森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

ホルスターの話

2022年08月28日 | 銃の話題
今回はホルスターの話です。このブログを常々読んでくださっている方(何人かはいます、、よね?。ありがとうございます)はよくお分かりかと思いますが、私ははっきり言ってガンマニアです。なので、トイガンだけでなくその関連グッズとしてのホルスターもいくつか持っています。

もちろんミリタリー全般にも興味はあるのですが、いわゆる軍装品(軍服など)はほぼ持ってません。この辺はなんか面白いところです。軍服は欲しいと思ったことないんですけど、ホルスターは欲しくてトイガンと並行してあれこれ買ってました。軍用拳銃のトイガンを買うと、やっぱホルスターも欲しくなるんですね。不思議かもですが、まあそういうものなのです。

でも今はトイガンともどもほぼ買わなくなっちゃったんですけどね。興味がなくなったというよりは、可処分所得の減少が主な鯨飲、じゃなくて原因と思われます。ビール飲みすぎなんすよね、、。どーでもいー話ですね。すいません。

で、私の手持ちのホルスターはほぼレプリカばかりですが、どれも実物を精巧に再現したものです。なので触ってると「実物はこうなんだ」ということがよく分かります。トイガンともども原寸のものって、写真や動画ではイマイチわからないこともすんなり理解することができるんですね。今回はそういう気付いたとこなどをつらつらと書いてみようと思います。

まず中田商店の十四年式拳銃嚢とマルシンの十四年式です。
この拳銃嚢の皮のプレス型は当時のものが中国で発掘されて、それを使って製造されたとか。なので「レプリカ」じゃなくて「再生産品」レベルなんだそうです(銃器雑誌の記事で読みました)そう考えるとメチャ貴重ですね。

私はずっとこの拳銃嚢欲しかったんですけどちと高くて(11000円)躊躇してました。で、その記事を読んで、慌てて購入(笑)ほんとよく出来てます。でもその記事がどの雑誌だったか記憶がおぼろげ、、。10-20年位前だったと思うんですけどねえ、、。ご存知の方、ぜひお教え下さい。確かに、再生産品といってもいいくらいよく出来てますし、実物がどうだったのかをよく理解することが出来ます。

特長的な大きなフラップ(蓋)も、拳銃じゃなくて予備弾入れのポケットを覆うためのものであることがよく分かります。ポケットがなければこのフラップほどの大きさは要らないんだな、と。このポケットには、紙箱入りの拳銃弾が収まります。
また、拳銃嚢の中には予備弾倉が一本収納できます(写真のはハドソンの)。ちと大型なのはそういうことです。子供の頃は「あめりかみたいによびのまがじんないのなんで?」って思ってましたけど、ちゃんと入ってたわけです。

要は拳銃嚢だけで一式揃ってるんですね。ちゃんと考えた上で作ってる。こういう風にホルスター1個で完結したパックにしておけば、急に拳銃が必要になった任務に赴く将兵に「ほれ」と簡単に支給することができる。そういう考え方だったんかな?という想像も出来るわけです。こういうのって、レプリカでも実物でも手にしてみないと分からんのですよね。

こちらは中華人民解放軍のトカレフ(っていうか54式)用実物ホルスターと予備弾嚢とベルトのセット。私が持ってるのはほぼレプリカですが、これだけは実物。
中田商店はン十年前、突然人民解放軍の実物装備を販売し始めました。雑嚢や水筒が600円など、メチャクチャ安くてびっくり。ズックの靴も1000円とかでしたね。このホルスターも一式揃って確か5000円でした(実物としては破格)。

しかし、とてもしっかりした作りで青いベルベット(?)の内張りもあり決して安物ではないです。どーでもいーんですけど、赤の方がそれっぽくていいような気がするのですが、よけーなお世話ですね。

不思議なのが、予備弾倉ポーチ。蓋の裏にスタンプで「54式用」とあるのですが、弾倉を入れると写真のように蓋が閉まらない。弾倉を引き出すための革紐(ドイツ軍のルガー用みたいなん。後述)まで付いてて作りはしっかりしてるけど明らかに寸法がおかしい。

