
(前回までのあらすじ)じいちゃんの影響で南部十四年式拳銃が大好きになってしまった森男少年。しかし、満足なトイガンとして手に入る十四年式はなかった。果たして「南部十四年式が欲しい!」と煩悶する日々が続く森男少年に救いの手は差し伸べられるのか、、。
というわけで続きです、、とその前にちょっと前回の補足を。じいちゃんが「十四年式の撃針がよく折れて困った」と話していたと書きました。また、これは十四年式の欠点として知られていて、ホルスターにも予備撃針を入れるポケットが付いてます、とも書きました。
UPした翌週、いつも拙ブログを読んでくださっているという、米在住の日本軍銃器のコレクターの方(以下便宜上X氏と呼びます)から「前回のブログ読みました」とメールが。十四年式についていろいろと教えてくださいました。
X氏は、ときどきメールを下さって、日本軍の銃の貴重な写真を送ってくれたり、私の間抜けな質問に答えてくれたりします。本当に助かっております。
X氏はコレクションするだけでなく、射撃もされています。コレクター歴は30年以上で、コレクションも写真を拝見しましたがまあ凄いです。例えば、十四年式(写真を見るとオリジナルホルスターやランヤード付がごろごろ)だけでなく九九・九七式狙撃銃(写真だけで合わせて10数丁!)、四四式騎銃(同15丁!)、三十五年式海軍銃、南部式甲型と伸縮式ストックのセット(当然乙型も小型もある)などなどを「普通に」お持ちだといえばどれくらい凄いか、詳しい方ほどお分かりになるかと。そこで、この撃針のことを聞いてみました。「射撃中に十四年式の撃針が折れたことはありますか?」と。
結論から言うと「1度もなかった」とのこと。X氏はじめ、コレクター仲間で30年以上にわたり、トータルで3000発以上は撃ったそうです。単一の銃ではなく、複数での結果です。程度のよい前期型はあまり撃たず(まあそうですよね)、射撃するのは主に昭和18-19年製造の後期型だったとのこと。複数の銃であるとはいえ、製造から結構な年数が経っていることを加味すると、じいちゃんの言ってたように「よく折れた」という話は「ほんとかな?」とも思ってしまいます。ひょっとするとじいちゃんのはかなり程度の悪い末期型だったんじゃないかなあ、と。
しかし、じいちゃんがウソを付いたというわけでもないと思うのです。ホルスターに予備撃針のポケットが付いている、というのはやはり「折れる」ことがあったからで、じいちゃんの話を裏付けています。しかしそれが「よく」なのか「ときどき」なのか「ごくたまに」では評価が少し変わってきます。とはいえ、当時の主要参戦国の制式拳銃のホルスターに予備撃針ポケットが付いているものは他にありません。この点からも「折れることがあった」と考えるべきでしょう。
とはいえ、前期のホルスターにはこのポケットはありません。中期からポケットが追加されました。時期については不明です。撃針が改良された1938年ごろではないかという気もしますし、もしそうならこの改良と撃針が折れることに何らかの関係がある可能性もある(不発の解消のため、撃針の移動距離を長くしたので、撃針にかかる衝撃が増えた)のですが、結局は推察に推察を重ねるだけになりますので、素人(X氏からすると、私なんてど素人です)の想像はこの辺にしておいた方がいいようです。
