今回は久しぶりに日記にします。日記なので「ですます」調でなくて「だ、である」調なのでちょっとエラソーな感じになってしまいますが、あらかじめご了承ください。
●月●日
義烈空挺隊員のフィギュアを作っているので、資料を出来るだけ集めている。しかし、「帰らぬ空挺部隊」(原書房・田中賢一著)という、義烈空挺隊の創設から最期までを記した本がなかなか手に入らない。地元の県立図書館にもなく、最後の手段として他県の図書館から取り寄せてもらう。届いたという連絡があって借りに行くと、隣県のよく行く市の図書館の蔵書だった。こういうのって、なんか嬉しい。図書館は、実にありがたい施設だと、しみじみ思う。下の二冊は購入したもの。
田中氏は義烈空挺隊に所属しており、陸軍の空挺部隊創設期から自衛隊の空挺団まで携わったエキスパート。どの本も経験に裏打ちされた知識によって書かれているので、本当に参考になる。
×月×日
後輩から借りた宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」のDVDを観る。本当に素晴らしい内容で、びっくりする。
自分からは特に観ようとは思っていなかったのだが、後輩が薦めてくれたので観た。それにしても、ここまでいいとは思わなかった。
なんというか「俺たち(私たち?)はこれでいいんだ!これでいくんだ!」というスカッと突き抜けた感じがずどんと伝わってきて、非常に心地よかった。ダウンタウンの松本人志がラジオで「何でも『いききってるかどうか』が大事」と話していたことがあり「そうかもなあ」と納得していたのだが、これこそほんと「いききってる」んだと思う。DVDを見た翌日、図書館に行って特に当てもなくぶらぶらしてたら池田理代子の「ベルサイユのばら大事典」を見つける!引っ張られてるなあ、と思う。そのうち漫画を読んでみたい。
「ベルばら」がよかったのは、舞台がフランス革命だということも大きいように思う。フランス革命というのは、なんというかロマンチックな要素が多く、とても惹かれるものがある。映画でも小説でも漫画でも、フランス革命を題材にしたものがたくさんあり、かつ支持されているのは、歴史的に重要な出来事というだけではなく、やはりロマンを感じる人が多いからだろう。そういえば「ダウンタウンのものごっつええ感じ」のコント「アドリブ歌謡ショー」でココリコの遠藤が「フランス革命に参加したいぃ!」と歌っていて、爆笑してしまったのを思い出した。さらにそういえば「パタリロ!」でもタイムスリップしてフランス革命に身を投ずるタマネギの話があったようにも思う。フランス革命に参加したい人は案外たくさんいるのかもしれない。
で、あまりに良かったので、DVDのパッケージを見ながらオスカルを描いてしまう。
「ベルばら」は昔から知ってはいたが、まさか、自分がオスカルを描こうとは、、。
△月△日
中四国AFVの会が迫り、イラスト関係の仕事がたまっているのでどんどんこなしていく。缶バッジ用の公式マスコット「せんしゃん」の絵が大体できあがる。よし、これでいい! と満足(左の絵)。で、去年のはどんなだったっけ?と去年のバッジを見たら、ほとんど同じ絵(右)で椅子から転げ落ちる。描きなおしである。
それにしても、ここまで似ているのには呆れてしまった。引き出しが少ないという証明である。
□月□日
久しぶりの連休。ひたすらイラストを描き続ける。絵とか模型とかをやってるときはよく音楽を聴いてるのだが、もう20年くらい使ってるコンポのCDがとうとう壊れてしまう。MD(!)の部分はまだ生きてるので、押入れに入れてたMDを引っ張り出して聴く。持ってることすら忘れてたMDがあって、新鮮。それぞれまったく脈絡がないようでありながら、統一感があるようにも見えなくもない。
「仁義なき戦い」のサントラを聴いてたら、思いついてしまったのでこんな絵を描いた。
