森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

「武蔵」の作例が掲載されました。

2015年06月27日 | 模型の話題
先日発売された月刊モデルアート8月号に、私の模型のお仕事が掲載されました。「沈没した武蔵が往時を偲ばせる姿だったら」という設定で創作したジオラマです。※この写真は私のセルフ写真です。誌面には載っていません。


こちらが掲載ページです。計6ページにもわたって紹介していただいてます。ご存知の方も多いかと思いますが、武蔵は沈没時の爆発のせいで海底の広範囲に四散してしまっており、このような原型をとどめた姿ではありません。いわゆるイメージモデルとして製作させていただきました。自分なりに全力で製作した作品です(特にゴールデンウイークの5日間は、朝から晩までこれをやってました、、、、)。なので、できるだけ多くの方に見ていただければ幸いです。

私の作品の他、今回の発見で判明した新事実を徹底的に反映した作例など、模型を軸として多種多様な切り口で「戦艦武蔵」を紹介する誌面となっており、非常に見ごたえのあるものとなってます。興味のある方は是非ご覧になってみてください。表紙はこちら。

記事にも書きましたが、製作中に読んだのがこの二冊、吉村昭「戦艦武蔵」(新潮文庫)と渡辺清「戦艦武蔵の最期」(朝日選書)です。


「戦艦武蔵の最期」ははじめて読みました。「戦艦武蔵」は3-4回目だと思います。
「戦艦武蔵」は、吉村昭の傑作のひとつですね。武蔵がどれほど大多数の人間のエネルギーを糧に造り出されたのかを、淡々とした事実の積み上げで描写していきます。そのエネルギーのすざましさには絶句します。武蔵に限らず、戦車でも戦闘機でも戦場でどのように使われたのかを紹介する書籍は多いのですが(当然ですけど)、この本のように、ある兵器がどのように計画され、どのような方法でどんな人々の手によって作られ、どうやってその生涯を終えたのかまでを描いたものは少ないのではないでしょうか。私は「近代の機械兵器」とは一体どういうものなのか、この本を読んで少しだけわかったような気がしました。「陸奥爆沈」「深海の使者」「総員起シ」など、吉村氏の戦争を描いた小説はどれも傑作ぞろいです。「日本人と戦争」ということを考えるにあたって、良質のヒントが本当にたくさん詰まっているように思います。興味のあるはぜひ読んでみてください。

そして、武蔵が兵士とともにどのような最期を迎えたのかを描いたのが「戦艦武蔵の最期」です。武蔵の生き残りの方が体験をもとにして書かれた本だけに、武蔵最期の状況の描写がものすごく、とにかく圧倒されました。主人公の兵長は阿鼻叫喚の戦闘を潜り抜けた末、ある一つの感情に行きつきます。

「それにしてもおれたちをここまで追いつめたやつは、一体誰だ、誰だ、誰なんだ、、、。突然、はじけるような激しい怒りが、胸いっぱいに突きあげてきた」。

それは多分、特定個人の「誰か」ではないでしょう。大きな曖昧模糊とした(だからこそもどかしい)「誰か」なんだと思います(特定の「誰か」や「組織」が、ある歴史上の悲劇の唯一の原因であるという考え方は、思考の放棄ではないでしょうか)。それは一体なんなのか?それを考えることがキモなんじゃないかと思います、、、。

武蔵沈没時には実に1000余名の方が亡くなられています。今の日本があるのは、ひとえに戦争の犠牲となられた方々があってのことだと、私は思っています。この場をお借りして、武蔵乗組員の方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。

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三式中戦車長砲身型 ファインモールド 1/35 (その1)

2015年06月21日 | AFVの模型
今日は本土決戦ジオラマを紹介します。ファインモールドの1/35三式中戦車長砲身型の作例として、月刊ホビージャパン2010年6月号に掲載されたものです。

キットの箱絵は、国会議事堂を背景に都心を進撃する三式を描いた迫力のあるもので、それにヒントを得て、東京中心部の市街戦を描いたジオラマにしました。
官公庁街付近のイメージで、路面電車のレールを引き抜いて対戦車バリケードにしているという設定です。