ホルスター本体の予備弾倉ポケットはモデルガン(ハドソン)のがピッタリ納まります。なので余計に不思議。なんだろこれ、、、とツイッターで書いたらある方が「マガジンじゃなくてクリップ用ポーチです」と教えてくれました。

試しにマルシンモーゼルのを入れたらピッタシ!!ちとはみ出ますけど蓋は閉まります。

これ、予備弾嚢だったんですねえ、、。ン十年の疑問が氷解。メチャクチャスッキリしました。

で、10連は収まるんですけど9連だとさらにピッタリっぽい(トカちゃんは薬室込みで9発)のです。9連用の専用があったのかなあ、と妄想は続くのでした(笑)でも、多分10連でしょうね。10連用に7ー8発を付けて入れていたのかも。戦中中国軍で愛用されたモーゼルの影がこの頃まで付きまとってたと思うと、なんか感慨深いですね

2丁のトイガンのトカレフは、ひとつがハドソンのHWモデルガンで、もう一つはガスブロです。確かマルゼンが内部機構を提供してハドソンブランドで販売したもの。バッシバシ撃てて超快調でしたね。でも例によって以後ガス漏れでアウト(笑)なんであれ、ハドソンのトカレフはほんと傑作ですねえ、、。

余談ですが、中田商店が人民解放軍の装備を突然発売し出してびっくりした記憶があります。当時(88年ごろ)は共産圏の軍用品って、とてもレアで例えばソ連軍装備などはかなりの高額で売られていました。そもそも入手ルートがないので当然なんですけど。

今から考えると、解放軍は当時装備の刷新を図っていて、昔ながらの装備が不要になったから放出したのかな?と。発売された装備って、ほんと素朴なものでした(第二次大戦中レベル。ほんとほっこりします)。詳しくはないんですけど、タイミング的にそうだったのかなあ、と。まあ、勝手な想像なんですけどね。

閑話休題。これは第二次大戦中のドイツ軍ルガー用レプリカです。これも中田商店製、っていうか今回のは全部そうです。で、このホルスター、銃よりも何回りも大きくて、1/35の小さいパーツで刷り込まれてた私はびっくりしました。

「ホルスター」というカジュアルな(?)表現では収まらない印象。「革製の拳銃用ケース」と呼んだほうがしっくりくるような。とにかくでかくて丈夫なんですよね。大きく堅いので腰に付けてみるとゴロゴロして実にうっとおしい(笑)。これ付けて、例えば気軽に寝そべってるようなフィギュアは作れないなあ、という。

いじってると、これまたとてもよく考えられて作られていることが分かります。まず銃と外界を確実に遮断してるんですね。予備弾倉込みで、ちょっとやそっとの砂塵や泥が銃まで行かないようになってます。

敵の砲爆撃がまずあって「ひえーっ」と避難して口の中まで泥まみれ。次は敵歩兵が突撃してきます。そういう局面で「で、ウチらはそういうトコで拳銃は泥まみれにならないようにしたんすよ。なのでおまいら遠慮せずバンバン撃てよ!」。そういうコンセプト。西部劇のガンマンみたいな撃ち合いは想定してないんですよね。

日ごろはまあそれなりに拳銃の手入れをしてても、戦闘がキツクなるとそれどころじゃなくなる。でも、これくらい密閉したホルスターにいれとけばいざという時もちゃんと撃てるだろうよ、という意図が感じられるわけですね。こういうのはほんと国民性というかなんというか、、、。しかし、その代わり、瞬時に拳銃を抜き出すことは難しくなっています。まさに西部劇のような米軍のガバメント用ホルスターとは対照的です。これはどっちが優れてるかというよりは、「どっちを優先するか」という思想の問題ですよね。

映画「プライベートライアン」で、ホーヴァス軍曹が対峙したドイツ兵と拳銃で撃ち合う場面では、抜きやすいガバメントのホルスターのおかげで軍曹が勝ちました(ドイツ兵はP38だったと思いますが、構造的にはルガーと同じです)。

映画を見ると、ガバタイプが優れてるように思いますけど、実際の戦闘でこういう場面がどれくらいあるのか?と考えると一概にはジャッジできないですよね。兵器や装備の優劣を判断するのってほんと難しいと思います。

