森男の活動報告綴

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大塚康生氏を偲んで

2021年04月18日 | 雑記
大塚康生氏が2021年3月15日、逝去されました。大塚氏は長年アニメーターとして活躍され「未来少年コナン」や「ルパン三世カリオストロの城」の作画監督を務めるなど、日本の代表的なアニメーターとして知られる一方、ジープなど軍用車両の造詣も深く、ミリタリー界や模型界でもその名前を知らない人は皆無、といってもいいほどの方でした。本当に残念です、、。

今回は氏を偲ぶエントリーを書いてみたいと思います。ただ、氏の功績については多くの身近な方、詳しい方が多々の媒体で書かれており、私がそういうことを改めて書いても劣化コピーにしかなりません。なのでここでは私個人が大塚氏からどういう影響を受けたのかということを軸に、著作などの書籍の紹介を切り口にして書いてみたいと思います。要するに「いちファンの思い出」ということです。駄文にしかならないかもですが「こういうファンもいた」という意味ではこうして書き残しておくことは決して無意味なことではないだろう、と思います。その旨あらかじめご了承下さい。

そもそも、で思い出してみると大塚氏を知ったのは、アニメージュでした。左が79年11月号、右が80年1月号。でも発売されたとき自発的に買ったわけじゃないんです。
確か、私が小4くらいのとき、近所のお兄さんが本を処分することになって、なぜか私の家のタタキにドーンと積まれてたんですね。その中にアニメージュが何冊もあったんです。何でよその家が処分する本がわが家に積まれたのかよくわからないのですが。近所で一括して資源ゴミに出すとか、そういう決まりがあったのかもしれません。

で、子供ですから本の山を見て面白そうなのがあったら勝手に抜き出すわけです。それがこれらのアニメージュでした。フィアットの表紙のはびっくりしましたね。当時ルパンは知ってましたけど、セカンドだけでカリ城は観たことがなかったんです。「なんじゃこりゃー!!めっちゃカッコイイ!!」と。で、この表紙を描いたのが大塚氏だったわけです。

本を開いてさらにびっくり。これですからね。見開きのフィアット、2CV、ハンバー、不二子や次元の銃、オートジャイロなど情報量が半端ないです。
私は当時すでに車や銃や飛行機が大好きでしたけどでも、どれも知らないし、どれも素敵という衝撃。「こんなのがあるんだ!」と。この見開きを見たときの感じは今でも覚えてます。

この車の紹介も凄かった。CMPやら2CVやらのフォルムに頭がくらくらしました。
一番下のが「30年代の米の観光バス」って、、。ちなみにこのバスは、最初のカーチェイスでフィアットとすれ違うアレです。

80年1月号では大塚氏ご本人を特集しています。

自家用ダッジに乗ってはるし、、。ほんと氏のようなアニメーターは唯一無二ですね、、。

この特集は氏のアニメーターの業績を中心にしたものですが、アニメーターになる前の機関車やトラックのスケッチも紹介されてました。どっちかというと、こっちに目を奪われましたね。
私は物心ついたころから絵を描くのが好きでチラシの裏に飛行機とか戦車を描き散らしてたのですが、まあ要するに「もんの凄い先輩がいる!!」とびっくりした訳です。「とてもかなわないなあ、、」と。これらを見て「絵を描く」という行為について改めて考えるようになったような記憶があります。上達は全然しなかったですけど、、。

とまあ、氏との出会いはほんと偶然だったんですね。もし本が家に置かれてなかったら、と思うと不思議な気がします。

で、その頃モデルグラフィックスに出会いました。どちらが先だったのか記憶がもうおぼろげなのですが、ほぼ同時期で、本屋さんで立ち読みしてたんです(とても高くて買えなかった。当時580円でしたけど、月の小遣いが500円ですから)。

創刊時をご存知の方はお分かりと思いますが、ほんと凄いライター陣だったんですよ。宮崎駿氏の「雑草ノート」、横山宏氏の「ブレッヒマン」、模型作例ではシェパード・ペイン、嘉瀬翔、松本州平各氏などなど、今ではちょっと有り得ないような顔ぶれでした。