敷石をはがし、地面を少し掘りこんで車両をダックインさせた状態にしました。

「ここが最後の踏ん張りどころ。もう後がないぞ!」というイメージですね。タイトルは「最後の守護神」です。三式長砲身型は、日本陸軍としては十分な性能の戦車だとは思うのですが、それでもドイツやアメリカ、ソビエトに比べると「守護神」とするにはつらい車両です。その辺の皮肉も込めています。

こちらが誌面です。掲載は3ページで、結構な密度で紹介していただいてますので、興味のある方はご覧下さい。5年前なので、さすがにもう古本でしか入手できないようですが、、、。

先にネガティブなことを書きましたが、三式長砲身型はアンバランスになる寸前のギリギリのところで納まっているカッコいい戦車だと思います。チハからスタートして、ここまで行き着いたのは凄いなあと。Ⅲ号戦車よりも小さいのに、、、。
車体下部前面の増加装甲は架空です。インパール戦で新砲塔チハがM3の装甲板を使った増加装甲を付けた例があり、その戦訓が伝わっていたら、という設定です。日本軍では現地部隊で兵器を勝手に改造するのはご法度で、復元可能にするのが原則だったということなので(根拠は不明ですが、どうもそんな感じだったとのこと)、前部上面のマイナスネジを使って装着して、取り外し可ということにしてます。キャタピラの増加装甲は日本軍でもやってたようで、写真でも散見できますね。Ⅲ・Ⅳ号戦車同様、変速機上面のハッチ周辺の被弾を恐れていたように見受けられます。キャタピラともども心もとない増加装甲ですが、角度がよければ初弾くらいならなんとかしのげるんじゃないかと思います。

砲塔には被弾痕を付けました。被弾痕は日本軍戦車の夢なので、嬉々として付けました(笑)正面は50ミリ厚ですが、角度がよければ(こればっか)75ミリ砲弾でもはじくでしょう。被弾痕は磨いたようにつるつるになるそうです。モーターツールの丸ビットで削って、表面をならしてます。めくれたところはエポパテで表現しました。
お経は手描き。私が真言なので、お大師様に登場願いました。お経を唱えながら突撃する部隊があったと何かで読み、そういう「神頼みの現場の必死感」を出したいなあと思って書きました。宗教と戦争は「死」というキーワードで密接に結び付いていますので、もっと考えを深めた上で模型に盛り込んでいってもいいのかな、とは思ってます。(もちろん慎重にしないとダメですけど。でも、大事な要素だとは思います。ペイン氏のハチハチのジオラマとかは見方によっては意味深ですよねえ、、、)。

ワイヤーは、DIY店で買ってきたものを焼きなまして接着しました。金具はプラパーツから切り出して着けてます。ワイヤーの類は、実物を使うとほんとリアルになるのでお勧めです。サビはパステルをアクリルシンナーで溶いたものを染み込ませてます。マフラーも同様です。ワイヤーは、日本軍では「牽引鋼索」といいます。なるほど。バケツはモデルビクトリアのエッチングです。

というわけで、やっぱり一回では紹介し切れませんでした(笑)。次回は建物とか兵士のディテールを紹介したいと思います。

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貧乏な軍隊は自動小銃の夢を見るか

2015年06月07日 | 模型の話題
これは試製自動小銃甲号です。新しい資料が手に入ったので、つい描いてしまいました。口径6.5ミリなので女性でも楽に撃てるでしょうね。(だからといって女の子を描く必要はない)

今発売中の「GUN professionals 2015年7月号」に、日本陸軍が試作した試製自動小銃甲号がカラーで紹介されてます。書店で見て驚愕&購入。アメリカのオークションの出品商品の紹介ページでした。落札価格37000ドルは安い!というか、金で買える銃じゃないっすよ、、、、。アメリカって、凄いなあ、、。っていうか、日本からガメた銃を売買してるだけなんですけど(笑)、商品扱いとはいえ大事に保存されていることはほんと感謝しないといけないのかもしれません。

