森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

2015年を振り返って

2015年12月26日 | 雑記
今年もあとわずかになりました。今年の最後は、私の模型製作活動の一年を振り返ってみたいと思います。この写真は、日本本土決戦のジオラマ「Sweet Home」です。今年はこれが一番の思い出です、、。

このジオラマは、月刊アーマーモデリング4月号に紹介していただきました。日本家屋を主体にしたジオラマは、以前からずっとやってみたかったので、こうやって形に出来たこと自体嬉しかったのですが、それだけに留まらず、創刊号から愛読していた同誌に、かなりのページを割いて紹介してもらったことは感無量でした。

いろんな方から「あれ見たよ」と声をかけていただいたのも嬉しかったです。正直、製作中は死ぬかと思うくらいめちゃくちゃ大変でしたが(笑)、本当に作ってよかったなあと思ってます。

そして、月刊ホビージャパン5月号では、日本海軍の九六式三号艦戦を紹介していただきました。

これは九六艦戦に試験的に液冷エンジンを搭載したもので、写真も図面も現存しておらず、幻の機体といわれています。私はもう20年くらい前から立体にしてみたいと思っていたのですが、なかなか着手することができず、やっと形にすることができました。正確な形状がわかっていないながら、この三号艦戦は日本機の中では一二を争うぐらい美しい飛行機だと個人的に思ってます。誌面を見て「こういう飛行機があったんだ」と興味を持ってくれる人が少しでも増えてくれれば本当に嬉しいです。

月刊モデルアート8月号に掲載されました、沈没した戦艦武蔵のジオラマも、かなり印象に残った作品です。
この号は今年発見された武蔵の特集で、最新考証を反映した武蔵の作例などが紹介されています。その中の一つとして、このジオラマが掲載されました。ご存知のとおり、発見された武蔵は、沈没時の爆発で四散してしまっており、このような原型をとどめた姿ではありません。しかし、編集部からの注文は「沈没した武蔵を自由なイメージで製作して欲しい」というものでした。こういう依頼はなかなかない、モデラー冥利に尽きるものです。そこで私なりに「武蔵はこういう姿であってほしい」というイメージをできるだけ固め、与えられた時間の中で出来る限りのことをさせていただきました。なので、非常に手ごたえを感じることができた作品となりました。

今年は他にもいろいろと模型誌のお仕事をさせていただいたのですが、これら3作品はその中でも特に印象深かったものです。どれもすでに掲載時に報告してますので、「ちょっとしつこいかな?」とは思いましたが、一回で終わらせるのはちょっともったいないなと思いましたので(笑)なにとぞご了承下さい。初見で興味を持ってくださった方は、もしよろしければぜひ誌面を御覧になっていただければと思います。

各作品の製作にあたっては、要所要所でさまざまな方々から貴重なアドバイスや情報を提供していただき、そのおかげで完成することができました。また、各誌編集部の担当の方々には本当にお世話になりました。この場をお借りして心よりお礼申し上げます。

雑誌掲載時のエントリーはこちらです。掲載誌の紹介などをしています。
「Sweet Home」http://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/0a2c497d62f7526393c4bee1bfb09f3a
九六式三号艦戦 http://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/a7a9169bd92c907155c289d4d561da2d
武蔵 http://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/5293b45897787d7f4f6bbda26d37633f
※以上の写真は私のセルフ撮影したものです。誌面には載っていません。

模型のお仕事以外で、印象に残ったといえばやはり「せんしゃん」関係でした。毎春、中四国地域で開催されてます「中四国AFVの会」では、私のデザインした公式マスコットキャラクター「せんしゃん」と「すだこ」をかなりプッシュしてもらってます。今年はせんしゃんのレジンキットを15箱製作し、会場で「販売」(一定額以上をカンパしてくださった方へのノベルティーという扱いなので、正確には販売ではありません)したところ、数時間で「完売」してしまいました。

ぶっちゃけ、運営委の人とは「二、三個売れたら万々歳だよねー。売れ残ったら在庫にして気長に売りましょう」とか話してたので(笑)これはもう、ほんとびっくりでした。

レジンキット製作経験者の方々にはわかっていただけるかと思うのですが、原型やゴム型の製作、複製、パッケージの準備など、レジンキットの製作は想像の10倍くらい大変でした。自分で提案したことながら、製作の途中で何度も「俺はなんでこんなことをやってるんだ?」と自問自答したものです。

しかし、15個とはいえ「完売」した時点でそんな想いは吹っ飛んでしまったのでした。いやほんと、作ってよかったです。せんしゃんを「引き取って」くださった皆様、本当にありがとうございました!!大事にしてあげてください!

