森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

森男のそれがどないしてんニュース 2019年11月号

2019年11月29日 | 日記
今回は「それがどないしてんニュース」です。まあ、要するにコネタ集です。上の写真は「サラダパン」。滋賀のご当地フード(っていうのかな?)でして、こないだうちに遊びに来たS宿さんがお土産に持って来てくれました。これ、おいしいんですよ。このパンの凄いところは「サラダ」といいながら、マヨネーズであえた、たくわんが入ってるという点。
「げげっ!」という人もおられるかもですが、これが案外クセになるんですね。たくわんは細切りになっててとても食べやすく、ぽりぽりした食感はなかなかのものです。滋賀に行かれた際、目にしたらぜひお試しを。私は、こうやってお土産でもらったときしか食べれないので残念だなあ、と思ってたのですが、よく考えたら自作しようとしたらできるなあ、、。今度やってみようかしら。

●焚き火は楽しい

うちに遊びに来たのは、S宿さんとM田さん。M田さんは、前々回のエントリーで紹介した友ヶ島の要塞跡に一緒に行った人です。2人とも学生時代のサークル仲間。M田さんが、最近キャンプ用の焚き火缶を買ったそうで「一回使ってみたい」とのことで持参してきました。なので地元の川原のそばの無料キャンプ場で焚き火をしました。

最近、キャンプ場は焚き火がダメなところが多いそうですね。でも、ここは直火でも特に問題ない感じでした。「感じでした」っていうのは、管理人さんもいなくて、川原には焚き火の跡がちらほらしてたのです。まあなんであれ、焚き火スタート。
何を焼くでもなく、川原で集めた木を焼くだけ。でも火をじーっとみてるだけで楽しいです。

途中の道の駅でみかんを買って、焚き火をしながらみんなで食べました。で、皮も燃やしちゃおうか、と。でも水分があるのでとりあえず上の方に置いて、ジワジワ乾燥させつつ燃やす方向で進めます。それを見てたら、誰が言うとでもなく「火刑に処されるみかん星人」というシチュエーションに(笑)。「みかん星人、足元から焼かれてるでえ、、」
最終的に、みかん星人は灰になって星に帰りました(笑)。メンバーは全員40代。「何やってんだか」って感じですが、いつまでもこういうことで笑えてたらいいなあと。あー、楽しかった。

●「あれ?」の包み紙

ある日、たこ焼きをお土産に買ってきてもらったのですが、その包み紙を見て「あっ!」と。子供のころによく見てたものです。今でも使われてるんだなあ、とちょっと感動。嬉しくて切り抜いて保存しました。
これを見るまで完全に忘れてましたが、見た時に一瞬で思い出しました。懐かしいなあ、、。いやー、昭和っすねえ。ご存知の方も多いのでは?

●たぬきカード

これもお土産。私の地元は、たぬきの伝説が多くて、いろんなところで祀られています。そんな各地のたぬきを紹介したのがこれ。
阿波のたぬき合戦は全国的にも有名(多分)ですが、それ以外にいろいろあるんだなあと、地元ながら私も知りませんでした。

特に気に入ったのがこれ。カワイイなあ、、。

これを読むと、祀られている割にはなんか「いたずら妖怪」みたいな感じですね(笑)。でも楽しそう。
「負うてくれ」というのは「背負ってくれ」という方言です。背負ってあげたら「キャッ、キャッ」と跳ねて喜ぶって、可愛いです。そういえば、子供のころこのお寺に行ったことがあります。また行ってみようかしらん。赤でんちゅう様、おられるかな(笑)

●カードリーダーで反省

人にデジカメを借りて、データをパソコンに取り込もうとしたら全然反応しない。調べてみると、どうもSDカードの規格が変わって、カードリーダーが反応できないらしい。多分、カードリーダーを買いなおさないとダメっぽい。「こうやって、ちまちま規格を変えて金をむしり取るのがきゃつらの手口だ!許さん!」と憤ってあらためて調べてみると、SDカードの規格が変わったのは09年。カードリーダーはよく考えると15年くらい前に買ったもの。
「、、、、。今回に限っては拙者の不徳の致すところでござる、、、。面目ない」(侍な私)。
後日、カードリーダーを買って(980円)差し込んでみたらあっさり取り込めました(笑)