絵を描いていたら盛り上がってしまい、時間も無いのに「広島死闘篇」を借りてきて観てしまう。やっぱり最高である。「広島死闘篇」は山中正治(北大路欣也)がとてもいい。彼はこの映画の事実上の主人公といってもいいだろう。劇中、彼は予科練に入りたかったのだが、年齢に満たず諦めたというセリフが出てくる。戦後、そのやり場の無いエネルギーをヒットマンとしての生き方に注いでいく。彼が吹く口笛が「予科練の歌」というのは、彼が戦争を引きずっていることを示す最高の演出だろう。彼は、最後に拳銃を口に入れて自決するのだが、脚本ではこめかみに当てて撃つようになっていた(ウィキによると、彼のモデルはそうしたらしい)。それを、深作監督は口に入れて撃つように変更した。なぜかというと、監督は軍事教練で兵隊の自決方法を教えられていて、それを反映させたのだという。その方法とは、小銃を口に入れて、足の指で引き金を引くというもの。監督は、山中を特攻隊の生き残りとして捉えており、彼を軍人として死なせたかったのだそうだ。(「仁義なき戦い PERFECT BOOK」(宝島社)より)
「仁義なき戦い」を注意深く見てみると、過去の戦争があちこちに影をおとしていることがわかる。主人公の広能自身、兵隊時代の仲間のケンカが原因となって、この世界に入っている。映画の冒頭、拳銃を普通に撃てたのも兵隊だったからである。山中と惚れあうことになる靖子(梶芽衣子)も、戦争未亡人である。この映画は、戦争で狂わされた人生を、なんとか修正していこうとあがく人々の群像劇といってもいい。舞台が広島というのも、必然なのかもしれない。「仁義なき戦い」はただのやくざ映画ではないのだ。
□月■日
3連休の最終日、なんとか当初の目標を達成する。ちょっと不健全すぎるので没にしたイラストもある。
ラフの段階で「これはちょっと、、」とわかってはいたが、思いついた以上描いてみたくなったので描いてしまった。どこかで使えないかなあ、と思う。ナチのハーケンクロイツは、こういうとき描くべきかどうかいつも悩んでしまう。必要以上に遠慮するのも変だと思うし、堂々と使うのもどうかな、とも思う。ナチの思想は、もちろん首肯できるものではない。しかし、ドイツ軍の兵器や軍装は大好きなので、困ってしまう。もう数十年も困り続けている。で、こういうときはチャップリンの「独裁者」で使われてた「××」のマークにすることにしている。それにしても「独裁者」は傑作だと思う。あのときにあの映画を作ったというのは、本当に凄いことだ。考えてみると、チャップリンもかなり「いききって」いる。
▲月▲日
イラストを描いてるうちにワルサーPPKのエーレンヴァッフェのモデルガンがどうしても欲しくなって、買ってしまう。新品をちょっと安く買えたので嬉しい。
グリップに鷲の紋章が入ったもので、「エーレンヴァッフェ(名誉の武器)」と呼ばれている。ナチのスポーツ大会などで優秀な成績を収めた者に贈られた特別な仕様なのだそうだ。いかにもナチの拳銃、という感じがしてとてもカッコいい(困ったものである)。
CAW製のモデルガンで、出来は最高である。完璧な仕上がりだと思う。マガジンに鷲のプルーフマークが入っていて驚愕する。本当に「いききっている」モデルガンである。
ホルスターはずっと前にレプリカのを買っていた。ぴったりである。
拳銃としては小さいほうで、基本的に護身用ということがよくわかる。コルト25オート(コクサイ製)と、九四式拳銃(ハートフォード製)と並べてみると丁度その間という感じ。
私の大好きな小説、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」にこの拳銃が登場する。物語の後半、間宮中尉が手にする。NKVDのボリスがSSの中佐から取り上げたという拳銃で「銃把には稲妻のようなSSのマークが入って」いたと描写されている。恐らく、モチーフはこのエーレンヴァッフェPPKだろう。
冷酷無比なボリスとこの拳銃の冷ややかな感じがとてもマッチしていて、非常に印象に残っている。残念ながら銃の細かな描写に間違いはある(装弾数や撃鉄の動きなど)がそれを気にさせない、小説の最後の山場にふさわしい実に素晴らしい一節だった。
物語の中で、ボリスはどうしようもないくらい「悪しきもの」として描かれているが、なぜかそれほど憎むべき存在として捉えることができない。どこか、澄み切っているような印象がある。この物語のもう一人の「悪しきもの」である綿谷昇の濁った禍々しさとは対照的ですらある。それは多分、ボリスも「いききっている」からなのだろう。綿谷はどこか「いききる」ことが出来ていないのだ。だから、ホテルの暗闇をさまよって「僕」をつけ回しているのではないだろうかと思う。小説はもう何度も読んでいて、文庫本はボロボロになってしまった。また近いうちに読んでみたい。
