森男の活動報告綴

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遊就館の展示を見て感じたこと

2024年09月22日 | 廃虚・史跡・博物館などの探訪記
今回は遊就館の展示品を紹介します。説明するまでもないでしょうけど、一応解説しますと遊就館とは東京の靖國神社に隣接している、日本の戦没者の方々を慰霊顕彰する史料館です。私は昨年12月に訪問(2度目)しまして、その際に撮影した写真を今回紹介する、というわけです。

ここには明治以後の日本が係わった戦争に関する史料(兵器や軍服、装備、戦没者の遺物・遺書など)が多数展示されています。以下紹介する一部の展示品は撮影可能となっています。それらを私なりに紹介させてもらう、というのが趣旨です。あ、でも「紹介」というとちと大仰ですね。私なんぞが偉そうに紹介していいような展示品ではありません。なので紹介というよりはいち見学者がそれらを見たときの「個人的な感想」として捉えてもらえればと思います。

先に書いたとおり、ホールなどにある一部の展示品は撮影可能でして、以下UPするのは全てもちろんそこの展示品でです。入館しますと、玄関ホールの零戦五二型が出迎えてくれます。
零戦は幸い国内に何機か保存されてまして、私もこれまでにいくつか見ることができました。そして靖國神社のすぐそばにも零戦がある、っていうのはなんといいますか、ほんとうにいいことですね。しかし何度見ても零戦はええですねえ、、。

で、以前も書きましたけど零戦って斜め後ろから見た感じが素晴らしいんですね。このラインはなかなかないんじゃないかなーと。
胴体後部上面から風防を経て機首に向けたこの曲面はうっとりしますねえ、、。

主脚の銘板です。これを見るだけでも実に丁寧に復元されていることが分かりますね。
それにしても、1万機以上も生産されたのに現存してるものはいくつもないっていうのは兵器というものの存在・性格をよく表しているようにも思います。いずれにせよ、どの現存個体も今後とも大切に保存されることを願います。

こちらは零戦に積まれてた二十粍機銃。これはドラム弾倉式で銃身の短い九九式一号銃です。先の五二型に積まれてたのとは違う前の型です。
それにしてもこんなでかい銃をあの小さい飛行機に2丁も積んでたってスゲーなーと思います。

これは2階から撮ったもの。手前右下が上の機銃です。

機銃が手前にあるとはいえ、それでも機体に比してかなり大きな銃であることがわかりますね。

弾倉部の後ろ。軸の中心部に積層してるのが装弾の圧力を加えるためのスプリングです。
機銃弾はリポビタンD(いや、ちと大きいか。ファイブミニくらい(どーでもいい))くらいはありますから、それを100発分送り出すので、凄いテンションだったんだろうなーと。そのつもりで現物を見ると「ううむ、、、」となりますね。これに限らず、現物ってそういうのがダイレクトに分かりますね。で、現物は想像よりも大体1・5-2倍は大きいですね。この辺は多分モデラー脳(いつも小さいプラモをいじってるので、現物も小さいように思い込んでしまう)のせいと思います。

こちらは九六式十五糎加農砲。奥が八九式十五糎加農砲です。
これまた、思ってるよりも大きいのでびっくりします。

どちらも戦地から回収されたもののようでして、各部の損傷などが痛々しいですね、、。
それでも往時の姿を偲ぶことができます。

砲身内部はそのままになってます。モデルガンマニア的にはこういうの見ると「お、、おう、、」となってしまいますけど、一般的には全く問題ないですね(当然だ)。
こういうの見てると「砲身は大砲の命なんだなあ、、」と。

各部には被弾痕が多々残っています。
生産から戦場での運用までこの砲に携わった人は何人くらいになるんでしょうね。最後にこれを使っていた兵士はどうなったんだろうなあ、などなどあれこれ考えてしまいます。