●台湾はいいなあ

嫁の森子(仮名)が台湾旅行に行って、お土産に買ってきてくれたのがこれ。台湾の写真家・李火増(増の字は当て字。多分違う字です)氏が、戦前戦中の台湾を撮った写真集。
1935年から45年までの括りで、当時の台湾の様子が収められています。日本みたいだけど、なんかどこか違う感じがします(当たり前ですが)。その辺がとても興味深いですね。
戦時とはいえ、なんというか、とても落ち着いてのんびりとした雰囲気がします。当時、実際そんな感じだったとは思うのですが、それと同時に、温かいまなざしを持って街を活写した李氏の才能も大きいんだろうな、と。

日本だった頃の台湾って、いまいちイメージできなかったのですが、この本を見てなんとなくその空気感が分かったような気がしました。日本と中国が、じつに落ち着いて調和してる感じがするんですね。例えば和服と中国服の女性が普通に混ざり合ってるのですが、風景的にとても自然に打ち解けているように見えます。今、東アジアは残念ながらアレコレ・ゴタゴタしていますが、こういう写真を見ると「みんなもっと仲良くできるんじゃないかなあ」と。そう思わせる力がこの写真集にあるように感じます。
で、こういう風に今の台湾で、台湾の写真家の日本時代の写真集が普通に売られてるのって、とても嬉しいですね。台湾はほんと一度行ってみたいですねえ、、。

で、奥付けを見たら、半年で5刷!1刷の発行数は分からないのですが、写真集としては凄いんじゃないかと。
でもまあ、それだけ売れるのは分かるとてもいい本でした。日本で入手できるかどうかは分からないのですが、興味のある方はぜひ探してみて下さい。

●尼崎とランボーと薬師丸ひろ子の違いについて。

夕食時、嫁の森子(仮名)と尼崎の話に。
「機関銃なん?あれ」
「いや、あれは自動小銃」
「?」
「機関銃と自動小銃は全然違うんよ」
「??」
「ランボーが使ってたのが機関銃やね」
「ああ、薬師丸ひろ子の!」
「いや、あれはサブマシンガン」
「???」
ラーメン鍋を食い終えるまでに解説するのはさすがに無理でした(笑)
マニアからすると「どれも違う」んですが、多分一般的には全部「機関銃」という認識なんだろうなあ、と。例えば、「鮭」と「鰯」と「鯛」は全然違う魚ですが、魚という括りで言えばどれも魚です。でも、違いますよね。機関銃と自動小銃とサブマシンガンもまあそんな感じです。嫁に解説するつもりで(笑)簡単に書いてみます。まず上の写真の通り、大きさが違います。大中小、ですね。

区別の基準としては「使う弾」と「使用目的」ですね。銃の弾は、大まかに3種類に分けられます。左から拳銃弾、短小弾、小銃弾です。
小銃弾というのが、いわゆるライフルの弾丸です。短小弾は突撃銃(アサルトライフル)(後述)の弾丸、拳銃弾はその名の通り、拳銃用です。

銃は、自動式と手動式があります。手動式は一発撃つごとに、手や指といった外力で次の弾丸を発射できる状態にするものです。映画で言うと、西部劇のガンマンが使ってる拳銃や、マタギとかの猟師さんが使うライフルがこれにあたります。自動式は、弾丸の火薬のエネルギーを利用して、引き金を引くだけで次の弾丸が自動的に撃てるようになる機構を備えたものです。映画やアニメで、撃つたびに銃から薬莢(金色の部分)が飛び出てるのが自動式です。英語ではオートマチックライフル/ピストルといいます。

自動式には、引き金を一度引いたら一発だけ撃てる「単射(セミオート)」と引き金を引き続けている間は弾丸が連続発射される「連射(フルオート)」があります。映画とかで「ダダダ!」とやってるのは「連射」です。

機関銃は、小銃弾を連射するための銃です。自動小銃は、単射が基本ですが連射機能も付いています(初期のものや、民間用など付いていないのも多い)。連射ができるのなら、機関銃も自動小銃も同じじゃないか、と思われそうですが違うんですね。

小銃弾というのは、とても威力があります。弾の種類にもよりますが、当たる当たらないは別にして2キロ先でも殺傷能力があります。それだけ、火薬の量が多いんですね。そのため、連射をし続けると銃身や機関部の加熱が凄いわけです。もちろん、反動も大きいです。