というわけで、自分も「いききる」ことができればいいなあとは思っている。しかし、それはなかなか、、というか、かなり難しいだろうと思う。
●月●日
義烈空挺隊員のフィギュアを作っているので、資料を出来るだけ集めている。しかし、「帰らぬ空挺部隊」(原書房・田中賢一著)という、義烈空挺隊の創設から最期までを記した本がなかなか手に入らない。地元の県立図書館にもなく、最後の手段として他県の図書館から取り寄せてもらう。届いたという連絡があって借りに行くと、隣県のよく行く市の図書館の蔵書だった。こういうのって、なんか嬉しい。図書館は、実にありがたい施設だと、しみじみ思う。下の二冊は購入したもの。
田中氏は義烈空挺隊に所属しており、陸軍の空挺部隊創設期から自衛隊の空挺団まで携わったエキスパート。どの本も経験に裏打ちされた知識によって書かれているので、本当に参考になる。
×月×日
後輩から借りた宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」のDVDを観る。本当に素晴らしい内容で、びっくりする。
自分からは特に観ようとは思っていなかったのだが、後輩が薦めてくれたので観た。それにしても、ここまでいいとは思わなかった。
なんというか「俺たち(私たち?)はこれでいいんだ!これでいくんだ!」というスカッと突き抜けた感じがずどんと伝わってきて、非常に心地よかった。ダウンタウンの松本人志がラジオで「何でも『いききってるかどうか』が大事」と話していたことがあり「そうかもなあ」と納得していたのだが、これこそほんと「いききってる」んだと思う。DVDを見た翌日、図書館に行って特に当てもなくぶらぶらしてたら池田理代子の「ベルサイユのばら大事典」を見つける!引っ張られてるなあ、と思う。そのうち漫画を読んでみたい。
「ベルばら」がよかったのは、舞台がフランス革命だということも大きいように思う。フランス革命というのは、なんというかロマンチックな要素が多く、とても惹かれるものがある。映画でも小説でも漫画でも、フランス革命を題材にしたものがたくさんあり、かつ支持されているのは、歴史的に重要な出来事というだけではなく、やはりロマンを感じる人が多いからだろう。そういえば「ダウンタウンのものごっつええ感じ」のコント「アドリブ歌謡ショー」でココリコの遠藤が「フランス革命に参加したいぃ!」と歌っていて、爆笑してしまったのを思い出した。さらにそういえば「パタリロ!」でもタイムスリップしてフランス革命に身を投ずるタマネギの話があったようにも思う。フランス革命に参加したい人は案外たくさんいるのかもしれない。
で、あまりに良かったので、DVDのパッケージを見ながらオスカルを描いてしまう。
「ベルばら」は昔から知ってはいたが、まさか、自分がオスカルを描こうとは、、。
△月△日
中四国AFVの会が迫り、イラスト関係の仕事がたまっているのでどんどんこなしていく。缶バッジ用の公式マスコット「せんしゃん」の絵が大体できあがる。よし、これでいい! と満足(左の絵)。で、去年のはどんなだったっけ?と去年のバッジを見たら、ほとんど同じ絵(右)で椅子から転げ落ちる。描きなおしである。
それにしても、ここまで似ているのには呆れてしまった。引き出しが少ないという証明である。
□月□日
久しぶりの連休。ひたすらイラストを描き続ける。絵とか模型とかをやってるときはよく音楽を聴いてるのだが、もう20年くらい使ってるコンポのCDがとうとう壊れてしまう。MD(!)の部分はまだ生きてるので、押入れに入れてたMDを引っ張り出して聴く。持ってることすら忘れてたMDがあって、新鮮。それぞれまったく脈絡がないようでありながら、統一感があるようにも見えなくもない。
「仁義なき戦い」のサントラを聴いてたら、思いついてしまったのでこんな絵を描いた。
絵を描いていたら盛り上がってしまい、時間も無いのに「広島死闘篇」を借りてきて観てしまう。やっぱり最高である。「広島死闘篇」は山中正治(北大路欣也)がとてもいい。彼はこの映画の事実上の主人公といってもいいだろう。劇中、彼は予科練に入りたかったのだが、年齢に満たず諦めたというセリフが出てくる。戦後、そのやり場の無いエネルギーをヒットマンとしての生き方に注いでいく。彼が吹く口笛が「予科練の歌」というのは、彼が戦争を引きずっていることを示す最高の演出だろう。彼は、最後に拳銃を口に入れて自決するのだが、脚本ではこめかみに当てて撃つようになっていた(ウィキによると、彼のモデルはそうしたらしい)。それを、深作監督は口に入れて撃つように変更した。なぜかというと、監督は軍事教練で兵隊の自決方法を教えられていて、それを反映させたのだという。その方法とは、小銃を口に入れて、足の指で引き金を引くというもの。監督は、山中を特攻隊の生き残りとして捉えており、彼を軍人として死なせたかったのだそうだ。(「仁義なき戦い PERFECT BOOK」(宝島社)より)
