は一切ありません。

この辺、あくまで私の個人的な実験ではありますが、何らかの参照になれば幸いです。

というわけでお終いです。コツについてはアレコレ書きましたが、最後に大事なコツ、というか心構えを。それは「とにかく1回やってみる」「やってみてうまくいかなかったら何でダメだったのか考える」「2回目はそれを加味しながらやってみる」「それでダメならやめてもいいけど、ほんとにやってみたいことなら途中でやめない」ということですね。なんでもそうですが「やるとやらんは大違い」ですほんと、、。なんか偉そうですいませんが、自戒を込めて(わかってるけどまあいつも忘れる。ドランクなので、、)あえて書いてみました。

で、エポパテの造型はほんと面白いし、このほかにもいろいろやってますのでまた紹介したいなと思ってます。

それでは。

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森男の模型知恵袋

2020年12月12日 | 模型の話題
モデラーの方ならよくよくご存知でしょうが、模型・プラモデルを作るのは実に実に面倒くさくて鬱陶しいです。作ってる最中は「オレは何でこんなことやってるんだろ、、」と何百回も自問自答するという、とても変で困った趣味であります。

面倒臭いことが好きな人はまあいないと思います。もちろん、私も大嫌いです。しかし、プラモは好きだし作りたい(どないやねん)。なので、少しでもそういうネガティブな要素を減らせば、より模型を楽しく作ることができるのではないか?と考え、常々ちまちまと工夫しております。

今回はその工夫・アイデアをいくつか紹介したいと思います。もちろん、すでに誰かが考えて定番となってて「いまさら?」と思われることもあるかもです。まあでも、こういうのって知ってる人は知ってるし、知らない人は知らないものです(当たり前)。で、もしまだ知らない人がこれを読んで、ちょっとでもお役に立てれば嬉しいなあと思っております。というわけでスタート!

●ランナーに番号を張ると楽っすよ

昔と違って、最近のキットはとても精密になったのはいいのですが、それに比例してランナーの数も増えました。例えば戦車のフルインテリアキットとなるとかなりの枚数になります。組み立てながら、該当するランナーをいちいち探すのはほんとに大変です。

そこで、組み立て前に全部のランナーに印を付けると分かりやすいです。
これはミニアートのM3リーのフルインテリアキットのランナー。見ての通り「A」や「F」の一文字では処理しきれず「Dn」とか「Jc」とか2文字ランナーがてんこ盛りの「殺す気か!」キット(笑)

印は、自分がわかりやすければ何でもよいです。私はマスキングテープにマジックで記号を書いています。とはいえランナーを探す手間が一切なくなる、というわけではないのですが、見つけるまでの時間は確実に短くなります。それはとても大事です。完成までの両者の時間差はかなりのものになるんじゃないでしょうか。

また、探すという行為はストレスを感じるものですから、そういう時間が長くなればなるほどイライラは高まりますし、作る気持ちも段々萎えてきます。そういうマイナスな感情を少しでも減らす、というのは大事だと思います。

で、これはもうすでに定番となってますね。でもやったことのない人も多いのでは。ちょっとの手間ですがほんと楽ですよ。

●塗料の表を目の前に張っとくといいぞ

組み立て説明書の、各パーツの色指定をまとめて目の前に張っておくと便利です。これもM3リーのです。
メーカーによって異なりますが、特に海外メーカーのプラモは説明書の最初か最後に使用する塗料の表があって、組み立て説明の中では番号のみで記されてます。なので、組み立て中に各部の指定色を知りたければその表をいちいち見ないとアカンわけです。

各工程に進むたびに「②は何色だったっけ?⑥は?」と説明書をばさばさめくる、というのはほんとイライラしますよね。なので、こういう風に一まとめにしてすぐ見えるところに張っておくとよいわけです。

これも、先のランナーの目印と同じことですね。要は「『行って戻って』を繰り返すロスとストレス」を出来るだけ減らそう、ということです。ランナーの目印同様「こんなことすること自体面倒だ」と思われるかもですが、これらを最初にやっとくだけで、後々楽になりますよほんと。

●木工ボンド最強伝説

木工ボンドは、ほんといろいろな使い道があって重宝してます。ジオラマを作る場合なら特に、これがないと作れないほどですよね。

また、あちこちで書かれていることですが、案外プラと相性が良いです。エッチングなど金属パーツに対しても同様です。完全固定はできないのですが、逆にその点を逆手にとると利用範囲が広がります。

例えば透明パーツの固定には有効です。プラ用接着剤を使う場合、はみ出したりしたら一発でアウトですが、木工ボンドだと何度でもやり直しができます。やってみると分かるのですが、思ってるよりは強く張り付きます。「ほんとかな?」と思う人は一度試してみて下さい。

例えばこのM26A1の窓(透明プラ板)も木工ボンドで着けてます。キャビン本体はレジン、窓枠はエッチングなので、付けるとしたら瞬着かエポキシ系の接着剤くらいしかありません。どっちもはみ出したらアウトの一発勝負なので、男らしく木工ボンドでやってみました。

これ、もう15年くらい前の作品ですが、今でもちゃんと付いてます。要は、剥がそうとしたら剥がれるけど、剥がそうとしなければ剥がれないんですね(当たり前)。しかし、パーツの形状、接着面積などによっては使えたり使えなかったりしますし、少量だとすぐ剥がれることもあるので、いろいろトライしてその辺の按配を掴むのが大事ですね。

あと、この特性を利用して仮組みでも重宝してます。
とりあえず全体の形状を見たいときの仮組みにはとてもいいです。飛行機だと特に、操縦席など内部を完成させないと本体が組めないので、この方法は便利です。マスキングテープでもいいのですが、テープだとその色のせいで全体形が把握しずらく、かつ張ったり剥がしたりするのが面倒です。また、脚など小パーツの固定は無理です。木工ボンドだと、実際に接着したようなものが仮に作れるわけです。もちろん、仮接着時はテープなどで固定する必要があるし、乾燥までちょっと時間がかかりますが、速乾型だと案外すぐ付きます。

木工ボンドの一番いいのは、安くてどこでも売ってる、という点(笑)こういの、ほんと大事です。いくらいい道具や材料でも、高くて手に入れにくかったらそれだけでマイナスポイントになりますからね。「トータル」が大事だと思います。

●エコじゃないけどエコ(多分)

弁当用のおかず入れのアルミのアレ(カップとか皿とか、いろいろ呼ばれてます。正式名称はないのかな、、)を利用した塗料皿です。
塗料皿って、洗うのがとても面倒ですよね。塗料が乾燥しきってしまうと、なかなか落ちません。こういうのどうにかならんかなあ、と考えてて、絵画用の使い捨てパレットを見て思いつきました。

実にビンボ臭いのですが(笑)、これ以外と便利です。通常の塗料皿は、当たり前ですが洗浄用の溶剤が要りますし、もちろん洗う手間もかかります。これだと、溶剤も洗う手間もゼロ!捨てるだけです。

エコじゃないんですけど、でもまあちょっとのことですし、そもそも洗う溶剤が要らないという点ではエコでしょう(そうか?)

フィギュアや小物など、少量の多色を同時に塗るときは特に重宝します。仕切りが少ないので、隣の色と混ざりそうですけど、少量なら大丈夫です。もちろん、スミ入れなどシャバシャバの塗料を使う場合は使いにくいですけどね。とはいえ、スミ入れでもウォッシングでも基本単色なので、円の半分を全部使うつもりでやれば案外使えます。

これが下の台。適当な板で自作しました。縁と2分割用の出っ張りをつけてます。縁がないと塗料がこぼれます(当たり前)。
皿の下の台は、高さをつけるのと重りにするためです。ある程度重くないと、塗料を混ぜるときに皿が動くのでここ大事です。

アルミカップの大きさが基準となるので、丸型が面積をフルに活用できますが、面積内なら四角型にすることも可能です。左がそれ。
要するに、アルミがかぶされば何でもいいので例えばプリングルスの蓋とか身近な素材でいくらでも自作できます。自作だと、好みに応じて自由にカスタムできるのがいいですね。

もちろん、アルミホイルを切って使うのもOKと思います。でもそれだと事前に必要な大きさに切り出さないとアカンので、やる気がそがれてプラマイゼロかも(笑)

●すぐ出せるのでストレスレス

私はエポパテを多用するのですが、ご存知の通りエポパテはまず箱から出して、それぞれのパテを等量切って、練って、と実に鬱陶しい。もっとパパッとできんものか、と思って考えたのがこれ。エポパテケースです。
要は、この箱を開けたらすぐ取り出せるようにしているわけです。左はメンソレータム。練るときにこれを混ぜるとベタベタしないのはご存知ですね。パテのビニールは全部はがしてくるっと丸めてます。ビニールがなくても変質はしません。

こうすることで、蓋を開けて必要量をちょっとつまんで練ることができるわけです。「パテ使いたいけど、練るの面倒だなあ、、」と思って手が止まってしまうのを出来るだけ無くしたかったのですね。やってみると、想像以上にかなり気軽にパテを練ることができるようになりました。いやほんと。

箱は、100均で売ってたもの。形状材質に関係なく、蓋がすぐ開け閉めできるものなら何でもいいです。
蓋はとても大事です。パテがむき出しだと、当然ながらゴミや埃が付きまくります。実は、この蓋付きの前、むき出して置いて使ってたのですがすぐガビガビニなってしまいました(笑)そういう失敗を経てこういう形に落ち着いたわけです。

ちなみに、パテを練るときには主剤と硬化剤をそれぞれ団子状にすると等量にしやすいです。
量が多いときは、それほど神経質にならなくてもいいのですが、少量だとちょっとの差で硬化不良が起きるような気がします(細かく検証したわけじゃなくて、なんとなく、ですが、、)。団子状にするようになってから、その辺はかなり解消されました。


●偉いぞ凄いぞ浦和工業

浦和工業のマイクログラインダーHD10は、とても軽量で使いやすいモーターツールです。もう10年以上愛用しています。直しなおし使ってるので、ミイラみたいになってるのはご容赦を(笑)
安いので(2000円くらい)新しいの買えばいいんでしょうけど、外見はともかく基本機能は全然問題ないので、ずっと使ってます。ほんと凄いと思います。電源も単三電池2本と手軽で、軽くて使いやすいです。モーターツールを持ってない人は、入門用にまずこれを買ってみたらいいと思いますよ。

このモーターツールのチャックは単純な差込式で、すぐビットが交換できるのがよいです。かといって緩むこともないという優れもの。で、このチャック、市販の麺棒の軸がピッタシなんですね。
ある日、何気なくやってみたらジャストフィットでびっくり。ゆるくもなくきつくもなく、絶妙です。麺棒を適当なところで切って、差し込んだら使い捨てのバフになるんですね。飛行機キットのキャノピーとか、トイガンの金属パーツの研磨とかに活用してます。ちょっとダメになったらすぐ変えられるのもいいです。

コンパウンドが付けやすいのもいいです。口に押し込んでやるだけ。もちろん手で塗りこんでもOK。
ただし、回転直後は飛び散るので、最初は袋とか筒(トイレットペーパーの芯など)に差し込んでスイッチを入れて下さい。そうしないと、ほんと大変が起きますですよ。わたしゃ知りませんよ(笑)

このモーターツールは持ってる人多いかと思います。お持ちの方は一度試しにやってみて下さい。ほんと便利ですよ。

●紙コップは使い倒せるゾ

これまた使い捨てアイテムですが、紙コップも実に便利です。筆の塗料を洗う、エアブラシ用の塗料を希釈する、切り出したパーツをとりあえず入れておく、などなど用途がたくさんあります。値段も安いし、いくらでも変えがきくのもいいです。
紙コップというと、レギュラーサイズ(珈琲の自販機とかのやつ)のイメージが強いですが、模型用としてはミニサイズがとても便利です。レギュラーだと大きすぎて、例えば少量の塗料を希釈するのが難しかったり溶剤を必要以上に入れてしまったりするんですね。このサイズだと加減がやりよいです。また、机の上に並べても場所をとらないのもよいです。

右の白いカップは、アイスクリーム(エッセルスーパーカップのミニ。箱に6個入ってるやつ)のものです。これ好きでよく食べてるんですが、よくよく見るとこの容器、メチャ上等です。プラの質も高く、大きさもいい感じ。気付いてからは捨てずに取っておくようにしました。いろいろと使えそうです。こういう風に身近に使えるものって意外とあるので、常に意識的に周りを見るのも大事だなあと思います。

●釣りはせえへんけど、、。

釣り用の板鉛・糸鉛はほんといろいろ使えます。板鉛は、銃のスリングや兵士のベルトなど帯状の物体の表現に最適です。糸鉛は、エンジンのパイピングなどにとても便利です。何より安い(ひと巻きせいぜい数百円程度)ので重宝してます。
釣りはしないので、釣具屋さんに行くといろいろ珍しくて、何も分からないのにルアーを「ほぉー」などと眺めたりとかウロウロしてしまいますね(笑)それにしても、鉛だけまとめて買っていく(しかも釣りに詳しそうではない)客というのは、向うからしたら変でしょうねえ。

鉛は、強度はないですが逆にとても加工・変形させやすく、その特性を理解していれば結構幅広く活用できます。

これはリベットを作るビーディングツール。普通プラを打ち抜くものですが、鉛でも全然OKです。っていうか、プラより打ち抜きやすいかも。また、鉛は柔らかいのでデザインナイフの先が綺麗に刺さり、持ち上げるのが簡単です。
プラだとこの状態で「ポロッ」とこぼれることが多いんですよね。かといって強く刺すと割れたりしますし。なので鉛でリベットを作るようになってから、プラは使わなくなってしまいましたね。

糸鉛は、パイピング以外にもいろいろ使えます。この「MAZDA」のエンブレムは糸鉛です。文字の形に曲げて接着してから、押しつぶして整形しています。柔らかいからこういうことができるんですね。

つなぎ目も、デザインナイフの先でグリグリなでてやれば埋まってくれます。いやほんと、便利な素材です。

あと最近1/35のトタンが欲しいなあ、と思ってあれこれ考えてて、編み出したのがこれ。クレオスのビンの蓋の側面に板鉛を置いて、
もう一個の蓋を押し当てて、歯車みたいにグルグルーッと回します。
するとアラ不思議!トタン板が!
きちんと型が付くまで歯車を何度も回してやる必要がありますが、実に簡単かつ精密にできます。

ただもちろん建築用のトタンとしては幅が全然足りません。まあでも、私が欲しいサイズとしてはびっくりするくらいピッタリだったのでOK!(笑)建築用のトタンも、これの応用で歯車を自作できればなんとか作れるかもしれません。


