森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

「義烈空挺隊員」 1/12 フルスクラッチ (その4)

2018年10月30日 | AFVの模型
義烈空挺隊員のフィギュアは、もうちょっとで塗装に入れるところまで進みました。やれやれ、、と思いきや、驚愕の展開に!続きはこの後すぐ!(笑)

軍跨の造型は「その3」(リンク先は最後に貼ってます)から何度かやり直しました。「その3」でも書きましたが、日本軍のオーソリティのS氏に「日本軍の軍跨っぽくないね」という指摘をいただきまして、なんだかんだで3-4回は作りなおしたかも、、。



お尻の部分もだらんとした感じです。なので、その辺を念頭に置いて再度造型してみました。


なんとかそれっぽくなったかな?とも思いますし、まだまだかな?という気もします。

でも、やり直しすぎて訳がわからんようになってしまいました。「立体版ゲシュタルト崩壊」、みたいな(笑)もうギブアップです。これでいきます。再々ではありますが、指摘してくださったS氏には感謝の言葉もありません。振り返ってみると、以前の造型ではかなりもうひとつだった、ということがよくわかります。ほんと、ありがとうございました!

というわけで、造型についてはほぼ目処がついて、あとは全体の仕上げをすれば塗装に入れるところまできました。

振り返ると、着手してからもう2年半以上が経ってます。「やれやれ、、」と思ってたまさにその頃、こういう本が出ました。

「義烈空挺隊の晴姿」(大木浩明・著)という本です。いわゆる自費出版の同人誌です。

40ページほどの冊子です。この本、メチャクチャ凄いです。義烈空挺隊の装備が、当時の写真や現存の装備などを交えながら、オールカラーで非常に詳しく解説されています。

私のフィギュアの製作に当たって、疑問に思ってたことが逐一解説されてまして、なんというか「目から鱗」を、「絵に描いて額に入れて壁に掛けたような」(by金田)本です。著者の大木氏は、膨大な資料と知識を元に、隊員の各種装備を解説しており、不明点や疑問点についての論考も実に明確・公正なのも素晴らしいです。やー、ほんと凄いです。今手に入るかどうかはちょっとわからないのですが、今年8月の発行ですので、入手できる可能性は高いと思います。興味のある方は探してみてください。

以前の製作記のエントリーではイラストを交えて、装備についてあれこれ書きました。でもほとんどが推測憶測、という「なんちゃって解説」でした。今回、この本で知った点について書いてみます。イラストの番号に対応していないところはパスして下さい。

まずは全体。

3・軍衣跨の迷彩は墨を塗ったもの、というのがこれまでの定説でした。しかし、実際は緑色のペンキを塗ったという可能性が高いようです。当時の証言や、出撃の様子を書いた新聞記事では「緑」という記述があるとか。この辺については、大木氏は断定を避けてはいますが、少なくとも「緑色で塗られた迷彩服」は存在したようです。本を読んだ私の感想としては「墨塗りの迷彩はなく、全て緑のペンキだった」んだろうな、と。これを知ることができただけでも大収穫でした。氏の「墨か緑のペンキか」という考察は非常に興味深いです。ミリタリー雑誌の紹介記事や過去のオークションに出品された「現物といわれる軍衣」に対する論考は、かなり鋭くてかつ読ませるものでした。読んでて「うわー、俺はやっぱアマちゃんだなあ!」としみじみしてしまいましたね(笑)

4・九四式拳銃と弾倉・弾薬を収納する「二式弾帯」は、正しくは「九四式拳銃弾帯」なんだそうです。「二式」は、小銃弾を収納する「一式」のようなものだったとか。

5・銃剣は、やはり三十年式でした。前期・後期型が混在してるそうです。

6・一〇〇式機関短銃の装備数は指揮班・攻撃班(120人くらい?)の中では37丁と、思ったよりも少なかったです。それ以外のパイロットを含む3独飛や、中野学校からの派遣隊員の装備数は不明ですが、写真などから見ると3独飛の装備率は高そうだ、とのこと。

7・吸着爆雷は形状が違ってました。吸盤は、本体側面の出っ張りに付いてます。

ここまでは作ってたのですが、もちろん、作りなおし(笑)。でも、詳細がわかってほんとよかったです。

イラスト2

4・略帽の後ろの札みたいなものは、やはり識別用のものでした。夜光塗料が塗られてたそうです。

5・リュックは英軍のP37でした。これは、別の資料ですでに知ってたのですが、確証が得られました。でも、大小の2種類があったのは知りませんでした。太平洋戦争の緒戦で、ラングーンで挺身第一連隊が鹵獲したものが、義烈空挺隊(母体は同連隊)に回ってきたとのことです。

