森男の活動報告綴

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零式艦上戦闘機五二型 ハセガワ 1/72 (Mitsubishi A6M5 carrier fighter   Hasegawa 1/72) 

2019年01月27日 | 飛行機の模型
今回はハセガワの零戦五二型の完成品を紹介します。零戦はほんとカッコいいですね。

基本的には、キットをストレートに組んでます。ブレーキパイプと照準器を追加したくらいですね。塗装は、クレオスのラッカーを基本に、油彩で色調に変化を付けてます。


排気管のススはパステルです。排気管の錆もパステル。


零戦はやや後ろ斜めからのアングルがいいなあと思うのですが、どんなもんでしょう。


とはいえ、真横からもイイですね。塗装・デカールは「3-104」の岩本徹三機。撃墜マークがカッコよすぎです。

岩本氏は、実に凄い方だと思います。岩本氏に限らず、日本陸海軍航空隊のパイロットって凄い人たちばかりですね。各種戦記を読むにつけ、ほんとうにそう思います。

零戦は側面から見ると、垂直尾翼→胴体の微妙なアール→風防の形状→カウリング→スピナーまでのラインが、絶妙ですね。

空冷式エンジンの戦闘機のひとつの完成形であるのは間違いないなあ、と。以前、零戦に水冷エンジンをつけたタイプを作ってみようかな?と思ったことがあるのですが、どうやってもカッコよくできそうになくて、あきらめました。「完璧なもの」っていうのはそういうことなんですよね。後付け、付けたしの余地なんてないんですよね。でもいつか作ってみたいなあ(どないやねん)。

こちらが上面。銀のハゲチョロはクレオスのシルバーを面相筆で施してます。ハゲチョロはそこかしこにやってしまうと、とりとめがなくなってしまうので、按配がとても難しいです。まあ、これもやりすぎなのかもしれないんですけど(笑)。この辺はもう好みですね。

機銃弾の交換用パネルとか、操縦席の周辺とか、人がよく触ったり踏んだりするところを重点的にハゲチョロさせていくわけです。主翼付け根(赤いラインの内側)は、裏にフラップがあって構造上弱いので踏んだらダメなのです。なので、ここがはげることはありません。

照準器のガラス部分は自作しています。0・2ミリの透明プラ板です。ちょっとしたことですけど、こういうのをやるだけでグッと実感が増しますね。


裏側はこんな感じです。ハゲチョロなどのウェザリングは表と比べるとかなり少ないです。

ほとんど見えないところでもありますし、塗料の明度的にウェザリングをハードにしてもわかりにくいのでそれなりにオミットしています。

脚のUP。ブレーキパイプは釣り用の糸鉛です。ちょっとした追加加工ですが、これだけでもグッと実感が増しますね。


デカールの段差を消すために、クリアーを全体に吹いてから研ぎ出しています。なので、機体上面は半ツヤとツヤ有りの間くらいの感じになってます。

好みもあるとは思うのですが、個人的には飛行機のツヤはこれくらいでもそれっぽいかな?という気がします。でも、完全ツヤ消しでもカッコいいですし、難しいところですね。

零戦は斜め後ろからのスタイルもいいんですけど、斜め前からもいいですね(なんやねん)。まあ、結局、「零戦はカッコいい!」ってことなんですけど(笑)。


というわけでお終いです。零戦はじめ日本機は年1個くらいは作りたいなあと思ってるんですけど、全然できてませんね。今年こそは!と思ってますが、どんなもんでしょうか。


零戦は、特にまた作りたいですね、大西学長は「零戦は日本の魂である!」とつねづね主張しておられましたが、私も「そのとおりであります!!」と激しく同意するのであります。零戦は有名で人気があるので、思想とか政治とかそういうメンドクサくてややこしい場に引っ張り出されがちなので気の毒です。零戦っていうのは、そういうややこしいあれやこれやを超越したものとして、「どーん!!」と私たちの心の中に存在しているんじゃないかと考えています。この作品は、そういう意図も込めて作ったつもりです、、、っていうことをさっき思い出しました(笑)

最後の最後で、なんかわかったようなわかってないようなことを書いてしまいました(すいません)。
それでは。


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柳川に行ってきました。

2019年01月13日 | 雑記
正月休みに、九州の柳川に行ってきました。今回はその訪問記を書いてみます。この写真は、柳川中心部のイイ感じの水門跡。うーん、いいなあ素敵だなあ、、って、どれくらいの人がこれを「イイ」って思ってくれるのか不安になるスタートではありますが、まあ、よろしければお付き合い下さい。