なんであれ、X氏の実証から考えると「撃針がよく折れるのが十四年式の欠点」と根拠なく喧伝することは控えた方がいいのかな?と思います。何でもそうですが、昔の出来事やモノについての評価は、どうしても根拠のない伝聞からくることも多く、その辺をきちんと踏まえた上で、例えばこういうブログを書かないとあかんのだろうな、と思います。なので、じいちゃんの話はじいちゃんの話でひとつの貴重な証言ではあるのですが、あくまで「証言」であって「十四年式の欠点」の話を補強する「証拠」ではない、と受け止めていただければと思います。ガンマニアのひとりとして、今後この辺の研究解明が進むことを期待しています。
現在の機械というのは本当に高品質で、メンテナンスフリーが基本で誰がどう使っても同じような性能を発揮しますし、それが大前提となっています。例えば自動車がそうですね。しかし、昔の機械(兵器含む)というのは、今よりも不完全で、使い手の技量や整備によって性能が120%になったり50%になったりするものだったようです。この辺の機械の時代性もほんと加味しないとあかんな、と思いますね。液冷エンジン不調が問題となった彗星を、独自の対策をとって稼働率をかなり上げた芙蓉部隊など、きちんと対応して結果を出した例もある訳ですからね。
あ、また話がずれてかつ長々と書いてしまいました。X氏には今回この件で再々の質問をして、かなりお手数をおかけしてしまいました。この場を借りてお礼申し上げます。
それでは本題です。じいちゃんから十四年式の話を聞いたのは多分小2ぐらいのころです。前回書いたように、十四年式の姿を認識したのも同時期です。しかし、銃自体に興味を持ち出したのは小3くらいのころだったかなと。ジャガーバックスに「世界拳銃図鑑」という本があって、それを買って読んだのがきっかけだったように思います。
それまで、テレビの映画で戦争映画とか西部劇を観てて、銃がカッコイイということは知っていました。でも、その銃がなんという名前でいつごろどこで作られたのか、という情報がまったくなかったのです。そういうガイドがない場合、なんの知識もないのにローマの遺跡をウロウロするようなもので、案外興味とか好奇心は高まらないんですね。
でも、その本には銃の絵や写真、名前や由来、愛用したガンマンなどの情報がたっぷり書かれていました。すると「おお、これはモーゼルミリタリーっていうんだ。あの西部劇の銃はコルトピースメーカーって名前か。カッコイイ!」などなど世界が広がって、知識欲がグワッと噴出するわけです。十四年式は載ってたかどうか記憶にないです。でもベビーナンブは載ってましたね(これはよく覚えてます)。で、残念ながらその本は処分してしまいました。また機会があれば手に入れたいんですけど、この本はまあ出てこないし、もし出てきてもジャガーバックスって今どれも高いんですよねえ、、。
当時、十四年式と並んで私の心をわしづかみにしたのがモーゼルミリタリーでした。手を伸ばせばすぐそこにある、エルエスの十四年式のプラモデルガンは、入手するのに足踏みするような状態に陥っていたのですが(前回参照)、モーゼルは違いました。当時、すでにマルシンとマルイのモーゼルM712のモデルガンがあり模型店に並んでいました。
マルシンのモデルガンは当然高価で、私の選択肢としてはマルイしかなかったのです。とはいえ、確かマルシンのはキットで4900円、マルイが2900円で今からみるとそれほど価格に差があるようには思えません。しかし、子供にとっては2000円の違いはメチャクチャ大きいんですね。今から考えると、マルイの造るモデルガンシリーズが大ヒットしたのもよく分かる気がします。
マルイのキットは小3の夏休み、誕生日にもらったお小遣いを握り締め、模型店に鼻息荒く飛び込んで買いました。