イラスト3

2・機関短銃の弾帯は弾倉10本入りとのこと。

4・袖のポケットは爆薬の点火具や雷管などを入れておくためのものらしいのですが、手榴弾を入れている隊員もいる、とのこと。

という感じです。で、本を読んで一番「困ったなあ」となったのが機関短銃の弾倉嚢でした。

手持ちの資料でははっきり判別できなかったので、なんとなく「6本差しでいいか。ドイツとかも6本だし」とそうしたんですね。要するに、作り直しです。ああ、、、。また、サスペンダー状のベルトが付いていたようです。そのつもりで資料を見ると、確かに付いてます。弾倉嚢の総重量を考えると、ないとちょっとキツイですよね。これも、また作りなおしです、、。うう、、。


とはいえ、ほんとに10本差しだったのかな?という疑問はあります。10本だとちょっと多すぎて、資料写真のような感じにはならない気がするんですね。

こういうときは実際にやってみるのに限ります。モデルガンの弾倉を、10本分型取ってみました。

で、これを腹に巻いてみると、収まるのは収まりそうです。でも、弾倉の間隔は写真で見るともう少し広いので、わき腹まで届きそうな感じです。私は大柄な方なので、当時の日本人の体格だと、下手すると背中側にまで届くかもです。なので、やっぱちょっと多いかもなあ、と。現実的に考えると、8本くらいが妥当かなあという気がします。しかし、大木氏は「10本」と断定されてます。本の中の氏の記述は、とにかく考証に考証を重ねておられ、推測を元に断定されることは極力避けられているような印象です。なので、その根拠となる写真があったのだと思います。あるならぜひ見てみたいですね。

しかし、ここでは個人的な考察をあえて書いてみます。私の手持ちの資料(関連書籍はもちろん、写真をネットで集めたり、小柳次一氏の写真展に行ってメモをしたり、知人にDVDをお借りしたり、という感じです)「日本ニュース 252号」の「義烈空挺隊」https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300380_00000&seg_number=002の回の中で、機体に乗り込む隊員を、機内から写したカット(5分32秒ごろ)があり、私の知る限り、これが弾倉嚢を一番よく判別できるものです。

NHKのサイトでは、画質的にわかりづらいのですが、テレビ熊本の特番では、このニュース映像が正式に使用されてまして、かなり鮮明に見ることができました(協力して下さった某氏にはこの場をお借りしてお礼申し上げます)。今回、改めてそれを見ると、やっぱり10本は入ってそうには見えず、一番わかるコマでも数えられるのは7本です。弾倉間の間隔も、上の私の型取り写真のそれよりもかなり広いです。他のカット(機体に向かう隊員たちの姿・5分18秒ごろ)では、チラッと弾倉嚢の端が見えるのですが、前述の正面のカットと比較すると、10本収容できる全幅はないように思います。

弾倉は1丁につき10本が支給されてたそうです。なので10本差しが妥当なんでしょうけど、、、うーん、ほんとにわからない、、、。もうちょっと考え&調査はしてみますが、今のところは8本にしようかなと思ってます。2本は雑嚢などに入れてた、ということで、、。

余談ですが、一〇〇式についてはよくわからないことが多いです。そもそも、総生産数すらも判明していないんですよね。

こちらは、私の手持ちの資料です。「昭和18年 兵器学教程 一〇〇式機関短銃」(要はマニュアル)のコピー。後期型は昭和19年からの生産なので、前期型のものとなります。当然、図も取り扱い方も、前期型のものです。この時点では、1丁につき弾倉は20本が付く、となってます。

余談の余談ですが、今回改めてみて気付いたのが発射速度が700発/分という点。一般的には前期型は450発・後期型は800発とされてるんですけど、どちらとも違ってますね。うーん、わけわかめ。また「十四年式拳銃弾を使用する」となってるのですが、機関短銃用と思われる強装弾があったそうです(これは別の本「日本軍の拳銃」(ホビージャパン)で知りました)。で、その強装弾は、後期型から使われてたのかなあ?と。しかし、強装弾を使うと、九四式拳銃との共有が出来なくなります。九四式は構造的に華奢なので、強装の度合いにもよりますが、基本的に危ないんじゃないかと。じゃあ、一〇〇式も普通弾にしてたのかな?でも、こういう作戦なら強装弾の方が絶対いいよなあ、、とかとか。やっぱり、結局、わけわかめのわからんちん、です。私の考察ってほんと、こんなのばっか(笑)。