とまあ、いろいろあれこれ書いてきましたがこれでお終いです。言われなくてもわかっていますが、どれも基本的にビンボ臭いですね(笑)でもまあ、お金をかけずにアレコレ工夫して、いいものができると嬉しいじゃないですか。そういう基本方針のもと、いろいろ知恵を絞ってます。

また、私は地方在住なので、都会に比べると入手できる道具や素材の選択肢は非常に限られています。通販はできますが、例えば使ったことの無い新素材を(しかも高価な)あれもこれもと買うことは心理的にも金銭的にもちょっと抵抗があります。買ってみてやっぱ使えないなあ、となるとほんと無駄ですからねえ、、、。もし何かを気に入ったとしても、補充も大変です。また、これは地方都会関係なく、いくら効果的で便利な素材でも、いつ絶版ないし入手難になるかわかりません。これも結構怖いですね。「アレがないからコレができない」という事態は出来るだけ避けたいですよね。

なので、まず身近でいつでも手に入るものを活用することを念頭に置いて考える方がいいのかな、と。自給自足モデリングというか、補給をあてにしない(っていうか補給があてにならない)日本軍モデリングといいますか(笑) まあ私は日本軍が好きなのでちょうどいいかなあ、と(なんか違う気が、、)

そして、これは大事なことですが、これらのアイデアってほぼ「面倒臭い」「億劫」「鬱陶しい」というネガティブな気持ちから生まれたものです。そういう気持ちって、普段何気なく感じてることで、なかなか表層に現れてきません。「この作業面倒くさいなあ」と意識できないと対策を考えることは不可能です。なので、そういう風に感じることはチャンスでもあるんですね。問題が可視化されてはじめてアイデアを考えるスタート地点に立てる、といいますか、、。

まあ、なんであれ今後もあれこれ工夫しながら知恵を絞っていいものを作っていければいいなと思ってます。最初にも書きましたが、今回紹介したことが、少しでもどなたかのお役に立てたとしたらとても嬉しいです。またネタが溜まったら、第二弾をやりたいですね。

※最後に2件お知らせです。

●来春の中四国AFVの会は中止になりました。
当ブログでも再々告知していた、来年4月松江にて開催予定だった中四国AFVの会は、コロナが依然沈静化の見込みが立たないため、中止となりました。非常に、非常に残念ですが、仕方ないですね、、。

また、再来年の開催については現在未定です。実行委から新しい情報が入り次第、お知らせしたいと思います。

●ギャラリーソラトさんの展示会に参加します。
今年私の絵を展示してくださった京都市の「ギャラリーソラト」さんが、今年の総決算的展示会「ソラト藝術考2020」を開催します。会期は12月22-27日です。私も2点出品します。興味のある方はぜひご来場下さい。出品するのは、以前「イラスト集」でも紹介したこの2点です。右の絵(「世界の終わり」)は、原画を展示します。また両方とも複製画を何点か販売してもらいます(一枚500円。通販可)。さっき発送準備が終わったところです。売れるといいな、、。

開場時間、アクセスなど詳細はこちらのギャラリーブログ↓からどうぞ。展示の様子は、開催日の直後こちらのブログにてレポートされると思いますので、ぜひご覧になってみて下さい。

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南部十四年式拳銃と私(その2・完)

2020年09月06日 | 模型の話題
(前回までのあらすじ)じいちゃんの影響で南部十四年式拳銃が大好きになってしまった森男少年。しかし、満足なトイガンとして手に入る十四年式はなかった。果たして「南部十四年式が欲しい!」と煩悶する日々が続く森男少年に救いの手は差し伸べられるのか、、。

というわけで続きです、、とその前にちょっと前回の補足を。じいちゃんが「十四年式の撃針がよく折れて困った」と話していたと書きました。また、これは十四年式の欠点として知られていて、ホルスターにも予備撃針を入れるポケットが付いてます、とも書きました。

UPした翌週、いつも拙ブログを読んでくださっているという、米在住の日本軍銃器のコレクターの方(以下便宜上X氏と呼びます)から「前回のブログ読みました」とメールが。十四年式についていろいろと教えてくださいました。
X氏は、ときどきメールを下さって、日本軍の銃の貴重な写真を送ってくれたり、私の間抜けな質問に答えてくれたりします。本当に助かっております。

X氏はコレクションするだけでなく、射撃もされています。コレクター歴は30年以上で、コレクションも写真を拝見しましたがまあ凄いです。例えば、十四年式(写真を見るとオリジナルホルスターやランヤード付がごろごろ)だけでなく九九・九七式狙撃銃(写真だけで合わせて10数丁!)、四四式騎銃(同15丁!)、三十五年式海軍銃、南部式甲型と伸縮式ストックのセット(当然乙型も小型もある)などなどを「普通に」お持ちだといえばどれくらい凄いか、詳しい方ほどお分かりになるかと。そこで、この撃針のことを聞いてみました。「射撃中に十四年式の撃針が折れたことはありますか?」と。

結論から言うと「1度もなかった」とのこと。X氏はじめ、コレクター仲間で30年以上にわたり、トータルで3000発以上は撃ったそうです。単一の銃ではなく、複数での結果です。程度のよい前期型はあまり撃たず(まあそうですよね)、射撃するのは主に昭和18-19年製造の後期型だったとのこと。複数の銃であるとはいえ、製造から結構な年数が経っていることを加味すると、じいちゃんの言ってたように「よく折れた」という話は「ほんとかな?」とも思ってしまいます。ひょっとするとじいちゃんのはかなり程度の悪い末期型だったんじゃないかなあ、と。

しかし、じいちゃんがウソを付いたというわけでもないと思うのです。ホルスターに予備撃針のポケットが付いている、というのはやはり「折れる」ことがあったからで、じいちゃんの話を裏付けています。しかしそれが「よく」なのか「ときどき」なのか「ごくたまに」では評価が少し変わってきます。とはいえ、当時の主要参戦国の制式拳銃のホルスターに予備撃針ポケットが付いているものは他にありません。この点からも「折れることがあった」と考えるべきでしょう。

とはいえ、前期のホルスターにはこのポケットはありません。中期からポケットが追加されました。時期については不明です。撃針が改良された1938年ごろではないかという気もしますし、もしそうならこの改良と撃針が折れることに何らかの関係がある可能性もある(不発の解消のため、撃針の移動距離を長くしたので、撃針にかかる衝撃が増えた)のですが、結局は推察に推察を重ねるだけになりますので、素人(X氏からすると、私なんてど素人です)の想像はこの辺にしておいた方がいいようです。

なんであれ、X氏の実証から考えると「撃針がよく折れるのが十四年式の欠点」と根拠なく喧伝することは控えた方がいいのかな?と思います。何でもそうですが、昔の出来事やモノについての評価は、どうしても根拠のない伝聞からくることも多く、その辺をきちんと踏まえた上で、例えばこういうブログを書かないとあかんのだろうな、と思います。なので、じいちゃんの話はじいちゃんの話でひとつの貴重な証言ではあるのですが、あくまで「証言」であって「十四年式の欠点」の話を補強する「証拠」ではない、と受け止めていただければと思います。ガンマニアのひとりとして、今後この辺の研究解明が進むことを期待しています。

現在の機械というのは本当に高品質で、メンテナンスフリーが基本で誰がどう使っても同じような性能を発揮しますし、それが大前提となっています。例えば自動車がそうですね。しかし、昔の機械(兵器含む)というのは、今よりも不完全で、使い手の技量や整備によって性能が120%になったり50%になったりするものだったようです。この辺の機械の時代性もほんと加味しないとあかんな、と思いますね。液冷エンジン不調が問題となった彗星を、独自の対策をとって稼働率をかなり上げた芙蓉部隊など、きちんと対応して結果を出した例もある訳ですからね。

あ、また話がずれてかつ長々と書いてしまいました。X氏には今回この件で再々の質問をして、かなりお手数をおかけしてしまいました。この場を借りてお礼申し上げます。

それでは本題です。じいちゃんから十四年式の話を聞いたのは多分小2ぐらいのころです。前回書いたように、十四年式の姿を認識したのも同時期です。しかし、銃自体に興味を持ち出したのは小3くらいのころだったかなと。ジャガーバックスに「世界拳銃図鑑」という本があって、それを買って読んだのがきっかけだったように思います。

それまで、テレビの映画で戦争映画とか西部劇を観てて、銃がカッコイイということは知っていました。でも、その銃がなんという名前でいつごろどこで作られたのか、という情報がまったくなかったのです。そういうガイドがない場合、なんの知識もないのにローマの遺跡をウロウロするようなもので、案外興味とか好奇心は高まらないんですね。

でも、その本には銃の絵や写真、名前や由来、愛用したガンマンなどの情報がたっぷり書かれていました。すると「おお、これはモーゼルミリタリーっていうんだ。あの西部劇の銃はコルトピースメーカーって名前か。カッコイイ!」などなど世界が広がって、知識欲がグワッと噴出するわけです。十四年式は載ってたかどうか記憶にないです。でもベビーナンブは載ってましたね(これはよく覚えてます)。で、残念ながらその本は処分してしまいました。また機会があれば手に入れたいんですけど、この本はまあ出てこないし、もし出てきてもジャガーバックスって今どれも高いんですよねえ、、。

当時、十四年式と並んで私の心をわしづかみにしたのがモーゼルミリタリーでした。手を伸ばせばすぐそこにある、エルエスの十四年式のプラモデルガンは、入手するのに足踏みするような状態に陥っていたのですが(前回参照)、モーゼルは違いました。当時、すでにマルシンとマルイのモーゼルM712のモデルガンがあり模型店に並んでいました。

マルシンのモデルガンは当然高価で、私の選択肢としてはマルイしかなかったのです。とはいえ、確かマルシンのはキットで4900円、マルイが2900円で今からみるとそれほど価格に差があるようには思えません。しかし、子供にとっては2000円の違いはメチャクチャ大きいんですね。今から考えると、マルイの造るモデルガンシリーズが大ヒットしたのもよく分かる気がします。

マルイのキットは小3の夏休み、誕生日にもらったお小遣いを握り締め、模型店に鼻息荒く飛び込んで買いました。
このキットについては、以前書いたのでよろしければお読み下さい。
「モーゼルM712 東京マルイ 1/1 製作記 (その1)」

あ、で、このエントリー、ずっと(その2)を書かないままになってて申し訳ないです。実は「作った以上発火させないとアカンやろ」と思ってアレコレ準備してたんですが、いざとなると躊躇してしまったり準備が整わなかったりでヘタレたままになっております。撃つなら動画撮りたいよなあ、でも機材がないよなあ、とか。でもそのうちちゃんとリポートするつもりはつもりですので、今しばらくお待ち下さい。

というわけで、モーゼルはめでたく手にできた私でした。残念ながら年齢的・技術的に完全なものには出来なかったのですが、まあそれでも1/1の拳銃のモデルガンを手にした喜びは筆舌に尽くしがたく、私のガンマニア歴はここから始まったといっても過言ではありません。

で、このモーゼルの箱の横を見て、私は驚愕したのでした。なんとラインナップに「南部十四年式」が入っているではありませんか。
当然、これも発売されているだろうと思ってしまったことは言うまでもありません。子供ですので、箱に描いてある以上は必ず売っているものだと思い込んでしまうものです。しかし、店頭には並んでいませんでした。

「お店に入っていないだけなのかな?」と、以後その模型店(マルイのモデルガンを売ってるのは、当時の私の知る限りこの店だけでした。)に行くたびに、モデルガンの棚をガン見したのですが、いつまでたっても棚に十四年式が並ぶことはありませんでした。待っても待っても来ない十四年式。森男少年の心ははちきれんばかりでありました。

しかし、結論から言うと、十四年式の造るモデルガンは発売されなかったんですね。どうやら試作段階まではいったようですが、お蔵入りになったようです。あ、そういえばウィキの「造るモデルガン」の項目は非常に詳しく参考になりますので、ご覧になってみて下さい。このエントリーの多くの情報はここから得ています。

余談ですが、このマルイのキットの箱の側面の絵、ちょっと変なんですよね。M712は、よく見るとC96にセレクターを追加したような感じです。しかもセレクターは非常にぼんやりとしてます(そもそも、製品呼称のM712じゃなくてM1932だし(どちらも間違いではないです))。全体像としては、C96の固定マガジン式特有の前方下部の出っ張りとか、セフティの形状、アッパーレシーバーの溝、溝の多いグリップなどなど、明らかにC96です。ガバメントも、いわゆるクジラタイプ(マルゴー・エルエスのガバは、トリガーガードがオリジナルに比べると縦方向が狭く、その見た目から「クジラ」と呼ばれてます)です。でも、マルイのガバは、とてもきちんと再現されてます。逆に、エルエスのガバの箱絵は、普通の外観なのにキット自体はクジラなんですよね。なんなんだろこれ、、。
さらに、マルイの箱のルガーは、なぜかショートリコイルした状態で描かれてます。これもよくわかんない、、。マルイのキットをお持ちの方はご覧になってみて下さい。

でもまあなんであれ、このマルイの箱の十四年式の絵は実に魅力的です。何度も何度も見て、ため息をついてましたね。「ああ、ほんとこれ欲しいなあ、、」と。

月刊モデルグラフィックス1984年12月号(創刊2号)には、この年の「全日本プラスチックモデル見本市」のレポートが掲載されており、十四年式について触れられています。どうも、この時期の見本市には試作品が展示されていたようです。どの雑誌だったかは忘れましたが、写真付のを見た記憶があるような、、。で、MG誌の記事には「長らくお待ちかねの南部十四年式も、来年1月の発売となったらしい」とあります。文章のニュアンスとしては、発売が決定されたという風にとれます。

この号のこの記事を読んだのは、雑誌発売の2-3年後で、古本で手に入れたんですね。その頃私は小5-6年で、ほとんど十四年式のキットのことはあきらめていました。なので、この記事を読んでびっくりしたわけです。「発売されてたの?」と。しかし、店頭にはもちろんキットはないのです。でも、記事にこう書いてある以上、売っているはずだ、、。どこかに売っているはずだ、、。それは一体どこなんだ、、、。と、はたから見るとちょっと怖いくらいに執着心が再度めらめらと燃え出す森男少年なのでした。

もうひとつ、その「売っているはずだ」という根拠がありました。「こち亀」35巻にマルイの造るモデルガンの十四年式が出てくるんです。ど田舎から三八式を持った日本兵みたいな警官が派出所に来て、珍騒動を巻き起こす、という回です。