で、ドイツらしいきめ細やかさとしては、拳銃を引っ張り出すための革紐(本体からちょろっと出てるやつ)。これを引っ張ると本体が上に出てきます。これがあるとないとで大違い。こういうのがない十四年式のは抜きにくいんですね。この紐は先のトカレフのクリップポーチと同様な仕組み、というかこっちが本家ですね。どうも、中国ではモーゼルC96用のクリップポーチにこの革紐仕様があるようで、ひょっとするとドイツから伝わったのかな?とも。で、日本軍にはこういう風に革紐を使う装備はありません(多分)。便利なんですけどね。お隣の国なんですけど、ちょっとしたことで違う。こういうの面白いですよね。

その他の工夫としては、ベルト用のループが腰に対して若干斜めになるようになってます。よく見ないと気付かないレベルですが、確実に角度をつけている。これは拳銃を少しでも抜きやすくするため。
MP40やStg44の弾倉嚢もそうなってますよね。こういうの、ほんとゲーコマです。さすがドイツ!という。

ルガーはタナカのガスガンです。グリップがないのは、バラしてそのままのを仮組みしたから。ちゃんと再整備して撃てるようにしたいんですけどねえ、、。もう10年くらいほったらかしにしてる、、。私のトイガンってこういうのばっか。あかんですねえ、、。

これはコルトベストポケット(M1908)用の日本軍仕様ホルスターです。モデルガンはコクサイ製の傑作。

この拳銃、日本軍将校が案外使ってたようです。ご覧の通り、めちゃ小さくて完全に護身用。なので上級士官がメインユーザーだったでしょうね。時々前線に赴く士官用の「一応持っとこか拳銃」みたいな。

モデルガンとホルスターをお持ちの方はご存知でしょうけど、このホルスター、買ったままでは絶対にモデルガンが入りません。キッツキツです。で、私はどうしたかというと、かなりの暴挙に出ました。まずホルスターを熱湯につけて、グニャグニャにしました。そして、モデルガンをグイグイ押し込む。なんとか蓋が閉まるまでこれを何度も繰り返します。そして、モデルガンを入れたまま日陰にぶら下げて自然乾燥するまで何日も放置。それでなんとか入るまでになりました。
しかし、ここまで身を切るような(モデルガンずっと水分まみれなんすよ、、)激闘をしたのにもかかわらず、予備弾を入れると蓋は閉まりません。どんだけキツいんや、という、、。ホルスター自体がちょっと小さすぎるのかもしれませんね。でもまあ写真の通り拳銃の形が付いて気に入ってます。

予備弾は実物ダミーカート(合法品)です。予備弾用のループはゆるゆるですっぽ抜けます。本体のキツさとは対照的。でも、まあいいか、、。で、ベストポケットはもともと好きなんですけど、日本軍将校が使ってたというだけで、さらに好きになるという不思議(笑)人の気持ちって勝手なものですね(笑)

というわけでお終いです。

私は基本モデラーなんですけど、こういう「実寸のもの」に触れたときの印象は大事にしたいなと思ってます。これらホルスターは1/35だとほんと小さいちまちましたパーツです。しかし原寸で見ると想像以上に大きいし、細かい機能にいちいち感心してしまいます。

とはいえ先に書いたように軍服とかそういうの全く持ってないんですけどね。軍服やサスペンダーなどにも、いろいろ工夫があるはずで、知りたいとは思ってますけど破算してしまいますからねえ(笑)。でも、出来るだけそういう「現物主義」は大事にしたいと思ってます。例えば飛行機でも戦車でも国内では見る機会は少ないですけど、実際見ると見ないでは大違い。周囲の評価と自分の印象ってほんと違うなと。

白浜で九五式軽戦車、靖国で九七式中戦車を見たときは「でかっ!」って思いました。びっくりしましたね。よく言われるように、ショボイとは全く思えなかったです。「こんなのが「グワーッ」って来たら逃げるよな、、」と。

要は、見る人によって印象は違うってことなんですよね。なので人によって評価も違うんだなあと。それは各々の感受性とか経験・知識とかそういうのが違うので、当たり前なんですけど。とはいえチハを「しょぼっ!」と思うのが間違いかというともちろんそうではない。それはその人の感性であって、その人なりに大事で大切な印象です。

