森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

ごっつええ感じの銃選手権・番外(なんちゃって日本軍小火器編・その1)

2020年05月30日 | イラスト集
今回はひさびさの「ごっつええ感じの銃選手権」です。いつもは実在の銃を紹介してるんですが、今回はぜーんぶ真っ赤なウソです。「日本軍にこんな銃があったらなあ、、」と常日頃妄想しているものをイラストにしてみました。解説はさもほんとにあったように書いてみました。でも、ほんとにウソなので真に受けないで下さい。でも、ところどころ史実が混じってますのでご注意下さい(我ながらヒドイなあ、、)。また、解説の後に、妄想に至った経緯を書いてます。これはウソじゃなくてホントです。ウソの中のホントです。つまり、ホントはウソなわけで、いや、ウソなんだけど一部はホントで、、ってわけわかめになってきたところでスタート!

●試製四型機関短銃
唯一日本軍に制式化されたサブマシンガン、一〇〇式機関短銃は試製三型が雛形です。しかし、使用する弾薬・8ミリ南部弾の威力が比較的弱いことについては当初から指摘されていました。そこで試作されたのが試四型です。ご覧の通り、一〇〇式を2丁ドッキングした銃です。


威力は当然2倍(発射速度は1200発/分!)なのですが、当然反動も2倍。コストも重量も約2倍、ということで案の定没になりました。しかし、頑強な兵士ならなんとか使用できるので、数10丁ほど製造され、陸軍挺身隊、海軍落下傘部隊に配備されたという説もあるようです。

1→マガジンは1本ごとに装填できますが、2本を束ねるクリップが付いています。
2→コッキングハンドルは上下別々ですが、スライド式のロックがあり、上下同時にコッキングすることも可能。
3→ここにシアが入ってますが、構造は不明。どうも、上下同時、上下別々のセレクターが反対側にあるようです。よって、状況に応じて発射モードを選択できるようです。ただし、一〇〇式同様単発機能はありません。

妄想の経緯 これはAF2011というガバメントを2丁重ねた銃(とても好き。ウソみたいな拳銃ですが、ほんとにあるんです)から思いつきました。銃って、構造上2丁合わせても技術的には製造可能なんですよね。例えば上下・左右二連式のショットガンってまさにそれですし。サブマシンガンでも問題ないはず。使える使えないは別にして(笑)。モデルガンでも誰か作って欲しい、、。例えばマルシンのMP40で作ると、メチャクチャ面白いものができるんじゃないかと。私はやりませんが(笑)

話を戻すと、こういう銃ってアニメとかゲームに登場させるといいんじゃないかと思うんですがどうでしょうかね。エイリアン2のバスケスみたいな女性兵士に使って欲しいなあ、、。って、もうこういう銃あるのかな?誰でも思いつくしなあ(笑)

で、これをツイッターでUPして、日本軍兵器の資料を精力的に収集・発表されているN氏から頂いたコメントのやりとりでなんとなく出来上がってしまったのがこちら。

●四式軽機

ご覧の通り、九九式を2丁合わせたもの。昭和21年の函館攻防戦で、立て籠もった陸戦隊に空中投下され、この銃を手にした彼らが包囲をかいくぐったのは有名です 。

軽機としては重かったのですがかなりの威力で(当然ですが)信頼性は九九式譲りということで、少数ながら各部隊に配備されたようです。四式は写真でも散見できまして、この絵は「一億人の昭和史 日本の戦史11」P75の、沈没した青函連絡船の前でポーズをとる女学生の模写。これはあきらかに四式です。

また、歩兵第800連隊(通称号鷽) にも支給された記録は残ってます。800連隊は、知る人ぞ知る部隊ですね。

妄想の経緯 ツイッターでやりとりしていると、あれこれと膨らんでくるのが楽しくて、つい描いちゃったのが上の2枚。ささっと描いたので荒いですがご了承下さい。800連隊の史実(笑)については某模型メーカーアカウントの中の人・F氏から助言を頂きました。ウ800部隊は、松本零士氏も漫画に描かれてましたね。まあ、なんつーか、みなさんウソつくのがお好きなようで(笑)