こちらは八八式七糎野戦高射砲。名称は七糎ですが実際の口径は75ミリなんだそうです。
対空砲としては、さすがにB29相手には力不足だったようですが、八八式といえば1928年です。仕方ないですよね。でも徹甲弾だと500メートルで100ミリ貫徹できるそうです。時期を考えると優秀ですよね。南方や沖縄では対戦車・対地用火砲としても活用されたとのこと。

「兵器はなんといってもまず見た目、性能は必ずそれに見合って勝手についてくる」と私は常々思ってるんですけど(信じないように)、これもそうですね。シュッとしてますね。
兵器ってリアリズムに徹した実用品なのでスタイルは二の次、と思われる方もおられるかもですけど、見た目も性能のうちなんですよね。軍服もそうですね。パレードでもなんでも、兵器でも兵士でも見た目がビッシィ!と決まってれば「この国の軍はバカにできんな」と思われる抑止効果があるわけで。でもそれが行き過ぎると「張子の寅軍」になっちゃうんですけど、それはそれで結局はばれますしね。

これらの展示品の柵は低かったりギリギリまで寄せられているので(ありがたいことです)かなり近くまで寄ってみることができます。なのでこういう細かいところを見れるのがいいです。
再整備する際に磨きなおしたんでしょうけど、きちんと金属の色が保持できていることからも高品質の鉄鋼を使ったことが分かります(当然ですが)。

こちらは四一式山砲。日本軍の基幹的山砲ですね。
私のじいちゃんは山砲連隊だったので、多分これを扱ってたんだと思います。ただ、砲に直接触れるような要員ではなかったようです(砲についての話を聞いた記憶が無い)。まあそれでも「じいちゃんの大砲」っていう気がしてますので、見れて嬉しいです。

程度もいいようで、照準器や閉鎖器などの各部もきちんとしています。
ファインモールドがこの砲を2種リリースしてますけど、それがとてもよくできてるのが分かります。あのキット、ほんと傑作ですよ。

こちらは九六式二十五粍機銃。フランスのホチキスの機銃を国産化したものです。各種艦船に搭載された、日本海軍の基幹的対空機銃です。
呼称は機銃なのですがまあ機関砲ですね。機関砲の中でも25ミリは大きい方で、機関銃というよりむしろ大砲に近いといってもいいくらいです(実際、フランスには25ミリの対戦車砲があった(パナールとかにつんでるやつ。弾は同じなのかな?))。なので、この機銃メチャクチャでかいです。小スケールの艦船模型とかだとシャーペンの芯くらいな感じなんですけどね。口径が大きいのでもちろん炸裂弾です。人に当たったら消えてなくなるレベルだとか(ひー)。

っていうことも、現物をみると「なるほど、、、」と実感できるわけです。

で、この機銃、私とても好きで詳しく知りたいんですけど(できれば1/12くらいで模型作りたい)内部構造部品構成などなどよくわかんないんですよね。また調べてみたいと思います。

こちらは九二式重機関銃です。これまた日本軍の基幹的重機関銃ですね。機関銃として世界的に最高レベルのものです(キッパリ)。
光学照準器(要はスコープ)が付いてるなど状態はとてもいいのですが、三脚がありません。

サビサビのものを復元したのか、当初からこういう状態だったのかは分かりませんが、状態はよいようです。
左上の穴のある部位は油漕です。ここに油を入れると、弾薬との接触部にあるブラシ(のようなもの)に油が染みこんで装填排莢を潤滑にするのですね。

手前の蝶々みたいなのがトリガーです。押すと発射されるわけです。左右の木製ハンドルがグリップとなります。
使わないときは、グリップは上に折り畳みます。そういう構造になってるのがお分かりになるかと。

スコープの刻印。東京光学製というのがわかりますね。
って、銃器部門に入ると急に元気に解説しだす私(笑)とはいえ、撮影可能な展示品込みで、銃器関係はあまりありません。日本では法的なこともあって博物館・史料館でも収蔵するのはちと大変(拳銃は特に)なようですが、今後も可能な限り充実して欲しいですね。なんといっても、実際多くの兵士が手にしていた身近な兵器はこれらの銃器ですからね。