「仁義なき戦い」を注意深く見てみると、過去の戦争があちこちに影をおとしていることがわかる。主人公の広能自身、兵隊時代の仲間のケンカが原因となって、この世界に入っている。映画の冒頭、拳銃を普通に撃てたのも兵隊だったからである。山中と惚れあうことになる靖子(梶芽衣子)も、戦争未亡人である。この映画は、戦争で狂わされた人生を、なんとか修正していこうとあがく人々の群像劇といってもいい。舞台が広島というのも、必然なのかもしれない。「仁義なき戦い」はただのやくざ映画ではないのだ。
□月■日
3連休の最終日、なんとか当初の目標を達成する。ちょっと不健全すぎるので没にしたイラストもある。
ラフの段階で「これはちょっと、、」とわかってはいたが、思いついた以上描いてみたくなったので描いてしまった。どこかで使えないかなあ、と思う。ナチのハーケンクロイツは、こういうとき描くべきかどうかいつも悩んでしまう。必要以上に遠慮するのも変だと思うし、堂々と使うのもどうかな、とも思う。ナチの思想は、もちろん首肯できるものではない。しかし、ドイツ軍の兵器や軍装は大好きなので、困ってしまう。もう数十年も困り続けている。で、こういうときはチャップリンの「独裁者」で使われてた「××」のマークにすることにしている。それにしても「独裁者」は傑作だと思う。あのときにあの映画を作ったというのは、本当に凄いことだ。考えてみると、チャップリンもかなり「いききって」いる。
▲月▲日
イラストを描いてるうちにワルサーPPKのエーレンヴァッフェのモデルガンがどうしても欲しくなって、買ってしまう。新品をちょっと安く買えたので嬉しい。
グリップに鷲の紋章が入ったもので、「エーレンヴァッフェ(名誉の武器)」と呼ばれている。ナチのスポーツ大会などで優秀な成績を収めた者に贈られた特別な仕様なのだそうだ。いかにもナチの拳銃、という感じがしてとてもカッコいい(困ったものである)。
CAW製のモデルガンで、出来は最高である。完璧な仕上がりだと思う。マガジンに鷲のプルーフマークが入っていて驚愕する。本当に「いききっている」モデルガンである。
ホルスターはずっと前にレプリカのを買っていた。ぴったりである。
拳銃としては小さいほうで、基本的に護身用ということがよくわかる。コルト25オート(コクサイ製)と、九四式拳銃(ハートフォード製)と並べてみると丁度その間という感じ。
私の大好きな小説、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」にこの拳銃が登場する。物語の後半、間宮中尉が手にする。NKVDのボリスがSSの中佐から取り上げたという拳銃で「銃把には稲妻のようなSSのマークが入って」いたと描写されている。恐らく、モチーフはこのエーレンヴァッフェPPKだろう。
冷酷無比なボリスとこの拳銃の冷ややかな感じがとてもマッチしていて、非常に印象に残っている。残念ながら銃の細かな描写に間違いはある(装弾数や撃鉄の動きなど)がそれを気にさせない、小説の最後の山場にふさわしい実に素晴らしい一節だった。
物語の中で、ボリスはどうしようもないくらい「悪しきもの」として描かれているが、なぜかそれほど憎むべき存在として捉えることができない。どこか、澄み切っているような印象がある。この物語のもう一人の「悪しきもの」である綿谷昇の濁った禍々しさとは対照的ですらある。それは多分、ボリスも「いききっている」からなのだろう。綿谷はどこか「いききる」ことが出来ていないのだ。だから、ホテルの暗闇をさまよって「僕」をつけ回しているのではないだろうかと思う。小説はもう何度も読んでいて、文庫本はボロボロになってしまった。また近いうちに読んでみたい。
というわけで、自分も「いききる」ことができればいいなあとは思っている。しかし、それはなかなか、、というか、かなり難しいだろうと思う。