で、付属品の項目の「弾倉嚢」の解説では「10本を入れる」となってます。なので、1丁に20本付けるのは後期型でも変わらず、隊員への支給は10本で、残りは予備として保管されてたのかもしれませんね。

そして、この弾倉嚢がどんな形状だったのかもわかりません。どこかに写真なり現物があるとは思うのですが、、。日本軍の機関短銃の弾倉嚢については、あれこれ思うところがあるので、また改めて書いてみたいと思ってます。

閑話休題。というわけで、弾倉嚢以外は、まあ大枠では大体このままでいけそうな感じではあります。

マスコットの人形は「日本ニュース」に登場してます。でもちょっとアレンジしてます。これを付けた隊員は「義烈空挺隊」と書いた小さな幟も付けてますが、それは再現しようかどうかは考え中です。

「輸送機を敵飛行場に不時着させ、そこから飛び降りた隊員が敵機を破壊する」という作戦は戦史上では唯一無二です。実に壮絶な作戦です。そういう作戦に、こういう人形を装備に付けて出撃した、というのはなんというか、なんともいえないというか、、。なんであれ、製作に当たっては外せない要素だ、と最初から思ってました。

突入した隊員は、当然ながら全員が氏名も階級も判明しています。このマスコットの隊員の氏名もわかるんじゃないかと。しかし、この作品については特定の隊員を再現するのではなく「義烈空挺隊全体」をモデルとして「象徴的な隊員の姿を再現する」というスタンスで取り組んでいます。なので、装備の組み合わせなどについてはかなり個人的なアレンジを加えています。いまさら、製作スタンスを書くのもアレですが(笑)、そういう感じなんですね。

一〇〇式は、以前のエントリーでも紹介しましたね。塗装してからかなり時間が経ってるので(汗)、油絵具もさすがに完全乾燥したようです。絵具のムラが木目調になってくれてます。これは予期してなかったので、ちょっと嬉しいです(笑)。

銃剣の鍔は、先が丸く曲がった初期型にしてたのですが、何度もつけたり外したりしてたら後期型になってしまいました(泣)これもまた修正しないと、、。

P37リュックは、今回の本で詳細がわかったので、あれこれ修正しなければなりません。フラップの形状と縫い目、金具の形状が違ってます。大きさはもう一回調べてみます。違ってたら全部やり直しですねえ、、。

また、破甲爆雷のケースの縫い目も違うので、これまたやり直しです。あはは。

というわけで、塗装寸前まで来てたのですが、いろいろとやり直しになってしまいました。あれこれ考えると、完成は早くても一年くらい先ですねえ、、、。でも、このタイミングでこの本に出合えて、ほんとによかったです。作品の題材的に、自分のできる限りの知識と技術を駆使しなければならないと思ってますので「もし完成してしまってたら、、、」と思うと冷や汗が出ます。「3歩進んで2歩下がる」という感じではありますが、ほんとそれくらいのつもりで今後も取り組んでいこうと思ってます。

それにしても、地道に調査・研究を重ねて、素晴らしい本にされた大木氏には感謝の言葉もありません。こういう真摯な研究者がおられるからこそ、私のようなモデラーが何かを作れるんだ、ということは常に肝に銘じておきたい、と思ってます。

製作記の過去のエントリーはこちらです。興味のある方はぜひご覧下さい。
第1回
https://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/f0e513348ff7d038f701319848baecd2
第2回
https://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/85fe47777882ae896d2e136f18120081
第3回
https://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/63281e0f10b3fdd84ffbecc18a3e9e98

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第2回ガラクタ選手権

2018年10月20日 | 雑記
今回は、私のガラクタコレクションを紹介します。第2回目となります。ガラクタ、というのはまあ要するに古道具とかそういうものです。アンティークとかではなくて、とにかく、基本的に、徹頭徹尾無価値です(笑)。古道具屋さんや、旅行中何気なく寄った店で買ったり、人にもらったり、拾ったり(笑)して、気が付くと結構なボリュームになってしまってます。無価値ではありますが、とても気に入っているものばかりです。

まずは時計。左上の懐中時計は日本海軍航空隊仕様のレプリカ。なぜかロフトに売ってました。「海軍航空隊」と文字盤に書かれてるのがわざとらしくて「ほんとにこんなのあったのかな?」と思ったのですが、時計自体が魅力的だったので買ってしまいました。でも、後日資料(モデルーアートの別冊)を見たら、ほんとにこういうタイプもあったようです。右3本は陸軍の将校用腕時計。真ん中のはちょっとウソっぽいですが、左右のは中田商店のレプリカ。とても気に入ってて、壊れて2つめを買いました。でも、それも壊れて真ん中のクォーツ部を着けてつかってたのですが、これまた壊れてしまいました。中田商店のは絶版なので入手不能です。また再販してくれると嬉しいんですが、、。