こちらは解説不要な九七式中戦車・チハです。サイパンの戦闘を経て、戦後紆余曲折の末里帰りした個体です。
このチハも、実際に見ると「でかっ!!」って思います。そしてメチャ強そうです。「これを「弱い戦車」なんてとても言えねえ、、」って思います。

例えば、私が歩兵として戦場にいたとしたら、これがンガーっとこっちに向ってきたらまあ逃げますよ。はっきりいって、勝てる気がしませんね(当たり前だ)。

「弱い」って言えるのって、要はスペックを知ってるからなんですね。最大装甲厚が25ミリで、装甲の薄い部位によってはブローニングM2でも貫通してしまう、などなどを知ってるからそう言える(だからといっていちいち書くな、、、)ってだけだよな、と。またティーガーとか他の戦車の事を知ってるので、比べてしまうわけで。そりゃ、ティーガーに比べたら弱いですよね。でも、だからなんなんだ、という。目の前のこのチハの怖さが消えて無くなるわけではないのですね。

チハでもなんでも、こんなのが向ってきたらビビるのは当たり前でしょう。例えば私が対戦車砲兵だったりバズーカ射手だったとて、経験を積んで「ああ、この戦車ならいけるな」とかやっと分かってきて初めて、冷静に対処できるわけです。
何も知らなかったら、いくらバズーカ持ってても「あわわわ、、」ってなりますし、照準も狂いまくるでしょう。そして、経験を積んでいたとて、ひょっとしたら向うもこっちに気付いてて、いつ砲や機銃を撃ってくるのかわからんぞ、、、と。怖いは怖いでしょう。

なんといいますか、簡単に「弱い」とかそういうのあんま簡単に決め付けたらあかんよな、ってことですね。なんでもそうですけど一度決め付けちゃうと、そこで終わっちゃうんですね。次の発想とか発見が出てこない。固定観念の怖さ、といいますか。「みんながそう言ってるから「そうなんだ」」でスタートすると、気付くことも気付けないです。

大事なのは「自分であれこれ調べて考えて「そうなんだ」」ってなることだろうな、と。しかしこれはチョーメンドクサイ(笑)ですし、生活のアレコレ全てに適用しようとすると頭がおかしくなりますので、自分の好きなことや大切なこととかに絞ったほうがいいとは思いますけど。

で、それはそれとしてチハたんはほんとカッコイイですね。デザイン的に見ても素晴らしいと思います。模型を見ても唸ってしまうのですが、見る角度によって印象がガラッと変わるんですね。砲塔の向きによっても変わる。絶妙です。
砲塔の菊水マークが素敵ですねほんと。

先にも書きましたが、この個体はサイパンで実戦に参加し破壊され埋められていたものを発掘したものです。
発掘されたのはこの戦車部隊(戦車第九連隊)に所属し、戦闘に参加した下田四郎氏です。氏は私財をなげうって、このチハの里帰りのために尽力しかつそれを実現されました。その経緯については「慟哭のキャタピラ」(翔雲社)という著作にまとめられています。ちなみにこの本私は以前ここを訪れた時にミュージアムショップで買いました(今も売ってるのかな?)。

非常に素晴らしい本ですので、一読をお薦めします。現在は「サイパン戦車戦」(光人社NF文庫)というタイトルで文庫化されてます。

また、個人的なことですがこのチハ含め第九連隊の各車両についていろいろ気付いたことがありまして、また紹介したいと思ってます。

これは、九三式魚雷の一部(機関部?といっていいのかな?)です。この展示品は、私にとってとても印象深いものなのです。
以前ここを訪れたのは25年くらい前です。当時もこれは展示されていました。そして、とてもよく覚えてるのですが、ここを見て私は眼からウロコが落ちたんですね。