誌面の写真はかなり鮮明で、これまでわからなかったディテールがとてもよくわかります。最初からスコープマウントが付いてたり(付いていないタイプもある)、フロント・リアサイトがオフセットされてたりするのは手持ちの資料からは気付かなかった点で、大満足です。興味のある方はぜひご覧下さい。狙撃銃としての使用が前提で、スコープマウントが最初から付いているのは、ドイツのG43と同じですね。こっちは10年早いんすけどね。へへーん。

さて、日本軍は自動小銃という新型の銃器を「軽視」して三八式歩兵銃や九九式短小銃といった手動式小銃に固執し、火力面で米軍に圧倒された云々という解説が多くの書籍で散見されますが、これは大嘘です。

日本も欧米各国が自動小銃の実用化に動き出したのと同時期の1933年ごろから開発に着手し、装備に向けた取り組みを進め、甲乙丙の三種類の自動小銃が試作されました。甲号は小石川工廠製、乙はチェコのZH29のコピーで、東京瓦斯電気工業製、丙号は日本特殊鋼製です。甲・丙号はアメリカのペーターゼン自動小銃を元に独自に設計・開発されたものです(製造権を得た上でのことで、コピーではないです)。しかし、日中戦争がそのころから拡大・泥沼化し、とにかく三八・九九式を増産していく必要に迫られたため、自動小銃どころではなくなり、開発は中止されました。

軍部も手動式より自動小銃がいいのはわかってたし、全軍に配備できるに越したことはないのは、重々承知していたわけです。でも「自動小銃?いやいやいや、そんな金どこにあんの?」ってことですね。結局日本軍ってとにかく「やる気も能力もあるけど貧乏っす!」って感じなんですよね、、、。ちなみに、第二次大戦中、前線の全兵士に自動小銃を配備できたのは大金持ちの米軍だけでした。ふん。でもガーランドはとてもいい銃です(なんやねん)

で、甲号が(というか試製自動小銃が)書籍でここまで大きくカラーで紹介されるのは恐らく初めてではないでしょうか。あんまり嬉しいので絵に描いてみました。

絵に描くことで、なんとなく構成がわかるので、とりあえず描いてみるのは大事なことですね。トグル式で、発砲すると最初の絵のように機関部上部が上に跳ね上がって排莢します。ルガーと同じです。

というわけで、長年もやもやしていたことが、新しい資料が出てはっきりするのはスカッとして嬉しいものですね。この趣味の醍醐味ですね。こちらはアームズマガジンの高橋昇氏の記事。スクラップにしてるので、掲載号はわからないのですが、もう20年位前のだと思います。試製小銃と四式自動小銃が紹介されており、写真も多く、私にとってはいまでも非常に貴重な資料です。

こちらが自動小銃丙号です。
この銃もとても日本的な素敵なスタイルです。この銃が松本零士氏の漫画「グリーン・スナイパー」に出てくる自動小銃の原型のようです。

久しぶりに「グリーン・スナイパー」を読み直して、やっぱり感動。「あいつ、おれによくにてる、、、。友だちになったら、いいやつかもなあ、、」、、、ううっ。酒飲んで読んだらもうダメっす、、。
「おれにはこれしかないんだ!だから、これがいちばんいいんだ!!」
ううううっ!!。
というわけで単行本はもうボロボロであります。何回読み返してるんだろ、、、。

閑話休題。ここまできたら、最後まで続けます(笑)これは四式自動小銃です。ご存知M1ガーランドのコピーです。本土決戦が迫ってきた時期に、小銃不足に悩む海軍が独自に生産・調達しようとした自動小銃です。試作及び試験的な量産で終了したという説が有力ですが、実戦にも使われたのではないかと推測する研究者もいるようです。須川薫雄氏は「日本の機関銃」内で、アメリカで見た何丁かのこの銃は、明らかに戦場で使用されたと思われる痕跡(傷など)があったと書いています。

須川氏の記述のように、アメリカには何丁かはわかりませんが、この銃が現存しています。スミソニアンでも所蔵されており、その銃が「帝国陸海軍の銃器」(ホビージャパン)にカラーで大きく紹介されています。これを見ると、仕上げが丁寧でびっくりします。とても終戦間際に製造された銃だとは思えません。
戦争末期の日本軍の兵器は粗製濫造だったといわれますが、それは「綺麗につくれるけどやってない」だけで、「綺麗にできなかった」というわけではなかったんだなあと。それはこの銃を見るとよくわかります。しかもこれ、民間での製造です。