彼の拳銃は南部式甲型で(「去年までは日野式」だったとか(笑))を持ってます。彼は三八式を街中で乱射して大騒ぎになったため、両さんがとりあげ、拳銃もその代わりにこれを作れ、と渡すのが「マルイのプラモガン」でした。(このコマは私が模写したものです)
私はこれを見て「やっぱり売ってるんだ!」と確信してしまったのでした(笑)しかし、地元の模型店にないのは不可解です。それはなぜかといろいろ考えた結果「都会でしか売ってないからなんだろうなあ」という結論に(笑)

今ならネットで調べれば一発で分かることです。当時はもしちゃんと知ろうとしたかったら、マルイに直接電話するしかないわけです。でも、そんなこと小学生に出来るわけもありません。しかも電話ってあなた、自宅の固定電話(もちろんダイヤル式)しかないんですよ(笑)。マルイの営業時間内の平日の夕方、玄関に置いてある電話をかけてそんなこと聞けませんし、聞いてたら親にしばかれます(笑)。で、まあ電話までせずとも、模型店の人に聞けばいいんですけど、それすらもやっぱちょっと難しい&恥ずかしいわけです。などなど、思い返してみると、当時そういう情報を得るのは非常に難しかったんだなあと。

で、このこち亀のコマを模写していて気付いたんですが、これ実は十四年式じゃなくて南部式ですね。南部式特有のリコイルスプリングが入っている横のでっぱりとか、グリップ上端後部の凹みとかがよく見るとちゃんと描かれてます。デッサンは適当なのですが、明らかに南部式です。あー、これは気付かなかった、、。それにしても、なぜ秋本先生がここで存在しないマルイの南部式を出したのだろうという疑問はあります。例えばエルエスの十四年式で全然いいわけです。多分、秋元先生の願望がそうさせたんじゃないかと思うんですが、どんなもんでしょうね。機会があれば(あるか!)聞いてみたいところです。でも、先生自身忘れてるだろうなあ(笑)なんであれ、この回は日本軍好きにとっては傑作なのでぜひお読み下さい。「必殺!三八式全自動連発撃ち!」とかたまらんですよ(笑)

というわけで、結局南極、マルイの造るモデルガンの十四年式は幻だったわけです。ほんとうに残念ですね、、。ミリタリートイズVol.7(八重洲出版)には、東京マルイの岩澤専務のインタビューが掲載されています。それによると、大ヒットした造るモデルガンシリーズ(ウィキによると、79年から発売開始。82年まで120万個(!)も売れたとか)も、うまく組み立てられるユーザーが減り、徐々に売れなくなった旨のことを話されています。そこでメーカーで調整した完成品を発売しようということになったそうです。しかしそれはモデルガンではなくてエアガンのルガーP08でした。発売は85年の12月。モデルガンの最後の機種はS&WM586です。これが83年発売。ひょっとするとこの時期から造るモデルガンシリーズは社内的に斜陽扱いだったのかもしれません。先のMG誌の記事が84年末ですから、十四年式はちょうどモデルガンとエアガンの谷間にいたことになります。そういうタイミングを考えると、十四年式が発売されなかったのは当然だったのかも、という気もしますね。

これまた余談ですが、私はM586(4インチ)を買って作りました。素晴らしいモデルガンでしたね。小5くらいのクリスマスのころ「十四年式が売ってたらぜひ買おう!」と模型店に行ったのですが、当然ながらなくて「仕方なく」買ったのがM586でした。でも、とても気に入ってしまいました。めっちゃよく出来てましたね。今もまた作りたいんですけど、ヤフオクとかにはまあ出てこないですね。どうも、今も出回ってるのは再販品のようです。再版されたキットはごく限られている(モーゼル、ワルサー、ガバなど)とのこと。M586やオートマグ、スコープ付の各リボルバー(スコープのレンズがバッチリ入ってて、お店で箱を開けてたまらんかった記憶が)は再販されてないようです。うーん、ほんとM586欲しいなあ、、。

閑話休題(たびたびほんとすいません。っていうか、私のブログは余談でなり立ってますね(笑))私は当時、トイガンに夢中だったのでよく覚えているのですが、このころ(84-86年)は本当にモデルガンとエアガンの端境期でした。マルイだけでなく、MGCやマルシンなどのモデルガンメーカーも徐々にエアガンに移行していて、またアサヒなどエアガン専門のメーカーも次々と現れていました。そして、エアガンを使ったサバイバルゲームが大ブームになりだしたのもこのころです。私はどちらかというとモデルガン派だったので、なんとなく寂しい気持ちでそういった状況を眺めていたような記憶があります。十四年式はこの時期のトイガンの主役交代の波間に消えてしまった悲運のモデルガンだった、といえるかもしれません。

ちなみにウィキの記事には、こういう箇所もあります。「別売カートリッジの外箱裏面のラインナップ表には「TYPE F」の表示があり、“TYPE F”の名称のみで詳細は表記されていないが、銃本体の製品化予定から推測するに、南部十四年式用の8x22mm南部弾を模したものであったと推定される。 」と。

これがその別売りカートリッジです。未開封品が割りと安く出てた(2つで3000円くらい。まあまあ、ですよね?)ので買いました。

ウィキの記事の真偽は別にして、「TYPE F」の欄に、8ミリ南部弾があったかもしれない、と思うとウットリしますねえ、、。

ちなみに、このスペアカートは私は店頭で見た記憶がありません。キットとキャップ火薬は売ってたんですけどね。それにしても箱の窓からブリスターパックのカートがのぞいているこのパッケは最高ですねえ。

ミニカタログも付いてまして、P38のスペアパーツも製品化されていたことが分かります。これも当然当時は知らなかったです。P38は持ってないですが、このスペアパーツだけでも欲しいですね(笑)

で、まあ、というわけで、以後マルイの十四年式は私の中では「発売されているかもしれない」という、根拠のない希望がぼんやりと残り続ける、特別な存在になってしまったのでした。なんというか、夢に出てくるだけの、幻のあの女の子、みたいな感じですかねえ、、(遠い目)。

しかし、それはそれとして「立体の十四年式が欲しい!」という想いは相変わらずでした。この辺は、幻の女の子はともかく、とにかく現実の彼女が欲しい!みたいな感じでしょうか(笑)。で、ここで「じゃあハドソンの十四年式はどうなの?当時ずっとあったじゃん」と疑問に思う方もおられるかと思います。しかし、やっぱり黒い十四年式が欲しかったんですよね、、。ハドソンのは当時でもかなり高いし(確か9500円)、でも金色だし、などなどでちょっと買う気にはならなかったのでした、、。

ところが、中学生になったころ、朗報が飛び込んできます。先に書いたマルイのエアガンシリーズに十四年式が加わるというではありませんか!創刊当初のアームズマガジンに新製品レポートが掲載されたときは、飛び上がるくらい嬉しかったですね。しかも、モデルガンと違って「近日発売!」と断言されています。いつ発売されるのか心待ちにしていました。しかし、なかなか店頭には並びません。かなり待った記憶があります。数ヶ月くらいだったと思いますが、中学生にはかなりの歳月です。

で、ある日模型店に行くと、十四年式がショーケースに並んでいました。それを見た時の感動は今でもよく覚えています。震える声で「こ、これ下さい、、」と言い、震える手でお金を払い、震える足で(もうええか)自転車をこいで自宅に帰りました。

これがマルイの十四年式。モナカ式とはいえ、黒い十四年式です。しかも、弾が出る!という。夢中になりました。フォルムもバッチリで、不満を感じるところは全くありませんでした。これは当時買ったものではありません。っていうか、初めて買ってから、記憶に残らないくらい何丁も買いましたね。

エアガンとしての性能もかなり高かったです。オリジナル同様のサイトの形状からか、命中精度もとてもよく、ボルト式のためコッキングも容易かつ連射も簡単でした。ルガーとかは大変でしたからね。連射性能はこのシリーズでもトップクラスだったでしょう。しかし、リアサイト下のネジ部が弱点で、何度も分解するとネジがバカになってしまい(これは分解する方が悪い)、すぐバヨーンと壊れてしまいました。そんなこんなで何度も買い直したのです。とはいえ1丁たった1900円ですので、お小遣いの許す限りいくらでも買いなおせるのがよかったです。

また、このころからアームズマガジンの影響で、あれこれガンスミスをし始めたんですね。アームズマガジンは、創刊当初は既製品のトイガンをガンスミス(要は「改造」なんですが、聞こえが悪いのでそう呼んでました)する記事を目玉にしてまして、それにかなり影響されたのです。マルゼンのオートマグを内蔵してガス銃にしたり(これはあまり上手ではなかったけど、一応出来た)、外見を南部式乙型にしたり(これはまあまあ上手くできた。捨てちゃいましたけど。取っておいたらよかった、、)と、どんどん買ってどんどん潰しましたねえ、、。

この写真の個体は、20歳くらいになってから「さすがに1丁くらいはオリジナルのままちゃんと置いておこう」と取っておいたものです。グリップはホームセンターで板を買ってきて自作したもの。十四年式はグリップが板状なので自作しやすい、という意外な長所があるのです(笑)トリガーとマガジンボトムは銀色に塗ってます。

で、私のこのときの判断は正しかったようで、時期は不明ですがその後十四年式は絶版となり、今では結構なプレミアが付いているようです。普通に5000円以上で取引されてます。うーん、当時はあんまり売れてなくて、いつでも店頭にありすぐ手に入ったものですが、、。できれば再販してほしいですね。ないしはHGでリニューアルしてくれないかなあ、と思うのですが再販以上に難しいでしょうね。よく考えると、マルイのトイガンでは唯一の日本軍の銃器なんですよねこれ。それだけでも十分満足すべきなのかなあという気もします。

で、私のも完全品ではありません。久しぶりにいじってみるとボルトのリターンスプリングが抜けていてボルトを引いたらそのままになってしまいますし、チェンバーのゴムパッキンが抜けてるようで、装填してもBB弾がぽろっと銃口からこぼれてしまいます。そのうちちゃんと再整備してあげたいですね。そういえば、この形状のマガジン、当時は「割り箸マガジン」って呼ばれてましたね(笑)懐かしいなあ、、。

で、最近知ったのですが、実は没になったモデルガンの何らかがエアガンに受け継がれたという噂があるそうです。これはびっくりでした。しかし確かに、あり得る話です。もしそうだとしたら、モデルガンを一日千秋の思いで心待ちにしていた身としてはなんか嬉しいなあと。エアガンにはなったとはいえ、私はあのモデルガンの「何か」を手に入れたことになるわけですからね。もし外形とかの金型が流用されていたのなら、残念ですが嬉しいですね。ひょっとしたら、モデルガンの試作費を少しでも回収するため、エアガンになったのかもな、とも。

モデルガンの開発についてとか、エアガンにその何かが受け継がれたとか、この辺はほんとうにもっと知りたいですね。当時のマルイの担当者の方からお話を伺えると嬉しいんですけどねえ、、。実際、私だけじゃなくてそれを知りたい人は本当にたくさんいるんじゃないかと。想像以上にモデルガンを待ってた人、エアガン化を喜んだ人は多いと思うのですが、、。

しかしマルイの十四年式の後、トイガンで日本軍の銃は全く発売されませんでした。タナカはその以前から三八式など小銃のモデルガンを販売し、再販もしていましたが実に細々とした感じで、トイガン界での日本軍の銃はまあ「死んでいる」も同然だったのです。そのうち私も高校生、大学生、社会人と大人になっていきました。その頃は、ショップメイドの金属やプラキャストの無垢の十四年式や九四式が売られてたりしましたが、何分高価な上に無可動なので、ちょっと食指が動かなかったのでした。結局、マルイのエアガンの十四年式以外、6歳ごろから状況的にはほとんど変わらなかったわけです。

そんなころ、なんとマルシンがガスガンで十四年式を発売しました。これにはびっくりでした。リリース年はよく覚えてないのですが、2000年ごろだったと思います。これはもう素晴らしいガスガンでした。

モデルガンメーカーとしてならしてきたマルシンなので、フォルムなどは当然完璧です。ガスガンなので連射できるのもいい。ガスブロじゃないのですが、逆にその分故障もガス漏れもない。金属パーツが多くてずっしりしてます。口径が8ミリというのもよかった(笑)なんというか、この十四年式を手にしたことで私の気持ちが一端落ち着いた気がしたんですね。子供のころに欲しかったのがこれだった、ような。っていうか、子供の私にプレゼントしたいようなガスガンでした。

このトイガンについては、以前再仕上げした際にブログでも書いてますのでよろしければお読み下さい。

そしてその後、ジワジワと日本軍の銃器がトイガン化されるようになりました。気が付くと、十四年式だけでなく南部式乙型とか九四式拳銃のモデルガンや九六式軽機の電動ガンなどなどがどんどん(他の銃に比べると全然かもですが、昔に比べれば「どんどん」です(笑))リリースされました。ほんとうに夢のようです。

しかし、これはもう皮肉としか言いようがないのですが、そのころから私は趣味に以前ほどお金をかけることが出来なくなってきまして、ほとんど買うことができなかったのでした(笑)うーん、世の中ほんとうまくいかんでありますね、、、。まあでも買うことは出来なくても、なんといいますか、日本軍の銃のトイガンが普通にリリースされるようになったということは、それだけ欲しい人、つまりファンが増えたということでありまして、それだけでもなんか嬉しいんですよね。いや、決して負け惜しみじゃなくて(笑)

というわけで、なんだかまとまったようなまとまってないような感じになりましたが、以上「私と十四年式のウン十年年代記」でした(笑)思えば、5-6歳の頃にじいちゃんから聞いた拳銃のことが好きになって、以後何十年も自分の中で大事な位置を占めていたということ自体、なんか幸せなことなのかもなあと。拳銃に限らず、ひとつの「モノ」に対して、自分が何らかの気持ちをずっと抱き続けられるというのはなかなかないことかも、と。また、人の「これが好き」という気持ちには、それを語り出したら、今回の様にいくらでもどーでもいい話(笑)ができるくらいの背景というか背骨みたいなものがあるんですね。なので、他人の「好きなもの」も自分のそれと同じくらいのものを背負っているのかも、と思って尊重しないとアカンですよ、、。ということが言いたかったわけです(ほんとか)。

今回のエントリーにあたって、また記憶だけで十四年式を描いてみました。今度は前期型です。答え合わせをしてみましたが、まあ、及第点でしょう(笑)

で、もし可能なら死ぬまでに実銃の十四年式を撃ってみたいものでありますね。でもまあ、撃てなくても別にいいんですけどね。なんつーか、マルイとマルシンの十四年式があったらもう満足なんですね(どっちやねん)。

というわけでまた。つーか、今回も長かったですねえ、、、。最後まで読んでくださったあなた(いるのかなあ、、)、ほんとにありがとうです!