当時の日本軍、というか「日本の科学工業技術は欧米のそれに比べると劣っていた」ということは昔からよく言われています。実際そうだったんでしょう。少なくとも、欧米よりも優れていたとはいえない。

そして、それを根拠とした当時の日本を否定非難する言説はこれまた昔から普遍的にあります。「科学技術が劣っているにもかかわらず無謀な戦争をした云々、、」といった感じです。この意見については賛同はできませんが、そういう風に考えてしまうことは理解できます。そういう考え方もできるかな?とは思います。

ただ、でも自分自身を振り返ってみると、今の自分に当時の日本の科学工業技術を超える知識や技術があるのか?というと全く無いわけです。「バカにするだけの何かをお前は持ってるのか?」と問われると「あうあう、、、」となるわけです。パソコンでも自動車でも何でも一応は操れますけど、それがどういう理屈でどういう材料を使ってどう作られているのか、ほぼ全く知らんのですね。「作ってみ」と言われても絶対作れません。

例えば、私が当時の日本にタイムスリップしたとして、何がしかの技術革新を起こせるような知識や技術は一切持ってないんですね。未来に起こる出来事や技術を知ってる「だけ」です。「未来にはスマホっていう便利なものがあります」「ほう。それはどういう仕組みなのですか。よかったら作って私たちに見せてください」「、、、、」。多分、私は野垂れ死ぬでしょう(笑)

で、この魚雷のここを見たとき「あ、これ凄いな。俺は絶対つくれんな。そもそも何をどうするためにこうなってるのかわからん、、、」って思ったんですね。私は当時から昔の日本や日本軍、日本軍の兵器は好きでしたけど、それでもやっぱりちょっと自虐的にバカにしてるところはあったんですね。でも、これを見て猛省してしまったのです。「あー、自分ができないことをやってた人たちのことをバカにするのはめちゃ恥ずかしいことだなあ、、」と。

私は以後、改心しました。すると、これまで見えていた(つもり)のものがまた別の視点で見ることができるようになり、いろいろと新たに気付くことが増えていったような気がします。これも、先に書いた固定観念だったわけです。そしてこれは自分にとって一つの転換点だったんかもなあ、と。

人によってこういう気付きを得られるのはモノだったり人との出会いだったりといろいろあるのでしょうが、私にとってはこの魚雷の機関部だった、というわけです。それにしても、この機関部、凄くないですか?こういうの見て「劣ってた」って偉そうにはとても言えんです。ほんと「お前はどやねん、、」ですよねえ、、。

もちろん、「劣っていた」という非難とかじゃなくて純粋に技術史的な視点での公平な評価はきちんとされなければいけないと思います。作れないから、できないから評価しちゃダメ、っていうんじゃないです。要するに批評者の節度、敬意の問題ですね。

その理屈だと例えば小説を書いてない、映画を撮ってない人はそれらを批評したらダメ、ということになります。もちろんそんなことは無い。ただ、自分がつくれないのなら、それなりの節度や敬意を持って臨まないと恥ずかしいよな、ってことですね。

うーん、なんのこっちゃですね。すいません。この件については色々思うところはありますので、また機会があれば書きたいと思います。

さて最後です。彗星艦爆です。いや、ほんとこれカッコイイです。
アラフィフ以上の世代にとっては印象深い機体ではないでしょうか。これ、1981年に日本テレビの「木曜スペシャル」という番組で、ヤップ島から残骸を持ち帰りレストアされたものなのです。その点でも有名な個体です。

私は当時小学校低学年で、こういう兵器に興味を持ちだしていた私はもう「ズギューン」と心臓を貫かれたのです。たまらんかったですね。同世代のそういう方、たくさんおられるんじゃないかと思います。

レストア作業は番組の企画ということもあって時間が切られており、駆け足気味だったようですが、その後少しづつ修復作業が行われているようです。
この彗星は世界でも唯一の現存機ですし、なんと言っても屋内展示ですから、保存環境としてはベストでしょう。今後よりよい姿になっていくことを願ってます。