機関銃は、連射するために加熱や反動の対策をとらないといけないので、結果的に大きく重くならざるを得ないわけです。使用法も、ランボーのように手に持ってバリバリ撃つようなものではなく(状況によってはそうすることもある)、基本的には3脚や2脚を使って地面などに置いて撃つものです。射手と弾薬手の最低2人以上で運用します。もちろん、軍用として生産される「兵器」なので、民間用はあり得ません。自動小銃は民間用(狩猟などに使う)もありますので、機関銃と自動小銃は、この点でもはっきりとした「一線」が引かれています。

自動小銃は、1人で携帯して使用する銃です。機関銃のように連射を前提にしておらず、単射を基本に、状況に応じてときどき連射をするような使い方をします。先に書いたように、機関銃のように連射をし続ける前提で作られていませんので構造的に全然違います。逆に、そのため一人で持てるくらいの大きさ・重さに収められるわけです。

自動小銃はライフル弾を単射・連射できるものですが、民間用は連射機能を除いています(当然ですが。でも、連射できる軍用銃を所持できる国(例・アメリカ。でも州によって法律が違う)もあります)。突撃銃(アサルトライフル)というのは、短小弾という、小銃弾を切り詰めたものを使用する自動小銃です。小銃弾は前述の通り、威力も反動も大きいので、それをマイルドにしたのが短小弾です。尼崎で使われたもの(画像が不鮮明なのですが、多分M16系のXM177とかその辺)や、有名なカラシニコフ(AK)も突撃銃です。なんであれ、自動小銃はあくまで1人が携帯して使う銃です。

自動小銃と突撃銃は、銃種として別物と捉えることもできるのですが、その辺は曖昧な感じです。ここはガンマニア向けの話になりますが、例えばNATO弾はライフル弾なのか、短小弾なのかと考えるとよくわからなくなります。NATO弾がライフル弾なら、G3やFAL、64式などは自動小銃で、AKやM16は突撃銃ということになります。しかし、用途的に考えるとG3などは突撃銃です。この辺はもうわけわかめ、ですね。個人的には、突撃銃は自動小銃の一形態じゃないかと捉えています。

サブマシンガンは、拳銃弾を連射するために開発された銃種です。映画で、シカゴのギャングとか薬師丸ひろ子さんが「ダダダー」っと撃ってるのがそれですね。拳銃弾は、ライフル弾や短小弾に比べると威力がかなり低いです。なので、連射にも耐えられるわけです。そして、そもそも拳銃は相手が目の前にいるくらいの至近距離で撃つことを前提にしているので、威力が低いのは当然です。しかし、連射できるようにすることで50-100メートルくらいの距離なら、自動小銃と同じくらいの効力を発揮します。とはいえ、それ以上の距離になると、自動小銃にはとても対抗できなくなってしまいます。それくらい、拳銃弾とライフル弾って威力が違うんですね。

というわけで、長くなりましたが「機関銃と自動小銃とサブマシンガンの違い」がわかっていただけたでしょうか。よけいややこしくなったかな(笑)。で、この解説はかなりはしょってるので、詳しい方からすると噴飯ものかもですが、ざっくりしたところではまあ大体こんなものじゃないかと思います。

いやー、今回はマニアックな話が無い「それがどないしてんニュース」になるのかな?と思いましたが、土壇場で尼崎の件でいつもみたいになってしまいました(笑)

というわけでまた。サラダパン、また食べたいです。





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マツダ T2000 アリイ 1/32 (MAZDA T2000 ARII)

2019年11月16日 | 車・バイクの模型
今回は、アリイのマツダT2000の作品を紹介します。もう12-3年くらい前に作ったもので、いまさらなんですけど。でも、とても気に入っている作品でして、紹介しないままになってたのが気になってました。先日、画像フォルダを漁ってたら、完成品の写真が出てきたのでUPさせてもらいます。

作ったのはアリイのキットですが、元々はエルエス製ですね。今はマイクロエースが発売しています。このシリーズが今でも手に入るのは嬉しいですね。
32というのはほんと手軽なスケールですし、AFVモデラーからすると身近なスケールな上に、フィギュアなどが流用できるのも嬉しいです。