このキットについては、以前書いたのでよろしければお読み下さい。
「モーゼルM712 東京マルイ 1/1 製作記 (その1)」
あ、で、このエントリー、ずっと(その2)を書かないままになってて申し訳ないです。実は「作った以上発火させないとアカンやろ」と思ってアレコレ準備してたんですが、いざとなると躊躇してしまったり準備が整わなかったりでヘタレたままになっております。撃つなら動画撮りたいよなあ、でも機材がないよなあ、とか。でもそのうちちゃんとリポートするつもりはつもりですので、今しばらくお待ち下さい。
というわけで、モーゼルはめでたく手にできた私でした。残念ながら年齢的・技術的に完全なものには出来なかったのですが、まあそれでも1/1の拳銃のモデルガンを手にした喜びは筆舌に尽くしがたく、私のガンマニア歴はここから始まったといっても過言ではありません。
で、このモーゼルの箱の横を見て、私は驚愕したのでした。なんとラインナップに「南部十四年式」が入っているではありませんか。

当然、これも発売されているだろうと思ってしまったことは言うまでもありません。子供ですので、箱に描いてある以上は必ず売っているものだと思い込んでしまうものです。しかし、店頭には並んでいませんでした。
「お店に入っていないだけなのかな?」と、以後その模型店(マルイのモデルガンを売ってるのは、当時の私の知る限りこの店だけでした。)に行くたびに、モデルガンの棚をガン見したのですが、いつまでたっても棚に十四年式が並ぶことはありませんでした。待っても待っても来ない十四年式。森男少年の心ははちきれんばかりでありました。
しかし、結論から言うと、十四年式の造るモデルガンは発売されなかったんですね。どうやら試作段階まではいったようですが、お蔵入りになったようです。あ、そういえばウィキの「造るモデルガン」の項目は非常に詳しく参考になりますので、ご覧になってみて下さい。このエントリーの多くの情報はここから得ています。
余談ですが、このマルイのキットの箱の側面の絵、ちょっと変なんですよね。M712は、よく見るとC96にセレクターを追加したような感じです。しかもセレクターは非常にぼんやりとしてます(そもそも、製品呼称のM712じゃなくてM1932だし(どちらも間違いではないです))。全体像としては、C96の固定マガジン式特有の前方下部の出っ張りとか、セフティの形状、アッパーレシーバーの溝、溝の多いグリップなどなど、明らかにC96です。ガバメントも、いわゆるクジラタイプ(マルゴー・エルエスのガバは、トリガーガードがオリジナルに比べると縦方向が狭く、その見た目から「クジラ」と呼ばれてます)です。でも、マルイのガバは、とてもきちんと再現されてます。逆に、エルエスのガバの箱絵は、普通の外観なのにキット自体はクジラなんですよね。なんなんだろこれ、、。

さらに、マルイの箱のルガーは、なぜかショートリコイルした状態で描かれてます。これもよくわかんない、、。マルイのキットをお持ちの方はご覧になってみて下さい。
でもまあなんであれ、このマルイの箱の十四年式の絵は実に魅力的です。何度も何度も見て、ため息をついてましたね。「ああ、ほんとこれ欲しいなあ、、」と。
月刊モデルグラフィックス1984年12月号(創刊2号)には、この年の「全日本プラスチックモデル見本市」のレポートが掲載されており、十四年式について触れられています。どうも、この時期の見本市には試作品が展示されていたようです。どの雑誌だったかは忘れましたが、写真付のを見た記憶があるような、、。で、MG誌の記事には「長らくお待ちかねの南部十四年式も、来年1月の発売となったらしい」とあります。文章のニュアンスとしては、発売が決定されたという風にとれます。
この号のこの記事を読んだのは、雑誌発売の2-3年後で、古本で手に入れたんですね。その頃私は小5-6年で、ほとんど十四年式のキットのことはあきらめていました。なので、この記事を読んでびっくりしたわけです。「発売されてたの?」と。しかし、店頭にはもちろんキットはないのです。でも、記事にこう書いてある以上、売っているはずだ、、。どこかに売っているはずだ、、。それは一体どこなんだ、、、。と、はたから見るとちょっと怖いくらいに執着心が再度めらめらと燃え出す森男少年なのでした。
もうひとつ、その「売っているはずだ」という根拠がありました。「こち亀」35巻にマルイの造るモデルガンの十四年式が出てくるんです。ど田舎から三八式を持った日本兵みたいな警官が派出所に来て、珍騒動を巻き起こす、という回です。
彼の拳銃は南部式甲型で(「去年までは日野式」だったとか(笑))を持ってます。彼は三八式を街中で乱射して大騒ぎになったため、両さんがとりあげ、拳銃もその代わりにこれを作れ、と渡すのが「マルイのプラモガン」でした。(このコマは私が模写したものです)