ちなみに、ZBをこんな風にしたほんとの試作型(中国製?)があるようです。この絵を描いた後、ツイッターでどなたか(チラッとみただけなのでアカウント名など失念。すいません)が博物館の展示物と思われる画像をUPされててびっくりしました。ほんまに作ったらアカンやろ、反動で死ぬで、と(笑)まあでも、ほんとに作れるんですよねこういうの、、。

●一〇〇式機関短銃挺身型

一〇〇式を折り畳みストックにしたタイプです。挺身型、というのは通称で正式な呼称ではないようです。要するに、空挺部隊など特殊部隊に支給されたタイプです。千丁程度が量産され、昭和21年3月のテニアン島への強行着陸攻撃「激作戦」(一式陸攻20機に分乗した海軍陸戦隊(落下傘部隊)と陸軍挺身隊の混成隊約100名が突入、B29を120機破壊し、テニアン島の基地機能をほぼ無力化した)の主要火器となりました。 この銃も「日本の戦史11」で見ることができます。残念ながら、戦闘後に鹵獲した米兵が構えている写真なのですが、、。
1→ストックは見ての通り、米のM1・M2カービンの空挺型にヒントを得たようです。
2→グリップは日本で最初に試作された試製機関短銃(第4回ごっつええ感じの銃選手権で紹介)のものによく似ています。
3→ピストルグリップとなり、保持が難しくなるためか、折りたたみ式のフォアグリップが追加されました。
4→ストック内側に予備弾倉を納められるようになってるのがゲーコマですね。それにしてもM1・M2カービンの空挺型ってカッチョいいですよねえ、、。モデルガン欲しい!(笑)


妄想の経緯 試四型をツイッターでUPしたら、A氏(個人で一〇〇式の電動ガンを量産されてるスゴイ方)から「一〇〇式の空挺型が作りたい」とコメントをいただき、描いてみたのです。この辺から妄想がフルスロットル(笑)

あと、イラストでは「百式」と書いてしまいましたが、「一〇〇式」と書くのが正しいです。すいません。

●五式機関短銃
一〇〇式挺身型は、実施部隊では好評だったのですが「横配置のマガジンのバランスが悪い」という声もあったため、下配置に改良、制式化されたのが五式です。形状はかなり変わったように見えますが、ボルトやバレルなど、基本的なパーツはほとんどが一〇〇式と同じものとなっています。結果的にMP40やPPS43、グリースガンなど欧米のサブマシンガンのような形状となったのですが、経緯的には少し遠回りだったのが日本軍らしいですね(笑)

1→マガジンは一〇〇式と互換性があります(後世のマニアからのツッコミ対策という説も)。なのでマガジンキャッチなどの形状は同じ。マガジンハウジングも同じで、一〇〇式のを単に90度下に回転させた状態です。
2→マガジンハウジングを流用したため、分解方法が変わりました。このつまみを回してレシーバーとストックを分離します。レシーバー後部に爪があり、ストックに引っ掛け、つまみで固定する仕組みのようです。結果的に一〇〇式よりやや簡略化されました。マガジンの共有化と同時に、そういう狙いもあったようです。ここはドイツのMP40の影響が見られます。
3→薬室、銃身部からの火傷対策として、先台が付けられました。先台を握れば、マガジンに触れることはありません。映画や漫画でサブマシンガンのマガジンを握ってる描写がありますが、これは作動不良につながるのでほんとはダメなんですよね。もちろん、戦場写真でも握ってるのがありますけどね、、。

妄想の経緯 ピストルグリップタイプの挺身型を見てたら、横配置の弾倉のアンバランス感が際立ってきたように感じたので描いてみました。曲銃床だとあまり気にならないんですけどね。で、結果的にニューナンブM66に似てるなあ、と。やっぱそういうこと(?)なんでしょうね。昔、MGCのM76を持ってたんですが、あれかなりコンパクトで取り回しがよく「これを日本兵が装備してたら凄いことになったのでは?」と思いました。MP40なら、と思いきやあれはボリュームが結構あって、日本人だとちょっと大きいんですよね。あと、PPS43にも似ちゃいましたね。PPSは持ったことないんですが、MP40よりも小さくて扱いやすそうな気がします。余談ですが、PPSは総合的にかなり優秀なサブマシンガンじゃないかと思うんですが、どんなもんなんでしょうね。