とはいえ、キットはそれなりのディテールなので、アレコレ手を加えています。大きい改造箇所としては、ドアを開いた状態にして、天井の幌部分を作り直しました。

ドアの窓は透明プラ版で自作しました。サイドミラーの支柱や、荷台のフックは洋白線で作り直してます。
塗装はラッカー下地にエナメルとピグメントでウェザリングしてます。ラッカーはクレオスのミディアムブルーのビン生です。この色、ほんと好きです。

「ディテールはそれなり」と書きましたが、キャビンのフォルムとか荷台のリブの表現は秀逸です。なので、ディテールアップのしがいがあるんですね。「スクラッチまではしたくないんだけど、でも細かいパーツまで再現された今のキットもつまんないなあ」という人には丁度いいような気がします。タミヤの初期のMMもそうですけど、自分の裁量でちょこちょこ手を加えられるのって、プラモの醍醐味ですよね。このシリーズはそれを存分に楽しめるんじゃないかなあと。
天井の幌は、骨組みをアルミ線で作って、ティッシュで再現しました。ダクト類も、一旦モールドを削って、蓋とかスリットを作り直してます。

車内も、出来るだけ作り込みました。クラッチ・ブレーキペダルは確か床面と一体だったので、作り直してます。ハンドルも、外周はキットのままで、内側の半丸状のは洋白線です。

ドアはPカッターで切り取って、刃で減ってしまった部分をプラ板を張り足して、開口部と寸法を合わせました。内張りは、プラ板などで。
このときは、はっきりと分かる資料がなくて、一部推定で作りました。後日資料が手に入って検証したら、まあまあ合ってましたけど、それなりに間違ってました(笑)。でも、構造的にはこんな感じです。
ハンドルをグルグル回すんじゃなくて、窓はストッパーで止められていて、それを解除すると窓を上下できます。ストッパーはピン状のもので、ピン用の穴の位置でしか固定できません。要するに昔の電車の窓みたいな感じですね。

でも、今の車はパワーウィンドウなのでハンドル式自体がもうほとんどないですね。電車もそうか、、。以前は、車外から車内の人に「窓を開けてー!」というジェスチャーで、ハンドルを回す動作がありましたよね。でも、今は通じないですね(笑)。指でダイヤルを回す「電話をかけて!」というジェスチャーもありましたねえ、、。昭和は遠くなりにけり、ですねえ、、、。

荷台の床は木製なので、木の薄い板を張ってます。幌の止め具も出来るだけ再現してます。荷台のロープとかホウキとかウマ(荷物の下に敷く木製の土台。フォークリフトの爪を入れるために下に隙間を設けるためのもの)とか、ちまちまやってます。こういうの、楽しいですよね。

こうやって見たら、かなり広い荷台ですね。
この作品はここで止ってますが、こういうキットって、積む荷物をあれこれ考えるのも楽しそうです。

先に書いたように、荷台のフックやロック用のバーは洋白線で自作してます。チェーンは、確か艦船用のもの。チェーンとかフックの類をディテールアップするだけで実感がグッと増しますね。
「広能組」は架空の会社です。呉の造船所付近でスクラップ業を営んでいる会社のようです。電話番号に注目(笑)

フロントの「MAZDA」マークは釣り用の糸鉛です。鉛はほんと柔らかく自由度が高く、かつ金属感が出るとてもいい素材で、ずっと重宝しています。アルファベットの形にして、デザインナイフで押さえつけるとペタッと平面になってくれます。
サスペンションのスプリングは100円ライターのもの。100円ライターのスプリングはあれこれ使えますね。左のヘッドライトの下のスリットは、ドリルで丸い穴をあけてから、プラ板を差し込んで再現。

電柱は木の丸棒。荷台の床もそうですけど、こういうのは木を使うのが一番リアルですね。
ストの張り紙とか、そういうのも「昭和」っぽいかなあ、と。

街灯部分は、実家の近所にあったイイ感じのを写真に撮ってたので、それを元に再現。でも、電気の知識がないので、詳しい人からするとテキトーすぎるかもしれません。
あ、でもこの街灯、今もあるのかな、、。また見に行ってみよう、、。