それにしても、零戦もそうですけど彗星も後ろ斜めからの姿が素敵ですね。
そういえば、鹿屋の二式大艇もそうだったなあ、、、。日本機っていうか、飛行機ってこの角度が素敵に見える乗り物なのかもしれませんね。

というわけでお終いです。

先にも書きましたが、この遊就館は戦没した方々を慰霊・顕彰するためのものです。今回紹介した各種兵器は技術史的に貴重な展示物ではありますがそれとはまた別に、大切な意味が込められています。

彗星やチハが展示されている大ホールの中央部には大きなガラスケースがありまして、そこには戦地で発掘された鉄帽や水筒、弁当箱、万年筆、眼鏡、クスリ瓶などなど個人の遺品が多数展示されています。

また、館内には戦没者の方々の遺影が多々納められています。一人ひとりのお名前や出身地、経歴、戦没地などなどを追っていると頭の中が真っ白になっていきます。文字通り言葉が出てきません。

今の自分、自分たちがいるのはこういう方々がおられたからだ、ということが実感として身に染みていきます。こういうことも、実際に見てみないと分からないことでもあります。

なので、靖國神社への参拝ともども、機会がありましたら是非訪問されることをお薦めします。私も、東京に行くことがあればもちろんまた再訪したいと思っています。

上手くいえないのですが、ここに収められているものって、間違いなく「現在の私たちの大切なルーツ・原点のひとつ」なんですよ。人によってそれを肯定したい方、否定したい方、思うところはさまざまでしょう。でも、ルーツであることは間違いない事実なんです。例えば自分の親が好きでも嫌いでも、自身の考えとは全く関係なく、親であるということは絶対的・客観的な事実です。それと同じです。

なので、直視して、自分なりに考えを持たないとどこへも行けないんじゃないかなーって思います。なんといってもルーツ、原点ですからね。なんであれ、どこにいくであれ、自分の原点をまず認識・確認することが大事です。そうじゃないとどこに行くこともできません。そういう意味でとても大切な場所だと思っています。なのでお薦めしているというわけです。

いろいろなんか偉そうなことを書いたかもしれません。すいません。でも、どれも私的にほんとにそう思っていることばかりです。ご了承下さい。



最後にお知らせです。

●ジョーシンスーパーキッズランド本店に拙作が新たに2点展示されました。

大阪日本橋のジョーシンスーパーキッズランド本店さんでは、以前から私の作例を展示してもらっています。今回、74式戦車(ホビージャパン)とSd.Kfz251/1C(アカデミー)の作例が新たに展示されました

74式はこちら。「スケールモデルレビューVol.2」掲載。

スダコフツはこちら。「月刊ホビージャパン2023年6月号」掲載
場所は2Fのホビージャパン作例展示コーナーです。お店に行かれた方は是非ご覧下さい(添付写真は参考。私が自宅で撮影したものです)。どちらも頑張って作ったものです。誌面だけじゃなくて生でみてもらえると嬉しいです。

また、このほか「九九式艦爆」「Ⅳ号戦車H型」「テンポトラック」の作例も引き続き展示中です。大阪に来られる機会があれば是非!



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資材運搬車 アオシマ 1/72 その1(JGSDF MATERIAL CARRIER VEHICLE 1/72 AOSHIMA)

2024年09月08日 | AFVの模型
今回はアオシマの資材運搬車を紹介します。先日作り始めたと書きましたね。ちゃんとまとめとこうと思いまして。

そもそも以前から気になっている車両だったのですが、こないだ地元の陸自駐屯地の記念祭にいったらこれがありまして、現物をみてさらに好きになっちゃったという。

で、当然キット欲しい!となりました。幸い、アオシマが72でリリースしてくれてました。うーん、素敵な箱絵、、。
35で欲しいところですが、ここはもうキットを出してくれてるだけでエライ!です。