大塚氏は「大塚康生のおもちゃ箱」を連載していました。模型や実車について書かれたエッセイです。大塚氏独自の切り口がじつに新鮮で、文章も実に小気味よく、マニアックな話題なのにわかりやすくかつ資料的価値もあるという素晴らしい内容でした。どの回も実に興味深くかつ渋いです。例えば創刊号(84年11月号)では「マックス模型顛末記」ですからね。
とはいえ、当時の私はマックス模型なんて全然知らないし、キットを見た事すらなかったんですけどね。でもふんふんと読んでいっぱしの模型通みたいな気分になったものです。しかし発売当時は立ち読みなので、内容はおぼろげにしか覚えてなかったんですが、、。この頃のMG誌は後日(小5-中2くらい?)バックナンバーとか古本を買い集めたものです。それにしてもこの「おもちゃ箱」単行本にしてほしかったですね。今からでもなんとかならないものですかねえ、、。

こちらは85年1月号。テーマはフィアット500(チンクチェント)。これはもうたまらん回で、立ち読みでもよく覚えてました。先のアニメージュのフィアットについて、大塚氏が自分の愛車の入手過程やそれをどう楽しんだか(遠方へのドライブ、高速道路での走りなど)を書かれてて、フィアットへの興味がいやおうなしにかき立てられたのでありました。
この号は模型で「カリ城」を再現する特集が組まれてて、その一環だったんですね。

そういえば、今は「ルパンといえばフィアット」みたいになってますね。ファーストシーズンでも元々はルパンの愛車はベンツSSKというクラシックカーだったし、セカンドシーズンでもそうでした。

ところでこのファースト、セカンドってわかりやすいと思うのでそう書いてますけど、私くらいの世代って「緑背広」か「赤背広」なんですよね、、。

で、ファーストはあまりに視聴率が低く、途中でてこ入れとして演出家が大隅正秋氏から宮崎駿・高畑勲氏に変わります。同時に、アニメの世界観もルパンのキャラも変更されたのですね。それまでのシリアスな大人向けから軽妙な子供向けになったんです。この辺はとても有名な話です。「わざわざ書くなよ」という人も多々おられるでしょうが、知らない人もいると思いますし、とても興味深い話なのでご了承下さい。

で、ルパンのキャラが変わるなら愛車も変わらないと、ということでフィアットになったのでした。それまでのルパンのキャラ設定は「祖父の遺産がたくさんあって、暇つぶしに泥棒をするようなアンニュイな奴」だったのですが「祖父の遺産なんて父の時代にとっくに食い潰されて、あくせく泥棒をする陽気な奴」になったわけです。なので、愛車も高級車じゃなくて大衆車にしないといけない。そして「作画汗まみれ」(大塚氏の回顧録・後述)にも書かれてますが、SSKは作画が大変でもっと簡単に描ける車を、という理由もあったようです。宮崎氏が「ルパンの車は誰にでも描けるあのフィアットにしよう」とスタジオの窓から駐車場の大塚氏のフィアットを指差したと。現物の資料が駐車場にあるので話が早いわけですね。

ついでに書くと「カリ城」の冒頭でクラリスが乗っているシトロエン2CVは当時の(今も?)宮崎氏の愛車です。これまた有名な話です。で、この2CVの入手を手助けしたのが大塚氏です。宮崎氏が愛車2CVとの思い出を描いた漫画「駆けろ二馬力 風より疾く」によると、宮崎氏が子供さんの保育園の送迎用に車を買う必要に迫られた際「どうせ乗るなら変なやつがいい」とルイ・マルの映画「恋人たち」に出てた2CVを候補に上げます。しかし、氏はこの車が2CVと知らなかった。そこで車の名前と入手方(はっきり描いてないのですが、車雑誌の売ります買います欄での個人売買っぽい)を教えたのが大塚氏だったと。

さらに、そのカリ城を宮崎氏が監督することになったのも大塚氏あってのことです。ルパンの最初の映画「ルパンVS複製人間」に続く劇場番第二弾を製作することは決まっていたのですが監督は未定で、準備段階から携わっていた大塚氏は困っていたそうです。製作スタジオは設立直後でスタッフの経験値は少なく、脚本(鈴木清順氏による)ももう少し詰めないといけないなどなど、、。

そんなころ、宮崎氏から電話がありました(コナンの後、所属会社や仕事が別々になって少し疎遠になっていた)。宮崎氏「大塚さん、ルパンをやるんだって?演出やるの?」大塚氏「誰もいなけりゃ、やらざるをえない状況なんだ。本がね、まるで違うんだけど、、、。一緒に考えてくれない?」すると、宮崎氏が「ぼくがやろうか、、」と。大塚氏はこのときの気持ちを「やった!と天にも昇る思いでした。宮崎さんがやればこの作品は絶対に面白くなる」と書かれてます。そして、実際その作品はそうなったわけです。(この段落、「作画汗まみれ」より)