工作中の写真も見つかったので、紹介します。これがキャビン周り。ティッシュの幌は溶きパテで目止めしてます。なんでハードトップじゃなくて幌かというと、どうも車両の分類上の税金の関係らしいです(私もよく知らないんです。誰か教えて下さい)。後ろの窓の格子はアルミ線っぽいです。荷台のストッパーの基部もプラ板で作り直してますね。
車内は先に塗装・ウェザリングまで済ませてます。車は、飛行機と同じで内部をまず仕上げてから組み立てて、外部を塗装しないといけないので非常にメンドクサイです。飛行機・車のヒトからすると普通なんでしょうけど、戦車のヒトはここで「なんで何度も塗装と仕上げを繰り返さなきゃならんの?ムキーッ!」となります。

こちらはキャビンのドンガラ状態。内部も出来るだけ再現しようとしていますね。シート足元のプレスのリブも頑張ってますね。って、なんか、人ごとみたいな書き方ばかりですが、10年以上前に作ったものなので、そうなってしまいます。ご了承下さい。
一番下の、コンパネの真鍮線(分かりにくいかな?)は、スプリング式のクリップなんです。納品書とかの書類を挟んでおくために、デフォルトで装備されていたとか。こういうメーカーの心配りはほんとほっこりしますし、なんか日本らしくていいなあ!と。

荷台の裏側とシャーシ部。T2000は、シャーシの荷台の土台も木製でした。なので、その部分にも薄い木の板を張っています。
木って、前時代的な素材と思われがちなんですけど、自動車だけでなくて近代工業製品に結構使われてますよね。飛行機のプロペラとか、時計とかラジオとか。木が全然使われなくなったのって、比較的ごく最近なんじゃないかな、と。もっと使われてもいいと思うんですけど、今は逆にコスト的に割高なんでしょうね。

これは荷台に板を張ったところ。
隙間が結構ありますけど、まあいいじゃないですか(笑)

というわけで作品紹介はお終いです。以下、余談です。

広能組の車両は、これまでいくつか作ってます。これはタミヤのM26ベースのM26A1。キャビン部はレジン製。
これは、クレオスのスカイブルーのビン生。これも10年以上前の作品。塗装は勝手に色を決めて塗りましたが、その後、アーマーモデリングで日本に現存するM26が紹介されました。重機屋さんが払い下げのM26を購入して、装甲キャビンを外してオリジナルでキャビンを作り、重量物(変電所の機材とか)の輸送に使っていたものです。その塗装がこのスカイブルーに近い色で、ビックリしました。こういう偶然って、なんか嬉しいです。

これも気に入っている作品なので、また塗りなおしたいですね。


こちらはミニアートの米軍のブルドーザー。HJ誌の作例でしたが、しれーっと公私混同(笑)
フィギュアの刺青姐さんは、M26のをポーズ変えして流用しています。

このキットは、アイテムのシブさとメチャクチャな精密度で作っててほんと楽しかったですね。
こんな感じで、広野組車両をじわじわ作ってるわけです。これを紹介したエントリーはこちらです→

で、M26とT2000はいつか大きいジオラマに使いたいなあと思って作ったんです。どういうジオラマかというと、こんな感じ。

要するに、中古戦車屋さんです(笑)。これは、イメージを作るために試しに撮ってみたもの。

主役をM26A1にして、バラックの事務所を建てて、その周囲に中古戦車が並んでる、みたいな感じです。この写真も、手近な完成品を集めて撮ってみたものです。

「広能組」は中古戦車の販売、修理、解体などを主な業務としている、というイメージ(笑)。ブルドーザーも使いたいけど作例なのでダメかもですが、、。

で、コタツの天板半分くらいのベースは欲しいので、ほんとに大作になってしまいます。しかも、戦車を最低限4-5両は新規に作らないといけません。整備中でバラしてる車両(イージーエイトがいいかなあと)も一両はいりますね。M26の前で、組の構成員(笑)2人がケンカを初めて、それを周りが囃し立ててる。刺青姐さんは、現場の親分でケンカの成り行きをM26の上から眺めてる。ケンカとは関係なく、戦車の商談をまとめてる組員(インテリ風)と客(和服の恰幅のいいオッサン)もいる。事務所には事務員のケバイ姐さんが仕事そっちのけで化粧してる、、とかとか妄想は膨らみます。フィギュアは10-15体は欲しいな、、。