キットはさらにエライことに2個入りです。このランナーが2組入ってるわけですね。
72ながらなかなかパーツが多く、イイ感じです。

エンジンや駆動部の部品も一応再現されてます。操縦席もそれなりに、ですが十分でしょう。
白っぽいのは、突き出しピン跡をパテで埋めたものです。

荷台の裏側。ここもピン跡があるので埋めてます。裏側ですが、荷台は可動するので見えないことはないのです。
この角度だとちと見えにくいのですが、テールランプは透明パーツです。

こちらはキャビン。こっちもライト類は透明パーツで、埋め込むようになってます。
ちょっとしたことですけど、こういう構成は有難いですね。サイドミラーはキャビンパーツと一体化されてます。こういうのは別パーツにしても壊したり無くしたりするので、スケール的にもいい割り切り方でしょうね。

クレーンは可動します。合わせ目ができるので、丁寧に仕上げます。アーム部分はちゃんと平面出しをしてやると締まります。
他のキャビンなどのパーツもそうなのですが、どこも出来るだけ平面出しをしてやるとよいです。小さいキットなので、そういうとこを気をつけてやるとグッと引き締まります(ような気がする)。

荷台とかもこんな感じで平面出しをしています。
クレーンの後ろの柵みたいなの(棒・柱状の資材を載せるためのかな?)も、メンドクサイですけど丁寧に仕上げるとよいでしょう。

足回りは、スケール相応という感じ。でもキャタピラが別パーツなのが嬉しいですね。
キャタピラ内側はパーティングラインが目立つので丁寧に落としてやります。

あと、インスト上ではキャタピラ部は足回りを本体に接着する時に同時に接着するようになってます。それだと、塗装がちと煩雑になるので私はあとからキャタピラを付けられるようにしました。

キャタピラの誘導輪部分の凸(矢印)を削ってやると、あとから足回りに付けることができます。また、キャタピラの側面も平面出ししてます。こういうのも細かいところですが大事ですね。

荷台は可動します。こういうギミックをちゃんと付けてくれるのはうれしいですね。後から遊べますから(笑)
シリンダーの摩擦はほぼ無いので、瞬着とかで軸を受ける穴に盛るなどしてもうちょっとタイトにしてやるといいかもです。

というわけで、まあそろそろ塗装してもいいかな?というところまではできました。
キャビンの中とかはもうちょっと追加工作してもいいかなあ、と。でも資料がないんすね。こないだ現物みたときは、キットを作るつもりがなくて写真撮ってないんですよね。来年の記念祭まで待つか!(笑)

というわけでお終いです。さてどういう風に塗ろうかなあ、、と考えてたらお手つきのカーチスが「アオシマなら俺を先に完成させんかい!!」と乱入してきました。

うーん、確かにそうだ。どうしましょうねえ、、、。

というわけでいつになるかわからない「その2」へ続く!

最後にお知らせです。

前回も告知しました、徳島モデラーズ倶楽部の展示会は本日無事終了しました。来場して下さった皆さまには心からお礼申し上げます。来年も同時期に開催しますのでよろしくお願い致します。

さて今回はファインモールドの鈴木社長が来場されました。話題の新製品・零戦五二型の見本を展示し、2日間にわたり社長自ら製品の解説をされました(ほんとお疲れ様です)。

で、私も見本を拝見しましたけど、いやー、これメチャ凄いキットですね。
12月発売予定だそうです。私ももちろん買います買わいでか!(笑)新作キットを見てテンション上がったのってほんと久しぶりです。うーん、やっぱこういう風にスゲーキットが出て盛り上がる、お祭り感(うちの会員含め、見た人のテンションはまあほぼ上がりまくってました(笑))がいいですよねー。

ほんと楽しみです。というわけで、やっぱプラモってほんといいですよねー!というオチでした。

それでは。

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