柳川とはなんぞや、ということをざっくり説明しますと、町の中に近世以来の掘割(水路)がたくさん残ってる地域です。掘割は昔の住民にとって、生活に密着したとても大切なもので、この地域の特長となっています。今は掘割を平底舟で周遊するという「柳川下り」が広く知られてます。うなぎ屋さんがたくさんあって、それも込みで有名な観光地となっております。詳しくはググッて下さい(コラコラ)。

今回は、ちょっとした野暮用があって九州に行ったのですが、観光を全くせずに帰るのもアレだなあ、ということで柳川に行きました。15年くらい前に行ったことがあって、また行きたいとずっと思ってまして、懐かしさもあって訪問したわけです。

駅からちょっと歩いて柳川の中心地にくると、こんな風景にすぐ出くわします。掘割が街中を縦横にめぐらされてて、実にイイ感じ。


いや、素晴らしい。


川下りは、複数の業者さんが営業していて、それぞれの船着場があちこちにあります。15年前のお店じゃなくて、別のところで乗ろうか、ということでうろうろします。こんな感じで船がたまってるところがお店です。


事務所を覗くと、人がいません。色紙がステキすぎ。せんださんは、確かに大スターですね!!ナハ!ナハ!

近くに客引き係のおじさんがいたので声を掛けると、乗船場は今は別のところで、車で案内するとのこと。

その乗船場がこちら。

冬なので、豆炭のコタツが備えられております。うーん、素敵すぎ。

もちろん貸切ではなくて、お客さんが何人か溜まってからの出航となります。私と、同行の嫁の森子(仮名)が最後の客だったらしく、すぐ出してくれました。40分コースで一人1000円でした。70分コースもあるそうです。

船は人力で、船頭さんが竿で前に進めます。河童の船頭さんです(笑)この地には河童の伝説があれこれあるようです(なんかそんなことを聞いたような、、、程度の情報なので注意)。

船頭さんが、船を進めながら街のあちこちを説明したり、歌を歌ったりしてくれます。この船頭さんはかなりのベテランかつ芸達者な人で、とても楽しかったです。船頭さん如何で川下りの面白さに違いが出てきます。こういう偶然性も川下りの醍醐味でありましょう(2回しか乗ってないのに偉そうだな)。

というわけで、川下りスタート。こういうのに乗ってみると、川辺を歩くのと比べると目線がかなり低くなるので、とても新鮮に映ります。


水路の街なので、あちこちに小さな橋があって、かつ護岸は基本石組みで、とても風情がありまする。


いや、素敵。


ああ、素敵。


この辺が、ちょっとした中心地で、両岸に柳が植えられてて実に素敵です。さっきから素敵素敵を連発してますが、素敵としか言いようがないんだから仕方ないじゃないじゃないですか!なんか他にいい日本語があったら教えてみて下さいよ!!(逆ギレ)

ちなみに、この先に北原白秋先生の生家があるそうです。

しかし、素敵素敵で素敵だわあ、で終わらないのが川下りの奥深いところ。帰り道ではエキサイティングかつデンジャーなイベントが待ち受けておりました。時間の関係で、結構きわどい橋をくぐらないとアカンようになったらしく、乗客にその旨のアナウンスが。これをくぐるとのこと。マジっすか!

橋の上にいるのは、お店の若い衆。船を上手く誘導するために駆けつけてくれました。

えー、ここくぐるの?ほんとにほんと?という感じ。橋は水面から80センチくらい。当然、乗客は通過時に全員船底に身を伏せなければ首チョンパです。


うおおおおおお!!とノルマンディのキャパのような決死の覚悟で撮ったのがこれ。

これは、我が生涯で一番急角度のアオリ写真かも(笑)

うわー、ぎゃー、コワイヨー!(楽しそうだな)


で、船頭さんは橋に飛び移って、橋から船に飛び降ります。ヒューヒュー!