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南部十四年式拳銃と私(その1)

2020年08月22日 | 模型の話題
私は銃が好きです。いわゆるガンマニアです。

好きな銃はたくさんいろいろありますが、その中でも特別な位置を占めてるのが十四年式拳銃です。日本軍が使ってたあの拳銃です。

この拳銃について思うところは、以前から断片的にあれこれ書いてます。今回、ひとつのエントリーにまとめておこうかなと思いUPした次第です。なので、以前から拙ブログを読んでくださってる方からすると「この話前聞いたわ」という内容ばかりかもしれません。その辺はご了承下さい。まあでも、各エピソードとも、それなりに付け足して書いてますので、よろしければ読んでみて下さい。

ではスタート。なぜ十四年式かというと、実に簡単な理由です。

「祖父が軍隊で使ってたから」です。

12文字で終わってしまった、、(笑)。

私はじいちゃんが好きでした(以下、祖父とじいちゃんが混用されますが、なんとなくなので気にしないでください)。やさしいし、気前がよくてオモチャでも何でも買ってくれるし。酔っ払ったときは怖かったですが。なにかというと、じーちゃんじーちゃんといってました。

じーちゃんは、よく軍隊にいたときの話をしてくれました。私はなぜか軍隊の話に食いついて、何度も軍隊の話をせがんだのでした。その話の中に出てきたのが十四年式拳銃だったわけです。多分、拳銃の名前を始めて認識したのがこれだったと思います。5-6歳ごろです。以後、私の中で「じゅうよねんしきけんじゅう」はとても特別な位置を占めるのでありました。

この絵は、数年前に描いたもの。落書きをしてて、なんとなく十四年式の形になってきてふと「記憶だけで描けるかも」と思って描いたんです。後で答え合わせをしたら、まあ大体合ってました。それくらい好きだ、ということですね。でも何十年も付き合ってたら普通描けるか、、。
祖父の従軍時期(昭和18-20年)から察するに、恐らく後期型じゃなかろうか、と思ってそれにしました。とはいえ、祖父から聞いた十四年式の話で今でも覚えてるのは「撃針がよく折れて困った」ということのみ(これは十四年式の欠点。そのためホルスターに予備撃針が備えられてます)。なんでこれだけ覚えてるかな自分(笑)祖父は山砲連隊に所属し、最終階級は兵長でした。話の内容から想像するに、砲に直接携わっていたわけではなく、砲弾の輸送係とかそういうのだったようです。班長として、拳銃を持たされてたんじゃないかな、と。

じーちゃんから聞いた軍隊の話はいろいろと刺激的で、当然私は恐らくそのせいでミリタリー&ガンマニアになっちゃったんだと思ってます。私に生来そういう素養があったのに加え、薪をくべられたような、、。じーちゃんは戦争映画や戦争ドキュメンタリーが好きで、私はその横でわけ分からんなりに一緒に見てました。そういうのも大きかったですね。「ひこーきがとべるふねなんこれ?」「こーくーぼかんいうんじゃー」などなど、質問に答えてくれる先生が隣にいるわけですし(笑)

とはいえ、じいちゃんの軍隊の話で、今でも覚えているのは少ないです。「サンポー(後に山砲のことと知る)の弾の火薬は舐めると甘くて、おやつ代わりにぺろぺろ舐めてた」とか「馬が死んだら、それで焼肉をした。うまかった」などなど、わりとどーでもいい話題ばかりで、自分の脳のメモリーの信頼性に疑問が生じてしまいます。もっといろいろ聞いたはずなんですが、、。

「伍長にされそうになったけど、めんどくさいので逃げた」とも。あと後日おばさんから聞いたのですが、泥にはまり込んだ馬を1人で助けて表彰されたこともあるとか。ほんとかなあ、という気もしますが、祖父は結構な荒くれ漁師で腕っ節も強かったようなのでまあほんとなんでしょう。また、馬の鞭を編むのが上手で(魚網を作る技術の応用がきいたんでしょうね)、上官の覚えもよかったとか。そんなこんなで、それなりに優秀で要領のよい兵隊だったようです。

祖父は徴兵後、ソ満国境の虎頭要塞の国境警備隊に派遣され(当時の写真に「虎林憲兵隊」の検印が押されてます)、その後本土決戦のために四国高知に。そこで終戦を迎えました。つまり、戦闘に参加することはありませんでした。これはずっと後に知ったのですが、虎頭要塞は終戦後ソ連軍に最後まで抵抗、全滅しています。そして、要塞から本土に移る際、部隊の半分は南方に派遣されています。南方組(派遣先は失念。グァムかサイパンだったかと、、)は玉砕したそうです。

つまり、かなりきわどかったわけです。ちょっとしたこと(部隊を分けられて、どっちに行くかなんて、運以外ないでしょう)で、私はいなかったかもしれないんですね。「軍隊は運隊」という言葉がありますが、祖父はかなり運がよかったんですね。しかも、終戦を迎えたのは隣の県という(馬に乗って復員したそうです)。

で、今になって思うのは祖父が軍隊の思い出を何でも話してくれたのは、戦闘など過酷な経験をしていなかったからなんだろうな、と。いろいろ見聞すると過酷な体験をされた方ほど当時を振り返りたくないという傾向があるようです(当然ですが)。そして研究者など他人に話すのはともかく、孫にそういう厳しい話をすることはまあないよなあ、と。思い出しても、軍隊でキツイ思いをしたという話の記憶はありません。「靴が小さすぎて、最初足の爪が全部はがれた」という話はよく覚えていますが、、。しかし「殴られまくった」などの話はなかったです。

そんなこんなで、祖父は私にあけっぴろげに軍隊の話をしてくれたわけで、その影響で今の私がある訳です。私はその後、戦争や近代史に興味を持って本を読んだりテレビを観たりするようになりました。例えば、小学校の図書館にあった、近代の戦争について書かれた本は全部読んだと思います。もちろん当初は「飛行機や戦車がカッコイイ」という視点で、それが大きな興味の対象でした。子供ならみんなそうだと思います。しかし年を経て知識が深まるにつれ、カッコイイ兵器の背後には、それに乗って戦った人たち、作った人たち、殺された人たち、残された人たちなどなど、さまざまな人が背後にいることに気が付きます。そしてそのつもりでさらに知識を深めていくと、戦争の実態・実相がどういうものなのか、おぼろげながらにも理解できるようになっていきます。今振り返ると、長年の蓄積(というと偉そうですが。でもまあ40年もこの趣味やってるんですよね、、。びっくりです。5-6歳のころに、例えば零戦二一型と五二型の違いをすでに認識してたと思うと、ほんと、、)のおかげで今の認識を得られたことを考えると、祖父には感謝の言葉もありません。

ミリタリーマニアやガンマニアは「戦争や人殺しが好きなんだろう」と誤解されがちなのですが、経験上、詳しい人ほど戦争の恐ろしさ、むなしさ、バカばかしさをよく知ってるように思います。そういう認識と「戦車や飛行機がカッコイイ」と思う気持ちは一見矛盾しているんですが、それぞれ全く別のもので、共存できるものなんですよね。この辺はいまいち理解されにくいのが残念ではありますが、、。

って、じいちゃんの思い出話でかなり長くなったうえ脱線してしまいました。すいません。まあでも、せっかくの機会なので、きちんと書いておきたかったんです。

というわけで、話は戻ります。十四年式がどういう形の拳銃なのかを、いつどこで知ったのかというはっきりした記憶はないんですね。この辺はかなりおぼろげです。でも状況的に多分これだろうなあ、、というのがこちら。エルエスの南部十四年式です。

当時よく行っていた近所のおもちゃ屋さん(といっても日本家屋のお店で、駄菓子屋さんがおもちゃを専業にしてるような感じ。店舗の広さは12畳もなかったんじゃないかなあ、、。今から考えると激シブでした。お店の名前は「タニグチ」といいました)のプラモの棚に「ドーン!」といった感じで鎮座ましましておられたのでした。

お店の取り扱い商品としては、主に男の子向けのものばかりでした。ミニカー、ブリキ玩具、竹ひご飛行機(ゴムでプロペラ回すアレ。なんていうんだろ、、)、プラモなどなど。プラモのラインナップはなぜか飛行機と船と車が多く、戦車はあまりなかったような、、。ましてや銃のプラモはこれが唯一で、一種独特のオーラを放っていました。何年も通いましたが、ずっと売れずに残っていて(多分通う前からずっとあったはず)、お店の主のような印象でした。

こんな感じで箱の側面を見せる形で積まれてて「あー、これがじいちゃんの拳銃かあ。カッコいいなあ」と思ったような記憶が。

なんでずっと売れ残ってたのかなあ、と不思議ですが、まあ一般的な男の子にとっては激シブなアイテムな上、値段も1200円と超高額(店の顧客層からすると雲上キット(造語)です)だったので、まあ売れないか、と。店の爺さんは結構怖くて、プラモの箱を気軽に開けて見てたりすると怒るので、中身も見ずに1200円もの大金を支払う勇者はまあ出てこなかっただろうなあ、とも。私も欲しいとは思いましたが、さすがに1200円は出せないし、箱の中も見れないしで店に行くたびにチラチラと眺めるだけでした。

今から考えると、店の爺さんも軍隊にいたときのからみで仕入れたのかなあ、という気もしますね。でもずっと売れないので何がしか思うところもあったのかなあ、とも(笑)

それにしても、このエルエスの十四年式の箱絵は実に素敵ですね。日本の拳銃!という独特な雰囲気を実に素晴らしく表現した傑作だと思います。南部麒次郎氏の肖像が織り込まれているのも素晴らしいです。

とはいえ、実は十四年式と南部氏は直接の関係はなかったようですね。「日本軍の拳銃」(ホビージャパン)によると、十四年式の開発に当たって、氏は関与していなかったとか。南部式が元になったことは間違いないのですが、それを改良・設計したのは吉田智準という大尉である可能性が高いとか。実際、南部式と十四年式を比較してみると、なんとなーく違います。南部式は各部の処理や収め方が実に優雅で「工芸品」のような印象ですが、十四年式はそういう面がことごとくそぎ落とされており、かなり現実的な「兵器」に昇華されているように感じます。

とまあ、私の印象はおいといて、事実関係だけで言うと「十四年式」はあくまで「十四年式」であり、一般に言われているような「南部十四年式」という呼称は「間違い」ということになります。この点については、南部・吉田両氏の名誉のためにも、きちんと周知されるべきでしょう。

しかし、そういう事実関係とはまた別に「ブランドイメージ」というものがあります。「南部」が日本の銃を象徴するような名前であるならば、それを適宜呼称してもいいんじゃなかろうか、と個人的には思います。実際、戦後日本の警察に採用された「ニューナンブM60」と南部氏は、直接的なかかわりはありません。ニューナンブの開発生産に当たった中央工業の母体となった南部銃製造所の設立者が南部氏だった、というだけです。でも、やっぱり「ナンブ」という名前が今後も使われていくのはいいことじゃないかと思います。

こういうのは難しいところですよね。有名なのでは「シュマイザー」がありますね。ドイツ兵のサブマシンガンのアレ(というだけで通じるほどのアレ。MP40のこと)はシュマイザーと呼ばれることがありますが、実はシュマイザー氏の設計じゃないという(設計はエルマ氏)。でも「シュマイザー」という語感からくるイメージは実に強烈で、戦後MP40が「ドイツ兵のあのサブマシンガン」として確固たる地位を占める、大きな要素になったのは間違いないと思います。

もっとややこしいことに、ベルグマンMP18を設計したのはベルグマンじゃなくて、シュマイザーなんですよね(笑)なので、椅子とりゲーム的にエルマが割りを喰っちゃったわけです。エルマさん、可哀想(笑)。こういうのって、銃の世界ではちょこちょこあって、例えばコルトガバメントだって、元々はブローニングの設計ですし、ブローニングがいなければできていない拳銃ですからね。でも、ガンマニア以外にとっては「コルト」はあくまで「コルト」で、「ブ」の字も残ってないという、、。

まあ、後世に名前を残すことが最終的かつ唯一無二な目的であるのかないのかは人によって違うとは思いますので、なんとも言えないわけですが、、。この辺はほんと難しい微妙なところですね。

って、また話がずれました。すいません、、、。

で、エルエスの十四年式が気になって仕方がなかった私ですが、そのプラモは買うことが出来ない。結構悶々とした日々を送っていたわけです。

で、そんなある年のある夏、地元の神社の縁日の屋台で見かけたのがこれでした。アリイの南部十四年式拳銃。
プラモの十四年式というと、エルエスだけだったと思われがちですが、じつはアリイのもあったんですよ。箱絵が激シブです。ある方に教えてもらったのですが、この絵は丸メカの鴨下示佳氏の手によるものです。びっくり。

スケールは1/3-1/4くらいで、内容的にはプラモというよりも駄玩具の部類です。L字型に折った針金にスプリングをつけて、針状の弾丸を打ち出せる、というギミックです。銃の再現度もご覧の通り、という(笑)でも、子供心には十四年式が立体になってるというだけで感涙ものでした。
縁日のくじ屋さんに陳列されてて、私は一瞬で釣られました(笑)。「おっちゃん、これ売って!」と頼んだら「いやこれくじの商品やけんね。欲しかったらくじ引いて当ててや」と。「むむう、、。足元見やがって、、よっしゃ分かった、当たるまでくじ引いたるわ!」と鼻息荒くくじを引いたら、これは残念賞で一発で入手したという(笑)なんやねん、おっちゃん、、。

経緯はともかく、入手できてメチャ嬉しかったです。小さいし、フォルムも変ですが、子供心にはこれでも十分でした。とにかく立体の十四年式が手元にあるというだけで満足でした。

で、この写真のキットは、去年プレミア付のを買ったのです。高かった、、。軽自動車一台分ぐらいでした(ウソつけ!)。中古模型屋さんのショーケースに入ってて、見た瞬間に「買い!」となりましたね、、、。

箱には50円とありますね。多分駄菓子屋さんとかで普通に売られてたと思うのですが、私はこの屋台で見たのが最初で最後でした。私よりもちょっと前の世代の人なら記憶があるかもですね。それにしても、箱サイドの他のラインナップも素晴らしすぎます、、。ウェブリーの箱絵も渋すぎ。任侠道とウェブリーって、、。
ベレッタはまあ分かりますけど、ボディガードとか前装式デリンジャーとか、いちいち渋くて「わざと外した感」がハンパナイスですねえ、、。