会場ではキットのほか、缶バッジや絵葉書のノベルティーセットも頒布し、多くのカンパをいただくことができました。これもほんと嬉しかったです。


あと、私が編集してます「中四国AFVの会ニュース」も今年で2号目となりました。これは中四国AFVの会の入賞者名簿や、会場の様子を報告するA4二つ折りの簡単なリーフレットで、静岡ホビーショーで配布しました。結構な枚数を印刷したので、ちょっと心配でしたが(笑)想像以上にはけまして、ほっとしました(笑)

これは、来年も発行する予定です。

そんなこんなで、いろいろと充実した一年でありました。ただ、個人的な作品の完成品がほとんどなかったというのが残念であり、大きな反省点でした。とはいえ、ノモンハン事件を題材に製作しました「The Quiet Nomonhan」がキヤホビーコンテスト(キヤコン)で佳作をいただいたのはとてもいい励みになりました。

この作品も、自分なりにさまざまなテーマを持って取り組んだものでして、製作を通じてかなりの糧になったように思います。

というわけで、来年の目標としましては、お仕事だけでなく個人的な作品も、もっと製作していきたいですね!

それでは皆様、よいお年を!

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岡山の日本陸軍第十七師団の遺構群

2015年12月19日 | 廃虚・史跡・博物館などの探訪記
はい、これは何でしょう(答えは結構後に!)

というわけで、今回は岡山大学とその周辺に残る日本陸軍第十七師団駐屯地の遺構のレポートです。前々回の日記にチラッと書きましたが、私は2015年11月22・23日に岡山の模型クラブ「未完成チーム」さんの展示会にお邪魔しました。その際、同会のD会長が、展示会初日に遺構の見学会を企画されまして、私も参加させてもらいました。

駐屯地の敷地は、岡山大学のキャンパスと重なっています。といいますか、駐屯地跡に岡山大学が建てられたようです。なので、大学とその周辺には師団の施設があちらこちらに残されています。駐屯地には、師団司令部や歩兵第五十四連隊、騎兵第二十一連隊、広島陸軍兵器補給廠倉庫など、多種多様な部隊や施設がありました。範囲が広いので、車に乗って見学しました。参加者は展示会のゲストにこられたF社のS社長、未完成チームのD会長、土佐模型クラブのN会長とM会員、スケビにコラムを連載されているT女史、未完成チーム会員で中四国AFVの会の名司会で知られるO氏、そして私という、よく考えるとかなり模型濃度の高い(笑)メンバーでした。

まずは衛兵所。現在は大学の施設として利用されています。
こじんまりとしてますが、とてもいい雰囲気です。

こちらは第十七師団司令部。これまた大学の施設として使われているようで、内装は新しくなっているような感じ(入れないので想像です)でした。

補給廠のコンクリート塀。補給廠には近くのJR線路からの引込み線があったそうで、これだけ高いのは荷解き場を隠す「目隠し塀」として作られたためではないか、といわれているそうです。

塀の近くに門柱だけが残ってました。

こちらは塀の内側。とても頑丈に造られているように見えます。遺構の塀は、現在も塀として機能(敷地の仕切り、ということですね)していました。

同じく大学構内のレンガの建物。二棟ありました。こちらも大学施設として使われています。たしか、看板に講義棟と書いてあったような(間違ってたらすいません)。

素人が見ても、かなりしっかり造られているということがわかります。

窓も今の目で見ると、とても凝った創りですねえ。

おおっ!こんなところにもトマソンが(笑)レンガが同じものっぽいので、埋めたのは軍の施設だったころでしょうね。几帳面に埋めているのがさすが軍隊という感じがします。

こちらは馬小屋跡。跡、といいますか今も馬術部が使ってます。そういうのって、なんかとてもいいですね!写真に撮るのを忘れましたが、ちゃんと馬がいました。
屋根がちょっとうねってるのが素敵です。

というわけで、次は大学を出て近所の施設に参ります。

これは「騎兵第二十一連隊将校集会所」。移築され、現在は地元の公会堂として使われています。
こじんまりとしてますが、なんとなく落ち着いた品のある建物です。

集会所の入り口。と窓。
質素ながら、それなりに凝った造りに見えます。集会所、というのはサロンみたいな感じだったんでしょうかね。騎兵将校が集まって、優雅にお茶会でもやってたんでしょうかね。それにしても「騎兵将校」って、なんかかっこいいなあ、、。