左の2つは、太宰治の腕時計。新潮文庫のノベルティです。ベルマークみたいにカバーの印を台紙に張って送るともれなくプレゼントがもらえる、というやつですね。昔は太宰、漱石とかの写真をモチーフにしたグッズがあって、一番の品が時計でした。印が何十冊分かが必要で、集めるのはメチャクチャ大変でした。ベルトがないのは、軟質プラ製のベルトがデロデロに溶けてしまったからです。スウォッチタイプのも、ちょっと溶けかけてます。残念ですが仕方ないですね、、。貴重といえば貴重ですが、状態が悪すぎるので売ろうと思っても売れないです(笑)

こちらはナイフ。私は銃は好きなのですが、刃物は興味ないんですね。でも、いい形のだとつい買ってしまいます。左の2本は100均のもの。100均の商品は、質はもひとつなのですがデザインがシンプルでいいのがたまにありますね。でも、あまり切れないという(笑)

真ん中のはどこで買ったのかも覚えてないのですが、デザインと真鍮の柄が気に入ってます。ソムリエナイフは、確かどこかでもらったもの。ワインは飲まないのですが、この微妙なアールがいいですね。右端のは確かに買ったものですが、どこで買ったのか、何で買ったのかもよく覚えてないです。

紙幣です。旅行に行った友人にもらったり、古道具屋で買ったりしたもので、まったく脈略がないです。外国のお金って見てるだけで楽しいですね。韓国、台湾、ウクライナ、タイ、モンゴルかな?

一ドル紙幣は、グァム旅行の残りですね。自慢じゃないですけど、私は海外旅行にはグァムに一回行っただけです。しかも、実弾射撃をするためだけに行きました(笑)そういう意味では、とても思い出深い一品ですね。

スキットルとレールの断片。スキットルはソビエト軍仕様です。多分ウソの製品ですが、なんかイイ感じです。「レッドオクトーバーを追え」のショーン・コネリーが持ってそうです(笑) 昔はウィスキーが大好きで、旅行の時にはこれを持っていって、ちびちび飲んでました。今はもう強いお酒はダメなので、オブジェになってしまいましたね。それにしても、ソビエトの槌と鎌と星のマークってカッコいいですね。

レールの断片は古道具屋さんで300円くらいでした。磨いて文鎮にしようと思って、そのまんまになってます。私は鉄道は好きですが、マニアでもなんでもないのでこれがどういうレールなのかはよくわかんないです。でも、いいなあ!と思います。長いレールが断片になってるのって素敵です。どこのレールだったのかなあ、とか想像するだけでロマンが広がります(笑)

日本軍のゴーグル各種と日本陸軍機用の時計。どれも中田商店のレプリカです。海軍用の鷹の目ゴーグルは、バイクに乗ってるときに使ってました。下の使い込んだのがそれです。いかにも「猛者」って感じがしますねえ(笑)上のは予備で買って使わないままでした。右のは戦車兵用のです。

時計は手巻き式の実用品なのですが、これも壊れてオブジェになってます。でも、金属製でずっしりしていてとても気に入ってます。直せたらいいんですけどねえ、、。

巻尺とノギス。巻尺は高知の日曜市の露店で買ったもの。スケール部分が布なのが素敵です。革のケースもイイ感じです。「熊」の焼印がいいですね。大工の熊さんが使ってたんでしょうね(笑)一応、今でも使えるのがいいです。

ノギスは、確か工具の通販本で買ったもの。アメリカ製だったかな? 簡易なものですが普通に使えます。でも、実用はしてないですね。こういう渋い工具ってたまらんです。

お面各種。これらは全て旅先で見掛けて買ったものです。右のは輪島、下のは琴平で買いました。あとのはどこで買ったかなあ、、。和風のお面って、いいのがあったらつい買ってしまいます。安いですし(笑) でも、なかなか「コレハ!」というのはないですね。

和風のお面って、なんか吸い寄せられるような雰囲気があって、ほんと好きですね。デザインや色彩が素晴らしいというのが一番なんですけど、和紙で作ってる、ってのも大きいのかな、という気がします。

懐中電灯です。棒状のはいわゆる昭和アンティークです。太いのは今も使えますが、細いのは合う電池がなくて使えません。単2よりちょっと細いです。どんな電池だったんだろ?