ちなみに、このシリーズはたまにネットオークションとかでも出てくるようです。ほんとは全部揃えてみたいんですけどねえ、、。

で、結局、その店のエルエスの十四年式は入手できなかったのでした。その店に通ってたのは6-9歳くらいまでで、なんとなく足が遠のいてしまいました。11歳くらいのころになると、お小遣いやお年玉も増えて、1200円くらいならなんとか出せるようになっていましたが、逆にそのお店に行くのが恥ずかしい感じになっちゃったんですね。今から考えると全然恥ずかしくともなんともないんですが、まあ子供の気持ちってそういうものです。「久しぶりに行ったら、爺さんが変な目で俺を見るんじゃないかなあ」とか、変な想像しちゃうんですよね、、。

でも、そのころ一度意を決して「あの店にいってあの十四年式を買おう!」と家を飛び出したことがあります。確か、冬休みの間近の日で、クリスマスがらみでお金もちょっと余裕があって、2000円くらいはありました。お金を握り締め、店を目指したのですが、やっぱ店に入れず、仕方なく別のおもちゃ屋さんに行って(当時はそこによく行ってた)、マルイのツヅミ弾のルガーを買って帰りました。1900円だったかな、、。あの時、ほんとに勇気を出せればよかったんですけどねえ、、。これは今でもほんとに後悔してますね、、。

その後、そのお店は廃業してしまいました。戸を閉めて、建物はずっとそこにありましたが、そのうちその建物自体も潰されて、今は更地になってます。今でもよくその前を通るのですが、そのたびに「あのキット」を思い出します。「あー、ほんと買っときゃよかった、、」と。結局、お店が潰れるまで売れ残ってたのかなあ、、。

そんなこんなで、エルエスの十四年式は以後の私にとって「幻のキット」だったのでした。何度も何度も夢に出てきましたね。夢の中で見知らぬ模型店に入ったら、これが棚にあって「やった!」というパターンの繰り返しでした。目が覚めて落胆するという繰り返し、、。もちろん、このキットに限らず例えばタミヤのⅢ号戦車とかロシアンフィールドカーとか「幻のキット」は他にもたくさんありました。でも、当時は中古プラモ屋もヤフオクもないし、基本的に絶版キットを入手することはほぼ不可能でした。

当時の絶版キットの入手方法は、模型雑誌の「売ります買います」欄しかなかったですね。「売ります」欄に出てたら、往復はがきを出して、値段が予算内なら買う、しかも先払い。状態については売り手任せ、という。私は一度だけ利用したことがあります(模型じゃなくて、マルイのガスのMPLを買いました。幸いいいものが買えました。売主の方がとてもいい方だったので、お礼状に「もし十四年式をお持ちならぜひ売って下さい」と添えた記憶があります。必死だな、自分(笑))が、今から考えると凄いギャンブルですね。

で、1990年代後半から2000年ごろに状況がガラリと変わりました。ネット環境が整って、ヤフオクができました。幻だったあのキット、あの本、あのモデルガンがお金さえ出せばいくらでも買えるようになったのでした。これは革命的でしたねえ、、。中古の絶版アイテムが自由に出品される市場って、全然なかったんですよね。ちょうど、私は社会人になったころでメチャクチャお金を使いました。親の敵をとるような勢いでした(笑)

あ、でもそういえば、このころ「クアント」という「売ります買います専門誌」が発刊され、人気を博してましたね。私もマメにチェックしてたんですがヤフオクが出来て、あっという間に波間の彼方に消えてしまいました、、。なんというか、1995-2000年ごろって、そういうアナログとデジタルのつばぜり合いが凄かったんですね、、。この雑誌、出品者の個人情報(住所とか電話番号とか)がバリバリ載ってましたね。そんなこんなで、今から考えるとありえないような感じだったんですよね。当時は当たり前みたいに思ってましたけど、、。

エルエスの十四年式も、例外なくヤフオクに出てきてました。でも、当時からエルエスのプラモガンは相場が高くて、未開封品はなかなか落とせなかったです。私は、組み立て途中のジャンク(箱・取り説付)をなんとか購入しました。2000円くらいだったかなあ、、。上で紹介した箱はそれです。組み立て途中のを(タミヤパテべっとりでした(笑))、一旦剥がして、なんとか綺麗に仕上げようとして、途中で終わったのがこちら。
キットはダルマトリガーガードの後期型ですが、前期型に改造してます。その他いろいろ綺麗に仕上げようと鼻息荒く取り組みました。

しかし、このころいろいろあって数年で何度も引越しすることになってしまい、そのうちにどんどんパーツを紛失してしまいました。なので、今も未完成のままとなってます。

マガジンとか、あんだけでかいのに何で無くすんだろ、、。俺の8ミリ南部弾は一体どこに消えたのか、、、。

久しぶりに手に取って見ましたが、このキットほんと凄いですね。ほぼ完璧です多分。鬼のような再現度です。開発のとき、なんかがエルエスさんに憑依したんじゃないの?というくらいです、、。
マジで背筋がゾッとします。オーパーツですよこれ、、。そういえば、タミヤのチハもそうですね。なんか、ギアがグワッと入っちゃったんでしょうね、、。

で、このキット、ほんと再販して欲しいです。マジで売れると思うんですけどね。エルエスのこのシリーズは傑作ぞろいで有名ですけど、ほんと十四年式だけでも再販してくれたらなあと。

この手の複合素材キットの再版は、金属パーツの再生産が難関としてあるようです。プラだけなら金型があったらいいんですけど、金属パーツは再生産が難しいそうです。確かに、プレス型とかは金型とはまた別のものですものね。スプリングひとつ外注するにしても、コストが今と昔じゃ全然違うかもですし。でも、この十四年式の金属パーツは、ほぼスプリングとピンのみなので、何とかなるんじゃないかなあと思うんですけどね。同シリーズのモーゼルとかはプレスパーツが結構あって、再版はかなり難しそうなんですけどね、、。

で、今、このエルエスの十四年式が再版されたらメガヒット間違いなしと思うんですけど、どんなもんでしょうね。少なくともおっさん連中は1人2箱は買うでしょう!ビジネスチャンスですよ!(笑)。っていうか、金型はちゃんと残ってるのかな?この辺もまったく情報がないのでアレですねえ、、。うーん、、でもほんと再販して欲しい、、。

というわけで、今回はお終いです。ほんとは1回で終わらせる予定だったんですけど、あれもこれもと書いてたらメチャ長くなってきたので2回に分けることにしました。いやー、じーちゃんの話からすでに脱線気味だったので仕方ないか、、。
次回は「マルイの造るモデルガンの十四年式」と私、くらいからスタートする予定です。

それにしても暑い日が続きますね。皆様何卒ご自愛下さい。いやー、ほんと暑いなあ、、。でも暑い夏といえば十四年式だなあ、、(そうか?)

それでは。

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九六式三号艦戦改造キット製作記 (その3)

2019年08月25日 | 模型の話題
昨日、三号艦戦改造キットの製作記(その2)をUPしたのですが、えーと、、、結論から先に言うと大問題が発生しまして、リリースを延期させていただきます。

昨日ブログをUPして、今日は「じゃあラストスパートに入ろうか」と思って、キットのインストなどの準備を進めていました。これは、イスパノスイザエンジンのイラスト。
パーツ複製の目処が付いたころから、こういうのをちょっと前からちょこちょこ描き進めてまして、インストを製作し始めてたのです。4年前に着手したときは、このエンジンの図面が見つからなくて、手に入れた写真だけで外寸を推測して、機首のアウトラインを決めました。以前のエントリーでも書きましたが、「日本航空機総集」「世界の傑作機」の図面の機首の形状では、エンジンが納まらないように見えたんですね。

今回、インストのイラストのために「もうちょっとエンジンの資料が欲しいなあ」と思ってウェブ上で探してみたら、寸法付きの図面が手に入りました。当時はなかったように思いますが、その辺は不明瞭です。探し方が悪くて、当時からあったのかもしれませんが、まあなんであれ、ありがたくDLしました。
機体の図面とエンジンの図面を重ね合わせて「ほら、ね、「総集」「世傑」図面にはイスパノはやっぱり入らないでしょう」的な略図も入れたいなあ、と思ってたので渡りに船でした。

これが、そのインスト用に「総集 三菱篇」の三号艦戦の図面をトレースしたもの。

こちらは、「総集 輸入機編」のドボアチンD510の図面をトレースしたものです。
これが、上のイスパノエンジンの図面をトレースしたもの。
どれも、ちょっと線がガビガビですけど、寸法・アウトライン的にはほぼ正確だと思います。そして、線が太いので、実物のアウトラインは線の内側くらいだと考えて下さい。

で、三号とイスパノのトレースを合わせてみたら、びっくりでした。ほぼピッタリなんですね。

完璧といっていいくらい綺麗に収まりました、、、。キットの準備を進めている身としては「何かの勘違いじゃないのか!?」「図面の縮尺を間違えたんじゃないのか!?」「責任者出てこい!! あ、俺か!」などとジタバタして、何度となく寸法を確認したのですが、間違いなかったです。多分、これが本当です、、。
図の矢印は、空冷エンジンのエンジン架基部のラインです。なので、ここから後ろにエンジンが位置することは多分ありえません。前に位置したとしても、エンジンの先端がスピナーまではみ出ますのでありえません。なので、この位置がほぼ正確なんじゃないかと。「とても収まらない」という感じではありません。ピッタリです。多分、この機首形状で収まるでしょう。

もちろん、機首下部に何らかの部品が付いている可能性もないことはないのですが、ドボワチンにそれが見られない上に、そもそも「そういう部品はない」という前提でこちらが考えてデザインしていたので、もう完全にアウトです。

モーターカノンの尾部はそのラインからはみ出ていますが、計器板とフットバーの間にギリギリ収まりそうな感じです。計器板から独立して、下部にはみ出ている計器の「酸素圧力計」と「前後傾斜計」が邪魔になりそうですが、ちょっと脇にどければ大丈夫な感じです。この点も、かなりリアリティがあるような、、。

正面図もほぼピッタリでした。シリンダーヘッドと機首バルジは、クリアランスがちょっと変な感じもしますが、まあ許容範囲です。少なくとも「この図は怪しい」とはとてもいえないレベルです。
上の図のシリンダー部左右の黒い出っ張りは排気管です。これは私が描き足しています。シリンダーヘッドの角度的に、排気管の位置は正面から見て斜め下になると思われるのですが、側面図との位置関係も「総集」「世傑」図面とほぼ一致します。

ドボアチンD510はどうだったのか、と思って当てはめたのがこれです。
シリンダーヘッドに比べると、機首のバルジが大き過ぎるように見えます。設計上、出っ張りの類を不必要に大きくすることはまあありえないと思いますので、これは縮尺を間違えたのかなあ、という気もします。実際、「総集」の図面を全長と側面図を合わせると、上面図の全幅が合いませんでした。この辺の狂いもあるのかもしれません。排気管の位置も、いまいち合わないような感じです。しかし、エンジン機体とも縮尺がちょっと間違っていたとしても、アウトライン上の矛盾点はあまりないように思えます。でも、このD510との整合性はもうちょっと突き詰めてみたいところです。きちんとスケールが出てる図面って、見当たらなかったもので、、。

なんであれ、「総集」「世傑」の三号艦戦図面は「恐らく正しい」ということがわかりました。

というわけで、最後の最後に来て、キットをいろいろとやり直さなければならなくなってしまいました。

まずそれよりも、これまでの拙ブログで「「総集」「世傑」図面が疑わしい」というスタンスでいろいろと書いてきたことを、関係各位に心からお詫びしたいと思います。

これまで書いたことは、いろいろな資料を元に自分なりに咀嚼した上で「自説」として展開していました。しかし、その「自説」は、そもそもとして、基本的な資料の収集とそれを元にした検証を怠った上での「あやふやな自説」だった、ということです。これは、100パーセント私の過失です。この点についてはお詫びのしようもありません。

過去のブログ内では該当箇所に追記の形として、この点が間違っていたことを説明するとともに、このエントリーをリンクしております。本当に申し訳ありませんでした。

というわけで、キットの完成はもう少し先になってしまいました。これまた申し訳ありません。変更点としては、前述の通り機首形状を「総集」図面にしたいと思います。これが「総集」図面です。



4年前の最初の製作時は「総集」を持ってなくて「世傑」図面を参考にしました。今回、見比べていたら「この2つは全く同じものではない」ということも分かりました。なので変更に関しては大元と思われる「総集」図面を基本に造型してみたいな、と考えています。パーツ以外にいろいろやり直すこともあるので、リリースはまあ3ヶ月から半年後、くらいに考えていただければと思います。ほんとすいません、、。

というわけで、やっぱり「山」がもう一つありました、、、。頑張って一歩一歩登って行きたいと思います。いやー、ほんと3歩進んで2歩下がる、って感じですねえ、、。でも、間違ったものをリリースしないですんで、ほんとによかったなあと思ってます。きわどいところでした、、。

それでは。




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九六式三号艦戦改造キット製作記 (その2)

2019年08月24日 | 模型の話題
以前お知らせした、九六式三号艦戦の改造キットが、なんとかもうちょっとで完成しそうです。

とりあえず、前回の続きからです。パーツは大体出来上がり、複製も目処がつきました。

機首部分の勘合も、なんとかOKなレベルに。以前単品用に複製したパーツは、ちょっと大きめで、結構すり合わせが必要だったのですが、このキットのは少しすり合わせたらいい感じにまでできました。でもまあ、結局すり合わせないといけないというのは変わらないのですが、現在の技術的な限界点としてご了承いただければ、と。
苦労自慢をしても仕方ないのですが、一度試しに複製して収縮の度合いを測り、もう一度複製したのですね。こういうのって、もっと経験が蓄積できれば一発でOKなんでしょうけど、まだまだそこまではいきませんね、、。

というわけで、どんどんどんどん複製していきます。同じパーツを並べて写真を撮るのは、なぜだかほんと楽しいです(笑)
たくさん作ってるように見えますけど、準備できたのは贈呈用込みで35セットくらいです。