しかし結局、自分は自分なので、自分のその感性を基軸にするしかないわけです。で、そういう感性ってレプリカでも実物でも実際に触れないと発動しないものでもあるので、機会があれば出来るだけ見たいなと思ってます。
今回こういう風に紹介したのは、、そういうことが言いたかったわけです。コレクション自慢とかじゃなくて(ほんとか)

でも現物に触れるってなかなか機会がないですよね。私もなんか偉そうなこと書いてますけどほんと全然「本物」を見たことないんですよ、、。今はコロナなので気軽にあちこちに行けませんからとくにアレですね。でもまあ、そういう気持ちは大事に持っておきたいと思います。

ホルスターはまだいくつか持ってますので、またそのうち第2弾をやりたいと思います。せっかくなのでこういう風にすこしでも減価償却したいですしね(笑)

というわけでまた。

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第3回酩酊読書会

2022年08月14日 | 書評
今回は、私のお薦めの本を紹介する酩酊読書会です。要するに書評です。明日は終戦記念日ということもあって、日本の戦争に関する本を紹介したいと思います。

●「炎の海」(牧島貞一著・光人社)
太平洋戦争中、報道班の動画カメラマンとして従軍した同氏の回顧録です。報道班というのは、大本営の陸海軍報道部に徴用される形で戦地に派遣され、報道を担った組織です。なので肩書きとしては民間人です(この辺はざっくりした解説なのでご了承を)。
で、この方、もの凄い経験を重ねてます。驚愕しました。読んでて「マジで?マジで?」の連続。例えばミッドウェー海戦で赤城に乗り込んでて、ドントレスの投弾・着弾を目撃・体験してるんですよ。いやー、凄い。

その他の体験も凄い。ざっと内容を列挙すると「南京攻略戦で九四式軽装甲車に同乗、被弾負傷」「重慶爆撃の九六陸攻に同乗」「セイロン沖海戦で赤城に乗艦。ハーミス撃沈の詳細を知る」「重巡熊野に乗艦し、第二次ソロモン海戦を体験」などなど「ほんまかいな?」の連続なんですね。でも実際の体験であることは間違いない。それは記述の端々から感じることができます。

その一つが兵士や将校とのやりとり。実にリアリティがあります。牧島氏は被弾後燃え続ける赤城から幹部らと共に退艦します。避難先となった軽巡長良に向かうカッターの上で同乗した大佐が「こりゃあ、日本の国運を左右するぞ」とつぶやくなど、非常に生々しい。このほか、どの日本軍将兵も実にあけっぴろげで、同氏には胸襟を開いて思ったことをそのまま言っているような印象です。この辺は意外かもですが、なんというか日本軍というか日本人には「人なつっこさ」(逆に悪く言うと「脇が甘い」)特性があるのかなあ、と改めて感じさせられます。もちろん軍機に直接係わることは黙ってたのでしょうけど。また報道班員という立場は「身内ではないけど身近な民間人」としてかなり気を許された存在だったのかもしれません。

この本はある方に教えて頂きました。ありがとうございました。ツイッターとかやってると、ちょくちょくこういう「コレハ!」という本の情報を頂きます。ほんとありがたいです。

●「山中放浪」(今日出海著・中公文庫)
報道班員の回顧録には優れたものが多いように思います。彼らは「表現のプロ」なので当然といえば当然なのでしょうけれど。この本もその例にたがわずとても素晴らしいです。今氏は作家・評論家。昭和19年末に、報道班員として比島に渡った際の回顧録です。氏は比島の戦闘の渦中に放り込まれ、死線を何度も潜り抜け、ギリギリのところで生還します。あの戦いの記録として非常に稀有で興味深いもののひとつではないかと。
戦記というのは基本軍人兵士によるものが多いです(当然ですが)。なのでどうしても見聞できる範囲は所属部隊のそれに限られます(これも当然)。