で、そんなこんなで「あー、やっぱ無理かなあ、、でも作りたいなあ、、」と思ってすでに10年以上経ってます。製作期間は普通に考えても、まあ1年2年はかかりますね、、。やっぱ無理か、、。T2000もM26A1もそうですが、製作時期の間が開きすぎてるので、最終的にトーンを統一させようとしたら、仕上げ塗装はやりなおしになるでしょうしね、、。でも、死ぬまでにはやりたいなあ(笑)と思ってます。

ティーガーの後ろにあるのは、げんしけんの初版特典のしおりです。大野さんなので嬉しかった記憶が(笑)。何で写ってるのかわかんないですけど。

あ、あと以前にこういうのも撮りましたね。4トンちょっとの九七式はとても載せられないんですけど、載りそうに見えるから怖い(笑)

模型って、こういうお遊びができるから楽しいですよねえ、、。
このベースを使って他にもいろいろ遊んでるのでよかったらご覧下さい。
→「第1回日本の風景に似合う戦車は何だろう選手権」

というわけでお終いです。なんか、作品紹介にかこつけて、実現しない妄想とかアレコレ書いてしまいました。すいません。

でもまあ、それはそれとして、オート3輪はええですねえ、、。ちなみに、私が小学校低学年の頃はまだ現役で走ってました。小学校の前に製材所があって、そこで使ってました。車体の長さから、多分このT2000だったかと。学校が終わって、校門を出たときに、製材所からよたよたこれが出てくる姿をよく覚えてます。

車体が長いので、道幅いっぱいに出てこないと曲がれないので、私は足を止めて「はよ行ってくれや」と思いながら眺めてました。でも、それを見て「珍しい車だなあ」と感じた記憶がないので、多分街中でも他のオート3輪を見ていたんだと思います。しかし、その後ぱったりと見なくなりました。この時期(昭和50年代後半)がオート3輪の絶滅期だったんじゃないかと思うんですが、どんなもんでしょうね。

で、エルエス・アリイ・マイクロエースの旧車シリーズは、ほんとどれも素晴らしいですね。今も作りたいアイテムもたくさんあります。例えばキャロルとかキッチリ作りたいです。先のジオラマでも、戦車の間とか上に乗せたりさせて登場させたいなあと思ってます(ほんま、言うだけ番長やな、、)。

エルエスって、車のほかエアガンも飛行機もいいキットが多くて、ほんといろいろお世話になりました。とりあえず、72の飛行機キットは、また買いたいなあと。九六陸攻とか彗星とか二式水戦とか、あー、懐かしいなあ、、、。エアガンのAK74とか欲しいなあ、、、。モータボートも手に入らないかなあ、、。エルエス、好きな人多いと思うんですけど今はあまり話題に出てこないので寂しいですね。いいメーカーだったのに、、。エルエスの本とか出ないかなあ、、。

あ、例によって取り止めがなくなり始めたので今回はこの辺で(笑)。それでは。





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20年ほど前の由良要塞・友ヶ島の遺構群

2019年11月02日 | 廃虚・史跡・博物館などの探訪記
今回は、和歌山県にある旧日本軍の要塞跡の訪問記です。以前ちらっと紹介して「また今度」と書いたっきりでした。ちなみに、訪問したのは20年ほど前です。

そのころ、私はキャンプに凝ってて、学生時代のサークル仲間のM田さん(年はいっこ上だけど、入部は同期)とあちこち行ってました。正確に言うと、キャンプに凝ってた、というよりは焚き火に凝ってたのですね。

焚き火はやったことのある人ならわかると思うのですが、メチャクチャ面白いです。夜、人気のない場所で、昼間にかき集めた木々をとにかくドンドン燃やして、それをみながらボーっと酒を飲むというのはちょっと他に考えられないくらい楽しい楽しいイベントなのです。こう書くと、なんかアブナイんですけど(笑)。でもやったことのある人ならわかっていただけるのでは。ああ、また焚き火したい、、。

おっと、話がいきなりずれました。で、当時焚き火の適地を探してたら、和歌山の友ケ島なる島にキャンプ場があり、しかもそこに日本軍の要塞跡があると判明。さらに、この頃その島へのフェリーが廃航になるという噂が。それなら今のうちにぜひ一度いってみなければなるまい!ということになったわけです。