●タ型拳銃

九七式信号拳銃を、タ弾を発射できるようにした対戦車拳銃です。戦局の悪化により航空機や船舶が激減し、余剰となった信号拳銃を活用するため、昭和20年ごろに開発されました。ご想像のとおり、ドイツのカンプピストルの情報が参考にされたようです。


1→タ弾は40ミリと小さいのですが、M4シャーマンの側面なら十分貫徹可能だったようです。拳銃なのに戦車の装甲を貫徹できるというのは、市街戦ではかなり有効だったようで、昭和21年の都心部の攻防戦では結構な数が使用され活躍したそうです。例えば、麻生区女子学徒挺身隊がこの銃で24両のシャーマンを撃破した(!)という記録が残っています。
2→追加されたフォアグリップ。これがあるので、反動をかなり抑えることができたようです。なので前述の通り婦女子でもなんとか射撃できたわけです。
3→グリップは金属製で、ストック基部と一体となってます。折り畳みはできませんが、そもそもが小さい兵器なので問題にはならなかったようです。ストックはバットプレートもなく、あくまでも簡易兵器だったことが伺えます。
4→これまた簡易な照準器。3・6・10とあるのはそれぞれ30・60・100メートルの指標のようです。しかし、実戦ではほとんどの場合零距離から射撃されたという話です。路地や建物の影からいきなり撃たれ、しかもほぼ確実に戦車が破壊されるので、米戦車兵からは本当に嫌われていたとか。

妄想の経緯 まあ、要するに「わしらにもカンプピストル寄こしてくれ!」ってことですね(笑)でも、これってほんと日本軍にピッタリの兵器のような気が、、。少なくとも、爆雷を背負って自爆攻撃するよりは米戦車にかなり打撃を与えることができたんじゃないかと。じゃあパンツァーファーストならいいのでは、と思うんですが、バックブラストが怖いので、市街戦では案外使いづらいんじゃないかと、、。なので、低威力でもこういうカンプピストル型の方がいろいろ使い勝手がいいんじゃないのかなあ、と。あと、九七式信号拳銃はシュッとしててとてもカッコいいですね。

●四一式拳銃連発型
四一式拳銃(南部式大型拳銃)は、1908年に採用直前までいったのですが、残念ながらボツとなりました。で、これと同時期にフルオート機能を追加したマシンピストル型が試作されたことはあまり知られていません。こちらも採用はされなかったのですが、南部銃製造所で秘密裏に少数(推定で200丁程度)が量産されました。


これは内務省の発注で、赤色テロに対応する「特高六課」(今で言う対テロ実行部隊)に配備されました。また、経緯は不明ですが戦後は首都警公安部にほぼ全てが移管され、活用されました。六課、公安部時代ともども、サブマシンガンですら取り回しがしづらい、狭い日本の路地や家屋内での銃撃戦ではかなり有効だったようです。

1→フォアグリップは、トリガーガードと一体となっています。当然、銃身部とは分離されており、確実に反動を抑えられたようです。
2→セレクターはトリガー上部にあります。後の十四年式のセフティの形状は、この連発型のセレクターから考案されたようです。ただし、連発型のセフティは通常型と同じグリップセフティのみとなっています。
3→ドラムマガジンは30連。ドイツのランゲラウフのスネイルマガジンから発想されたように思いがちですが、時期的にはこちらが先なので、無関係のようです。給弾・装填方法などは不明。恐らく、単純なスプリング式と思われます。
4→通常型のマガジンキャッチでは、ドラムマガジンを保持できなかったのか(通常型のはグリップから出っ張っているので誤って押してしまうことがある)、専用のマガジンキャッチが追加されています。
5→バレルはヘビーバレルに冷却用の溝が彫られ、簡易ながら銃口制退器が付けられています。フルオートの発射速度は700発/分。8ミリ南部弾はやや弱装ということもあり、制退器の効果もあって、かなり扱いやすいマシンピストルだったとか。前述の通り、屋内での使用では無敵に近い効果を発揮したそうです。
6→着脱式ストックは、通常型と同じもの。当然ストックなしでも射撃可能。普通にコートの下に隠せるので、セクトからは「公安のガラガラヘビ」と恐れられてたそうです。