でも、今氏は民間の報道班員ということで、かなり自由に戦場を移動することができました。そして方々の将官兵士と話をするので、広範囲に戦場を俯瞰で眺めることができ、読者にも当時の状況がよく分かる(ような気がする)んですね。日本軍の比島決戦の準備状況(想像以上にグダグダだった、、)、米軍の攻撃の熾烈(シャレならん、、)さ、フィリピンの人や土地の感じ(温和と残忍さが同居しているのがリアル、、)、などなど。しかも今氏はプロの作家なのでその描写力からくる戦場の臨場感が半端ない。「ほんとこんな感じだったんだろうな」と。

しかし自由に動き回れたといっても、当然物見遊山ではなく、何度も何度も米機の機銃掃射や爆撃を受け、ギリギリで生き延びます。かといって文章は悲壮ではなく実に飄々としている。食料もなく衛生状況も最悪で、今氏も足の骨が見えるほどの皮膚病を患ってしまいます。でも、終始人ごとみたいに書いてる。豪胆、なんですよね。これは先の牧島氏もそうなのですが、ほんと昔の人って軍民問わずとにかく芯が強い。私なんかだと多分ヘタレてすぐ死んじゃっただろうなあと思うような状況でもなんとか切り抜けています。この違いは何なんでしょうねえ、、。

で、その豪胆さと作家ならではの表現・観察能力という「武器」を駆使して今氏は人々の様子を生き生きと描いていきます。困難な状況が続く中でも常に笑いを忘れない日本兵たち、日本女性だけで作られた避難村のほっこりするエピソード(女郎屋の女性が警護の憲兵を色仕掛けでからかうとか)などなど、作家ならではの人間への温かい視点が垣間見れて、悲壮な状況でも読んでいてふと笑いがもれる。極限状態で「ユーモア」「笑い」がいかに大切なのかがひしひしと伝わってきます。

兵器マニア的にも興味深い記述がちらほらあります。例えば飛行機を完全に失った陸軍航空隊が、壊れた隼の機体を寄せ集めて飛行可能に修復し、偵察用に飛ばしたという話。戦闘用じゃないのがミソですね。連絡が途絶したため、米軍がどこにどう進出しているのかという情報収集が最優先だったとか。松本零士氏の漫画みたいにはいかんのですねえ、、。

というわけで、いろいろと興味深い本です。それにしても当時の報道班員や新聞記者の方の回顧録ってほんと面白いのが多いです。「第2回酩酊読書会」で紹介した大戦後半のドイツの戦いをレポートした「最後の特派員」(衣奈 多喜男著   朝日ソノラマ)もそうですね。先にも書きましたが、軍人や兵士による戦記とはまたちょっと毛色がちがっていて、「客観的」「横断的」な視点が新鮮です。戦記をメインに読まれてる方は、これら報道系の方々の体験記もチェックされると得られるものは少なくないのではないかと思います。

●「深海の使者」(吉村昭著・文春文庫)
大戦中日本はドイツと連絡を取るために何度も潜水艦を派遣していました。これらを総称して「遣独潜水艦作戦」と呼ばれています。これはその作戦の全容を描いた傑作ノンフィクションです。

当然、連合軍の支配下である海域を航行するため、かなり困難な作戦です。しかし、日本海軍は可能の限りを尽くしていたことがよく分かります。

日本は計5回派遣してるんですが、無事往復できたのは伊八の1隻のみです。少なく感じるかもですが、読んでいくうちに往復完遂が1便だけでもあったのがいかに凄いことだったのかがよく分かります。また、同氏の「戦艦武蔵」もそうですが「戦争という大イベントに注ぎ込まれる人間のエネルギーとスケールの半端なさ」に頭がクラクラします。そしてそれら無数の人の努力が一瞬にして文字通り「水泡に帰す」ことの空しさたるや、、、。しかし携わった人々の献身努力には感服しますし、敬意しか沸いてこないです。それにしても戦争って、ほんとうに何なんだろうなあ、と、、。

この本は潜水艦に限らず、航空機での往来計画についても触れられています。有名な日本のキ77の飛行(途中で行方不明に、、、)のほか、イタリアのSM75の来日(昭和17年)の経緯についても詳しく書かれています。これはあまり知られていないのでは(もちろん私も知らなかった)。かなりの快挙なんですが、当時中立条約を結んでいたソ連領を飛んできた(これはイタリアの独断)ので日本は公表することができず黙殺された、というのはほんと気の毒、、。