こちらは集会所の壁の下の空気穴。中央に陸軍のシンボルマークの五芒星が!粋ですねえ。

下駄箱も当時ものかな?と思いましたが、騎兵将校なら必ずブーツでしょうし、そもそも土足だったでしょうから、違うでしょうね。でも、使い込まれ方がいい感じ。

そしてさらに移動して、岡山県総合グランドに向かいます。

グランド内にあるのが、「岡山偕交社」。偕交社というのは、戦前に陸軍将校の互助・親睦のために作られた組織のことです(今もありますが、系統的には別組織のようです。ちなみに海軍には「水交社」があります)。将校用の軍装品の販売や、会合の会場として利用されたとのこと。
今はグランドのレストハウスとして利用されています。

建物は1910年のもので、二度移築されたとのこと。と明治期の建物なので、洋風ですね。窓からなにから凝った造りで、豪奢な印象。

こちらは門柱。「なんとか様式」(笑)という奴ですね。いやー、お金かかってますねこれは。

門柱の彫刻もなんだか凄い。でも、ペンキを塗り重ねすぎて何の彫刻なのかいまいちわかりません。
でも、凄いのはわかりますね。

屋根裏の明り取りの窓がいいですね。こういう屋根裏部屋、あこがれます。

こちらは足元の空気穴。ただの穴ではない、という感じ。

これは勝手口(と思う)。よーくみると、必要以上に凝ってますね。屋根のひさしの下の半丸ととんがりは、要るのか?(笑)

レストハウスなので、嬉しいことに中にも入れます。一階は普段喫茶店らしいのですが、この日は結婚披露宴が開かれていました。お邪魔虫ではありますが、二階にはあがってもいいそうなので、お言葉に甘えさせてもらいました。

階段が実に渋い!素敵!ドレスのお嬢様が優雅に降りてきそうな感じ。でも写ってるのはお嬢様ではなくてO氏。


階段の手すりは、頭がくらくらするくらい凝ってます。金かかってますねー(さっきから金のことばっかやな、自分)。

こういうの、今作ったら大変なことになるんでしょうね。「ほら、これ見てよ」と指をさすS社長。何かというと、、

先ほどの五芒星がここにも!おしゃれですねえ。陸軍はやぼったいというイメージがありますが、そうでもないんだなあ、という感じ。まあ、ここは正確には陸軍の施設ではないのですが、まあそれでも。

階段から床を見たところ。こういう使い込まれた感じって、ほんといいですよね。100年の重み、といいますか、、。

二階の天井。左側が部屋になっています。天井が変な途切れ方をしているので、二階すべてがワンフロアのホールだったのを、後で壁で仕切ったのかも。

こちらが部屋の中。会議とかに使われてるみたいです。天井が高いですね。ここで舞踏会とかやってたんでしょうかね(先ほどから発想がベタで貧困である)。

すべてが豪奢な感じではあるのですが、よくよく見ると、やはり長い年月を感じずにはいられないです。これは窓枠のアップ。なかなかのヤレ具合です。ペンキの厚みが凄いですね。でも、どこか美しさを感じます。

こちらはドアの上の彫刻。素晴らしすぎます!どんな職人さんが彫ったのかなあ、、、。

窓は上にスライドさせる方式です。よく見ると、枠にワイヤーと滑車が着いていました。ゆっくり上げ下ろしするのと、途中で止めるためのものですね。なるほど。こういうのって、間近に見ないとわからないんですよね。

というわけで、日本軍と古い建物の好きな私にとってはたまらない見学会でありました。何でもそうですが、こういうものは実際に見ると非常に得るものが多く、有益なひとときでした。そして、これらを見学していてとてもいいなあ、と思ったのは、どの建物も今もちゃんと使われている、ということでした。ずっと昔に作られた建物が、連綿と人々の思い出の場所であり続けているというのは、ほんと素晴らしいことだと思います。

最後に、今回、この見学会を企画され丁寧な案内をしてくださったD氏と、運転手を快く引き受けてくださったO氏に心からお礼申し上げます。

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一〇〇式機関短銃 フルスクラッチ 1/12 (その1)