「カリ城」は宮崎氏の出世作です。カリ城がなかったら多分ナウシカもなかったでしょう。ナウシカがなかったらジブリもなかったかもしれません。そう考えると、大塚氏は日本の、いや世界のアニメ界を変えたわけです(大げさかもですが、まあそうですよね?)。

大塚氏の存在の重みはもの凄いものがあるんですね。ただ、この件をつらつら考えると宮崎氏はひょっとするとルパンを監督したくてタイミングを見計らってたんじゃないかと思わなくもないですが、、。多分、ですが宮崎氏のルパンへの思い入れはかなりあるんじゃないかなあと。「俺のルパン」みたいな。

例えば、セカンドシーズンの最終回は宮崎氏が演出してるのですが、この回に出てくるルパンはニセルパンです。「セカンドはずっとニセだったんだよ。最後の最後に出てきた俺のルパンが本物なんだよ」と言ってると捉えられても仕方ない演出です(実際、気分を害したセカンド関係者もいたそうな、、、)。そして、宮崎氏はカリ城の次の劇場用映画の監督に押井守氏を推薦しています。これは押井氏をかなり(というかメチャクチャ)信頼してる証左だったんじゃなかろうか、と。「俺のルパンを引き継げる奴はこいつしかいない」ということですからね。しかし、映画の企画自体は流れてしまいました。残念ながら、、。押井ルパン、ほんと観たかったなあ、、、。「ルパン自体が虚構だった」というテーマだったそうで、これまたセカンドの最終話と繋がってるのも興味深いです。

あ、大塚氏からめちゃ話がずれました。申し訳ないです。「おもちゃ箱」に戻します。こちらは大塚氏自らが、ミツワMBを徹底的にディテールアップする回(86年2・3月号)。これもびっくりしましたね。知識だけではなくて模型製作技術も凄かったんだということがよくわかります。宮崎氏によると、スタジオでも隙を見ては模型を作られてたそうです。

氏の愛車を資料としており、その写真もたくさん掲載されてます。ほんと、単行本にしてほしい、、。

大塚氏は、先のマックス模型はじめタミヤのMMシリーズのフィギュアのポーズの監修をしたり、初期のミニ四駆のデザインをしたりと模型界と非常に強いつながりがありました。「田宮模型の仕事」(田宮俊作著・文春文庫)に大塚氏は要所要所で登場し、タミヤの製品に多々の有益なアドバイスをしたことが書かれています。

というわけで、模型もアニメも絵も好きだった私にとって、大塚氏は「趣味の大先輩」でした。この辺は、宮崎氏ととてもシンクロしてますね。大塚氏と宮崎氏がタッグを組んで作られたアニメ作品に私が引き寄せられたのは必然だったわけです。そういう人、ほんとに多かったんじゃないでしょうか。

しかし、大塚氏の本業はあくまでアニメーターです。「作画汗まみれ」(徳間書店 文春ジブリ文庫版もあり)は氏のアニメーターとしての履歴や取り巻く人々、アニメの歴史や技術についてこと細かく書かれており、日本のアニメーションの黎明期の状況を詳しく知ることができる貴重な資料となっています。
内容的には、かなり専門的なところもあり、まずはアニメーターへの道を志す人たちへの伝言、というような印象が強いです。しかしアニメファンにとっても実に興味深い話ばかりで、本当に読み応えがあります。また、氏のアニメーション製作に対する真摯な姿勢も随所でうかがえます。勉強、練習、観察、などなどそれぞれが創作においてどれだけ大切なのか、を具体例でもって知ることができます。なので、絵でも模型でもなんでも「もの作り」をする人にとって最良の参考書のひとつではないかと思います。

「ジープが町にやってきた」(平凡社)は中高校生のころの大塚氏が、街で見かけた進駐軍の車両や国鉄の機関車などを描いたスケッチ集です。どの絵も事細かに丹念に描かれてて、「絵描きの執念」をヒリヒリと感じさせてくれます。この本の絵の一部が、先のアニメージュに掲載されてたわけです。

映画「この世界の片隅に」で、呉の焼け跡で進駐軍のジープを模写する大塚少年(らしきキャラ)がちらっと登場します。氏は山口の人なので呉はちょっと遠いんですけど、監督にとってのオマージュ(?)みたいな意味合いではないかと。それを知ったとき、このスケッチ集と氏の姿勢は多くの人に感銘と影響を与えてるんだなあ、と思いました。それくらい、このスケッチはインパクトがあるんですね。