箱型のは、ドイツ軍用のです。戦中タイプですが、確か東独軍のやつです。フィリップスの渋い電池が付いてました。こういう見慣れない電池ってたまらんですね(笑)

でも、切れたら当然補充できないので、単2仕様に改造しました。でも、電圧が低いのか全然明るくなくて、これまたオブジェとなってます。


箱型の缶詰です。こういう形の缶詰がとても好きで、イイ感じのがあったら、食べもしないのについ買ってしまいます(笑) 右2個と、中下のは沖縄で買いました。中上と左下のはどこで買ったかなあ、、。右上のノザキのコンビーフは現行品ですね。現行品ですが、とても渋くて素敵です。

で、どれも10年くらい前の賞味期限です(笑)とても食えたもんじゃないな、と思ってたら、缶詰って膨らんだりしてなければ半永久的に食えるそうですね。要するに、真空状態で密閉されてるので腐敗はしないとか。缶が膨らむというのは缶に錆などで穴があいて、空気が入って腐敗しはじめてる、ということなんですね。知人に教えてもらいました。知人によると、おじいさんが太平洋戦争に従軍してたとき、大正時代の牛缶が支給されて、それを食べてたとか(それにしても、日本軍って怖いなあ(笑))。なので、このコレクションは非常時用にとっておこうと思ってます(笑) でも、沖縄のはどれも油が染み出してきてるので(ギャー!!)だめかもです。なはは。でも、デザインが素敵なのでギリギリまで持っておこうと思います。

私の歯型と親知らずのキーホルダー(笑) 歯型は、治療のときに作ったのを歯医者さんに頼んでもらいました。「これ、もらえますか?」っていうのは結構勇気がいる(単に変な奴、ですものね(笑))のですが、この魅力には抗えない(笑) 親知らずも同様ですね。これは、コンパウンドとかで磨いて磨いてして、キーホルダーの金具を付けました。

一時、バイクのキーホルダーに着けてたのですが、ガソリンスタンドのお兄さんが嫌々持ってるのを見て外してしまいました。まあ、そりゃ嫌ですわね(笑) それはそれとして、自分の体の一部をこうやって外して持てるのって、歯くらいしかないので、貴重といえば貴重な一品です(そうか?)。

双眼鏡各種。奥左はソビエト製。奥右はインド製。手前左は日本製、右は単眼鏡。ソビエト製のは軍用なのかよくわからないあやふやなものですがキッチリ実用できます。我が家の双眼鏡の第一席で、自衛隊のヘリコプターとかが飛んでたら見たりするのに使ってます(笑)。インド製のは通販で買いました。まあ、雰囲気重視の安物ですね。でも、19世紀の探検隊が持ってそうな感じでとてもイイです。

日本製のは、サイズも小さくて性能もいいのでキャンプのときとかに持っていってました。デザインも素敵です。単眼鏡はロフトで見かけて衝動買いしたもの。漫画版のナウシカが単眼鏡を持ってて、ここぞというときに使ってまして「カッコいいなあ」と思ってたのでつい買ってしまった、という(笑) 単眼鏡を持ってるって、なんか「できる奴」って感じがしませんかしないですかそうですか。

日本製の双眼鏡はとても気に入ったので、ケースを自作しました。モデルは日本軍の各種キャンバス製ポーチです(笑)


これ、一生懸命作りましたねえ、、。誰にも頼まれもしないのに(笑)

こうやって、気に入ったものをさらに気に入るようにあれこれ自分で工夫するのもほんと楽しいですね。

というわけでお終いです。ご覧になっていただいたように、どれもほんっ、、とうに無意味無価値な「ガラクタ」です。でも、私の中ではとても大切な宝物ばかりです。形とかそういうのがいい、というのもあるのですが、長い時間をかけてコツコツ集まったというのも、大切さを感じられる大きな要素かもなあ、と。逆にいうと、お金を出してほいほいと今すぐ買えるものではないわけです。これらを買ったりもらったりしたときの思い出が詰まってるというのも大きいですね。そのときどきの友人知人やお店の人とのやり取りも、それぞれを見たり触ったりしたときにふと思い出したりもします。日々の日常に疲れることがあっても、こういう品々を眺めてたら、しみじみと気持ちが休まります。

とはいえ、他人からすると無価値は無価値でありまして、例えば地震とか津波でこれらが失われたとしても全く惜しくはない、というのも事実です(笑)。でも、だからこそ大切にしたい思えるのかもなあ、という気がします。

というわけでなんだかわかったようなわからんような〆になってしまいました(笑) 要するに古い道具はいいなあ!という話でした。

「第1回ガラクタ選手権」はこちらです。よろしければご覧になってみて下さい。
https://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/b9540cbcfee1dc03cd40cfd155f0b677