で、興味深いのがあの辻政信氏がSM75の復路への搭乗を申し出たという一件。要は「俺が乗ってって、独伊に今後の戦争計画についてハッパかけてくるわ!」と。辻氏は鼻息荒くねじ込んできて、実現しかけたそうです(ここが組織としての日本軍の弱いかつ怖いところ)。

しかし、日本側に冷遇されて(報道含め大々的に歓迎されると思ってたけど、軟禁状態にされた)へそを曲げてたイタリアの飛行隊長が「機体が重くなるからダメ」と突っぱねたそうです。もし、辻氏がこのとき欧州に行ってたら、と考えると、ほんと世界はどーなってたんだろうなあ、、と。

辻氏のバイタリティからすると、むりくりブッキングしてヒトラーとの会見にこぎつける可能性は十分あったように思います。そして会見席でムチャクチャなねじ込みをしたかも(その可能性大)と、、、。もし日本のイタリアへの対応がもう少しソフトで、隊長の日本への心象が悪くなってなければ一体どうなっていたのか、、。歴史ってほんと「さじ加減ひとつ」なんだろうなと思います。

●「伊号潜水艦訪欧記」(光人社NF文庫)
その遣独潜水艦作戦について、参加した各艦の戦歴や伊八乗組員の独での写真集、伊二十九でドイツに渡った田丸直吉海軍技術中佐の回顧録などで構成されているのがこの本です。「深海の使者」を読んで、この作戦についてもっと知りたいと思っていた私にとって、とても参考になる素晴らしい本でした。

特に、田丸中佐の回顧録「竜宮紀行」が素晴らしい。あとがきによるとこの本は「伊呂波会」(海軍潜水艦出身者の交友会)が、この回顧録に付録的に事実関係などを加え、より分かりやすくして発表するために編んだとのこと。確かにそれだけの価値のある貴重な内容です。

中佐はレーダー関係の技術将校だったこともあり、航海中の様子を海軍軍人かつ技術の専門家という視点・立場で実に分かりやすく記録しています。彼我のレーダーの性能差、潜水艦による長距離航海のポイント解説など、ど素人(つまり私のことだ)にも、いかにこの航海が大変だったのかが理解できるように書かれています。

技術・軍事的なことだけでなく食事など艦内の生活についてもきちんと丁寧に記録していてほんと興味深い。例えば元旦(昭19)には心尽くしの食事が出たという記述が。メニューは缶詰の餅、松茸、油揚、三つ葉入りの雑煮、五目寿司、フルーツサラダなど意外と豪華(正月(インド南端から2千マイル地点)の朝昼晩の献立の詳細な表が添付されてます。「刑務所の中」かよ!(笑))。

田丸中佐は非常にバランス感覚のあるクレバーな方だったようで、こういう食事の紹介からもそれが伺えます。ドイツに渡ってからも、海軍技術将校としての任務について詳細に述べているのですが、ドイツの市民(下宿の女主人など)との交流や日常生活などを適宜ちりばめた構成になっていて、実に「血の通った」記録になっています。こういうのはほんと記録者の人柄が反映されるんでしょうね。

で、そもそもはこの本をなぜ読んだかというと、伊八の持ち帰った荷物(ドイツの兵器、図面など)の一覧が載っていると、ある方に教えてもらったからなのです。これも非常に詳細で貴重な資料です。ほんとありがとうございます。

ドイツから、当時の最新の機関銃や突撃銃など陸戦用小火器が日本に持ち込まれてたんじゃないかなあ、と以前から思ってましたが証拠の類はほぼなくて妄想の粋を出ていなかったのでした。なので、伊八のリストに載ってるかも、と思ったのですね。しかし、残念ながら載ってなかったです、、、。

これはかなり細かいリスト(独海軍から委託された郵便物まで載ってる)なので、少なくとも伊八は持ち帰ってないようですね。「研究用陸戦小火器(七・九二粍機関銃、同自動小銃、九粍機関短銃等)」とかいう項目があったらなあ、、と思ったのですが(笑)なんであれ、いろいろスッキリしました。