こちらは「大塚康生のおもちゃ箱」と「宮崎駿と大塚康生の世界」(オフィスアクション)。「おもちゃ箱」は氏自らが出した同人誌、「-世界」は1982年に出版されたもの。
どちらの本も手に入らないことはないのですが、プレミアがついてしまってます。特に「ー世界」はン万円から、になってますね。どちらも再版されないかな、、。

「ー世界」は両氏の手がけたアニメ作品を事細かに紹介するという内容。
目次を見ればその辺はお分かりになるかと。

カリ城の設定もこんな感じです。とにかく「濃い」んですよ、、。
大塚氏のカリ城の設定画は、この本に限らずいろいろな本で紹介されてますね。どれもほんとに細かくマニアックで見ごたえがあります。但し書きも簡潔かつ読ませるものになっています。

例えば、カリ城の不二子の拳銃がルガーというのは誰もが知ってますけど、実はスイスルガー(スイスでライセンス生産されたルガー)なんですね。映画が製作された時期を考えると凄すぎです。しかも口径が7.65ミリタイプという、、。フィアットでもCMPでもルガーでも、当時資料を集めるにはどれだけ大変だったか想像もつきません。

あと、不二子の拳銃といえばブローニングですが、これも大塚氏が関係してます。大塚氏はアニメーターになる前は厚生省の麻薬取締官でした。捜査官ではなく補助職員で、毎日拳銃を分解清掃するのが仕事のひとつで、その拳銃がブローニングだったと。不二子がファーストでブローニングを持ってたのはそういうことだったんですね。

「おもちゃ箱」は当時のアニメーター仲間同士による「中傷絵画」をメインにまとめたもの。「中傷絵画」とはまあ要するに仲間を揶揄する絵を仲間同士で回覧するという「楽屋落ち」的な絵です。しかし、それぞれ実に面白いし、ささっと描かれてるのに絵としての力は確実にある。アニメーターって凄いですね。そういうことが伺える、実に貴重で興味深いものとなってます。ほんと、楽しそうです。
右の大塚氏による軍用車両のディフォルメはほんと素敵ですねえ。

こちらは「大塚康生画集」(玄光社)。これは氏の米寿を記念して昨年発行されましたので、ご存知の方、購入された方も多いのでは。

こんな感じで、完成イラストや下書きなどがふんだんに収められていて非常に読み応えのある貴重な本となってます。ルパンのイラストがたくさん入ってるのが嬉しい。
このページの左下が先にあげた「おもちゃ箱」のページで、右がそのレイアウトラフ。大塚氏自身がレイアウトされてたとは、、。

先の進駐軍のトラックのスケッチも収められています。いやこれほんと凄いですよ、、。全部10代の頃の絵ですものね、、、。
この本は当然現在新刊で入手できますので、興味のある方はぜひ。

それにしても、逝去される前にこういう本が出版されたのはほんとによかったと思います。追悼集となると、大塚氏ご本人がその本を見れないし反響も聞けないわけですからね。とはいえ、私は逝去された後になってこういうエントリーを書いているわけで、本当に申し訳ない気分になります。「生前からちゃんと紹介してろよ」という、、。この点については反省しきりです。

大塚氏に限らず、どのような人でも作品でも「いいな!」と思ったらすぐ紹介しなきゃダメだなあ、と。とはいえ全部が全部、というのはさすがに無理なのでその辺はほんと難しいところですね、、。

で、大塚氏をあまり知らない方が、今回のエントリーを読んで何らかの興味を持ってくれれば本当に嬉しいです。これらの本を通じて大塚氏の業績を少しでも知ってくれればなあ、と(入手難のものもありますが、、、)。絵でもアニメでも模型でも大塚氏から得られるものは無尽蔵といっても過言ではありません。私自身、今でもあれこれ見返して参考にさせてもらっています。

というわけでお終いです。

先にも書きましたが、要するに大塚氏は私にとって子供の頃からの実に身近な「絵と模型の大先輩」だったということです。しかし、身近すぎて「こういう人って普通にいる」と思ってしまっていた節があります(変な話ですが、、)。しかし、よくよく考えると当然ながらこういう方っていません。唯一無二です。今回このエントリーを書くに当たり、これらの本を再読しましたが「ああ、本当に凄い方だったんだなあ、、、」と。

最後に、心より大塚康生氏のご冥福をお祈り致します。氏から受け取った財産は本当に貴重で膨大なものです。しかし、その財産は自分自身の中では全然未消化です。私が今後、それらをどれくらい消化してかつ自分の作るものに反映できるか見当もつきませんが、できる限り頑張りたいと思います。