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十四年式拳銃の再仕上げ(マルシン製ガスガン)その3・完成

2018年10月06日 | 銃の模型
マルシンのガスガン、十四年式拳銃の再仕上げができました。

「あとは塗るだけ」のスタートだったので早くできるかな?と思ってたのですが、なんだかんだで1ヶ月ちょっとかかってしまいました。

前のエントリー「その2」以降の仕上げとしては、全体にちょっとウェザリングを施したくらいです。

といってもほとんどわかりませんね(笑)ウェザリングは油彩です。

でも、模型と違って完成後にベタベタ触ってポンポン撃つもの(笑)なので、ウェザリングは額に入れて飾っておくのでなければあまり意味がないといえばないですね。

グリップは、ニスを落として、ワイヤーブラシで表面をちょっと荒らしてからオイルステインを塗りました。

マガジンボトムの滑り止めの溝にたまった汚れも油彩です。

刻印のホワイトはアクリル絵具です。右側の刻印はとても浅いので、ホワイトを入れるのはちょっと難しいですね。ぺたっと刻印全体がかぶさるように塗って、乾燥後に拭き取ると比較的上手くいくようです。でも、拭き取ると残って欲しいところも落ちちゃうこともあり、何度かやり直しました。


ボルトはシルバーの塗料の上に、クリアーを吹いてます(「その2」参照)。ボルトは可動するので、塗料が剥がれるかな?と思ったのでそうしました。


トリガーガードは亜鉛製なのですが、こうやって見ると素材の違いはわかりませんね。塗料の質が高いってことですよね。とてもいい塗料です。


手を付ける前がこういう状態でした。


で、こうなったわけです。いやー、自画自賛ながら、見違えたと思います。嬉しいです。

ちなみにこれは8ミリBB弾仕様です。6ミリと8ミリではかなり印象が違いますね。なんか凄いボリュームがあります。で、このガスガンが唯一、実銃と口径が同じなんですね。それだけでもなんか嬉しい、という(笑)

ホルスターは中田商店のレプリカ。これ、結構高くて(当時11000円)買うのをかなり躊躇しました(笑)

でも、とてもよく出来てるので買ってよかったです。十四年式好きとしてはやっぱり、一個は持っておきたいですね(笑)。ランヤードも中田商店のです。何でこの写真にだけ付けてるのかといいますと、持ってるのを忘れてて今さっき思い出して、この写真だけ撮りなおしたからです(笑)

とはいえ、ホルスターもそうなんですけど、この手の塗料はなぜか布や皮に弱いようで、例えばホルスターに入れっぱなしにしていると、表面の各部が溶けたようになってしまうことがあります。この塗料はどうなのかはわからないのですが、念の為ホルスターに入れたりランヤードをつけたりはしないようにしたいと思ってます。

それにしても、このホルスターはよく出来てますね。フラップの膨らみ用のプレス型など、製作用の冶具は当時の本物なんだそうです。中国に一組残っているのが見つかって(在中国の工場があったんですね)、それを元に製作したとか。なので、これはレプリカじゃなくて純正の「再生産品」なんですね。そう考えるとかなり貴重な製品です。この話は「Gun」誌の記事に載ってたと思います。

フラップが膨らんでいるのは、内側に予備の弾を入れるポケットがあるからです。また、本体には予備のマガジンが入るようになってます。ポケットの隣にはこれまた予備の撃針入れもついてます。ホルスター一個で結構な弾丸が保持できるようになってるんですね。

モーゼルC96(以前紹介したマルシンM712のカスタム)と九四式拳銃(ハートフォード製)のモデルガンとの比較。 十四年式は、外観がルガーP08に似てるんですけど、構造的にはモーゼルC96に近いです。でも、近いというだけで、似通っている箇所はないですね。私の知る限りでは、ボルト式の拳銃としては完全なオリジナルな構造です。あ、でもマガジンはルガーのにかなり似てるかも、、、。

九四式拳銃は、十四年式拳銃の後継機のような印象がありますが、違うようです。九四式は、航空機や戦車の搭乗員用のかさばらない自衛用拳銃としての別な需要があって開発・制式化されたとのこと。実際、九四式の採用後も十四年式は終戦まで製造が続けられてます。でも、パイロットでも戦車兵でも普通に十四年式拳銃を装備してたりしますから、まあ、この辺は旧軍ならではの「とにかく、あるものから使うんだよ!なんか文句あっか?あるある」なんでしょうね(笑)