私はミリタリーマニアですが、M田さんはカタギです。でも、学生時代は私にYMOを教えてくれたり、バカサイで盛り上がったりとその辺の「イイ感じのツボ」を共有してた人なのであっさり決定。

というわけで、本題。由良要塞というのは、紀伊水道から淡路島に至る紀淡海峡と鳴門海峡を防備するために、明治時代に日本軍が構築した大砲陣地のことです。要するに、大阪湾に向かう敵国艦隊をここで食い止めるための要塞なのです。由良は、紀淡海峡の淡路島側の地名です。大きく分けると、A・鳴門 B・由良 C・友ヶ島 D・加太 の4箇所に別れています。



この私のざっくりした略図でもお分かりになっていただけると思うのですが、敵国艦隊(さっきから敵国敵国って書いてますが、要するにロシアです)が大阪湾に至るためには、鳴門海峡ないしは紀淡海峡を通るしかなく、よってこの地点を重点的に防御するのは必然であったわけです。

でもまあ、これらの要塞はもちろん航空機が発達する以前のものです。結果的には、ロシアじゃなくてアメリカがB29でこの要塞をやすやすと飛び越して、大阪を焼け野原にしました。さらに、大阪湾に機雷をどんどん投下して湾を封鎖してしまいました。そのせいで戦後、関西方面に進出する進駐軍は大阪湾に入れず、仕方なく和歌山から上陸しています。なんじゃそら。

あ、また話がずれた(すいません)。で、各地の砲台は進駐軍によって破壊・撤去されました。ちなみに映画「瀬戸内少年野球団」の中で、日本軍の砲台が爆破されるシーンがあります。この映画の舞台は淡路島です。爆破と共に、戦没者の墓石の映像を重ねることで「戦争の空しさ」を描いていました。今から考えると、これはBの由良要塞の砲台だったんでしょう。なるほど、、、。この映画は、ほんとええですね。さっきウィキったら渡辺謙さんの映画デビュー作だそうです。なるほど。紳助兄やんもイイ感じだし、岩下志麻さんも色っぽくて素敵、、。

え、あー、また話がずれました。ほんとすいません、、、。

えーと、友ケ島は島ということもあって、進駐軍の破壊・撤去作業もままならなかったためか、比較的当時のままに残されたようです。これが島の略図。第1から第5砲台があり、図の1-5がそれです。右端の「虎」ですが、ここは虎島と呼ばれてます。砲台じゃなくて「虎島堡塁」となってます。要塞を作る前は、独立した島だったのを軍が埋め立てて地続きにしたそうです。で、砲台と堡塁の違いがよくわかんないのですが、規模的にちょっと小さいってことなのかな?と。
まあなんであれ、友ヶ島はそういう島だ、ということです。以下、訪問時の写真を紹介します。私が撮ったのと、M田さんが撮ったのとが混在しています。

これが、島の桟橋。このあっさり感が素晴らしい。時刻表を見ると、案外便が多いのが分かります。

こちらが案内図。上の絵と南北が逆になってるので分かりにくいですが、まあほぼ同じだと思います。スケールの通り、周囲10キロくらいの小島です。
というわけで、ずんずん島の中に入っていきます。

こちらは第3砲台の棲息掩蔽壕 (せいそくえんぺいごう)。なんのこっちゃですが、要するに兵士が攻撃から避難するためのシェルターです。

これらを見るとわかると思うのですが、もの凄く緻密、かつ頑丈に作られています。ツタとかの絡み方もあって、どこかアンコールワット的な感じになってます。写っているのはM田さん。

当然ながら、この頃はデジカメなんてありません。2人とも一眼レフの銀鉛カメラです。今ならデジカメでバッシバシ何百枚も撮るところですが、当時の装備は、弾倉(フィルム)1本の装弾数が24枚から36枚。す、少ねえ、、。しかもお互いニコンとニコマートの手動式。ほんと、隔世の感がありますねえ、、。

内部は、漆喰的なものが塗られていて、綺麗な白が残っていました。

その奥は、なぜか狭い通路みたいな空間が。どうも、爆風を逃がすためのものらしいです。
こういう建築物の知識は全くないのですが、それでも「なにか緻密な計算の上で作られているんだな」ということはよく伝わってきました。