妄想の経緯 南部式大型は、ルガーに似てるので(外見だけですが)ランゲラウフ型もあったらいいのになあ、、、とずっと思ってたので描いてみました。ついでなので、フルオートにもしちゃおう、と(笑)。南部式は頑丈そうなので、こういう風にしても全然OKだったんじゃないかなあと思います。「特高六課」「首都警公安部」とか、妄想のベクトルがちょっとずれましたがまあいいじゃないですか(笑)ケルベロスの新作、そろそろ観たいなあ、、。

というわけでお終いです。冒頭にも書きましたが、これらは全部妄想のウソなので、ご了承下さい。ウソをつくのってほんと楽しいですねえ(コラ)。これは機関短銃だけを並べてみたもの。なんつーか、こうやって並べてみたらなんかほんとそれっぽいですね(笑)
銃は並べるとグッとそのよさが引き立つような気がします。不思議ですね。

で、今回のエントリーの意図としましては、要するに日本軍の火器って、欧米のそれに比べると欠けたピースがかなりあるので、個人的にその辺を埋めてみたかった、ということなんですね。しかし、軽機や重機、自動小銃は現実に存在する(特に軽機や重機は優秀なのがあるので妄想は無用。四式は、つい(笑))ので埋める必要がないのです。でも、機関短銃とかはそれがないので描いてみた、というわけです。

また、前述した通り、ある私の妄想をツイッターにUPすると、どなたかがそれに燃料をくべて下さり、さらに妄想が膨らむ、という過程を経ています。そういう他のいろんな方とのやりとりって、ほんと大事だし、ありがたいなあ、と。コメントで示唆を頂いた方々だけでなく、イイネを付けて下さった方々も同様です。イイネを頂くだけでやる気になりますからね(笑)というわけで、この場をお借りして皆様にお礼申し上げます。

で、次回も続きます。次はこのシリーズです。マシーネンカラビナー、キター!!(ほんと楽しそうだな、、)


それでは。

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森男のそれがどないしてんニュース 2020年5月号

2020年05月16日 | 日記
今回はそれがどないしてんニュースです。要するにコネタ集です。
トップの写真は、ツイッター用につい撮ってしまったもの。深い意味はありません(笑)

イメージとしては、終戦直後の貸し銃屋という感じ。「貸すには米穀通帳預かるな。撃ったら一発ごと清算な」(笑)。いやー、こうやって見ると、なんなんだろうこの趣味って思いますよねほんと、、、。

実は、これらトイガンの多くが破損・故障品というのもヒドイ。パーツが手に入らないんすよね、、。でもまあ、いいか、、。
というアキラメモードで、今回もスタート!

●また絵を出品します

前回のニュースでお知らせした、京都東山の「ギャラリーソラト」さんの展示会にまた出品させてもらうことになりました。

今回のテーマは「軍装遊戯」で、軍服に絡めたミリタリーがテーマとなってます。

展示は5月19日から5月24日です。コロナ対策としてマスクなしの入場不可、一度の入場は2名までという対策をとられています。興味のある方はおいで下さい。

今回はこの2つと、前回の「モーゼルの森」を再出品します。
どちらも、中四国AFVの会用に描いたイラストですが、今回用にちょこちょこアレンジしたオリジナル仕様です。展示する額装品と複製画数枚を販売します。この2つの額装品が1000円(「モーゼル」は1500円)、複製画は500円です。通販OKです(送料、代引き手数料は別途必要)。

ギャラリーの住所や問い合わせ先などはこちらです。

ギャラリーソラトB
〒605-0021 京都市東山区三条通白川橋西入上ル石泉院町394
戸川ビル2階「カオスの間」内
mail:sawsininferno@yahoo.co.jp
tel:090-9698-9460
展示についての告知はこちら。