今ならネットで調べれば一発で分かることです。当時はもしちゃんと知ろうとしたかったら、マルイに直接電話するしかないわけです。でも、そんなこと小学生に出来るわけもありません。しかも電話ってあなた、自宅の固定電話(もちろんダイヤル式)しかないんですよ(笑)。マルイの営業時間内の平日の夕方、玄関に置いてある電話をかけてそんなこと聞けませんし、聞いてたら親にしばかれます(笑)。で、まあ電話までせずとも、模型店の人に聞けばいいんですけど、それすらもやっぱちょっと難しい&恥ずかしいわけです。などなど、思い返してみると、当時そういう情報を得るのは非常に難しかったんだなあと。
で、このこち亀のコマを模写していて気付いたんですが、これ実は十四年式じゃなくて南部式ですね。南部式特有のリコイルスプリングが入っている横のでっぱりとか、グリップ上端後部の凹みとかがよく見るとちゃんと描かれてます。デッサンは適当なのですが、明らかに南部式です。あー、これは気付かなかった、、。それにしても、なぜ秋本先生がここで存在しないマルイの南部式を出したのだろうという疑問はあります。例えばエルエスの十四年式で全然いいわけです。多分、秋元先生の願望がそうさせたんじゃないかと思うんですが、どんなもんでしょうね。機会があれば(あるか!)聞いてみたいところです。でも、先生自身忘れてるだろうなあ(笑)なんであれ、この回は日本軍好きにとっては傑作なのでぜひお読み下さい。「必殺!三八式全自動連発撃ち!」とかたまらんですよ(笑)
というわけで、結局南極、マルイの造るモデルガンの十四年式は幻だったわけです。ほんとうに残念ですね、、。ミリタリートイズVol.7(八重洲出版)には、東京マルイの岩澤専務のインタビューが掲載されています。それによると、大ヒットした造るモデルガンシリーズ(ウィキによると、79年から発売開始。82年まで120万個(!)も売れたとか)も、うまく組み立てられるユーザーが減り、徐々に売れなくなった旨のことを話されています。そこでメーカーで調整した完成品を発売しようということになったそうです。しかしそれはモデルガンではなくてエアガンのルガーP08でした。発売は85年の12月。モデルガンの最後の機種はS&WM586です。これが83年発売。ひょっとするとこの時期から造るモデルガンシリーズは社内的に斜陽扱いだったのかもしれません。先のMG誌の記事が84年末ですから、十四年式はちょうどモデルガンとエアガンの谷間にいたことになります。そういうタイミングを考えると、十四年式が発売されなかったのは当然だったのかも、という気もしますね。
これまた余談ですが、私はM586(4インチ)を買って作りました。素晴らしいモデルガンでしたね。小5くらいのクリスマスのころ「十四年式が売ってたらぜひ買おう!」と模型店に行ったのですが、当然ながらなくて「仕方なく」買ったのがM586でした。でも、とても気に入ってしまいました。めっちゃよく出来てましたね。今もまた作りたいんですけど、ヤフオクとかにはまあ出てこないですね。どうも、今も出回ってるのは再販品のようです。再版されたキットはごく限られている(モーゼル、ワルサー、ガバなど)とのこと。M586やオートマグ、スコープ付の各リボルバー(スコープのレンズがバッチリ入ってて、お店で箱を開けてたまらんかった記憶が)は再販されてないようです。うーん、ほんとM586欲しいなあ、、。
閑話休題(たびたびほんとすいません。っていうか、私のブログは余談でなり立ってますね(笑))私は当時、トイガンに夢中だったのでよく覚えているのですが、このころ(84-86年)は本当にモデルガンとエアガンの端境期でした。マルイだけでなく、MGCやマルシンなどのモデルガンメーカーも徐々にエアガンに移行していて、またアサヒなどエアガン専門のメーカーも次々と現れていました。そして、エアガンを使ったサバイバルゲームが大ブームになりだしたのもこのころです。私はどちらかというとモデルガン派だったので、なんとなく寂しい気持ちでそういった状況を眺めていたような記憶があります。十四年式はこの時期のトイガンの主役交代の波間に消えてしまった悲運のモデルガンだった、といえるかもしれません。
ちなみにウィキの記事には、こういう箇所もあります。「別売カートリッジの外箱裏面のラインナップ表には「TYPE F」の表示があり、“TYPE F”の名称のみで詳細は表記されていないが、銃本体の製品化予定から推測するに、南部十四年式用の8x22mm南部弾を模したものであったと推定される。 」と。
これがその別売りカートリッジです。未開封品が割りと安く出てた(2つで3000円くらい。まあまあ、ですよね?)ので買いました。

ウィキの記事の真偽は別にして、「TYPE F」の欄に、8ミリ南部弾があったかもしれない、と思うとウットリしますねえ、、。
ちなみに、このスペアカートは私は店頭で見た記憶がありません。キットとキャップ火薬は売ってたんですけどね。それにしても箱の窓からブリスターパックのカートがのぞいているこのパッケは最高ですねえ。