この銃は刻印がないのですが、「四式」と刻印され、この本の個体よりも仕上げが荒く見えるものもあります。250丁が試験的に量産されたとのことです。高橋氏の記事にも250丁とありますので、根拠は不明ながらこれが恐らく正しい数字ではないかと思います。刻印のないのが試作型で、刻印のあるものが試作量産型なのではないかと。

この本にも書かれていますが、試作段階ではちゃんと作動しなかったそうです。弾薬が変更されてますので、スプリングの強さやガスピストンの移動量など、かなりの微調整が必要なはずで、コピーしただけでは当然作動はしなかったろうと思います。この辺の情報から「不良品だった」とする向きもあるようです。

しかし、250丁量産されているとすれば、その辺は解決されていたはずです。でなければ、海軍がゴーサインを出すわけはないでしょう。いくら戦況が逼迫していたとしても、不良品とわかってて黙々と量産するほどおバカではなかったと思います。オリジナルほどの信頼性はなかったとしても、それなりの条件はクリアしていたのではないでしょうか。そうすると「戦場で使用された」という説も納得がいきます。

また、この記事を書かれた床井雅美氏は、戦争末期に鉄棒を切ったものを弾丸にした火縄式の本土決戦小銃と四式が並行して生産されていたことを「追い詰められた状況では普段想像もつかないおかしなことが起こる」「驚愕」と表現されています。たしかに、兵器の生産状況としてはいびつで、矛盾したものではあります。しかし、軍部は本土決戦にあたり「優秀な銃を備えた精鋭部隊」と「どうでもいい使い捨ての銃を持たせた国民義勇軍」を「使い分け」ようとしていた、という風にもとれます。これは私の勝手な印象なのですが、戦争末期でも、資源が枯渇寸前でも、軍部はかなり「冷静・周到」だったんじゃないかなと(だからこそ、本土決戦って恐いんですよ、、)。でも「原爆のあまりの威力にびっくりして総崩れ」という感じだったのではないでしょうか。

閑話休題(すいません)。オリジナルのガーランドは、グァムで何十発か撃ったことがあるのですが、とてもいい銃でした。なんといいますか、とても手に馴染んで、撃ったときの感じもよくて、実に頼もしく思えたのでした。「戦場でこれを持ってるだけで安心するかもなあ。『いい銃』っていうのはそういうものなのかもなあ」と思いました。同じ時に撃った三八式や九九式も、印象は違うのですが同じように「安心できる」素晴らしい銃でした。このときは銃の「恐怖感と信頼感」を感じることができた貴重な経験でした。この辺のことはまた改めて書きたいと思います。

閑話休題(ほんとすいません)。四式自動小銃は以前月刊ホビージャパン(2010年6月号)で、ファインモールドの三式中戦車長砲身型の作例の本土決戦ジオラマで登場させたことがあります。こういうときにしか出せないので、嬉々としてドラゴンのM1を改造したような、、、。同じく、陸戦隊仕様のベルグマンも出しちゃったりしてます。こちらもドラゴンのMP28を改造しました。知ってる人がみたら「ニヤリ」としてもらえるかなーと思って登場させたのですが、どんなもんだったんでしょうね、、。

こちらが全景。このジオラマはとても気に入ってますので、またそのうちちゃんと紹介したいと思ってます。

閑話休題(ははは)。というわけで、日本軍は結局最後まで自動小銃を全軍にいきわたらせることは出来ませんでした。ボルトアクション式を含め、日本軍最後の小銃がガーランドのコピーだったということはどこか物悲しくもありますね、、、。しかも、戦後自衛隊が装備した自動小銃はガーランドでした(M1カービンもありますけど)。これも何かの因縁なんでしょうね。その後64式、89式と日本製の自動小銃が製造・装備されたことは「日本は貧乏でなくなった」という証なのかもしれませんね。

なんか綺麗にまとまったような気がしますが、気のせいですね(笑)

それでは。


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