2015年12月12日 | AFVの模型
先日簡単に紹介しました、一〇〇式機関短銃の製作記です。

これは単体の模型作品ではなくて、スクラッチする予定のフィギュアに持たせるためのものです。ですが、もったいないので(笑)単体作品として紹介します。

まず、実物の図面を1/12に合わせて縮小コピーし、適当な板に張り付けます。これが「原寸図」となります。これに現物あわせで製作していけばいいわけです。板に張るのは、部品を何度も図面に載せるため、紙のままだとゆがんだ状態であわせてしまったり、破れたりするからです。図面は、旧軍小銃のマニュアルを複写した自費出版本「日本の小銃」(全日本軍装研究会)に載っていたもの。「兵器制式図」というやつです。

原寸図とは別に、もう一枚印刷して1ミリプラ板に張り付け、銃床部分だけを切り出します。そうすると、自動的にほぼ正確な側面形になります。あとの部品は原寸図にあわせしながら製作を進めます。

幸い、タナカ製のモデルガンを持ってますので、細部の寸法がわからないときはこれををノギスやメジャーで測って、電卓で12に割れば数字が出ます。とても楽ちんであります(笑)

製作するのは後期型で、モデルガンは前期型ですが、基本的な構成は同じです。このモデルガンは本当によくできています。再販品で、20年ほど前に買いました。初版発売は確か小学4-5年生の頃で、52000円でした(さっき調べました)。もちろん買える訳がなく、泣く泣く諦めたのでした(小学生でこれを欲しがるのって、やっぱおかしいよな、、)。その約十年後、多少はお金の自由がきくようになった学生のころ、再販されたので迷わず飛びついたわけです。バイト代をはたいて購入しました。確か七万円くらいだったかな、、。でも、まだ足りなかったので食費も削ったような、、。

当時のトイガン界は、エアガンブームでモデルガンは人気がなく、新製品もほとんど出なくて風前の灯といってもいいくらいの状況でした。そんな中、再販されたのは僥倖に近く、ここで手に入れないともう二度と手に入らないと思い、必死で購入したのでした。しかしその後、モデルガンも盛り返し、新製品も出るようになり、一〇〇式もメーカーは変わりましたが最近再販もされ、なんと試作型の「改修三型」まで出ました。まあでも、あのころに頑張って買ってよかったと思います。「モノより思い出!」であります(あれ?)。


うーん、それにしてもかっちょいい!

閑話休題(すいません)。続けます。切り出したプラ板に、タミヤのエポパテを盛り付けます。レシーバーのパイプはエバーグリーンの2・5ミリ丸棒がほぼピッタリでした。


銃身は1ミリ真鍮パイプ。前期型の銃身は、放熱効果を高めるために、軽機関銃のようなリング状の溝が切られています。そりゃまあ、そのほうがいいに決まってるのですが、サブマシンガンとしては凝りすぎですね。さすがの日本軍も反省(?)したのか、後期型はストレートな棒状になってます(制式図ではそうなってますが、実物がどうなのかは不明です。いくら写真を見てもわからない、、、)。でもまあ、リング状だったとして再現したとしても、まず見えませんね、、。バレルジャケットは筒状に丸めたアルミ(ビールの缶を切り出したもの)にピンバイスで穴を開けて製作。ここはこの銃の特徴的な部分ですし、模型的にも見せ場になりますので、できるだけ頑張りました。

しかし、丸めたアルミの筒に穴を開けようとしても、内側に凹んでしまってうまくいかないのはやる前になんとなくわかっていたので、いい工法を考える必要がありました。オーソドックスなやり方としては、アルミ板をプラ棒に丸めたままにして、プラ棒ごと穴を開けるというもの。作業中ずれないようにアルミとプラ棒を瞬間接着剤で仮止めしてやってみると、案外うまくいきました。穴が少しでもずれると実感が損なわれますので、できる限りきっちりシャーペンで穴の位置をマーキングして、まっすぐ綺麗に並ぶように開けていきます。

こういうのって、一回目は練習のつもりでやったほうがいいですね。二回目、三回目でうまくいく位に考えてたほうが、逆にリラックスしてできるような。で、「最初うまくいかないとわかってのんびりやったら、案外一発でできたりするんだよねー」とかうっすら期待しながらやったのですが、やっぱり失敗しました(笑)そんなに甘くはないか、、、。でも2回目でなんとかできました(ほっ)。