●「第二次世界大戦紳士録」「第二次世界大戦軍事録」(ホリエカニコ著・ホビージャパン)
戦争に関係した有名な軍人や民間人(主に日独)の個人的な人となりを漫画で紹介する傑作です。軍人というと制服(みんな同じに見える)や仕事内容から画一的に見られがちです。四角四面で厳格で融通が利かず、人としての感情が希薄な人々、というようなイメージが強いような、、。しかし、もちろんそんなことはありません。彼らも一人の人間です。個人的な感情を押し殺し、悩み苦しみながら職務を全うしようともがき続けていたわけで。読んでいて何度も泣きそうになりました。
戦記では●●大佐・▲▲少将などで登場する軍人も皆家庭や友人を持つ一個人です(当然ですが)。でもその辺はまあオミットされます(当然ですが)。しかし、彼らは彼ら個人のそれまでの人生があって(当然ですが)それぞれ思うところがあり、経て経てしてその立場にある。でも、戦記ではその辺はあまり考慮されないわけです。

ホリエ氏はこの「(当然ですが)」を具体的にキッチリと掘り出して彼らの人となりを丁寧に描いています。シリアスとギャグを織り交ぜた「緊張と緩和」を基本にした構成も素晴らしいです。

パウルス、陸奥の三好艦長、南雲中将、二・二六の青年将校たち、ムッソリーニとその愛人クララ・ペタッチなど、名前や歴史上どういう役割を負っていたのかはそれなりに知ってるんだけど彼彼女らが個人としてはどういう人たちだったのか、まあ知りません。この本はそれを逐一教えてくれます。しかもかなり詳しく。

沖縄戦時の島田叡知事(映画「沖縄決戦」で「私が行かないと誰かが行くことになる」というセリフで覚えてる人多いのでは)に荒井退造沖縄県警察部長という同志がいたことを初めて知りました。この2人のエピソードにも涙。ヒトラーとその若い頃の親友グストルとの逸話、フォン・ブラウンの半生にも涙。ほんと涙、涙です(涙)

歴史って、有名無名問わずいろんな人のいろんな人生があって、それぞれが絡み合いながら経て経て、経まくってぇー!(笑)「今」があるんだなあ、と。当然ながら、ホリエ氏は史実を調べてただ列挙しただけではありません。氏ならではの視点でエピソードをピックアップし、彼彼女らの「人間性」をあぶりだしています。そのセンスと力量に感服します。吉村昭氏もそうなのですが、作家の凄さというのはそういうところにあるのではないかと思います。

●「南の島に雪が降る」(加東大介著 知恵の森文庫)
ニューギニアで死に瀕する日本軍将兵に「生きる力」を与え続けた演芸分隊の実話。有名な本ですが恥ずかしながらやっと読みました。凄い物語です。
いまさら読んだ私が言えた義理じゃないですが、これ、絶対読まないとあかん本ですね。加東氏はいわずと知れたあの名優です。読んでて「これほんとに実話なの?」と何度も思っちゃうくらい良くできている。ストーリー、キャスト、脚本、全てが完璧といっていい。で、完璧なのに事実という。「奇跡」ってほんとにあるんだなあ、と。

文章も軽妙洒脱で一瞬でマノクワリ(彼らがいた地名)に連れて行かれます。ざっくり解説すると、ニューギニアにいる日本軍は孤立し、連合軍は日本軍が反撃攻勢するほどの戦力がないと判断し、フィリピンなどその先に矛先を向けます。要するに敵からは無視され、味方からは置き去りにされたわけです。でも日本軍という組織は生きている。戦いはない(爆撃は受ける)けど補給もない。自分たちで生きのびなければならない。当然食料はギリギリ(イモの葉がご馳走、という状況)で、全軍で徐々にジリ貧・死に体となっていきます。しかし、食料がなくとも加東氏らの演芸分隊の娯楽が彼らに生きる気力を与えます。その事実に驚愕しつつも、心からほっとさせられます。「人間にとっての娯楽の価値・素晴らしさ」をここまで証明した作品ってまあないのではないかと。