これがパーツです。エンジン部左右、ラジエター、風防基部、プロペラ、スピナー、機首下部エアダクト、尾輪の8パーツです。


プロペラは、元キットのメタルパーツがとても素晴らしいので、パーツにしなくてもいいかと考えてました。でも、エンジンの回転方向は寿とイスパノスイザは実は逆なんですね。前も書きましたが、以前作ったときは「こんなん誰も気付かんだろう」と思ってキットのをそのまま使いました。メタルのプロペラを磨いたら、とてもピカピカになって綺麗で素敵なので、それを使いたかったというのもありました。でも、完成品を見たF社のS社長に一発でばれました(笑) 「これ、逆だよね」と。要するに、詳しい人に納得してもらうには避けては通れない部分なんだなあ、と。
そういう経緯もあったので、今回出来るだけ頑張ってみました。まずはキットのメタルプロペラの1翅を、100均のお湯プラで型取り。タミヤエポパテで複製し、それをアウトラインの基本とします。反転したように凸凹をエポパテで盛った削ったして、それを3つ複製して、原型とします。

これが複製したもの。とにかく形が抜ければOKなのでメチャクチャです。
ダリが作ったオブジェみたいです。「プロペラの喪失」(笑)

左がキットのメタルプロペラで、その隣がレジンの複製品、そしてエポパテの原型。緑のが複製品をプロペラ状にした原型、右端のがその複製品です。
いやー、大変でした。出来については、皆さんの判断にお任せするしかないのですが「自分なりにきちんと作ったぞ!」という手応えはあり、満足してます。示唆を与えて下さったS社長には感謝の言葉もありません。

で、複製ってこういう感じでやってます。あまり綺麗でないので、紹介するには躊躇しちゃうのですが、まあごまかしても仕方がないのでUPします。
枠を作って、原型とゲートを埋めて、シリコンゴムを流して、という感じです。かなり素人臭いのですが、素人なので仕方ないですね(笑)。でも、これまで少なからず型取りをやってきて、やっとなんとなくコツのようなものがつかめてきたような気がしてます。こういうアナログ作業の「かんどころ」って、ほんと「場数」だなあと。要するに「星の数よりメンコの数」なんですよねえ、、、。

それにしても、型取りってとにかく「アナログ」「一個一個潰していく」って感じですね。「ザ・家内制手工業」(笑)。
きちんとパーツが注型できたら「正」の一画が、増えるわけです。何といいますか、登山のような感じかなあ、と。一歩一歩は20センチくらいしか登ってないのですが、じっくりじわじわ歩を進めると、なんとか頂上に到達できるわけです。

というわけで、山を何とか登りきることはできました。出来上がったパーツを、キットに組み込んでみたのがこの写真。
色がちょっと濃い部位がパーツです。仮組みですけど「ジーン」としちゃいますね。ここまで、ほんと長かった、、。

左が以前作った完成品です。
排気管の下側のスリットは、ちょっと変えました。以前のは縦線のスリットだったのですが、キットのは横線を入れて破線状にしてます。

それにしても、ほんとに優美で優雅な機体です。
キットを計画したのは「三号艦戦はほんとに素敵な機体なんですよ」ということを広く知って欲しい、というのが大きな目的です。技量が未熟なために不完全な部分も多々あるのですが、それでも「少しでも三号艦戦をメジャーにしたい!」という、誰にも頼まれもしない、はた迷惑かつ暑苦しい、自己中極まりない野望と情熱(笑)を理解していただければ、と。

パーツの目処が付いたので、今はパッケージとインストの製作作業をしています。これまたまあとても大変なんですけど、この山も一歩一歩登るしかありません。それにしてもキットの製作って、山がたくさんありますね(笑)
アレも描いてコレも書いて、ソレを貼って、と頭がクラクラする仕事量ですが(これでも)、ほんとやってて楽しいです。でも、「楽しい」と「楽」は違うんだなあ、、という、、。うう、、。

まあ、それはそれとして、ついでに、私のお絵描きの作業台も紹介します。「まあ、ひどい」という(笑) でも、周りを自分の好きなものでかためると、やる気がとても出ますね。

正面のフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(個人的には、別名の「青いターバンの少女」の方がしっくりしてます)の絵葉書は、先月行った松江の島根県立美術館で買ったものです。余談ですが、この絵は第二次大戦中、ヒトラーの別荘に飾られていたそうです(「ギャラリーフェイク」でそう解説されてました)。ヒトラーがこの絵を何度となく観ていた、と考えるとなんだか不思議な感じがしますね。「ヒトラーはこの少女をどういう風に見ていたんだろうか?ヒトラーに何らかの影響を与えていたんだろうか?」とかとか想像するとほんと興味深いですね。それだけで漫画とか小説が1本書けそうな、、(書けないけど)。まあなんであれ、とても好きな絵です。いつか現物で見てみたいなあ、、。

閑話休題。というわけで、キットはもうちょっとで何とかなりそうな感じで、ラストスパートでバタバタしております。入手方法など、準備が整ったらツイッターの私のホームでお知らせする予定です。メール(morinomorio1945アットマークgmail.com)で直接お問い合わせしていただいてもOKです。予約も大歓迎です、、、っていうか、欲しいっていう人いるのかなあ?(笑)

というわけでまた。製作記は、次回か次々回のエントリーで(その3)を書いてお終いにしたいと思ってます。

三号艦戦の製作経緯についての過去のエントリーはこちらです。興味のある方はご覧下さい。

そもそもの製作をスタートしたときのエントリーです。製作記「その1」

製作記の「その2」

それが、HJ誌に掲載されました。その時のお知らせ

その後、三号艦戦についていろいろ考えたことをまとめたのがこちら。

今回のキット製作記の「その1」がこちら

うーん、なんだかんだでメッチャ書いてますね。でもまだ終わってないという、、。山ってまだまだあるのかなあ、、(笑)

<2019年8月25日追記>
後日、調査の結果、以上のエントリーに書いた機首の形状については「世傑」図面が正しいらしい、という結論に達しています。お詫びの上訂正します。詳しくはこちらをご覧下さい。
<追記終わり>











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HJ誌にM1A1マインプラウの作例が掲載されました&タミヤMMについて少し(っていうかメッチャたくさん)

2019年05月04日 | 模型の話題
今発売中の月刊ホビージャパン6月号に、M1A1マインプラウ(タミヤ 1/35)の作例が掲載されました

こちらが表紙。HJ誌は600号目なんですね。記念の付録として、「ホビージャパン600号のあゆみ」が付いてます。全号の表紙や毎年の2-5冊の内容を丁寧に解説するなどして、同誌の歴史を紹介。これ、とてもいいです。昔の表紙を見てると、ほんと懐かしくなりますね。

本誌の誌面は、平成最後の号ということでエヴァンゲリオン、ガンダム、ガメラなど、あちこちで平成がらみの企画が載ってます。私のは、平成の最初のころに起こった湾岸戦争をテーマに、小澤京介氏のT72M1の作例と共に紹介されてます。
湾岸戦争も約30年も前なんですねえ、、。ついこの間のように思ってしまいますけどね。この後に、土居雅博氏が「戦車模型塗装の30年史」と題して、1Pの解説ページを書かれてます。30年を俯瞰して眺める内容に「なるほどなあ!」と。

というわけで、よろしければ誌面をご覧下さい。マインプラウ、カッコいいですね。それにしても現用戦車って、反則気味にカッコいいので困ってしまいますね(?)

で、私は結構長い間同誌で模型のお仕事をさせてもらってるんですけど(こないだ調べたら、ちょうど10年目でした。そんなにやってたんだ?とびっくり)、よくよく考えたらタミヤMMシリーズの作例は初めてでした。そもそも、MM以外でもタミヤ製品自体の作例をしたことがないです。要するに、私はそういうポジションなんですね(?)

先月の中四国AFVの会では、ゲストトークのテーマは「タミヤMM50周年」でした。その流れもあってか、会場や酒席でもMMの話題が多かったような。そんなこんなで、このところMMについてあれこれ思い出したりする機会がなんだかんだとあったので、今回はその辺を書いてみたいと思います。最初に断っておきますが、メチャメチャ長いです。阪急梅田から北千里に着くまでに読めないかもしれないくらい長いです(分かりにくいし、そんなには長くはない!っって、この突っ込みも分かりにくい!)。

さて、私はもちろん、MMは大好きです。確か、最初に買ったのは7歳くらいでした。ここでクイズです。そのアイテムはなんでしょう?まあ、当てられないでしょうね(考える人なんておるか!)。答えはこの後すぐ!(笑)

しかし、「大好き」といいながら今持ってるのはこんだけです。しかも、このうち2個(ブレンガンキャリアーとバリケードセット)は人にもらったものです。なはは。その節はありがとうございました!

もちろん、欲しいのは無数にあるんすけどね。けど、買っても作れないのでセーブしているのであります。まあ、もちろんお金もないんすけどね(笑えない)。

えー、それではクイズの答えです。私の初MMは「M21モーターキャリア」です。まー、これは誰も当たらんかったでしょうね(だから、どーでもいいって)。人生初のMMくらいは持っとこう、と思って何年か前に現行品を買いました。でも張り箱の昔のやつ、欲しいなあ、、。

7歳くらいの頃は、ボンネットトラックやバスが大好きで、その流れでボンネット式の車両に魅かれてたんですね。しかも、後ろがキャタピラなのがたまらんかったような記憶があります。今は枢軸派の私ですが、当時はそれほどでもなく(?)、パッと見いいやつは何でも買ってました。ハーフトラックつながりでは、これと同じ頃に8トンハーフを買ってます。でも8トンはシングルなので、MMじゃなくて「戦車シリーズ」ですね。「戦車シリーズ」はモーターで走らせることができるシリーズで、ディスプレイオンリーのMMとは別のものです。

で、その8トンが、最初に色を塗った模型でした。模型屋に行ったとき、連れてってくれた父親にドキドキしながら「色塗りたいから塗料買っていい?」と聞いたことを覚えてます。わけ分からんまま、グンゼのラッカーを買って、変な3色迷彩にしたような。でもシンナーを買わず(そんなのがあるなんて知らない)、筆を洗えなくてガビガビになったような、、、っって、ほんと他人からするとどーでもいい話だよなあ、と思っちゃうんですけど、それを言いだすと、今回はほぼ全てどーでもいい話なので、以下もどんどんどーでもいい話をしていきます。すいません。

MMの凄いところは、いちいち書いてられないほど、たくさんありますね。その一つが、何十年も前とほぼ同じものが今でも手に入る、という点。例えばハセガワの飛行機もキット自体は昔と同じでも、パッケなどが変わっています。タミヤのはほぼ同じです。これは凄い!以前作ったキットなら「パッ!」と当時のことを思い出したりします。
モーターキャリアだと、当時じいさんの部屋で箱を開けて、インストの幌の作り方を見て「こ、これはおいらにゃー、無理だあ!!」と思ったのを覚えてます。それにしても、これ、今でも難易度高スギ(笑)

そういえば、この幌は「タミヤインストブック2」(大日本絵画)のコラム「みんな自作できたのかな、、」でも紹介されてたので、そういう人、多いかもですね。このキットはそのうち作ろうと思ってるので、その際は頑張って幌も作って、昔日の雪辱を果たしたいです(笑)。あ、あと後部の床を前後逆に間違えて接着しちゃって、迫撃砲が逆向きになったんですよ。それも込みでキチンと作りたいです。で、そういう楽しみ方(?)ができるのもMMのいいところですね。ただ、こういう楽しさがあるのは、こんな風な「あとひと工夫」を紹介している、とても読み応えのあるインストや、カッコいい箱絵など、キット以外にもお楽しみの要素がたくさんあるからなんですね。ここはMMのキモといっていいポイントでしょう。

それにしても「何十年も前と同じものが今でも手に入る」っていう商品は模型以外でもなかなかないですよ。ちょっと思いつかないです。例えば、本でも「坊ちゃん」や「シャーロック・ホームズ」でも、内容は今も昔も同じですが、出版社や装丁、翻訳が変わると、また別の感じになってしまいますものね。

さて、次はMM企画あるある「マイベストMM」のコーナー!!一人でやってるとバカみたいだぞ!!(笑)

「ベストキット」はもうダントツで「日本陸軍歩兵セット」ですね!そして「ベストパッケージ&箱絵」は「オートバイセット」です。
日本兵セットはほんと凄いです。チハも凄いんですけど(もちろんベスト2です)、日本兵セットはなんというか、箱絵からキットのレベル(服の皺など、彫刻が狂気の沙汰です)から、なんかもう全体的に変なオーラがでてますね(笑)。気合の入り方が半端じゃない、というのがビシバシ伝わってきます。でも、雑誌のベストで選ばれてるのを見たことがないような、、。ほんと、凄いと思うんですけどね、これ。

チハもそうですが、今ランナーを見てると「これを40年以上前に作ったの?ウソだろ?」とゾッとします(いやほんと)。箱絵も素晴らしすぎです。これ、頑張って模写したなあ、、。昔のタミヤニュースで、中西立太氏がこのキットを開発する際の裏話を書かれてましたね。開発時に、軍服と装備を中西氏がタミヤに持って行き、社員の杉本・田村両氏に着てもらったときの思い出でした(今探したら、ありました。200号の記念特集でした)。「軍服には、その国民の骨肉的な表情がある。なので日本人には日本軍の服が似合う」といった趣旨でした。当時フムフムと興味深く読んだ記憶があります。

「オートバイセット」の箱絵はほんと素敵ですね。真横からのバイクの絵を、上下に置いて、間に文字を挟む、というレイアウトが実に斬新でカッコよすぎです。この箱は、部屋に見えるように飾ってます。上下の兵士のポーズがちょっと違うのもにくいです。これは鳥山明さんが「Dr.スランプ」の扉絵にしてましたね。確か、ツェンダップにセンベエさんが乗ってたような。「Dr.スランプ」はあちこちに模型やモデルガンの要素がちらほらと出てて、子供ながらに「鳥山センセ、あんたも好きねえー」と思ってましたね(笑)。そんな、漫画以外の「知ってるやつは知ってる」というディテールも大好きでした。

日本陸軍歩兵セットは、長年唯一の日本兵キットだったということもあり、かつヘッドの日本人顔は今でも1級品なので、なんだかんだでずっと買ってます。ファインモールドの日本兵が充実するまでは、胴体はドラゴンとの混合、ヘッドはこのキット、という必殺技(笑)でしのいでました。というわけで、今11箱目(笑)。
あと一箱で綺麗に四角になりますね(笑)。頑張るぞ!(目的ズレてんぞー)。

日本兵セットに限らず、キャラメル箱のシリーズはとても好きです。箱全面に、果てはベロにまで情報がびっしり詰まっているゴージャスな感じもこれまたMMならではですね。それにしても、箱絵がカッコよすぎる、、。サイドの装備品の絵も含めて、他に比べてなんか気合が違うような気がしますが、どんなもんでしょう。一度原画を見てみたいものです、、。
さて、このキット、子供の頃は350円でした(今は700円)。キャラメル箱のシリーズは、安いので小さいし戦車キットのゴージャス感には及びませんが、それとはまた別の「なんかいいものを買った!」という満足感を得られましたね。