※各書籍の内容写真については極力画質を落としていますが、権利者の方が不具合があると判断された場合はご一報下さい。即刻削除します。
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イラスト集(その7)

2021年04月03日 | イラスト集
今回は久々のイラスト集です。前回から1年以上経ってしまいました。これは私が描いた絵を紹介するエントリーです。でも、絵にかこつけて、それにまつわるウンチクとか、日ごろ思ってることなどをなんだかんだと長々と書きちらすエントリーでもあります。あらかじめご了承下さい。

まずはこちら。「アストラメイド」です。我ながら何でこんな絵を描いたんだろ、と思わないこともないです(笑)

この絵を描くまでの経緯をちょっと書いてみます。「人が何でこういう絵を描くに至ったのか」という一例になるのでは、と思わなくもないので、、。

大元はこの絵。これは前回UPしました。カフカの「城」のイメージで描いた絵です。
連休中、酔いつぶれて夜中に起きて「なんでもいいから絵を描こう」と思ってグリグリ描いてたらふと「城」が思い浮かんだので描いたんですね。

で、その後「城にもメイドはいるんだろうな。どんなのかな?」と思って描いたのがこれ。
多分変な城なので、ミリタリーの要素が入った制服とかだったら面白いなあ、と。

で、さらにその後これがもう少し発展してしまいます。こういう制服だったら拳銃持ってたらいいな、と。大型拳銃じゃなくて、女の子でも扱えるくらいのがいいな。じゃあブローニングくらいかな?と。
サッシュにホルスターをつけるのいいな、とか、同時に腕章の意匠など段々暴走し始めます。

で、拳銃だったら好きなアストラがいいなあ。12連発だから二丁拳銃の方がかっこいいよな。予備弾倉嚢もつけちゃおう。ホルスターにも一本づつ入るから計72発だ!強い!とか考えてるうちにこうなっちゃった、というわけです(笑)

どんな城やねん、って感じですが(笑)まあ誰に迷惑かけるわけでなし、いいですよね。城にはこういう武装メイド隊があって、無礼な客を威嚇したり泥棒を退治したりします(笑)このメイドは、元の絵の女の子のお姉さん、とかだったらおもろいな、とか(もうええわ)。

でも、いろいろ描いてるうちにいろいろ妄想が発展していく、というのは面白いですね。こういうのが絵(というかものづくりの)の醍醐味じゃないかなあ、と。

背景をなんか入れたいな、と思ってドイツ語の花文字の文章を貼り付けました。これ、適当な素材を探してググッたらウィキにカントの書簡が例として出てたのでそれを加工したものです。もちろん内容は絵と全然関係ないです。ドイツの人が見たら大爆笑じゃないかなあ、と。カントさん、ほんとゴメンなさい(笑)

ちなみに、この花文字はフラクトゥールというそうです。またつまらんドイツ語を覚えてしまった、、。

では次。「未来少年コナン」の資料を久しぶりに見てて、ふと我に返るとモンスリー様を描いてしまっていました。うん、まあ、そういうもんだ(笑)


ちょっと前、ツイッターのトレンドにコナンがでてきて「?」と思ったら再放送されてたんですね。それで資料を見返してたわけです。で、この絵はさらにその時の絵を描き直したものです。

私の絵は鉛筆やシャーペンでアウトラインとかを描いて、水彩で色を塗って、さらにその上にシャーペンで細かく陰影を付けるというのが基本です。「描き直し」というのは原画に消しゴムをかけて、ぼんやりとなった原画の上からそれらをもう一度やり直す、というような意味です。なので「前のとどこが違うの?」ということが多々あるかもですが、まあいいじゃないですか。

以下、長々とコナンについて書きます。ネタバレありなので、もし未見の方がおられたら、スルーして下さい。でも、観てない人っているのかな?(笑)

モンスリーは宮崎作品の中でとても好きなキャラです。あとクシャナも好きですね。モンスリーとクシャナはそれぞれ「組織の幹部」「王族」という足かせがあるのですが、コナンやナウシカと出会うことで、徐々にそれらから自由になって「浄化」されていく。それがみててとても心地いいんです。そういう人、多いんじゃないでしょうか。

宮崎氏は「漫画映画のやることはね、何か偉そうなことを言う人間になっていくんじゃなくってね、いろんな束縛から解放された人間になっていくことだと思うんですね。そういうのを見たいんです、自分は」(「出発点」徳間書店 P447)と語っています。そういう氏の気持ちを一番よく反映されたのがこの2人といってもいいでしょう。