トイガンではありますが、十四年式と九四式を比べてみても、「目的」が違う拳銃であることはよくわかります。九四式の銃身はとても細くて肉厚も薄く、連射に適してないような感じだなあ、と(肉厚が薄いと、熱ですぐダレて当たらなくなっちゃうそうです)。しかも、リボルバーと同じ6連発ですし。十四年式は「攻撃用」、九四式は「防御用」って感じでしょうか。

南部式乙型(六研製の無可動モデル)との比較。一般的(どこの一般だ(笑))には「南部十四年式」と言われてますが、実は南部麒次郎氏の設計ではないようで、別の人物(「帝国陸海軍の銃器」によると、吉田智準大尉)が南部氏設計のこの南部式を元に設計したらしいです。へー!ですね。南部式はほんと素晴らしいデザインですね。この銃も大好きです。

余談ですが、南部式は1908年に「四一式拳銃」として採用直前までいきました。が、予算の関係でボツになったとか。十四年式は1925年の採用です。もし四一式が存在してたら、十四年式はなかったかもしれないわけで。じゃあ次のはどんな拳銃になってたのかな?とかいろいろ考えると面白いですね。ちなみに、この六研製モデル、樹脂の材質がもろくてあちこちが欠けまくってボロボロです。もっと丁寧に扱ってたらよかった、、。

九四式と二式拳銃(頑住吉氏のレジン製ガレージキット)の比較。二式はあまり知られてないのですが、これも制式拳銃(1943年制式)です。とはいえ、ほとんど製造されなかったようで、現存する個体のシリアルも二桁台だとか。このキットは、レジンながらほんとよくできてます。ただ、各部がもろくて欠けたりしてるので、いつか全体的に修理・再仕上げしたいと思ってます。

二式の設計は民間の濱田文治氏。南部氏の設計とはまた違うスタイルですね。時代がひとつ進んでいる、ような。飛行機も戦車もそうなんですけど、1941-2年ごろから、日本軍の兵器のデザインになにかドラスティックな変化があったように思います。これまでのどこか和風な優雅なライン(笑)が影を潜めて、どっちかというと実用的・現実的な要素が大きくなったような。やっぱりそれは米英との開戦後、彼の国の兵器を直に見る機会が増えたというのも関係なくはない、のかも。とか。まあ、あくまでど素人の思いつき、なんですけどね。

で、その相手国のM1911A1(いわゆるガバメント。MGCのモデルガン)との比較。こうやって見ると、明らかに分が悪いような気もしますが(笑)、一概に断定はできないな、とも思います。兵器はなんでもそうですけど、クライアント(軍)の要求に沿って作られるものです。その要求が違うと、結果も違うわけです。なので、結果だけを比べるのはアンフェアじゃないかな?と。銃器の雑誌を見てると、古い拳銃やライフルの評価の基準として、ライターさんには「今の製品と比べたらどうか」という視点が少なからずあるようです。でも「当時の軍がどういう銃が欲しかったか」という視点がなければ、正確な評価にはならないんじゃないかなあ、と。軍が「これでいい」と認めて、制式化されたわけですから。何らかの不備があれば、不採用になっているわけで。昔の銃雑誌では、日本軍の拳銃全般についてはそういう視点がなく、基本的に「どこか変な、ダメな銃。でも味はあるよね」みたいなオチになるのが定番、みたいになってました(もちろん、そうじゃない記事もありましたけど)。

今は、いろいろと再評価する動きもあって、よかったなあと思います。それにしても、この2丁、零戦とグラマン、みたいな感じもしますね(笑)。これまたあまり評価されてないのですが、この頃の日本軍の銃器のデザインセンスって本当に凄いと思います。和洋折衷の極み、みたいな。デザイン的に他に例を見ないです。ガバメントと比べたら、実に優雅で綺麗だなあって思いませんか?

マルシンとマルイの十四年式拳銃の比較です。マルイのは、30年くらい前に発売されたものです。そのときは、ほんとうに飛び上がるぐらい嬉しかったですね。お店で買うときは手が震えたのをよく覚えてます(笑)。当時の十四年式のトイガンはハドソンのモデルガンか、エルエスのプラモデルガンしかなくて、ハドソンは高くて変えないし金色だし(笑)、エルエスのは欲しくてももう売ってないしで、物心付いたときから立体の十四年式が欲しくてたまらんかった私は暗澹たる日々を過ごしておりました。

そこで、マルイが発売してくれたわけです。しかも1900円という超破格値。エアガンとしての性能もかなりのものでした。壊れたら買いなおしたり南部式にカスタムしたり(メチャクチャ大変だった、、)とかで通算で4-5丁買いました。今持ってるのは最後に買ったやつで、グリップは一生懸命自作しました。頑張ってるなあ、昔の私、、、。