ミニカタログも付いてまして、P38のスペアパーツも製品化されていたことが分かります。これも当然当時は知らなかったです。P38は持ってないですが、このスペアパーツだけでも欲しいですね(笑)
で、まあ、というわけで、以後マルイの十四年式は私の中では「発売されているかもしれない」という、根拠のない希望がぼんやりと残り続ける、特別な存在になってしまったのでした。なんというか、夢に出てくるだけの、幻のあの女の子、みたいな感じですかねえ、、(遠い目)。
しかし、それはそれとして「立体の十四年式が欲しい!」という想いは相変わらずでした。この辺は、幻の女の子はともかく、とにかく現実の彼女が欲しい!みたいな感じでしょうか(笑)。で、ここで「じゃあハドソンの十四年式はどうなの?当時ずっとあったじゃん」と疑問に思う方もおられるかと思います。しかし、やっぱり黒い十四年式が欲しかったんですよね、、。ハドソンのは当時でもかなり高いし(確か9500円)、でも金色だし、などなどでちょっと買う気にはならなかったのでした、、。
ところが、中学生になったころ、朗報が飛び込んできます。先に書いたマルイのエアガンシリーズに十四年式が加わるというではありませんか!創刊当初のアームズマガジンに新製品レポートが掲載されたときは、飛び上がるくらい嬉しかったですね。しかも、モデルガンと違って「近日発売!」と断言されています。いつ発売されるのか心待ちにしていました。しかし、なかなか店頭には並びません。かなり待った記憶があります。数ヶ月くらいだったと思いますが、中学生にはかなりの歳月です。
で、ある日模型店に行くと、十四年式がショーケースに並んでいました。それを見た時の感動は今でもよく覚えています。震える声で「こ、これ下さい、、」と言い、震える手でお金を払い、震える足で(もうええか)自転車をこいで自宅に帰りました。
これがマルイの十四年式。モナカ式とはいえ、黒い十四年式です。しかも、弾が出る!という。夢中になりました。フォルムもバッチリで、不満を感じるところは全くありませんでした。これは当時買ったものではありません。っていうか、初めて買ってから、記憶に残らないくらい何丁も買いましたね。

エアガンとしての性能もかなり高かったです。オリジナル同様のサイトの形状からか、命中精度もとてもよく、ボルト式のためコッキングも容易かつ連射も簡単でした。ルガーとかは大変でしたからね。連射性能はこのシリーズでもトップクラスだったでしょう。しかし、リアサイト下のネジ部が弱点で、何度も分解するとネジがバカになってしまい(これは分解する方が悪い)、すぐバヨーンと壊れてしまいました。そんなこんなで何度も買い直したのです。とはいえ1丁たった1900円ですので、お小遣いの許す限りいくらでも買いなおせるのがよかったです。
また、このころからアームズマガジンの影響で、あれこれガンスミスをし始めたんですね。アームズマガジンは、創刊当初は既製品のトイガンをガンスミス(要は「改造」なんですが、聞こえが悪いのでそう呼んでました)する記事を目玉にしてまして、それにかなり影響されたのです。マルゼンのオートマグを内蔵してガス銃にしたり(これはあまり上手ではなかったけど、一応出来た)、外見を南部式乙型にしたり(これはまあまあ上手くできた。捨てちゃいましたけど。取っておいたらよかった、、)と、どんどん買ってどんどん潰しましたねえ、、。
この写真の個体は、20歳くらいになってから「さすがに1丁くらいはオリジナルのままちゃんと置いておこう」と取っておいたものです。グリップはホームセンターで板を買ってきて自作したもの。十四年式はグリップが板状なので自作しやすい、という意外な長所があるのです(笑)トリガーとマガジンボトムは銀色に塗ってます。

で、私のこのときの判断は正しかったようで、時期は不明ですがその後十四年式は絶版となり、今では結構なプレミアが付いているようです。普通に5000円以上で取引されてます。うーん、当時はあんまり売れてなくて、いつでも店頭にありすぐ手に入ったものですが、、。できれば再販してほしいですね。ないしはHGでリニューアルしてくれないかなあ、と思うのですが再販以上に難しいでしょうね。よく考えると、マルイのトイガンでは唯一の日本軍の銃器なんですよねこれ。それだけでも十分満足すべきなのかなあという気もします。
で、私のも完全品ではありません。久しぶりにいじってみるとボルトのリターンスプリングが抜けていてボルトを引いたらそのままになってしまいますし、チェンバーのゴムパッキンが抜けてるようで、装填してもBB弾がぽろっと銃口からこぼれてしまいます。そのうちちゃんと再整備してあげたいですね。そういえば、この形状のマガジン、当時は「割り箸マガジン」って呼ばれてましたね(笑)懐かしいなあ、、。