でもモンスリーとクシャナはちょっと立ち位置が違うんですよね。モンスリーは組織の構成員なので、クシャナほど自由な判断はできないし、幹部とはいえ行動の余地は限られている。組織の一員という縛りが彼女の変化を抑制しているように見えます。でもとても聡明なので、コナンと出会い関わっていくうちに意職がじわじわと変化していく。この変わり具合は実に絶妙です。

コナンも、モンスリーのそういう変化をキッチリと感じ取ってます。ガンボートを沈めた後、コナンがハイハーバーの家(確か村長の家を接収して司令部にしていたかと)の中庭にいるモンスリーに無防備に歩み寄っていくのは、モンスリーが「変わった」とコナンが認識したからなんですよね。このシーンは2人の「融和」を描いている。そもそも、おじいを殺したのはモンスリーです(間接的とはいえ)。コナンはそれを決して忘れては無いはずです。さらにモンスリーはコナンを何度も死の縁に追いやっています(海中のコナンの拘束具のスイッチを入れるなど)。でも、この時2人は融和・和解している。モンスリーも主力兵器のガンボートを沈められたのに、まず「ラナを助けてくれた?」とコナンに問いかける。2人の変化を、ちょっとした動作やセリフで演出しているわけです。ほんと凄いと思います。

でもしかし、モンスリーは簡単に立ち位置を変えることはできない。何と言っても彼女は組織の幹部です。融和したかな?という直後コナンに拳銃を乱射します(この「緊張と緩和」の使い方も見事。で、銃の抜き方やラピッドファイヤも素敵(笑))。でも、それは「古い彼女」の最後のあがきなんですね。

しかし結局、モンスリーは「浄化」したために組織(っていうかレプカ)に抹殺されそうになります。宮崎作品の中では「組織の一員」ということに足を引っ張られる、珍しいといえば珍しいキャラです。ダイスも当初は組織の一員ですが、その前に海の男としての「自由人の矜持」がある。なので早い段階で組織を抜けられたわけです(そのやり口が基本的に自己中で汚いのは、まあおいといて(笑))。

一方クシャナの相方(笑)のクロトワは組織の中でうまいことやっていこうというキャラですが、彼も基本的に「組織」というものを信じておらず、斜め下から見てるというスタンスです。なので、状況が変わるとすぐヴ王を裏切ってクシャナにつきます。チラッとセリフに出てきますが、クロトワも少年兵時代から船に乗って「自由」を体感的に会得している「船乗り」です。ダイスとクロトワもとても似てます。2人は自我が先に立ってるんです。「船が好き」という「個人的な気持ち」を大事にしている。その辺の「個」を優先させる姿勢がモンスリーやクシャナと違いますね。なんつーか、男って勝手なんですよね(笑)

で、このアニメが素晴らしいのは、モンスリーやコナンたちからもらった勇気や元気を実生活でちょっとでも生かせるように頑張ろうか、と思わせてくれるところなんですよね。でも、私たちはコナンやジムシーじゃない。残念ながら。よくてモンスリーとかダイス、せいぜいテリットとかクズウなんですよね(笑)。でも、じゃあどうしようか、という。しかしもし私たちが「組織」の問題点に気付き反抗したとしても、まあ少なくとも銃殺はされないし、せいぜい依願退職レベルなわけですから(笑)「できるところからでいいから頑張ろうよ」ということですよね。このアニメはそういう現実的な勇気を与えてくれる、素晴らしい作品だと思います。

あと、どーでもいーんですけど、インダストリアのこの拳銃、設定資料によるとローラーロッキングなんだそうです。口径9ミリ。クズウらが使うサブマシンガンは同口径の強装弾だとか。ライフルは7.62㍉/5.56㍉のサボット弾とのこと。設定が実に細かくてマニアックすぎるんですよ。設定画を見ると、宮崎氏でも大塚氏でもない。どなたが設定したんでしょうねえ、、。

長々と書いてますけど、もうひとつ。よく知られた話ですが、アニメの初期設定ではモンスリーは白髪のおばさん(お婆さんに近い)で名前もモンスキーでした。

宮崎氏が主要キャラを見渡した際「若い女性がいないな。じゃあモンスキーを若くしよう」とモンスリーになったそうです。いやー、きわどいところでしたねえ(笑)お婆さんモンスキーだったら、どういう話になってたんだろ、と思いますねほんと。そもそも最終回が成立しない!(笑)