マルイのはちょっと大きいかな?という感じですが、全体的なフォルムとか雰囲気はグンバツ(笑)です。

そういえば、マルイは作るモデルガンでも十四年式のリリースを告知して、ホビーショーでも発表してた(MG誌で見た記憶が、、)のですが、結局発売されませんでした。モーゼルかM586の箱の横のラインナップにも印刷されてて(そういえば、ルガーもあったなあ、、)、絶対発売されるものと思って心待ちにしてたのですが、、、。今でも残念な思い出です。

こちらはエルエスのプラモデルガンとの比較。エルエスのは、15年くらい前にネットオークションで作りかけのジャンクを買って、きちんと再仕上げしようとして途中で止ったままです。しかし、パーツがなくなったりして、ドンガラのままになってます。製品ではダルマトリガーガードなんですけど、前期型にカスタムしてます。

こうやって見ると、エルエスの再現度は凄いですね。もう一個欲しいんですけど、今未組み立て品がオークションにでても、1-2万円はいくかもなあ、、。そもそも、出てこないでしょうけどね。でも欲しいなあ、、、。未組み立て、作りかけ、完成品に関わらず、持ってる方はご一報を!! 格安で買い取ります(笑)

前回のエントリーじゃないんですけど、このキットの箱も最高ですね。たまらんです。子供のころ、近所におもちゃ屋さんがありました。駄菓子屋さんみたいな日本家屋で、駄菓子じゃなくておもちゃやプラモデルをメインに売っているという、今から考えたら激シブなお店でした。そこに、このキットがずーっと棚にあったんですね。お店に行くたびにじーっと見てました。小2ー3年の頃だったと思います。でもちょっと高くて(1200円)買えなかったんですね。箱を開けたかったけど、店主のおじいさんがすぐ怒るので(笑)中を見ることもできませんでした。

その後、小5くらいには1200円くらいのお金なら何とかなるようになったのですが、その頃にはこの店にあまり行かなくなってて、なんとなく入りづらくなっちゃって、欲しいけど買えないなあ、とモジモジしてるうちに(私は昔からシャイなんです(笑))お店がなくなってしまいました。お店の建物自体はずっと残ってたのですが(先日取り壊されましたけど)、その前を通るたびにこのキットのことを思い出していました。これまた、実に残念な思い出です。でもまあ、小5の頃にこれをきちんと作れたかというと、ちょっと怪しいんですけどね、、。

でも、その後作りかけとはいえ、このキットを手に入れることができてよかったです。この作りかけは、ほんと何とかしたいんですけどねえ、、。

というわけで、十四年式にはなんだかんだでいろいろな思い出があり、拳銃としては自分の中で実に大きな位置を占めいています。デザインとか歴史とか、銃自体の魅力ももちろんあるんですけど、祖父の思い出も大きいんだろうな、と思ってます。これ、祖父(故人)が従軍してたときに使ってたんですね。

以前にも書いたとは思うのですが、私は祖父から軍隊(日本軍、じゃなくて「軍隊」なんですよね)のころの話を聞くのが大好きでした。その話の中に「十四年式」という拳銃が出てきたんですね。「どんな拳銃だったの?」と聞いたんですけど、ほとんど内容は覚えてないです。「撃針がよく折れて困った」というのだけ覚えてるんですが(これは、十四年式の欠点だったそうです。なんでこれだけ覚えてるかな、自分(笑))。祖父は幸い実戦を経験せず終戦を迎えたので、そのこともあって孫の私にもすらすらと話をしてくれたんだろうな、と思います。そして、その話が私の原点になっているんだな、と。日本軍スキーになるのは必然だったわけです(笑)

これは以前イラスト集にUPした絵です。これ、記憶だけで描きました。なんとなく鉛筆で描き始めて「あ、記憶だけで描けるかも」と思って、ペン入れしたものです。

あとで答え合わせをしたら、まあ、間違いはあるのですが、おおむね合ってました。うーん、ほんと好きなんだなあ、と。でも、モーゼルとかも記憶だけで描けるかもしれないんですが(笑)

というわけで、十四年式は「じいちゃんの拳銃」から始まって、いつしか「自分の拳銃」になってたんですね。今回、こうやって自分なりに頑張って再仕上げできてよかったです。小道具はコレクションのガラクタから。それっぽいものを集めて撮ってみました。こういうの、完全に自己満足の世界なんですけど、ほんと楽しいですね(笑)

でも、以前のようにパカパカ撃って、飽きたら本棚の隙間に突っ込んでおく、ということができなくなってしまいました(笑)できるだけ大切に保管するようにしたいと思ってます。

というわけでまた。



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