この銃は、同種のサブマシンガンと同様、径の違うパイプを幾重か組み合わせて作られてますので、アルミを巻き重ねていきます。ペーパーを巻いてくるくる回して磨いてやると、機械加工したみたいに傷がついてごっつええ感じ(笑)

ストックも少しずつ削って、形を近づけていきます。機関部ともども、逐一原寸図に当てて、寸法に狂いがないかチェックを繰り返しながら作業を進めます。

銃は、全体のバランスが狂うと、途端に似なくなってしまいます。なので、銃のスクラッチでは、バランスはディテールと同じかそれ以上に大切だと思います。よりスケールの小さい35の場合だとなおさらです。

全体の大枠ができてきたので、次はディテール工作に入ります。その辺は次回に紹介したいと思います。

とりあえず刻印だけ。デザインナイフの先で少しずつつついて彫りました。でも、これは実物よりふた周り以上大きいです。これより小さく彫るのは無理でした。でもまあ、これが精一杯です、、。よく見るとリアサイトがゆがんでますね、、、。直します。写真ってヤダなあ、、。

前にも書きましたが、1/12は銃にはピッタリのスケールのような気がします。手のひらに乗る感じがなんともたまらんです。


というわけで、一00式はとても好きな銃なので、模型編だけでなく、実銃について自分なりの考察とかも書きたいと思ってます。続けて書くのでなくて、恐らく飛ばし飛ばしの紹介になります。すいません。

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レールとピンセット

2015年12月05日 | 日記
今日は久しぶりに日記にします。「だ・である」調で書いてますのでなんか偉そうですが、そうしないと日記っぽくならないのであえてそうしました。あらかじめご了承ください。

●月●日

学生時代のサークルの後輩H君が神戸から遊びに来る。地元のH君の友人のIさんも来て、私の嫁さんと4人で夜から朝五時まで酒を飲みながらあれこれ話す。学生時代も、何かというとサークルの仲間と酒を飲みながら朝まで話していた。学生時代に気の会う友人と飽きもせず延々と話したことは自分の大事な糧になっている気がする。

しかしながら、面白がれたり笑えたりすることが、当時と変わらないのはどうかと思う。若いころは年相応に分別くさくなっていくものだと思っていたのだけれど、どうもそうでもないらしい。50歳、60歳になっても、似たような感じなのだろうか。それでもいいかな、とは思う。しかし、80歳になっても(生きてたとして)「○○の○○○は、詐欺」とか「△△△に△△△するのは△△がおかしい」、はたまた「××××ってるような奴は×××が足りない××××だ」などと話してゲラゲラ笑ってるのはちょっと嫌だ。

翌日、「和三盆糖」というおいしい砂糖のお土産を買うため隣県のお店に出掛け、帰りにバス停に寄り、H君を見送る。上と下の写真はそのお店近くの踏み切り。

私は、軽便鉄道と市電以外の普通の鉄道には興味がないが、レールと踏み切りは好きで、見かけたらふらふらと近寄ってしまうので危ない。

△月△日ー▲日

岡山の模型クラブ「未完成チーム」の展示会に赴く。いつもは日帰りだが、今年は泊まりでじっくり参加させてもらう。いつもながら、人の作品を拝見するのはとても勉強になり、得るところも多い。また、普段は一人でごそごそやってるので、同好の士といろいろな趣味の話ができるのも嬉しい。

今年のメインテーマは「ファインモールド」ということで、同社のS社長がゲストで参加。社長のトークショーがあり、ファインモールドの設立の経緯や製品へのこだわりなど、貴重なお話を聞くことができた。お話には「いいもの」を作るためのヒントがたくさん詰まっていて、本当に勉強になった。結局は組織でも模型でもなんでも、「いいもの」を作るのに必要な心構えや志は同じなのだと思う。

未完成チームのD会長の案内で、会場近くの岡山大学の構内などにある日本陸軍第十四師団の遺構の見学会に参加する。思った以上にたくさんの施設跡が残っており、非常に見ごたえがあった。後日、当ブログにて改めて紹介したい。写真は、岡山偕行社(将校用の施設)の建物。

1910年の建築だが、綺麗に保存されていて、運動公園のレストハウスとして今も利用されている。こういう建物を見ると、いつも不思議な気分になる。建築に携わった人々はもう一人もいないのに、建物は残って今も使われているというのは、なんといったらいいのか、、、。