コナンは製作スケジュールが実にタイトで、製作開始時点ではまだラストがどうなるかあやふやだったそうです。もしモンスキーだったら、全然違う物語になっていた可能性が高いという。そう考えるとモンスリーって凄い重要なキャラなんですよね。いやほんと「モンスリー様ぁ!」ですね(笑)

あ、あともうひとつだけ。「モンスリー様」で思い出しましたけどテリットはかわいそうなキャラですね。知らない間に死んだことにされてましたけど、それが一番楽な処理というキャラだったという、、。テリットは「目の前のことしか見えていない小市民」の典型で、かつやり口も汚かったので同情もあまりされないし、生きてたらラナやコナンと和解するのが実に難しい。しかし彼も戦争によって性格がねじまがってしまったのかもしれないと考えると、やっぱちょっとかわいそう、という(もともと嫌な性格だったかも、ですが、、)。

オーロはまだ「救える余地」があったので生かされてたわけですね。彼は、ハイハーバーの孤児の扱い方(これは村の偽善的態度、と捉えられなくもない。「楽園」ににも必ず「暗部」はある)に嫌気がさしてドロップアウトしたという同情の余地がまだある。似てるようで違うんですね。そんなこんなであちこちに奥深いところがある凄いアニメだと思います。

あ、さらにもうひとつ。コナンの作画監督だった大塚康生氏が先日逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。ほんと残念です、、。しかし、こういうところで「ついで」的に取り上げるような方ではありませんので、また近いうちに氏を偲ぶエントリーを書きたいと思っています。

いやー、長々と書いてしまいました。すいません。で、これ何のエントリーなの?という。イラスト集ですよね(笑)

では次です。昨年末から年始にかけて、家の中をいろいろと片付けてました。昔描いた絵も出てきたので、いくつか紹介します。これは20年くらい前の絵です。
九龍城とか軍艦島みたいなところをウロウロして胡散臭い仕事をしてる男、みたいなイメージですね。こういう漫画を描きたいなと思ってた記憶があります。

なんかカッコよく描いてますけどこういうのって結局南極、自分のなんらかの投影なんですよねえ、、。自分がこういう風になりたいとかそういうんじゃないんですけどね。でも、絵でも模型でもなんでも突き詰めると「自分」なんですよね多分。キャラの造型とかそういう表層的な部分じゃなくて、もっと奥のところの。なのでとても恥ずかしいんですけど(笑)。しかしそもそも何かを作って公にするってのは自身をさらけ出す、とても恥ずかしいことでもあるんですよね。何かを作るってそういうことなんですよね多分、、。

ヴラマンクが佐伯祐三に投げつけた「芸術とは内面の告白である」という言葉(なんかツウっぽいですけど「ギャラリーフェイク」で知った(笑))は、そういうことを指してるんじゃないかなあ、と。クリエイターとかアーティストって、なんか「カッコイイ」みたいに思われてますけど、ほんとはもっと泥臭くて生々しいカッコワルイ存在というのが本質なんじゃなかろうか、と。私は芸術家でもクリエイターでもない(好きなものを作ったり描き散らしたりしてるだけ)んですけど、まあもの作りの末席を汚してる立場として、そういうことはいろいろ考えますねやっぱり。

おっとまた話が長くなりそう(笑)なのでこの辺で。次いきましょう。

で、恥ずかしい余勢をかって昔の絵の続き。これも20年くらい前に描いたもの。スク水だ!(笑)恥ずかしい!でも昔のだしいいや!(笑)
しかしそもそも何が一体どう「フラッシュポイント」なんかわからんのですが(笑)。漫画の表紙にしようと思って描いた絵なのは覚えてます。

海水浴場のある昭和な町が舞台で、町民はクセのある連中ばかり。町内であれこれ巻き起こるメンドクサイドタバタを、地元中学校3年4組の日下さんがなんだかんだでまとめちゃう、みたいな話を考えてましたね(遠い目)。

私は昔から漫画を描こう描こうと思ってましたし、今も描きたいです。でも漫画ってメチャクチャメンドクサイんですよ。何年か前に一度それなりにちゃんと描き上げた(つもり)んですけど、それでヘトヘトになっちゃってそのままになってます。でも、また描きたいですねえ、、。

昔の絵が続きます。20歳くらいの頃にペンで描いた絵です。なぜこれを描いたかは例によって覚えてないです(笑)日本軍戦車兵の絵です。




スクリーントーンを初めて使って、なんとなくなじまなくてその後使わなかったのは覚えてます。ペンの絵は楽しいのでまた描きたいですね。

それにしても、九一式車載軽機を執拗に描いてるのがなんともなあ、と(笑)
でも冷却ヒダが螺旋状になってないのが「若けぇなあ、、」って感じ(笑)資料もほとんどなかったですしねえ、、。確か、九一式の写真って数枚くらいしかなかったです。今はちょいちょいとキーボードを叩くだけでたくさんの写真がポーンと出てきますからねえ、、。凄い時代になったものです、、。