音楽や演劇などの芸術・娯楽は「生きるための必需品ではない」という人もいます。いわゆる「理屈や理論、合理性が先行する頭のいい人」ほどそういうことを言いがちなような、、。でも、それは妄言だと「完全に証明」しているのが凄いし、感動します。食べ物の栄養などは、目に見える形で「人に必須」とわかるんですけど、「感激」「感動」「楽しみ」のような数値化できない要素って「頭のいい人」に軽く見られがちなんですよね(笑)でもそうやって「目に見えないから」「数字に出ないから」と軽んじること自体が愚かなんだなあと。

そして、ここは大事なんですけど加東氏らは現地の軍上層部の意向を受けて演芸分隊を設立しています。軍が全力で応援した上でのことなんですね。「軍の士気を維持する」という目的あってのことです。ここらへん勘違いするとダメなんですよね。ただのピースフルな話ではない。

でも、だから、いいんですね。軍も、演芸の効果を重々承知していたわけで。そういう文化への理解が軍内に確実にあったということは重要なポイントでしょう。そしてそれは当時の日本の土壌として確実にあった、といってもいいと思います。軍隊というのは、どの国でもそうですけれどそれぞれの国の縮図ですからね。そういうところが垣間見えるのも嬉しい。

でも司令官以下、みんなほんとに音楽とか演劇が大好きで、なんやかんや小難しい理屈をつけながら結局は「自分が楽しみたいから」協力しているのがバレバレなのがとてもいいです(笑)

将官も兵隊もみんな、加東氏への援助を惜しまないんですね。それに感動します。そして、その舞台が太平洋戦争中でもかなり過酷な戦線だった、という。でも、みんな生き生きとしている。でも、毎日のように栄養失調などで1人また1人と斃れていく、、。「生きる喜びと死」がここまで隣り合わせだった例というのは他にあるのかな?と思うほどです。

「山中放浪」の紹介でも書きましたけど「笑い」や「楽しみ」「娯楽」って人が生きていく上でとても大事な活力の一つなんですよね。それが本当によく分かる。そして、それらを感じてもらうためには必死で技を磨かなければいけない。加東氏らがプロとして芸を磨こうとするギラギラした姿勢にも圧倒されます。何らかのもの作りに携わっている人にとっても必読の書じゃないかなあ、と思います。

というわけでお終いです。

私は子供の頃から何故か戦争に興味があって、本でも映画でもテレビでも、戦争に関係するものがあったら飛びついてました。以後も機会があればそういうものに触れています。今もそうです。それからもう何十年もたちますが、戦争って一体なんなのか、全く分からないです。知れば知るほど分からなくなる、というのが正直な実感です。

でも、今回の本のようにあれこれ触れていると、かなりぼんやりとですが分かってきたような気もしています。しかし、このペースだと分からないまま死んでしまうかもしれない(多分そうだろうなあ、とも(笑))

でも、大事なのは「分からないから分かろうとする姿勢」なんだろうなあ、と。さすがにそれくらいは分かるようになりました(笑)なのでこれからもこういう本はちょこちょこ読んでいきたいと思ってます。

そして、私なりに「これ凄いなあ、多くの人に読んで欲しいなあ!」という本をいくつか提示したのが今回のエントリーという訳です。

戦争の記録というと、各国軍隊間の特定の戦闘や、それに巻き込まれた民間人の記録というのが主流です。多くの人が係わったものほど関係書籍が多くなります。それは当然です。でも、今回紹介した本のようにその「主流」からちょっと外れたものもたくさんあります。第二次大戦のように多くの国や人々が関係した戦争になると特にそうです。ほんとにスケールがでかい。

なので、そういう「ちょっと主流から外れた本」を選んでみました。選んだ、というかたまたま、なんですけどね(笑)。まあでも、どの本からも「戦争の本質」のようなものが感じられるのは間違いないと思っています。

書評というと簡単簡便、的確にサラッと書くのが大事とは思うのですが、私は素人なのでつい思い入れがほとばしって(笑)長々と書いてしまいました。でももちろんどの本もほんとうにお勧めですので、興味を持った方がどれか1冊でも手に取ってくれれば嬉しいです。

それでは。

過去の酩酊読書会はこちらです。よろしければどうぞ。
第1回↓
第2回↓

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