※諸氏のお名前は実名でも差し支えないとは思ったが、念のためイニシャルにさせていただいた。

×月×日

漫画家・イラストレーターのフジモトマサル氏が逝去したというニュースが入る。ショックを受ける。

3-4年前、書店で「夢みごこち」(平凡社)という漫画を見かけ、表紙の絵柄に惹かれて買ってみたのが最初の出会い。
オリジナリティあふれるかわいい絵柄と、それと相反するようなシリアスな内容に衝撃を受けて、一気に著作を買い集めてしまった。以後、活動に注目していた。
最近、村上春樹氏の問答集のイラストを手がけられ、村上氏も大好きな私としてはとても嬉しい出来事だった。
村上氏とのコンビだけでなく、これをきっかけにより活動の幅を広げていかれるだろうと期待していた直後のことだったので、本当に本当に、本当に残念。

私も、ものづくりをしている端くれなのでよくわかるのだが、氏には構想中の作品が無数にあったはずだ。それなのに死の床に付かなければならなかった無念さを思うと、何もいえなくなる。

氏のご冥福を心より祈りたい。氏の著作は、また改めて書評にて紹介したい。

そして、その数日後、水木しげる氏の訃報が。ああ、、。

◎月◎日

地元の県立美術館で開催されている「海洋堂のフィギュア展」を観にいく。いかねばいかねば、と思いつつ忙しくて時間がとれなかったのだが、最終日に滑り込むことができた。

内容は海洋堂のこれまでの製品と、江戸や明治期のミニチュア的要素を持つ美術品を並列して展示し、日本のミニチュア・フィギュアの系譜をたどる、という感じ。

海洋堂の主要な作品がこれでもかというくらいに展示されており、本当に勉強になる。海洋堂の原型師それぞれの代表作も個別に紹介されており、これまたとても参考になる。中でも竹谷隆之氏の原型を見れたのはよかった。

で、予想外で嬉しかったのは大正・昭和期の彫刻家、安藤緑山の作品数点を見れたこと。いつか見たいとは思っていたが、まさか地元で見られるとは。緑山は果物や貝などを、象牙を使って超リアルに彫刻・彩色した作品で知られており、はっきりいって実物にしか見えない。展示作品はサザエやバナナ、柿などで「わざわざ作品を輸送してこずとも、実物のサザエやバナナを買ってきて展示しといたらいいんじゃないか」と思うほどだった。恐らくは、造形物の到達点のひとつなのではないかと思う。

写真ではなくて、実物を見れたのは本当によかった。隣でやっていた別の企画展ではピカソとジャコメッティの作品を見ることができた。これもラッキーだった。

いいものを生で見るというのは、ほんとに大事だと思う。自作に反映できるかどうかは別にして。

□月□日

模型製作に使っている古いピンセットを再仕上げした。

このピンセットは私の工具の中では最古参である。もう30年くらい使っている。
小学生高学年のある日、なぜか「模型をちゃんと作るぞ!そのために工具をちゃんと揃えるぞ!」と思い立ち(理由は忘れてしまった)、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入したことを覚えている。確か600円くらいだった。当時なら欲しいプラモデルが1個や2個は買えたので、大英断といってもいい。

しかし使っていくうちに先端が曲がってしまい、二線級になって久しかった。一度先端を削ったことがあったが、中途半端にやってしまい、いまひとつのままだった。

しかし、先日これをぼんやり眺めていて「今なら綺麗に仕上げられるのではないか」と思い、板に張ったペーパーで注意深く削り出してみた。すると、かなり細かいものでもつかめる、一線級のピンセットに仕上がった。もともと高品質だったからできたのだと思う。

ついでに塗装を全部落として、黒染めしてみようかとも思ったが、やめた。
購入したときの塗装を落としてしまうと、これまでの「何か」が断ち切られそうな気がしたので、、。

○月○日

良く考えると、最近銃の絵しか描いていない。不健全だなあ、と思ったので別の絵を描いてみることにした。つらつらと、思うままに描いたら、こういう絵ができた。



なんというか、別の意味で不健全かもしれない。しかし、描いた人間が不健全か健全かといえば、多分不健全なので仕方がないといえば仕方がない。

なんであれ、絵を描くのは楽しい。他にもやりたいことがいろいろあって描く時間があまりないのだけれど、できるだけたくさん描いていきたい。あと、健全な絵(風景画とか)も描こうと思う。10枚に1枚くらい。

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