お金のことをアレコレ書くのはちょっとナニでアレなんですが、実際に売ってる以上書かないのもアレでナニかと思いますので(なんだこの文章)、ご了承下さい。要するに、よかったら買って下さいということです(ぶっちゃけたな)。

で、前回の展示会で、複製画が2枚売れました。自分の絵がお金になったのは初めてのことで、とても嬉しかったです。金額的にはもちろんささやかななものでしたが、見知らぬ方が私の絵を買ってくださったというのは感動でした。ありがとうございました!(これ読んでくれてないとは思いますが、一応、、、)。

あ、あと中四国AFVの会つながりでは、先日発売された「月刊アーマーモデリング6月号」にて、中四国AFVの会が誌面開催されてます。今年中止となった会に出品する予定だった、有志の作品が紹介されてます。こういう配慮はほんとありがたいですね。誌面でも書かれてますが、来年の中四国AFVの会は4月18日開催を予定しています。よろしくです!!

●海の幸せんべい

これも前回のニュースで書いたネタの続き。牡蠣焼きに行ったとき、案内してくれた後輩がくれたお土産。要するに「海の幸おせんべ」なんですが、メチャダイレクトで素敵でした。押し花みたい、、。
可愛いんですが、気の毒といえば気の毒(笑)。でもなんかええですねえ、、。
イカ君が特に素敵。おいしく頂きました。後輩のOさん夫婦とイカ君たち、ありがとね!

●ライヤーな先住者

うちは2階建ての古い借家(築40-50年くらい)です。2階の模型部屋には作りつけの棚があります。どうも、建築当初は1階と2階は別の世帯に貸す二世帯住宅的な感じだったようです。この部屋は床がリノリウム敷きで、間取り的にも台所だった模様。この棚も多分調味料とか食器を置くものだったようです。でも、今はこの通りなんだかよく分からない棚となっております。

で、引っ越して何年かしてから、この棚の下段に鉛筆の落書きがあるのに気付きました。

それがこれ。

読めます?「うそつき」と書いてます。気付いたときは背筋が凍りましたね、、、。何でそんなことわざわざここに書くん!?ここで何があったん?監禁・虐待的な何か!?

と瞬時にあれこれ妄想が膨らんでドキドキしてしまったのですが、すぐ左にこれが。読めますかね?
「かあさん うそつき」

そうか、、、君の母さんは嘘つきだったんだね、、、。家のところどころにはお菓子のおまけのシールが貼ってあったりするので、多分親子一家が住んでたんでしょうね。

それにしても、彼(彼女?)はどんな嘘をつかれたんだろう、、、。増額されるはずのお小遣いが現状維持になったのか、買って来てくれるお菓子おもちゃの類の約束が反故になったのか、、人類には知りたくても知ることができない過去の出来事は無数にありますが、これもそれ、ですねえ、、(遠い目)。

●野生の王国

というわけで、我が家は古いのです。先日、模型机の周辺を片付けてたら、青い枝みたいなのが出てきました。「あれー?ジオラマ用にとって来た枝かなこれ?でも青いし?」
窓の隙間から外のツタが入り込んでいたのでした(笑)

温かくなってきて、窓の外が青々としてたのは気付いてたんですが、まさか入り込んでくるとは、、、。
この窓は締め切ってるんですね。でも、隙間が開いてて、そこから進入してきたわけです。油断も隙もあったもんじゃないですね。植物って凄い、、。余談ですが、戸袋の縁に張ってある白い枠は、田宮模型の本社にある射出成型機からどんどん排出される武将(誰だったっけ、、)のプラモです。お土産でくれるんですよこれ。もったいなくて作れないし、仕舞いこむのも惜しいしで、画鋲で止めて展示しております(笑)

閑話休題。外から見ると、ツタは結構な繁殖具合。もちろん、剥がす気もなし。メンドクサイですし。まあ、昭和っぽくてなんかいいですよね(そうか?)
よく考えたらツタって、変な植物ですね。幹がなく、幹的な物体に絡まって繁殖するという、かなり他力本願な植物なわけで。幹的な物体がないところでは繁殖不可能なわけで。人も植物もいろいろですねえ、、。

で、入り込んできたツタは面白いのでそのままにしておいてみます(笑)