個人的には、MMの人気を支えた大きな理由のひとつがこのキャラメル箱シリーズだったんじゃないかと思ってます。私を含め、友達の平均的な小遣いは月500円とか1000円くらいでした。それだと、一つ1000円とか850円の戦車はなかなか買えないです。ましてや、他にハセガワの飛行機キットとか銀玉鉄砲とか発泡スチロールのグライダー(ありましたよね)とかお菓子とかを買わないといけないので(笑)、なおさらです。

そういう子供にとって、キャラメル箱は安く買えて、しかもかなり満足できるシリーズだったんですね。フィギュア以外にも、このオートバイとか75ミリ砲とかバリケードとか、アイテムに幅があったのもよかったです。75ミリ砲、これも当時350円でしたからねえ。ちょっと安すぎですね。
で、小遣いの少ない子でも、これらを買ったら「お、ええやん、見せて」とその時は仲間の主役になれるし、「あいつはアレを買った」と個人のコレクションとして十分認められるわけです。こういうのって、子供からすると結構大きいです。その頃の年上のお兄さんたちの世界がどうだったのかは分からないのですが、子供だった私の周りはそんな感じでした。

そして、そういう小物でも集めていくと、もんの凄いこと(笑)になるのは皆さんよくご存知かと。バリケードや土嚢を置いて、75ミリ砲を置いて、機関銃チームを置いて、、、と、地面を作らなくても、例えばコタツの上に一つの「世界」が出来上がるっていうのはたまらない魅力がありました。しかも、全部自分が作ったもの、という。その満足感はかなりのものでした。これも、ちょっと他のプラモにはない要素です。

それにしても、キャラメル箱の側面の箱絵もいいですよねえ。購買意欲をそそる、といいますか(笑)。タミヤの箱って積んでもカッコいいんですよね、なんか。そういえば、プラモの箱は作った後も捨てずにとっておいて、目立つところに積んで悦に入ってましたねえ、、。
ちなみに、この75ミリ砲とイギリス歩兵セットは、今回のブログの下調べをしてるときにオークションで見かけてつい買ってしまったものです(笑)。箱が焼けたりで安かったのですが、届いてみたらかなり前の小鹿版(値段を見ると最初期のですね)でした。ラッキーでしたね。でも75ミリ砲は作るつもりで買ったのに、作れなくなってしまいました(笑)。仕方ない、現行版、買うか(コラ)

あと、MMではないのですが、戦車シリーズ(リモコンとかシングルのモーターライズのやつ)の存在も、子供には大きな魅力でした。これは、これまた7歳くらいのときに初めて買ったM10。
何年か前に、状態のいいのが出てたので買いました。タミヤのリモコンは、今でも高値取引ですね。それは、希少価値もあるんでしょうけど、やっぱり全体的なゴージャス感が今でも生きているからでしょう。箱を開けたこの感じがなんとも、、。正直、これもちょっと高かった(笑)ですが、私みたいなノスタルジーおっさんがいる以上、ずっと高値取引でしょうねえ。Ⅲ号戦車のリモコン、メッチャ欲しいんですけどまあ手が出ません。誰か下さい(アホか)。

このM10は当時モーターを買うことができなくて、ディスプレイになってしまいました。前に何かで書きましたけど、モーターはお店のレジの奥の棚にあって、それを入手するには、必要なモーターの種類を確認した上でお店の人に申告しなくてはならず、ビビリな子供の私には非常に困難な手続きだったのであります。もちろん、お金も無かったし(笑)

その後、もう少し大きくなった10-11歳頃になると、MMと並行してリモコンもよく買ってました。今はMMと戦車シリーズはなんか分けられて語られてますが、当時はもちろんそういう意識なんてなくて、いっしょくたにして楽しんでましたね。友達とリモコンで相撲をとったり、庭にコースを作ったりとか。この辺は、リモコン経験者は皆さん同じかと思います。

リモコンは、お年玉とか誕生日のお小遣い(じーさんばーさんが奮発してくれてたのです)が入ったら、欠かさず買ってましたね。最初からモーターが付いてる1500円のやつも「よっしゃよっしゃ」って感じでした(笑)。ちなみに、モーターなしのが1200円でした。1500円のは140モーターで、車格がちょっと大きいアイテム(タイガーとかパンサーとか)で、1200円のは130モーター別売りで、ちょっと小さいやつ(Ⅲ号やマチルダなど)でした。今も、ギアボックスの一部はとってあります。

左がパンサーのですね(分かりにくいけどPAと刻印がある)。他はT34のです。下の小さいのはⅢ突の130モーター用のです。Ⅲ突のは、モーター固定用の板がないのが残念。

さて、その頃(1985-6年ごろ)は、すでにMMでは生産休止になっていたアイテムも、リモコンではまだありました。例えばⅢ突とT34の42年型はリモコンでしか知りませんでした。MMのリモコン版は、アクセサリーパーツがオミットされてるのですが、そもそもMMのキットを見たことがないので、そんなことはもちろん知りません。T34なんかは「あっさりしたキットだなあ」と思ってました。しかし、その後スポットでMM版が出たとき、アクセサリーパーツのランナーに驚愕したという(笑)。

今でも不思議なのですが、MM版を生産休止にしても、リモコンは生産を続けてたんでしょうか? でも、リモコンでもⅢ号やマチルダ、KVなどは当時見たこともありません。T34とかは単に問屋さんに在庫が残ってただけなのかもしれませんね。この辺は地域によって違ってたのかも。そういえば、リモコンはありましたけど、シングルはどのアイテムもほとんど見たことがないです。作ったことがあるのはⅡ号戦車とロンメルだけでしたね。今でも、シングルの箱絵って初めて見るものばかりです。

MMの特集はあれこれありますけど、戦車シリーズに焦点を当てた特集とか見てみたいですね。M10などMM入りできなくてそのままというキットもありますし、箱絵もシングル・リモコンともども特有のものなので、面白いと思うんですけどね。先に書いたように、生産時期のことも知りたいです。

先にちょっと書きましたが、私がMMを始めとするプラモに一番はまってた年代は小学3-4年生から中学1-2年生くらいの1984-88年ごろです。要するに、いわゆる「冬の時代」のど真ん中だったんですね。なんちゅうか、一番ヒドイ時期に最前線だったわけです。スターリングラードにいきなり送られた新兵、みたいな(笑)。

当時から、なんとなくマイナー気味なアイテムに惹かれてたのですが、その頃はそれらはことごとくカタログ落ちしてました。例えばⅢ号戦車、Ⅲ突、ロシアフィールドカー、マチルダ、KVⅠ・Ⅱ、セモベンテ、一式砲などなど、どれも店頭で見た記憶がありません。ちょっと年上の方からすると「えっ!」と驚かれるかもですが、ほんとなんですよ。ひょっとすると小学1-2年生くらいの頃はあったかもですが。でも一番はまってた時期には、確かになかったです。

ではなぜ、店頭にないアイテムを知ってたかというと、現行品の箱の横の他のアイテム紹介を見たというのもありますが、何年か前のカタログが模型店で100円で売られてて、それで見てたというのも大きいです。最新のカタログはちょっと高くて(当時500円くらいだったかな?)買えなかったんですね。初めて買ったのが1980年版でした。これは、大人になってから買い直したもの。

この年の見開きのジオラマに、金子辰也氏の「PARADICE」が載ってて、それをはっきり覚えてたので1980年版だと特定できました。「PARADICE」のあの錆びたチハを見たときのドカーン!ときた感じは今もよく覚えてます。そういう人、多いんじゃないでしょうか。

で、古いカタログのすでに売ってないMMアイテムを見て「これ欲すぅいー!!」と悶絶していたという。今から考えたら、自分で自分を生殺しにしてたわけです。間抜けスギ(笑)。

それにしても、MMのこのページはたまらんですね。なんか、色合いがいいんですよね。見本の塗装仕上げの感じと背景の色の相性がいいのかな?

というわけで、私にとっての「冬の時代」の飢餓感は、新製品が出ないというだけじゃなくて、既存のアイテムも手に入らないし見た事もない、という2重の苦しみだったわけです。当時は、スケールモデル全体が低調で、模型雑誌でも新製品の作例というよりは、絶版モデルを元にした作例が多かったように思います。なのでなおさら飢餓感が募ってたという。そういえば、MG誌で松本州平氏が、寂れた模型店のショーケースで見つけた、埃を被ったⅢ号戦車の完成品を再生して、作例にしてましたよね。そんなこんなで思い出すと、今から考えるとちょっと信じられないくらいの感じだったんだな、と。

当時は「あれが欲しいこれが欲しい」が高じて、何度も夢にまで出てくるほどでした。知らない店に入ったら欲しいキットがあって「やった!!」という感じのやつ。漫画みたいですけど、ほんとなんですよ。アホですね(笑)

で、中学1-2年生くらいの頃から、MMの欠番がちょこちょこスポット生産されるようになりました。夢に出てきたⅢ号戦車とロシアフィールドカーはメチャクチャ嬉しかったですね。Ⅲ号とⅢ突が一緒に再販されて、Ⅲ号は2個欲しかったんですけど、一個しか買えなくて残念だった記憶があります。その代わりⅢ突は2個買いました。確か、ほぼ同時期にロシアフィールドカーが再生産されたのかな?KVⅠやSU85、T34・42年型など、ソ連物がまとめて再販されて、夢中で買いましたね。感無量でした。そう考えると、この頃はもうかなりお金に余裕があったんだなあ、と。
しかし、この頃の完成品は残念ながら処分してしまってないのですが、箱だけはとってます。ロシアフィールドカーも2個買って、一個が残ってます。でも、久しぶりに箱を開けたら部品が虫食い。そういやちょっと前に使ったんだった。もったいない、、。

Ⅲ号戦車は、土居雅博氏のMG誌のJ型のスクラッチに感激したこともあり、誌面を見ながら、頑張って改造しましたね。ほんと取っておいたらよかったです。子供のころの完成品は、進学で県外に出るとき、まとめて処分しちゃったんですよね。残念、、、。

空き箱も処分しましたけど、Ⅲ号のだけは取っておいたんですね。中は当時のジャンクボックスになってます。フィギュアはスクラッチの芯にするなど、今でも現役なんですね、実は。あと、森川由香里さんのカコナールのCMカードが入ってますね(笑)。プラ板代わりに使ってたんだと思います。
作りかけで放棄したフンクワーゲンは残骸のジオラマにするとかして、どーにか成仏させられんかな?とか考えてるんですけどね。

カタログに話を戻すと、M1A1マインプラウの作例の記事にも書きましたが、この頃のカタログの刷り込みが今でも尾を引いてます。M1はずーっと「MMの中でも新し目のアイテム」と思い込んでたんですけど、調べたら124番(マインプラウは158番)とかなりのベテランでした。なんのことはない、当時は全然新製品が出なかったので、何年もカタログの後ろの方にずーっとあったってことなんですね(笑)。

この辺の感覚って、世代ごとに違うと思うのですが、これもまたMMの魅力の一つですね。なんせ、50年も続いているシリーズなので、年代を超えて話ができるという。模型趣味自体、年齢とは関係なく初対面でもすぐ打ち解けられるいい趣味だと思うんですが、あるメーカーの特定のシリーズでここまで会話が成り立つのって、そうそうはないように思います。世代間のギャップですらも、ネタになるんですね。

ある飲み会で、模型仲間のO山氏が「新発売の告知を知って、発売を心待ちにした初めてのMMは?」とお題を出しました。各自の答えで大盛り上がりでした。古ければ「ええっ!お見それしやした!」となるし、新しいと「若い!その頃俺もう●歳だよ!」って感じになるんですね(笑)。その席での最古参はO野氏の「サイドカーセット」(これにはびっくり)、最若手が私の「新砲塔チハ」でした。O山氏曰く、このお題を出すと、酒席が盛り上がるんだそうです。確かに、そうですね。とても面白いし、話題のきっかけとしては申し分ないです。AFVモデラー限定のお題ですが、皆さんもよろしければ試してみて下さい(笑)

私の「新砲塔チハ」はさっき調べたら87年発売でした。さっきも書きましたが、私がかなりはまってたのは88年ごろまでで、それ以降はモデルガンとかエアガンの鉄砲の方に興味が移って、模型から徐々に離れていってしまいました。89年12月には例のタイガーⅠ後期型が発売され、それ以降少しずつ「雪解け」が始まります。でも、その頃にはもうほとんど模型を作らなくなってました。タイガーが発売された時のこともよく覚えてない(!)ほどなので、かなり離れちゃってたんですね。ほんのちょっと前までは、ドイツもののMM新製品を心待ちにしてたのに(私の中では、ドイツもののMM最新キットは今でもデマーグと休息セットのコンビです(笑))。今から考えても、ほんと間が悪いというか、勝手というかなんというか、、。

その後、高校を出て大学に進学して、県外で一人暮らしを始めると、お金的にもスペース的(模型を作るのは6畳一間じゃかなり難しい)にも模型はとても作れない感じになって、完全に私の模型趣味は途絶えてしまいました。子供のころはあんなにはまってたのに、不思議なものです。

よくよく考えると、それは一緒に楽しめる仲間がいなくなった、というのが大きかったのかもと思います。小学生の頃は、プラモは「男子のたしなみ」という感じで、やってないほうがおかしい、くらいでしたけど、中学生になると誰も作らなくなりましたからね。この辺の寂しさは、今でもよく覚えてます。でも、この寂しさも私の原点といえば原点、ですね。「誰もやってなくても、自分が好きなものは好き!でいいよな!それを自分なりにやっていこう!」と思ってたような。

模型は止めちゃいましたけど、ミリタリー自体への興味は学生時代もずっと変わらず、むしろ病気はどんどん悪化してて(笑)、本を読んだり、生活費を削ってモデルガンを買ったり(笑)で、そっちの趣味は続けていました。模型誌もたまーにチェックはしてましたが、立ち読みとかで気が済んでましたね。で、これも前にどこかで書きましたけど、卒業するころにアーマーモデリングが創刊されて「おおおお!なんか凄えことになっとる!!」と模型熱が再燃。就職して、お金とスペースに余裕ができると、親の仇を討つように(笑)模型を買い、作り、今に至る、というわけです。