で、最近知ったのですが、実は没になったモデルガンの何らかがエアガンに受け継がれたという噂があるそうです。これはびっくりでした。しかし確かに、あり得る話です。もしそうだとしたら、モデルガンを一日千秋の思いで心待ちにしていた身としてはなんか嬉しいなあと。エアガンにはなったとはいえ、私はあのモデルガンの「何か」を手に入れたことになるわけですからね。もし外形とかの金型が流用されていたのなら、残念ですが嬉しいですね。ひょっとしたら、モデルガンの試作費を少しでも回収するため、エアガンになったのかもな、とも。
モデルガンの開発についてとか、エアガンにその何かが受け継がれたとか、この辺はほんとうにもっと知りたいですね。当時のマルイの担当者の方からお話を伺えると嬉しいんですけどねえ、、。実際、私だけじゃなくてそれを知りたい人は本当にたくさんいるんじゃないかと。想像以上にモデルガンを待ってた人、エアガン化を喜んだ人は多いと思うのですが、、。
しかしマルイの十四年式の後、トイガンで日本軍の銃は全く発売されませんでした。タナカはその以前から三八式など小銃のモデルガンを販売し、再販もしていましたが実に細々とした感じで、トイガン界での日本軍の銃はまあ「死んでいる」も同然だったのです。そのうち私も高校生、大学生、社会人と大人になっていきました。その頃は、ショップメイドの金属やプラキャストの無垢の十四年式や九四式が売られてたりしましたが、何分高価な上に無可動なので、ちょっと食指が動かなかったのでした。結局、マルイのエアガンの十四年式以外、6歳ごろから状況的にはほとんど変わらなかったわけです。
そんなころ、なんとマルシンがガスガンで十四年式を発売しました。これにはびっくりでした。リリース年はよく覚えてないのですが、2000年ごろだったと思います。これはもう素晴らしいガスガンでした。

モデルガンメーカーとしてならしてきたマルシンなので、フォルムなどは当然完璧です。ガスガンなので連射できるのもいい。ガスブロじゃないのですが、逆にその分故障もガス漏れもない。金属パーツが多くてずっしりしてます。口径が8ミリというのもよかった(笑)なんというか、この十四年式を手にしたことで私の気持ちが一端落ち着いた気がしたんですね。子供のころに欲しかったのがこれだった、ような。っていうか、子供の私にプレゼントしたいようなガスガンでした。
このトイガンについては、以前再仕上げした際にブログでも書いてますのでよろしければお読み下さい。
そしてその後、ジワジワと日本軍の銃器がトイガン化されるようになりました。気が付くと、十四年式だけでなく南部式乙型とか九四式拳銃のモデルガンや九六式軽機の電動ガンなどなどがどんどん(他の銃に比べると全然かもですが、昔に比べれば「どんどん」です(笑))リリースされました。ほんとうに夢のようです。
しかし、これはもう皮肉としか言いようがないのですが、そのころから私は趣味に以前ほどお金をかけることが出来なくなってきまして、ほとんど買うことができなかったのでした(笑)うーん、世の中ほんとうまくいかんでありますね、、、。まあでも買うことは出来なくても、なんといいますか、日本軍の銃のトイガンが普通にリリースされるようになったということは、それだけ欲しい人、つまりファンが増えたということでありまして、それだけでもなんか嬉しいんですよね。いや、決して負け惜しみじゃなくて(笑)
というわけで、なんだかまとまったようなまとまってないような感じになりましたが、以上「私と十四年式のウン十年年代記」でした(笑)思えば、5-6歳の頃にじいちゃんから聞いた拳銃のことが好きになって、以後何十年も自分の中で大事な位置を占めていたということ自体、なんか幸せなことなのかもなあと。拳銃に限らず、ひとつの「モノ」に対して、自分が何らかの気持ちをずっと抱き続けられるというのはなかなかないことかも、と。また、人の「これが好き」という気持ちには、それを語り出したら、今回の様にいくらでもどーでもいい話(笑)ができるくらいの背景というか背骨みたいなものがあるんですね。なので、他人の「好きなもの」も自分のそれと同じくらいのものを背負っているのかも、と思って尊重しないとアカンですよ、、。ということが言いたかったわけです(ほんとか)。
今回のエントリーにあたって、また記憶だけで十四年式を描いてみました。今度は前期型です。答え合わせをしてみましたが、まあ、及第点でしょう(笑)

で、もし可能なら死ぬまでに実銃の十四年式を撃ってみたいものでありますね。でもまあ、撃てなくても別にいいんですけどね。なんつーか、マルイとマルシンの十四年式があったらもう満足なんですね(どっちやねん)。
というわけでまた。つーか、今回も長かったですねえ、、、。最後まで読んでくださったあなた(いるのかなあ、、)、ほんとにありがとうです!