●ロマンチストVSリアリスト

植物つながりでこれ。嫁の森子(仮名)が野菜を育ててます。コロナどうこう、というわけじゃないんですが、まあ前からやりたかったし、ということでGW中にスタート。
植えたのはトマトやレタス、枝豆、オクラなど。小さい苗が、日々大きくなってくるのは素敵です。私もときどき水やりを協力しております。

トマトは花を付けて、実が出来てきました。スゲー。恥ずかしながら私は野菜を育てたことはなく「あー、こうやってトマトになるんだ」と初めて知った次第。
私「こういうの見てたら、食べるの可哀想になるねえ」
嫁の森子(仮名)「アンタ、そういうところロマンチックねえ。わたしゃ『おいしそう』としか思わんわー」「、、、、」

オンナはツヨイ、、。

●たまには模型の話を

そういえば、模型の話題が最近全然ないので、とりあえずお手つきのを紹介します。長谷川72の九九式襲撃機。外板ボコボコにできたところくらい。
お手つきキットはなんだかんだありますが、多分今これが一番完成に近いです。もうちょっとで塗装に入れるんですけどねえ、、。
しかしながら、例によってここで止っております。

それにしても、この箱絵は最高ですね。メチャクチャカッチョいいです。

この箱絵みたいな感じにしたい、と思ってるんですけどね。完成までまだまだかかりそうです。それにしても、プラモってコスパ低い趣味ですよねえ、、。これで何年引っ張ってるんだ、という(笑)

●失礼のないように

我が家の近くに出没する野良猫。「おやびん」と呼んでます。
彼に餌をあげてるわけじゃないんですけど、うちの近くに餌があると思ってるらしく、来たり来なかったり。彼を見てると猫にも「風格」「品格」って、やっぱあるんだなあと。私は会うたびに「何もありませんが、ゆっくりしていって下せえ」と敬意を表しております(笑) 

顔の傷をみると「経て経て、経てぇー、、」って感じですね。多分、彼も「イッパイアッテナ」なんでしょうねえ。
ねこは、不思議な生き物ですね。実家では幼稚園のころから猫を飼ってて、今も好きです。長年付き合ってますが、それでも「一体どういう生き物なのか?」と考えるとよく分からないです。でもそういうところがいいのかなあ?と。

というわけでお終いです。なんか今回もとりとめなかったですね。まあ個人的にも世の中的にも「イッパイアッテナ」ということですね。みなさん、頑張っていきまっしょい!


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写真でスケッチ(その1)

2020年05月04日 | イラスト集
今回は、昔の日本の写真集などで見かけて「おお!」と思った写真を、イラストにして紹介してみます。題して「写真でスケッチ」。

●厚木のおっちゃん
「アメリカ人の見た日本50年前」(毎日新聞社)p10の写真から。厚木中心街の風景に写ってるおっちゃん。なんでこのおっちゃんに惹かれたかというと、九六式軽機の弾倉嚢を鞄代わりに使ってるんです(1)




これ、気付く人は絶対気付く、というくらいはっきり写ってます。これは進駐軍が撮影したカラー写真です。この本は、ほかにも同様なカラー写真が多く、当時の日本を知るにはほんと素晴らしい資料です。弾倉嚢についても、カラーなので各部位の色調の違いなどかなり参考になるんじゃないかと。これ、案外大きいっぽい(レプリカ持ってない、、)ので鞄としても使えるんでしょうね。でも縦長なんで使いにくいだろうなあ、、。

このおっちゃんの服は上下そろいで、青っぽい見慣れない色です(3)ひょっとしたらこれも軍用かもしれません。当時は服から靴から鞄から、日本軍のものが民間に出回って普通に使われていました。このおっちゃんも、服も弾倉嚢も同じところから手に入れたのかもですね。

手袋も指の部分は革で、甲は布っぽくて(2)軍用だとしたら見慣れないものですが、こういう軍用手袋があったとしたら興味深いです。で、絵を描く際によく見たら自転車に子供さんと(4)奥さん(5)らしき人を乗せてて、それぞれちらっと写ってます。フレームに座布団的なものをクッションとして固定してるようです。一家で出かけてるわけですね。おっちゃん偉い!