こういうちょっとした造作でも、それがわかっていただけるんじゃないかと。
とにかく、凝りに凝りまくってるんですよね。

これは、二十八糎(センチ)榴弾砲の砲座跡と思われます。二十八糎砲っていうのは、203高地の攻撃に活躍した、ぶっといアレです。映画でも解説されてたと思うのですが、確か日本の要塞から外して、旅順まで運ばれたと。ここのだったのかな?
つわものどもがゆめのあと、ですねえ、、。

こちらは、第2砲台跡。海のそばで、釣り人がたくさんいたのを覚えてます。

海の満ち干きとかによる、地盤侵食のためなのか、ぼろぼろと崩れていました。でもそのおかげで壁の厚さがよく分かります。

足元の地盤が侵食されて、上のレンガの構造物が折れちゃったんでしょうね。
それにしても、この緻密なレンガ積みは凄いですね。

写真を撮ってるのが私です。

で、このときに私が撮ったのがこれですね、多分。
こういう写真と写真の関連性が分かるのって面白いですね(そうか?)。

こちらは、第1砲台の観測所らしい構造物。「いかにも」という感じで、要塞の遺構群のシンボルといっていいんじゃないかと。島の一番高いところにあったような。

グーグルマップでは「トーチカ跡」となってます。確かに、一見トーチカ(機関銃や大砲といった火器を据えた防御用の拠点)みたいにみえますけど、下の写真からも分かるように観測所(敵の位置を把握して、その方向や距離を砲台に伝えるための場所)ですね。向こうに見えているのが淡路島です。要するに、大事な海峡を一望できる場所にあるわけです。


前述のように、ここは砲台の「目」なので敵からすると最重要な攻撃目標なわけです。なので、かなり凝った作りだとわかります。鉄板の天井の上に、コンクリ的なものを塗ってますね。鉄の扉の厚さも30ミリくらいはありそうです。

内部はこんな感じ。窓の左右下端にギアがあります。ハンドル的なものがあて、それを回して窓を開閉できるようになってたんでしょう。地面に埋まっている部分も鉄製なので、その気合の入り方がよく分かります。
手前の白い柱は、観測用の機材の土台だったんじゃないかと。

窓から見た風景はこんな感じ。
うーん、雰囲気たっぷりです。ええですねえ、、。

以上、要塞の写真はこんな感じです。

キャンプ場はこんなでした。写ってるのはシカ。島内にたくさんいました。夜焚き火をしていてふと気が付くと、テントの周囲にシカたちが集まってきててビックリしました。文字通り取り囲まれてました。好奇心が強いんでしょうね。
今もシカは元気にしてるのかなあ、、。

キャンプ場には水道がなくて、その代わりにポンプの井戸が。確か、井戸を含めてキャンプ場の利用料は無料でした。水道も含め、これまた今はどうなってるんでしょうね。このときの利用者はもちろん私ら2人だけでした。

これはおまけ。島内にあった変な車。軽ダンプっぽいです。離島あるあるですが、島の壊れた車は放置されて錆錆になって地面に還るままになりますね。そういうのもええですねえ、、。

港の近くのレストハウス、、っていうか「めし屋」(笑)。昭和っすねえ、、(平成だったけど)。ハイレグ姉ちゃんも永ちゃんも素敵。

というわけでお終いです。20年ほど前の写真&訪問記ですが、これはこれで今紹介する意味もあるんじゃないかな?と思ったのでUPしてみました。こういう遺構って、時期によっていろいろ変わりますからね。
で、こうやって写真を見返すと、とても凄い遺構なんだな、ということがよく分かりました。今後もきちんとこのままであってほしいですね。

ちなみに、その後この島へのフェリーは廃航になることもなく、今も運行しているそうです。どうも、コスプレの人たちの写真撮影場所として人気が出て、また戦争遺跡への関心が高まったというのもあって訪れる人が増えたそうです。いやー、よかった、、。なんであれ、こういうのって「ここいいよね!」という人が増えれば増えるほど保存とか維持への機運が高まるし、かつ現実的にそうなっていくと思うので、いい循環になってるんじゃないかなあと思います。私も機会があれば再訪してみたいですね。

というわけでまた。

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