正直、この時期にアーマーモデリングが創刊されなかったら、多分模型を再開してないですね。少し早くても、遅くても微妙だったかも。創刊時は学生で、誌面を見ても作りたくても作れなくて「就職したら、ガッツリやるぞ!」と1年くらいその気持ちをためまくり、パーンとはじけた、みたいな。なんか、ゲルリッヒ砲みたいな感じでした(笑)。ほんと、この場合は逆に間がよかったんですね。タイミングって、大事だし不思議ですね。

って、あれ、なんか気が付いたら「森男の模型半生記」みたいになってますね(笑)。でも、まあ、こうやって振り返ってみると、MMは私の模型の中でかなりコアな部分を形成したんだということがとてもよくわかりました。なので、これでいいのだ(笑)。

とはいえ、客観的に見ると、私がMM少年だった時期というのはかなり短いですね。多く見積もっても、せいぜい8年くらいです。ふーん、こんなもんだったのか、という。さっきから「MM大好き!」みたいな風に書いてますけど、全然ヌルイですね、私。なんかほんとすいません、って感じです。でも、好きなんですよ、ほんと。

で、どのくらいヌルイのかを証明するために、これまで作ったMMを列記してみます。2回以上作ったのは()で注記します。リモコンやシングルのも含みます。アイテム名は適当です。

ナンバー順に「6ポンド砲」「Ⅱ号戦車(2)」「キューベルワーゲン(2)」「アフリカ軍団歩兵セット」「Ⅲ号戦車」「ウィリスジープ」「88ミリ砲(2)」「ドイツ戦車兵セット」「Ⅲ突(2)」「ドイツサイドカー」「ハノマーク(2)」「ロシアフィールドカー(2)」「オートバイセット」「土嚢セット」「バリケードセット」「ロシア歩兵セット」「マチルダ」「ジェリカンセット」「レンガセット」「ドイツ歩兵突撃セット(2)」「37ミリ砲(2)」「M3リー」「カーロアルマート」「ドイツ機関銃チーム」「M3グラント」「75ミリ砲」「T34 42年型(3)」「M3スチュアート」「8トンハーフ4連高射砲」「ドイツ4輪装甲車222」「キングタイガー」「T34 43年型」「ホルヒ」「Ⅳ号H型(リモコン)」「タイガーⅠ(2)」「マーダーⅡ」「ドイツ歩兵進撃セット」「パンサー」「ロンメル(シングル)」「フンクワーゲン」「KVⅠ」「チハ(2)」「SU85」「モーターキャリアー」「日本陸軍歩兵セット(流用込みで10以上(笑))」「Ⅳ号戦車D型」「ホルヒと20ミリ対空砲」「20ミリ対空砲」「M8自走榴弾砲」「ドイツ小火器セット(3-4くらい? もう覚えてない)」「グライフ」「M4A3シャーマン」「動物セット」「チハ新砲塔」「M1A1マインプラウ(こないだの作例だ(笑))」「連合軍車両アクセサリーセット((2)日本軍戦車に鹵獲品設定でジェリカンとかバッグを乗せまくった)」「ドラゴンワゴン(本体のみ)」「ドイツ自転車セット(2)だけど、ちゃんと作ってない。全部日本の自転車に改造」「アメリカ現用車両装備品セット(これも作例)」「BT7」

とまあ、こんなもんです。計59アイテム。メッチャ少ないですね。ヌル過ぎですね。「あ、こいつ偉そうなこと書いてるのに、あれも、そしてこれも作ってない!!」とか思われる覚悟でさらしてみました(笑)。今の最新作が366のアキリーズなので、6分の1も作ってないわけです。リニューアルとかの重複を除いても、5分の1もいってないでしょう。

というわけで、ヌルイという自覚はありますので、今はたまにでもいいから、これまで作ったことがないMMで楽しみたいなあと思ってます。作ったことがないのって「逆貯金」みたいな感じがしませんかしないですかそうですか。パットンとかM113とか、ローバーの救急車とか、当時はあんまりピンと来なかったけど今はいいなあと思うようなアイテムはたくさんありますからね。もちろん、子供のころに作ったやつをもう一回、というのもいいですよね。75ミリ砲、やっぱ買うか!(笑)

昔のカタログを、今眺めながら「次はどれ作ろうかな?」って考えてたら、なんか子供のころに戻ったような気がして、ワクワクします。こういう楽しみ方も歴史の長いMMならではなんじゃないかなあ、と。これらはそういう気持ちで作ったものです。
古いMMは、変にあれこれいじるんじゃなくて、キットのよさを生かしてMMらしい作品にする、そしてちょっと遊ぶ、というようなスタイルが楽しいですね。完全なストレートで作った6ポンド砲はかなり楽しめました。マーダーⅡとか、MMはやっぱ2桁だよなあ、いや、3桁のシャーマンもぜんぜんいいな!(どっちやねん)とかとか、ほんと楽しめます。とはいえ、最近は全然作れてないので、これまた「言うだけ番長」になりかけてるんですけど(笑)

というわけでお終いです。いやー、今回は(も?)長かった!!どなたか最後まで読んでくれましたでしょうか(笑)。ゴールデンウイークはずっと予定がなかったこともあるんですけど、MMといえばあれも書きたい、これも書きたい、とかとかでメチャクチャ長くなってしまいました。すいません。でも、語り尽くそうと思っても語り尽くせない、それくらいの魅力があるシリーズであるということなんですよね。また、前半で予告したように、ほんとどーでもいい話ばかりでしたけど、これはこれで、1980年代後半の、いちMMファンの模型体験記、という意味では興味深い資料になる、、、ことはないか(笑)。ほんとすいません。

で、ここまで読んでくださった猛者の皆さん(ここまでに果たして一体何人が落伍しただろうか、、、)は、冒頭の話題はとっくに消し飛んでるかと思います(笑)。HJ誌最新号、よろしければぜひご覧下さい(思い出しましたか?)。それにしても、子供のころは、自分の作ったMMが模型雑誌に載るようになるとは思ってもなかったですね。なんともいえないです。感無量です。なので、今回の作例はそういうのも込みでしみじみとしてしまいましたね。

なんか、上手く元に戻って、大団円になったような気もしますが、気のせいですね(笑)

それでは。

※最後のMM作品は、過去に個別のエントリーで紹介しています。よろしければご覧ください。

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第19回中四国AFVの会に行ってきました。

2019年04月20日 | 模型の話題
先週の4月14日、福山市で開かれた「第19回中四国AFVの会」に行ってきました。簡単ではありますが、今回はそのレポートをしたいと思います。上のイラストは、パンフに載せたせんしゃん漫画を見た人でないとわからんネタなのですが、まあご了承下さい。まあなんちゅうか、参加者特典であります(そんなええもんか?)。
 
ここ数年、訪れてくれる方の数はほんと増えてるな、というのが実感としてあったのですが、今年もまあ凄い熱気でした。10時が開場となってるのですが、個人的な準備が一段落して、会場をふと見たら、テーブルは作品でぎっしり。そして人もギウギウ。それが10時15分くらいでした(!)
以前は午前中なら普通に余裕で出品作を写真に撮ることができたのですが、今年を含めて最近は、お昼ご飯どきなどを狙わないとゆっくり作品を撮れないくらいです。うーん、ほんとありがたいことです。

私が運営のお手伝いをするようになった4-5年前は、あまりに誰も来ないので、実行委員と協賛クラブ員、ゲストの皆さんで、それぞれのお宝キットを賭けて、空いたテーブルの上で花札とかやってましたからね(真っ赤なウソです)

あ、すいません。冗談はこれくらいにして、レポートです。

コンテストの大賞は伊勢さんの「メイドインジャパン」です。
 これはもう、なんというか、写真を見れば余計な解説は不要な作品ですね。伊勢さんはここ何年もずっとコンスタントに受賞されてる方ですが、今回ついに大賞をとられました。いやー、昭和な感じがたまらんです。
 
情景金賞は森下さんの「デザートウォーリアー」
 森下さんも常連です。さすがの出来栄えです。レイアウトや車両の作りこみなどの大枠的な凄さだけでなく、地面に散らばるゴミなどのディテールの細やかさが作品の土台を支えているように思います。

単品金賞は片上さんの「兵(TUWAMONO)」です。片上さんは去年の大賞受賞者です。フィギュアが乗っていないのに、兵士の息吹を感じさせる作風はさすがです。

以上は正賞の上位作品紹介でした。
 
せんしゃん賞はこちら。三間屋さんの「排気口ファンの風になりたい」です。
要するに、エレファントの排気口ファンが、アノ映画のアレに見えたので、アノフィギュアを乗せてみた、という作品。いやー!素晴らしい!!!
 余計なことをしなければ(褒め言葉)普通に単品で全然OKな作品なのに、モンローのフィギュアを置いてしまうことで一切合財を台無しに(褒め言葉)してしまう、その男気に惚れてしまいました。「こういう勇気・男気をワタチも持ちたい!」ということでせんしゃん賞に選ばせてもらいました。

モンローもイイ感じなんですけど、それに増して、兵隊さんのちょっと呆れた顔が素敵スギ(笑)
ほんと、こういうのは、皆さんどんどん作りましょう(笑)

せんしゃんキットを使った作品に贈る「せんしゃんシャンソン賞」の候補作は今年は3点もありました。

まずはこれ。「ゴールデンせんしゃん」(すいません、作者名を失念しました!よろしければご一報を!)
いや、素晴らしい。ぱぱっと素組して、金色に塗って「ゴールデンせんしゃん」。誇張も誇大もありません。そのまんまです。「額面どおり」です。でも、そんな気持ちよさこそが「せんしゃんワールド」の真骨頂なんですよ!(もちろんこの瞬間、今さっき考えた)。色紙は「私が書きました」とありました。「そりゃそーだろ!他に誰が書くんだよ!」とツッコんでしまうのですが、この色紙にはそんなベタなツッコミをゴックンゴックンと飲み込んでしまうような説得力があります。「この色紙、自分で買いに行ったんだー。100均かな?失敗した用に何枚か買ったのかな?」とかイヤラシイ想像も無限に膨らみます。いやー、たまらんです。握手!

でも、「せんしゃんシャンソン賞」は眞田さんの「せんしゃん和風迷彩」に決定!これはもう、申し訳ないんですけど、ドストライクでした。
 キットをストレートに作りながら、塗装でここまでの個性を出せるというのは並みの腕前では無理ですね。かつ、車体の黄色帯は日本軍の戦車のアレを踏襲しており、ミリタリーモデリングの枠をキッチリと遵守しているのも素晴らしい。
 唐草模様は、私も描いたことはありますが、これ、ほんと難しいんですよ。グルグル巻きのバランスがちょっと崩れると、途端にそれっぽくなくなってしまうんですね。かなりのバランス感覚と技量が必要とされるのを知ってるだけに「これをする暇があったら、もっと他に、例えば人類のために貢献する何かができたんじゃないですか?眞田さん!眞田さん!(2回呼び掛ける)」と、呆れてしまいました(褒め言葉です)。最高です!ハンパナイスです!!
 
もう一つは永美石さんの「せんしゃんHG」これも、素晴らしすぎて、たまらんです。永美石さんは毎年せんしゃん作品を作ってくれてて、かつ毎年グレードアップしてるので警戒しているんですが(笑)、今年もやってくれました!!フェンダーとキャタピラが付いて、メッチャ強そう!! 砲も勝手に(笑)換装されてる!!
 これまたもう、タマラン作品です。ちょっとやそっとの手間ではできない作品です。先の眞田さんじゃないですが「こういうのに注ぐ技量や時間があるなら、もっとほかにすることあるだろう!」という周囲の目を一切気にせず、猪突猛進するその心意気には頭がクラクラします。大丈夫ですか!永美石さん!! しかし、それがわかりつつも、眞田さんの作品に軍配をあげさせてもらいました。申し訳ないなあ、、、と思ってたら、この作品は、なな、なんと金子辰也賞を受賞!!

いやー、なんちゅうか、ほんちゅうか(昭和的ギャグ)、たまらんですね。授賞式での金子さんの評を聞いてたら、私が作ったわけじゃないのに、なんか泣きそうになってしまいました(泣笑)。

というわけで、いろいろあってほんとに楽しい会でした。いやー、毎年たまらんですね。来年も楽しみです、、、、という紋切り型の終わり方をするかと思いきや、ここでお知らせです。

来年の中四国AFVの会は松江で開催します!

中四国AFVの会は、来年第20回目を迎えます。その節目の記念的な開催を、島根の「模型の会「轍」(わだち)」さんがホストクラブとなり、松江で行うことになりました。中四国の会は、今年の福山はじめ、これまで岡山・倉敷のほか、数年に一度くらいの頻度で、高知、下関といった協賛クラブのホームグラウンドで開催しています。これは、協賛クラブが広範囲に渡っているこの会の特長の一つとなってます。第20回目で松江で開催できるというのは、中四国ならでは!ではないかと。

今回の閉会間際に、その発表がありました。写真は「令和」ならぬ「松江」の額縁を手にガッツリ協力体制をアピールする未完成チームの大山氏(右)と、「轍」会長の坂本氏。どーでもいーのですが、大山さんは最近ダイエットに凝ってるらしく、この写真でも、その成果がわかったりわからなかったりしますね。ついでに、そのTシャツ、いーですよね。この人の猫のイラスト、私も好きです。こんなの、ノベルティで作りましょうよ(個人的通信)
恥ずかしながら、私は松江に行ったことがなくて(っていうか、山陰地方にすらきちんと行ってないなあ、、)、坂本会長にいろいろお話を伺うと、松江はとてもいいところらしいです。「次は松江?遠いなあ!」なんていわずに、行ってみようよ!と私は声を大にして言いたい。個人的には、とりあえず、夏に轍さんの展示会があるので、観光がてらに行ってみようかなあ(ほんと失礼だな!!)、と思ってます。

というわけでお終いです。

さて、今回の中四国AFVの会の様子をまとめた「中四国AFVの会ニュース」を、来月開催されます静岡ホビーショーの同会ブースにて、無料で頒布する予定です。ぜひおいで下さい。

また、来月発売のアーマーモデリング誌でもレポートが掲載されるとのことです(取材に来ていただいた皆様、本当にありがとうございました)。こちらもぜひご覧下さい。

で、私個人としては、その「中四国AFVの会ニュース」を大絶賛製作中です。なんのこっちゃない、私がやっとるんです(笑)
ビールを飲み飲み、今日一日やって、なんとか目処がついたかな?ちゅー感じっす。飲んでなかったらもっと早くできるんですけどねー(笑)関係各位の皆様、今しばらくお待ち下さい。今日はもう、寝ようかな(コラ)

というわけで、また。

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