●天津の猟銃のおっちゃん
「一億人の昭和史 ①満州事変前後」のp67の写真から。天津暴動で日本租界を警備する猟友会員。持ってるのがブローニングオート5(1)っぽい(元の写真はかなりぼんやりしてます)です。この銃は、自動式5連発の散弾銃です。ブローニングなのか、コピー品なのかは分かりませんが、自動式であることは間違いないようです。
奥の帽子の人も同様の自動銃を持ってるようです(2)このおっちゃんはジャンパー(3)にニッカポッカにゲートル、といういかにもなスタイル。弾薬ベルト(4)込みで決まってますね。海外ではありますが、当時のハンターってこんなんだったんかなーと。

で、自動式の猟銃って案外普及してたのかなあ、、、と思って調べるとウィキの元ネタのページ(「ブローニングオート5」の引用28)にて「戦争末期、海軍が日本国内の民間の自動式散弾銃を5万丁徴発、サイパン島の飛行場設営隊などが装備」とありますので、ブローニングかどうかはともかく、自動式は結構な数が使われてたようですね。

「小銃 拳銃 機関銃入門」(佐山二郎・光人社NF文庫)にも、民間から供出された5万丁(単装、連装、連発の各種)を、近接戦闘用に装備したとあります。目的、数量などウィキの記述とちょっと違いますが、なんとなく情報が被ってるような。ソースが同じような気も、、。この辺はもうちょっと知りたいところです。

ちなみに、藤田嗣治氏の有名な絵画「 サイパン島同胞臣節を全うす」内で、立射姿勢で銃を構えている男性(兵士かどうかは分かりません)が描かれています。彼が持っている銃は、このブローニングのように見えます。藤田氏はサイパンにブローニングが配備されていた(らしい)というのをご存知だったんでしょうか。絵の元になる何らかの資料があったんでしょうか。絵の右下で、銃口に口をつけて自決しようとする男性の銃は小銃なので、藤田氏は明らかに描き分けています。偶然、なんでしょうかね、、、。

●グァムの戦闘を生き残った少女
「一億人の昭和史 日本の戦史10」p126の写真から。グァムの戦闘終了後の米軍撮影のもの。解説は「米兵から衣服をもらう娘たち」とあります。かなり綺麗な少女です。最初見たとき、正直ドキッとしましたね(笑)






写真の周囲には胸をはだけた数名の海兵隊員がいますが、おどおどした感じが全くなくて、キリッとした様子が凄くいいなあ、と。グァムの戦闘は、藤田氏が描いたサイパンの戦闘同様、「地獄」といってもいいくらいひどいものだったようです。解説によると、戦闘開始時、邦人150人(うち女性50人)が残留、総攻撃には剣術のできる男子も参加、とのこと。地獄を潜り抜け生き抜ぬいて、かつこういうキリッとした感じを保てているというのは凄いなあ、と、、。

で、この少女の絵は写真からは結構アレンジしてます。本と見比べた人は「全然違うじゃん!」ってなるかもですが、まあそういうものだと思って下さい(笑)。写真では手前に弟さんと思われる子供も写ってます。年齢的に現在、ご両名ともご存命かもしれませんね。戦後、幸せな生活をおくられたことを願っています、、。

●浅草の姉弟
「桑原甲子雄 ライカと東京」(朝日ソノラマ)p38の写真から。昭和13年の撮影。お姉さんがとても綺麗で可愛いくて、とても印象に残る写真。
彼女は綺麗とか可愛いとかそういう言葉だけじゃ表現しきれない、なんとも独特な雰囲気です。絵にするのが難しい、、。

おかっぱにセーラー服、しかも下駄、という、いかにも昭和なスタイル。弟の服ともども、パッと見貧乏臭いんですけど、身なりは整っててそれなりに裕福な家庭であることが伺えます。どうも彼女は弟に食べ物的なもの(パンなのか麩菓子なのか、はたまた大根なのか判別がつかない、、)を与えているところのようです。