で「20年前の絵を何で描いたか覚えてない」とかいいながら、この絵は3週間くらい前のですが何で描いたか覚えてない、、。要は酒のせいです(コラ)。

ニヤーッと笑う女の子の顔をちゃんと描きたいと思って描いたような気が。先のアストラメイドの絵もそうです。こういう顔、難しいですね。お酒はほんと気をつけたいです(といいながら飲む私)。そもそも、酒を飲んで絵を描くというのは、いいことなのかよくないことなのかよくわからんですね。自分が「これでいい」という絵が結果的に描けたのなら、何でもいいとは思うのですが、、、。

でもそれを言い出したら、例えばク○リをやってガンギマリの状態の「ぱよぱよーん」となった頭(笑)で描いた抽象画が素晴らしいものになって評価されて何かの賞をとったりした場合、それはドーピングじゃないのか?と思わないこともないです。

でも、創作物は出場規定やルールのあるスポーツとは違いますし、結果が全てでもあるのでそれはそれでOKじゃないか、とも思います。表現の自由だけでなく、表現する時の自由(ただし法の範囲内で)もあるんじゃないかと。音楽でも絵でも作者が何らかのケミカルな要因(笑)で「ぶっとんだ」状態で作られた傑作って多々あるようですしね。この辺はほんと難しいですよねえ、、。答えは出ませんねえ、、。

で、まあそれはそれとして、クラスのバッジって今はもう無いんですかね?無いだろうなあ、、、。あれ、階級章みたいで割と好きでした(笑)こういう「昔は普通にあったもの」が段々無くなっていくのは寂しいですね。でも仕方ないですね、、。

というわけで最後です。「日本軍に今みたいな特殊部隊があったらなあ。あったらどんなんだったかなあ」とずっと思っててとりあえず描いてみたのがこれ。日本海軍特殊陸戦隊員です。

「昭和20年7月20日、一式陸攻20機に分乗した佐世保海軍特殊陸戦隊員150名がサイパンに突入。B29を173機破壊した」とかだったらいいのになあ、、という絵です(笑)。

佐世保は特に意味ないです。佐世保に陸戦隊があったかどうかも知らんです(我ながらテキトーすぎる、、)「一回行ってみたいなあ、佐世保バーガー食べたいなあ」とかそれだけで佐世保にしたという。あ、でも「ストッパー毒島」の佐世保選手がなんか好き、というのもありますね(いや、だからテキトーすぎるのは変わらん!)

銃や装備も全部ウソです。実在のものをベースに、あれこれアレンジしてます。ナックルダスター式のトレンチナイフは米軍のを参考にした試製四式短剣。サブマシンガンは、試製二型がベースの四式自動拳銃(消音器付き)。拳銃はモーゼルコピーの九二式機関拳銃などなど、やりたい放題(笑)髑髏マーク(ジョリー・ロジャー)は大好きなマークなので、隊のシンボルにしてみました。海賊陸戦隊(笑)。で、この絵には背景を付けたいなあと思ってます。できたらフィギュア作品にもしてみたいんですけどね。時間がないなあ、、。

あと、この絵は前々回で告知した京都のギャラリーソラトさんの展示会に出品しました。おかげさまでこの絵の複製画など数点が売れました。買ってくださった方に、この場をお借りしてお礼申し上げます。もちろん、販売した複製画は最高画質のものです。今回のブログやツイッターやピクシブなど、普段UPしてるものは当然画質を落としてます。また、複製画の製作に当たり独自に色調補正などをしています。なので、複製画は販売専用の完全な「オリジナル」ですので、その旨ご了承下さい。

というわけでお終いです。最初書いたとおり、絵よりそれにまつわる云々かんぬんばかりでしたね。すいません。模型でもそうなんですけど、人の作るモノの水面下にはこういうあれこれ思うことがあるってことなんですよね。それをいちいち言わずに黙って、作ったものだけ提示すればストイックでカッコイイんですけど、つい、やっぱアレコレ書きたくなっちゃうという(笑)。最後まで読んで下さった皆様にお礼申し上げます。んじゃ、次またなんか描くか!頑張るんば!(ってもう飲んでるなお前)

というわけでまた。

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