というわけで、ディ●二ーラ●ドやU●Jのアトラクションなんて目じゃないドキドキ体験で川下りは終了です。
いやー、面白かった!(ちょっと趣旨がずれた気がしないこともない)。

ドキドキしてお腹が空いたので(っていうか、事前からお昼時をずらした時間設定をしていたのが我ながらイヤラシイ)ご飯はうなぎの蒸篭蒸です。いやー、おいしかったです。
ちなみにこれは梅です。うなぎ二切れで少々さびしいのですが、まあこれくらいをじっくり味わうのが粋な通人でありましょう。「武士じゃないけど高楊枝」であります。竹を頼むなら、その分で瓶ビールを1本追加するほうがいいのであります(実際そうしたしな!!)。

で、15年前に乗ったときとコースが違ったような気がして、過去の写真を見返してみました。すると、やっぱり違ってました。70分コースが以前のそれなのか、お店によってコースに違いがあるのかわかりません。次に行くときはそれなりに調べてからにしようかな、と思います。そんなこんなでいろいろ楽しめるのがいいなあ、と。

柳川については、高畑勲監督の「柳川掘割物語」という、とても素晴らしいドキュメンタリー映画があります。中学生くらいの頃(30年前だ、、)、アニメージュでこの映画が紹介されて、後日テレビでこれを観て(読売テレビの「CINEMA大好き!」だったかな? サブカル系の渋い映画を特集してくれるこの番組にはほんとお世話になりました)柳川に行きたくなったのでした。なので、最初に訪れたときは感無量でありました。

映画を簡単に説明します。先に書いたように、掘割は近世からこの地に作られ、住民の生活に密着した無くてはならない存在でした。ところが戦後の高度成長期にはドブ川状態となってしまい、一旦は暗渠化ないし埋め立てられる計画が立てられます。しかし、市職員や住民らの要望によって計画が見直され、現在のように綺麗な状態に整備されたのでした。映画は近世以来の掘割の役割と、再生への過程が丁寧に描かれていて、人と水とのつながりの大切さが身に染みいるようによくわかる内容でした。DVDにもなってますので、興味のある方はぜひご覧下さい。私もまた観てみようと思います。確か、当時番組を録画したビデオがまだあったはず(買うかレンタルしろよ、、)。

あと、竹中直人監督の「東京日和」という映画もとてもいいです。写真家のアラーキーさんと奥さんの陽子さんの2人のほんわかした生活をしみじみと描いた映画で、柳川に旅行に行く下りがあります。「ああ、柳川はよさげなところだなあ。行ってみたいなあ」と思ったのでした。これもお薦めです。私もまた観てみたいです(ビデオは持ってます)。

というわけで今日はお終いです、、、、と思ったらアルバムを観てたらこんな写真が。

志免鉱業所竪坑櫓です。15年前、柳川に行ったときに帰りに寄ったんですね。竪坑櫓というのは、ざっくり説明しますと、地下で採掘した石炭をグワーッと地上に引き上げるエレベーターのための施設です。天空の城ラピュタの冒頭で、パズーが操作していたのがそれの小さいバージョンです。この竪坑櫓はパズーのそれとは比較にならないくらい大きくて(地上高約53メートル)、世界最大級なんだそうです。1943年に、炭鉱を所有していた日本海軍によって作られました。

いやー、ほんとたまらんですね。

どこがどう「たまらん」のかわからん人もいるかもですが、とにかく、たまらん!!のですよ(笑)1/200くらいの模型を作りたいとずーっと思ってるんですけどね。アオシマさんとかでキットにしてくれんでしょうか。売れると思うんですけどね、、、って、売れないか(笑)それなら、個人レーベルのガレージキットにしちゃろうか、とか思ってるんですけど、売れないか(笑)

閑話休題。当時はこんな殺風景な感じでしたが、今は公園として整備されてると聞きました。


そういえば、この頃は銀鉛カメラでそんなに枚数を撮るわけにもいかなかったんですよね。今だったら200枚くらいは余裕で撮っちゃうんですけど(笑) このカットはとても気に入ってて、引き伸ばして部屋に飾ってます。

今回は時間の関係で訪れることができなかったのですが、次の機会には必ず行ってみようと思ってます。福岡空港からバスで行けますので、興味のある方はぜひ。この圧倒感はちょっと他にないですよ。

というわけで今回はお終いです。九州は端島(軍艦島、と呼ばないのがツウっぽいんだよな、と思ってる時点でなんか実にイヤラシイ)など、エキサイティングかつインタレスティングなスポットが多々ありますので、機会があればまたいろいろ行ってみたいと思ってます。とはいえ、私は非常に出不精なので、死ぬまでにどれだけ行けるんじゃろか、という気がしないこともないです。でも、まあ出来るだけ外に出なきゃなあ、というのも今年の目標なのでそれなりにほどほどのスタンスで、適当にぼつぼつ頑張りたいと思います(ほんま、やる気あんのか)。

それでは。






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