昭和20年、東京大空襲で浅草は焼け野原になってしまいましたが、この子たちは無事だったのかなあ、と写真を見るたびに思ってしまいます、、、。

それはそれとして、桑原氏の東京の写真はとても好きです。戦前のは特に。キ写真集はいろいろありますので、機会があればぜひご覧になってみて下さい。氏の温かい視線が、当時の人々の生活を、きちんと丁寧に切り取っていているように感じます。また、「戦前という日本」がどういう感じだったのかを、直感的に理解できるような気がします。

●東京宝塚劇場と装甲車
最後は人じゃなくて建物です。「幻景の東京 大正・昭和の街と住い」(柏書房)p49の東京宝塚劇場。この劇場は、戦後進駐軍に接収され「アーニー・パイル劇場」となったこともあり、結構有名です。
で、なんでこれ?かといいますと、海軍陸戦隊が使っていたビッカース・クロスレイ装甲車が写ってるんですね。1階正面のがそれ。この装甲車はイギリスから輸入され、上海や漢口の海軍陸戦隊のほか陸軍でも使用されました。教科書とかの「上海事変の写真」には必ずといっていいほど写ってまして、変に有名(?)な車両です。

この元写真はウィキの「東京宝塚劇場」にも載ってます。興味のある方はぜひご覧になってみて下さい。そのつもりで見ると、この車両はかなり浮いてるので面白いですよ(笑)。有名な建築に海軍の兵器がこっそり絡んでる、稀有な写真ではないかと。 自転車に乗った人や通行人も、全員が建物じゃなくて装甲車をガン見してる(ように見える)ところもいいです(笑)

この装甲車はレプリカの可能性もあるのですが、とある方のブログ(https://narasige.hatenablog.com/entries/2009/02/04#20090204fn1)に、より鮮明な別カットがあり、それを見る限り多分実車です。本では「昭和初期」とありますが、ブログでは「昭和19年ごろ」とあります。建物のあちこちに日章旗や旭日旗が掲げられていて、確かに戦時中のように感じます。

恐らく、ですがこの時期なんらかの戦意高揚的なプログラムが上演されていて、そのPR用として装甲車が展示されていたのかもしれません。上海事変後の昭和7年に、この装甲車は何両かが凱旋帰国しています。その際に残留した可能性もあるかもしれません。

しかし、いくつか不可解な点もあります。写真では砲塔に明らかに「1」とあるのですが、上海陸戦隊の1号車の前部フェンダーは角ばっています。写真では丸いです。さらに、砲塔正面に「1」とありますが、上海陸戦隊のは砲塔側面に描かれています。ただ、写真を見ると機銃の間隔が広く、砲塔が90度回転しているようにも見えます。フェンダーが修正されたのか、マーキングが描き直されたのか、そしてさらに戦後この車両はどこに行ったのか、などなど謎は深まるばかりです。

とはいえ、建物方面の人からすると「なんじゃそら」な話題であることは間違いなく、でも日本軍マニアとしてはメチャクチャ気になります(笑)。ほんと面白い写真だと思います。

※上海陸戦隊の写真集など、貴重な資料を次々と発表されている、この世界のオーソリティの一人であるY氏に、この件について以前SNSを通じて質問する機会がありました。多々示唆をいただきまして、それを以上の文章に反映しております。Y氏にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。

というわけでお終いです。写真をイラストにする際は、それなりにしっかりと見るので、ただ眺めていただけでは気付かないことが多々出てきます。今回の写真もどれもそうでした。とても面白いです。当然、絵の勉強にもなります。また「おっ!」というのがありましたら、ちょこちょこ描いて、溜まったらまたいつかUPしたいと思います。

最後に著作権についてお断りしておきます。著作権に関しては一通り調べてみましたが、今回のエントリーのような「写真を元にアレンジして描いたイラスト(トレースではありません)を、出典を明記したうえで、商用目的ではないブログ(拙ブログはアフィリエイト等の営利行為は一切やっておりません)にUPする行為」が違法かどうかは判断できませんでした。なので見切り発車的なUPなのですが、あらかじめご了承下さい。権利者の方々が「これは問題だ」と思われた場合は、ご一報下さい。速やかに削除致します。

それでは。

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